第九十二話 心のささえ
更新が滞って申し訳ありませんでした。
そしていつのまにかブックマーク100!
3桁の大台に乗っていました^ ^
本当にありがとうございます。
他作も含めて少しずつ執筆再開していくつもりです。
ゆっくりとですがね……^ ^;
これからもどうぞよろしくお願いします。
「伊沢信秀…………とな?」
「へぇ。三千五百石の旗本、伊沢家の次男坊でやす」
ボソリと呟いた周一郎に智蔵が怪訝な顔で返す。
智蔵は周一郎に伸哉が殺された経緯を話していた。
今のところはあくまで推測に過ぎないのだが、伸哉が信秀と大村を追って行ったのは翔太が見ているので間違いない。
確たる証拠はないにしろ二人が伸哉を殺したのは、最早疑う余地がないと言えるだろう。
「もしや屋敷は本郷ではあるまいか?」
「中西殿は伊沢家をご存知なんで?」
周一郎の言葉に堪らず口を挟む永岡。
そんな永岡を一瞥した周一郎は苦々しく。
そして「知っていると申しますか……」と、迷った様子で一旦言葉を切る。自身の恥を晒すようで躊躇ったのだ。
言葉を切った周一郎が周りを見回すと、永岡を始め、そこにいる皆が先を促すように力強い目で自分を見ていた。
こんな目で見られては周一郎も話さずにはいられない。
周一郎は覚悟を決めたように小さく咳払いをすると、
「某が道場を失い、そして妻をも失い、こうして浪人生活を送るに至ったのは、その伊沢家と関わったが故に御座る……」
眉間に皺を寄せながら語り出した。
周一郎は五年ほど前に自らの道場を畳んでいた。
その切っ掛けになったのが伊沢家であり、信秀だったのだ。
大身旗本とは言え信秀は次男坊である。
父親の忠信は是非とも息子に剣で身を立てさせたいと頼み込み、周一郎の道場へ入門させたのであった。
剣で身を立てさせるとは言っても、養子へ出す為に箔をつける意味合いでの事だ。金に物を言わせて免許皆伝の切り紙さえ貰えればそれで良い。
当人もそれを見越していたからか、初めからやる気など毛頭ない。やる気がないどころか町場の破落戸並みに素行も悪い。
実は信秀、こうした素行の悪さにより、幾つもの剣術道場を破門させられていたのだ。
しかし周一郎はそんな信秀を見限る事なく、どうにか更生させようと奮闘した。が、それが裏目に出たとでも言うべきか、熱の入った稽古で信秀の腕を折ってしまったのだ。
周一郎はこの一件により伊沢家から嫌がらせを受け、果てには閉門まで追いやられたのだった。
伊沢家による度重なる嫌がらせも三年ほどは持ち堪えていたのだが、困窮による栄養不足と心労で妻が亡くなったのを機に、周一郎は道場を畳む決意をしたのだった。
その後は順太郎と二人、流浪の民として暮らし今に至る。
伊沢家とは、周一郎にとって決して忘れられぬ旗本であり、妻の仇と言っても過言ではない因縁の相手でもあったのだ。
ただ、妻の仇を討ち、遺恨を晴らしたところで妻は生き返らない。
そう悟った周一郎は全てを自らの不徳とし、これからは伊沢家と関わる事なく、順太郎の行く末だけを思いやり生きていく事を心に決めたのだった。
何よりそれが亡くなった妻の最期の願いでもあったのだ。
「貴方なら必ず順太郎を幸せに出来る」そんな妻の言葉を心の支えに、息、順太郎を立派に育て上げると決意したのだ。
伊沢家との関わりを一頻り語った周一郎は、膝をつくと一同を見回し、
「申し訳御座らぬ……」
深々と頭を下げた。
「な、な、どうしなすったんでぇ。止めてくだせぇ中西様……」
周一郎のいきなりの土下座に慌てる智蔵。
「あの時に刺し違えてでも仇を討っておれば、少なくともこのような事にはならなかったはずで御座る……」
悲痛な面持ちで伸哉へ視線を向ける周一郎。
「そいつぁ違うぜ、中西殿」
周一郎の傍にしゃがんだ永岡が声をかける。
