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第九十一話 悲痛な対面

 


「うゔ……」


「辛抱してくださいね、翔太しょうたさん」


 小さく呻き声を上げる翔太にみそのが優しく声をかけている。

 翔太は呻き声こそ上げたが未だ眠っているようだ。


 みそのは今、翔太の患部に繰り返しぬるま湯をかけて傷口を洗浄しているところだ。

 ぬるま湯は沸かした湯に食塩を溶かして作った生理食塩水で、傍らにはワセリンと食品用ラップを用意している。

 生理食塩水で傷口を洗浄し、ワセリンを塗ってラップで傷口を押さえる為だ。

 以前永岡が大怪我を負った事もあり、みそのなりにもしもの時に備えて応急処置を勉強していたのだ。


 みそのは翔太の傷口を十分に洗浄すると、ワセリンを薄く塗りラップで傷口を閉じるようにして巻いて行く。

 その上から綺麗な晒を当て、更に細く切り裂いた晒で包帯のようにぐるぐると巻いて行く。


「ふぅ……。あとは膿まない事を祈るだけね……」


 額に薄っすら浮かぶ汗を拭うみその。


「それにしてもこのままにしておく訳にはいかないわね……」


 みそのは翔太を眺めながら独り言ちる。

 処置を受けた翔太は比較的穏やかな顔で寝息を立ててはいるが、その場所は未だ三和土たたきで、運び込まれた時の戸板に寝かされたままなのだ。


「でも一人で運ぶのは無理そうね……」


 と、溜め息を吐いた時、


「みそのちゃん、まだ起きてるかぇ?」


 甲高い声が聞こえて来た。

 裏店うらだなに住まうおきくだ。


「はい、今開けますね」


 急いで閂を外して戸を開けるみその。

 戸が薄く開くや、


「こんな時刻にごめんよぅ。ウチのが寄合いで干物を貰ってきたんだけど、今日のうちに持ってけってうるさいんだよう。干物なんだしそう急がなくてもいいって言ったんだけど、こうした土産もんは鮮度に限る、とかなんとか訳わからないこと言って聞かないのさぁ」


 お菊がまくし立てるように語りながら三和土へ入ってきた。


「子供が母親に手柄を急いで見せるのと一緒さぁね。本当男ってぇのはいつまでたっても子供って言うか、馬っ鹿だよねぇ? アハハハハハ」


 高笑いするお菊。

 いつも通りお気楽な調子だ。

 しかし、みそのの肩越しに寝かされた翔太を見るや、


「ど、どうしたんだい、この人!?」


 お気楽な調子から一転、後ずさりながら目を白黒させる。


「翔太さんは智蔵親分さんのところで下っぴきをやっているんですが、さっき襲われて腕を斬られたんです。応急処置をしたはいいものの、布団に寝かせようにも一人じゃ動かせなくて、ちょうど困ってたところだったんですよ。お菊さん、動かすのを手伝って貰えます?」


