いつも‥最高。
ホント、田邊さんって、困った人だよね。
熊みたいな見かけだけじゃなくって、性格も、大雑把でさ。
‥まったく、あの‥僕らが触れないでおこう触れないでおこうとしてる問題に、土足で踏み込んだりしちゃってさ。
夏君が、大袈裟にため息をついた。
「気を遣わせて悪かったね」
俺は笑った。
気を遣われてるってのは‥
実は分かってた。
それに‥気を遣ってくれてることに感謝してた。
でも、今は思ってた以上に気持ちが楽なんだ。
渡辺に会ったお陰で、小学生の頃の無自覚に「最強」に丈夫だった頃を思い出すことが出来て、無自覚に最強に丈夫だった頃の「真似事」をすることで、田邊にもタンカが切れた。
ただのホームシックだったんだよ。
って。
思春期だったから。
って。
自分にとって「あの事」「あの頃」がそんな‥簡単なことじゃなかったってわかる。
っていうか、考えることすら避けてた。
夏君だって、家族だって、遠慮して‥そんな話避けて来た。
父さんは、言わないけど、ずっと自分を責めて
恭二伯父さんを責めて(←すごく遠回しに)きた。
だけど、田邊は無遠慮に‥心配してなんて言葉でコーティングしても、だ‥ずかずかと俺の記憶やら触れたくない過去に踏み込んできた。
田邊は‥だけど、俺が西遠寺じゃなかったら‥西遠寺が捜査上に上がってこなかったら‥きっと、調べることなんてなかっただろう。
否。川田君っていう優秀な助手がいなかったら、きっと『まあいいか』で済ましてただろう。田邊はそんな奴だ。
小学生の俺と、今の俺を知っている田邊。
だけど、その「間」を知らなくたって
それこそ
「変わったな」
「色々あったからな」
「お互いな」
の会話をすっ飛ばしちゃうような、奴。
心が広いとかとは、別の次元なんだ。
鈍感で、‥何にも考えていない大雑把な奴なんだ。
‥繊細な優しさ、とか、気遣い、とかそういうのがない。
今の俺を丸ごと、何の違和感も感じずに、無神経に、受け入れちゃうような、奴。
それこそ、久し振りに会った俺だって「大人に成って落ち着いた」で、納得しちゃうような奴。
「今は、こんなに透かしてるけど、昔はやんちゃだったんだぜ? 」
って話すような、軽い奴でもない。
それに、‥きっと、田邊にはそんな話をするような相手はいない。
田邊が俺のことを話す相手は、せいぜい弟位で、弟は
「あいつは変わってしまった」
って、‥それこそ心配して、気を遣って、気をまわして‥俺のこと遠巻きに心配げに見守る様な‥繊細なタイプだ。
「話せる日が来たらきっと、‥話してくれる。そしたら、話をきこう」
「‥話をしてくれないってことは‥俺じゃ信用できないってことだろうか‥。俺には何の力にもなれないってことだろうか」
無遠慮な「おせっかい」タイプではないけど、心配性で、優しくって、そして、それが苦しくなって、距離を置いていく、普通の人。
「弟は、苦労するタイプだよね。きっと、恋人が出来たら、恋人のちょっとした変化に「何かあったのかな」って心配になっちゃうようなタイプ。で、勝手に「きっと、別に好きな人が出来たんだ」って確認もせずに自己完結しちゃうタイプ」
「田邊さんは? 」
「あいつは‥きっと、付き合いたての彼女が髪型を変えて、ドキドキしながら反応を待ってたって、‥切ったことにも、彼女がドキドキして感想を期待してることすらも気付かないタイプ」
ぷ、
夏君が笑う。
「だけど、それは彰彦兄さんも一緒だよね」
「‥夏君はどうなのさ」
「‥スミマセンデシタ」
「でもま、‥一人じゃないって、凄いことだな。変化がある。‥進歩も」
「まあ、な」
「なあに、従兄弟同士でしんみり飲んでるのさ」
あはははは
絵里が酒の為にちょっと赤くなった顔で、揶揄って来た。
‥ああ、ありがたいよ。
‥例え、絡んでくるような友でも。
彰彦は
嫌いなわけではない。
田邊が持ってきた酒は今日のも美味いし。
一人で飲むより、仲間と呑む酒の方が美味い。
夏がこの間言ったように、彰彦もビールより日本酒が好きだった。
香りを楽しみながら、ちょっと呑むのが、彰彦は好きだ。
‥だけど
このありさまは何だろう‥。
さっきから、彰彦は
「大体彰彦はいつも親分で、人に弱みを見せなさすぎる」
絡まれたり
「アキヒコだってカッコつけたいわよ。それは、察してあげなさいよ」