「三千五百石の旗本相手に喧嘩したところで何の益もねえって、亡くなる前に奥方から言われていたんだろぃ?」
「それは……」
図星を突かれたのか永岡から視線を逸らす周一郎。
「お前さんは愛する者を奪われた憎しみを晴らすより、その愛する者の言葉を、思いを大事にして、前を向く為に遺恨を断ったんでぇ。真っ直ぐ育った倅を見りゃ、どっちが良かったかは一目瞭然だぜ?」
「しかし永岡殿……」
「それに」
永岡が手をかざして周一郎の言葉を遮る。
「ああした輩の性根は死ぬまで治らねぇ。しかし相手は大身旗本でぇ。運良くサシで対面するでもなきゃ、まともに刀を抜く事すら出来ねぇ相手さぁね。考えてもみねぇ。もし相手に仇討ちが気取られでもしたら、今以上に露頭に迷う事になったろうさ。それこそ命があったかどうかも分からねぇ……。
しかしお前さんは見事に遺恨を断った。だからこそ苦労したかも知れねぇが、こうして今も生きている。そして今日、お前さんはみそのや翔太を救ってくれた。お前さんが生きててくれたおかげで二人の命が助かったんだぜ?」
「………………」
永岡に肩を掴まれた周一郎は何も言わずに目を瞑る。
「中西殿、オイラはそう言う事だと思うぜ?」
「永岡殿……」
周一郎が目を開けると、永岡の隣に腰を下ろしていた智蔵、その後ろに佇む北忠、その場に居る皆が頷いていた。
「皆さん……」
周一郎は改めて皆に頭を下げると伸哉へ視線を送り、
『その無念…………此度はお上が裁き、仇を討ってくれましょうぞ』
心の内でそう呟いた。
*
「旦那……」
永岡の顔を見たみそのは続く言葉が出て来ない。
永岡の顔からは明らかに疲れが見て取れる。しかしみそのはそれとは別に、そこはかとない悲壮感を感じたのだ。
「翔太はどうでぇ?」
そんなみそのをよそに努めて明るい声で尋ねる永岡。
ただその声音にはやはり硬さが感じられる。
自分でもそれがわかったのか、永岡は即座にみそのから目を逸らし、そそくさと雪駄を脱いで自らの足を洗い出す。
「応急処置は済ませました。今は幾分楽になったのか、ぐっすりと眠っておいでです」
「そうかぇ。そりゃあ良かった。ありがとな」
みそのの言葉に永岡は顔を上げ、今度はほっとした本物の笑みで応える。
みそのもこの自然な笑みにほっとしたのか、手拭いを手に取り永岡の足を拭くのを手伝った。
「ちょいと翔太の顔見させてもらうぜ」
そう言って立ち上がった永岡に大きく頷いたみそのは、やはりいつもと違う永岡の様子に強張ってしまう。
それに気づいたのか、永岡はみそのの肩をそっと抱いた。
「旦那……」
「伸哉は駄目だった……」
みそのを見る事なく小さく呟く永岡。
「もうちっとばかし心を落ち着かせてから知らせるつもりだったんだが、どうやらお前にゃ隠し切れねぇみてぇだな……」
「…………」
みそのは自分の肩に回された永岡の手に、自らの手を添える事しか出来ない。
「なあ、みその。こんな事ってあるかよ、こんな事ってよ……。オイラどうにも心が追っつかねぇや……。気張らねぇと駄目なのはわかってんだが、どうにも…………」
「…………」
みそのは何も言わずに声を震わせる永岡の手を強く握る。
床板にポタポタと雫が落ちる。
永岡は先ほどまで毅然と振舞っていた分、ここへ来て感情が抑えられなくなったようだ。
みそのはもう片方の手を永岡の背中へと回す。
そのまま暫く抱き合う形で黙する二人。
「ふぅうううー、ふっ」
永岡が大きく息を吸って力強く吐く。
自分を落ち着かせたようだ。
「ありがとよ」
「…………」
小さく首を振るみその。
永岡はそんなみそのの背中を軽く叩くと、すっと体を離して踵を返す。
「早えとこ皆んなんとこへ戻らなきゃいけねぇ。翔太の顔を見させてくんな」
「はい」
泣き顔を見せたくないのだろう永岡の背中へ、みそのは力強く応えるのだった。




