第30話 アラクネの本気
初手は魔物の一撃だった。
音を置き去りにして振るわれた鎌は、アラクネの八つ足に軽々と跳ね返された。
正直、俺には何も見えなかった。空を切る音と金属音が同時に響いたと思ったら鎌が弾かれていた。
魔物も一撃で仕留められると思っていなかったのだろう。間を置かずにもう一本の鎌が振るわれる。
そして、鎌は文字通り空を切った。既にアラクネはそこにいない。弾かれた鎌の陰に隠れるように移動していた。
鎌に隠れるように移動したアラクネを見失った魔物は、その巨体からは想像もできない程の素早さで後方へバックステップした。
いや、バックステップしようとした。
バックステップのために宙へ浮いた魔物は、突然何かに引っ張られるように地面へ叩きつけられたのだ。
魔物を地面へと叩きつけた何かの正体は、アラクネの放った糸だった。
右手に握られた短剣から放たれた糸は魔物の胴体に付着していた。
八つ足を地面に突き刺して支えにしたアラクネは、10mを超える巨体をその腕で引き倒したのだ。
体勢を崩した魔物を見逃す訳もなく、アラクネは次の一手に打って出た。
右手から延びる糸を地面へと繋げると、魔物の周りを駆けながら同様に魔物と地面を糸で繋いでいく。
魔物は立ち上がる間も無く、全身を糸で地面に縫い付けられてしまった。
魔物は何とか立ち上がろうとするが、糸に拘束されて叶わない。
戦いが始まってから1分も経たない内に決着はついた。魔物はもう動けない。あとはとどめを刺すだけだ。
そう、思っていた。
魔物は微かに動く右腕の鎌で、左腕の鎌を拘束する糸を切り裂くと、あっという間に残りの糸を切り裂いてしまった。
これで状況は振り出しに戻った。拘束していた少しの時間に攻撃をすれば良かったのに。アラクネは何をしていたんだ。
魔物に注目して、アラクネをすっかり見ていなかった。
アラクネを探すために周りを見渡すと、辺り一面に糸が張り巡らされていた。まるで俺が巨大蜘蛛の巣に迷い込んだかのような有様だ。
アラクネは攻撃するために拘束したんじゃない。このフィールドを作り上げるために拘束していたのだ。
アラクネは張り巡らされた糸の上に立っていた。
そして高く飛び跳ねる。糸の上に着地した次の瞬間、アラクネの姿は消えていた。
糸をバネにして高速で跳躍したのだ。
張り巡らされた糸を縦横無尽に跳ね回るアラクネの姿は、もう俺には捉えることができなかった。
姿は見えないが、アラクネが跳ねる度に魔物の体には八つ足で切り裂かれた傷跡が増えていく。
おろおろと辺りを見渡す魔物はその姿を捉えられていないようだった。
アラクネを見つける事を不可能だと悟った魔物は辺りを見渡すのをやめると、鎌を無茶苦茶に振り回して糸を切り始めた。
見る見る内に糸が減っていく。
遂に着地先の糸を切られたのだろう、アラクネが短剣から放たれた糸に捕まって滑空する姿が見えた。
魔物は滑空するアラクネを捉えると、鎌を振り上げた。
まずいと思った瞬間、風切り音が響く。
鎌は、再び空を切った。
アラクネは鎌が振るわれる直前に糸を切って軌道を変えたのだ。
一度目は躱した。
だが鎌は、二本だ。
再び振るわれた鎌は、遂にアラクネに直撃した。
八つ足を交差して両断される事は防いだようだが、巨大な鎌に直撃した衝撃で弾き飛ばされる。
そして次の瞬間、魔物の胴体に風穴が空いた。
魔物はその動きを止めるとゆっくりと崩れ落ちる。
土煙を上げて地面に倒れた魔物は、もうピクリとも動かなかった。
決着がついた。アラクネの勝利だ。
しかし、何が起きたのか全くわからなかった。
「魔物の一撃を利用したのよ」
呆然としている俺にミストさんが今の攻防の解説を始めた。
「魔物の一撃を受ける瞬間、アラクネは二本の糸を放っていたの。その糸をバネに使い、弾き飛ばされた衝撃を増幅させて弾丸みたいに魔物を貫いたのよ」
あの一瞬で、アラクネは魔物の一撃を利用する事を思いついたとでも言うのか。
いや、その前の一撃からこの展開を想像していた可能性すらある。
つくづくアラクネは常識外れだ。
理解はできたが、頭が追いつかず呆然とし続けている俺の前にアラクネが歩いてきた。
「オルフェ、ちゃんと見てたか? 無傷で倒してやったぞ。これで俺様の凄さを理解してくれたかな?」
ニヤリと笑いながら、アラクネは自慢げに言った。
激戦の後でも、アラクネはアラクネだった。