「そりゃ勿論手伝うさぁ。でもみそのちゃんには重いだろうから今からウチのを呼んでくるよぅ。ちょいと待ってておくれ」


 お菊はそう言うと自分のたなへとすっ飛んで行く。


「じゃあ今のうちに布団と着替えの用意ね……」


 小さく拳を握りながら独り言ちるみその。

 なんともタイミングが良く、尚且つ心強い援軍が現れ、心細くもあったみそのに新たな力が湧いてきたようだ。


「伸哉さんは大丈夫かな……。無事だといいんだけど……」


 思わぬ援軍を得て安心したからか、みそのはもう一つの気がかりを口にする。

 と同時に伸哉の状態を報せた時の翔太の必死な顔が脳裏に浮かぶ。

 次の瞬間、何故だかゾクリと身震いしてしまう。


「とにかく私は翔太さんをしっかり診ないと!」


 みそのは嫌な予感を振り払うかのように、ぶんぶんと首を振りながら声高に独り言ちるのだった。



 *



「な、なんてこってぇ……」


「伸哉! 伸哉起きろ! テメェこんなとこで…………こんなとこで寝てんじゃねぇやい!」


 広太こうたが声を詰まらせ膝をつくと、その横をすり抜けた留吉とめきちが伸哉を揺さぶりながら声を荒げた。

 直後、留吉のすすり泣きが部屋中に響き渡る。


 部屋の隅には放心状態で座り込む松次しょうじと、その肩に手を置き無表情でただ伸哉を見つめる北忠きたちゅうの姿も見られる。

 伸哉の元には今、怪我を負った翔太以外の仲間が集まっている。

 どんよりと重い空気が狭い部屋を更に圧迫させている。


「永岡さん、やったのはあの旗本なんですよね……」


 北忠の声で皆の視線が永岡に集まった。


「ああ。伸哉は奴等を尾行しててこうなったんでぇ。彼奴らしか考えられねぇ……」


 永岡は北忠の問いに応えると舌打ちを一つ打ち、「お縄に出来るだけの証拠はねぇがな」と、悔しげに続けた。

 その隣で自らの太ももへ拳を打ち付ける智蔵。


 智蔵は伸哉に犯人を聞き出す余裕が無かったと翔太から聞いている。

 翔太が伸哉の口から聞いたのは「しくじっちまった」とだけで、犯人の名前を聞き出そうにも直ぐに気を失ってしまったのだと。

 しかし伸哉は信秀のぶひで大村おおむらを尾行していたのだ。「しくじった」は、二人の名前を言ったようなものなのだ。

 ただ、それだけでは到底伸哉を殺した証拠にはならい。

 伸哉が死んでしまった今、別の新たな証拠が必要なのだ。


「こ、こいつを使って今からでも聞き込みしやしょう」


 永岡が手にしていた人相書きを奪い取るようにして懇願する広太。


「気持ちは分かるが聞き込みは明日の朝からでいい。今行っても通りにゃ人なんぞ歩いてねぇや。それより明日の朝から商人や職人はもちろん、飛脚から棒手振りまでそこを通ったもんは片っ端から聞いてめぇれ」


「へ、へい……」


 永岡の言葉に小さく頷いて引き下がった広太だが、人相書き片手に座ったり立ったりを繰り返している。

 頭では納得するもどうにも居ても立っても居られない様子だ。

 それは他の手下も同様で、留吉は目を閉じながら酷い貧乏揺すりを繰り返している。

 放心していた松次はフラフラと立ち上がり、ぼーっと天井を眺めながら自らの太腿をトントントントン引っ切り無しに叩いている。

 そんな時、


「おい忠吾、何処行くんでぇ?」


 無言のまま立ち去ろうとした北忠の腕を掴む永岡。

 永岡を睨むように見返す北忠。


『決まってるじゃないですか、伸哉の仇討ちに行くんですよ!』


 そんな言葉が聞こえて来そうな目だ。


「まさかおめぇ、一人で屋敷に乗り込むつもりじゃねぇよな?」


「…………」


 目をそらす北忠。


「今乗り込んだところで町方風情がって門前払いが関の山でぇ。それに相手は大身旗本でぇ。上に手を回されて、逆にオイラ達がお咎めを受ける羽目にもなり兼ねねぇ。屋敷へ乗り込むにしても決定的な証拠を掴んでからでぇ」


「それはいつになるんですか」


 ぼそりと小さな声で反論する北忠。

 再び北忠に睨まれた永岡は、一瞬目をそらしてしまう。


「人一人殺して今ものうのうとしてるんですよ? それが許されると思います?

 我ら町方が直ぐに取り締まれないのであれば、私は同心としてではなく、二千五百石の旗本として屋敷へ乗り込みます。私が旗本として生まれ育ちましたのもここでやっと役に立ちます」


「しかし忠吾……」


「永岡さん、大事な家族を殺されたのですよ?」


 北忠の目尻から一筋の涙が滴り落ちる。

 それを見た永岡は何も言えなくなってしまう。

 暫し沈黙が流れる。


 と、


「御免、こちらに永岡殿は居られるか?」


 襖の外から声がかかった。

 永岡は聞き覚えのある声に眉間に皺を寄せる。


 この声は中西殿かぇ?


 この時この場所へ周一郎が訪れるなど有り得ない。

 何かあったとしか思えないのだ。


 これ以上何が起こるって言うんでぇ……。


 永岡はそう思いながら目を瞑り、「ふぅー」っと自分を落ち着かせるようにゆっくり息を吐く。


 そうして襖を開けた先には果たして見覚えある侍、中西周一郎が立っていた。

 周一郎の額には汗がびっしり浮いている。

 周一郎は木戸門を通るのに難儀した為、時間を取り戻そうとここまで走り詰めだったのだ。


「翔太殿が斬られて傷を負った」


「…………」


 周一郎の言葉に永岡が息を飲む。

 周一郎の次の言葉を待つ一同。


「みそのさんの仕舞屋しもたやへ運び込み、みそのさんが手当てをしてくださっておる。某の見立てでは、血が流れたのは心配じゃが命に関わる事はなかろう。とにかくこの事を報じに参った」


 一同から一斉に安堵の溜息が漏れる。


「な、なんでまたそんな事になったんでやすかぇ?」


 智蔵の問いに頷いた周一郎はそこで初めて伸哉に気づいた。

 伸哉の顔には白い布が被せてある。


「御免……」


 周一郎は目礼しながら部屋の中へ入ると伸哉の傍へ腰を下ろし、神妙な顔で手を合わせるのだった。



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