酒のつまみにされたり
「厚揚げ焼きましたよ」
「‥すまん」
人の恋路を見守ったり、
している。
初めは楽しそうにしてた夏も、今ではちょっと苦笑いで‥
結果、机の隅で『従兄弟同士でしんみり』と、田邊兄愚痴合戦を開催していた。
デレデレしている(※彰彦の感想です)田邊兄は聞こえていないだろう。
ちなみに、絡んできたのは、田邊弟で、酒のつまみにしてきたのは、渡辺で、
厚揚げを焼いてもらってデレデレしてるのは、田邊兄だ。(注:デレデレはしていない。彰彦と夏の「リア充爆発しろ」フィルターでもって見るとそのように見えたのだ)
川田は「わー田邊さんがデレてる」って怖いもの見たさ100%だ。ニヤニヤした顔をしながら、さっきから鶏肉ばかり食べている。
元々肉好きっていってたから、こっちは通常運転なんだろう。
「あ! 川田さん、ちゃんと野菜も食べて下さいよ! 」
夏が川田に絡みだしたので
ふう、
彰彦はため息をついて、水を汲もうと席を立った。
客間から台所に移動する引き戸は、ガラス戸だ。
大きめの格子に今ではあまり見ないレトロな飾りガラスが一つずつはめ込まれている。左隅の一番下だけガラスが新しいのは、彰彦が小さい頃ボールをぶつけて割ったからだ。
ガラスを割ったのは一枚だけだったが、障子や襖は数えきれないほど破損して来た。
小学生の頃の彰彦は、普通の元気いっぱいの子供だったから
「自分でやったんだから、自分で」
という房子の逞しい教育方針により、彰彦は小学生にして障子が自分で張り替えられる様になっていた。(それっくらい、経験値を積んだんだ)
同じく、部屋の掃除も自分でしてきた。(これも、房子の教育方針だ)
「自分で食べる分は自分で調理」
とは言われなかったのは、房子自体もしないからだろうか。
房子は、日中家の外どころか、部屋の外に出ることもない。
部屋で、黙々と表装している。掛け軸やらの表装だ。
表具店に頼まれたもの、西遠寺に頼まれたもの、近所の公民館の発表会用。
それらを区別することもなく、ただ丁寧にひとつひとつ表装していく。
そういったものは、頼み主が約束の日になったら引き取りに来る。
頼み主に対応すのは、古図か彰彦だ。
誰も近寄らない化け物屋敷‥なんて言ってるのは、世間の大半でも、やっぱり一部にはそんなことに気にしない変わり者だっているのだ。
今日は、古図も房子もダイニングで別に(久し振りに冷や奴とご飯だけの)夕食を済ませ、今は各自自室に居るようだ。
ダイニングには誰もいなかった。
電気をつけないでも、台所後ろにある勝手口から入ってくる月明りでダイニングは明るかった。
頭の位置に明り取りの窓が四角くついた、古いデザインの開き戸である。
彰彦は勝手口を開けて、外に出ると空を仰いだ。
月が綺麗だ。
神と月見をしたのは、何年前だっただろうか。
現実とも‥思えない不思議な時間だった。
水道から汲んだただの水道水が、月を溶かしたような‥美酒になるなんて‥。
現実にあることとは思えない。
自分にグラスを差し出した、神の‥金色にも似たシトリントパーズの瞳。
夜の闇の様な‥黒髪。
青白い、‥陶器の様に滑らかな白い肌。
それは‥若い女の子なんかではなく‥神々しい神‥そのものだった。
思わず、月をグラスに映す。
ふふ
思わず笑みが零れた。
確かに‥あれから随分たった。
確かに自分は変わったけど、それも「大人ならそんなもの」って十把一絡げに扱われるくらいに。
そろそろ、ホントに
大人に成らないといけない。
「おーい、アキヒコ。どうした? 気分でも悪くなったか? 」
隣の部屋からする『悪友』の声に
「水飲んでるだけ! 」
叫び返す。
「あ、俺も飲みたいです! 」
新しい友達(?)も。
一人じゃないって‥いいことだな。
「別にね。私は彰彦が結婚しなくたって、いいと思ってるわ」
くす、
隣の部屋で表装をしていた房子が微笑んだ。
「お友達もいて、楽しそうじゃない」
なんといっても‥
「あんなに‥沈んでいた彰彦を癒してくれたのは、友達であり、‥時間だった」
時間は‥いくらでもある。
だけど、動かないと、変わらない。
変化を与え、止まっていた彰彦の時間を動かしたのが新しい出会いだとしたら、それは悪くない。
「古図のおせっかいは、何時も‥最強だわ」
ふふ
微笑む房子だった。