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第九十話 伸哉死す

 


「私が番屋へ行って人を呼んできます!」


「待ちなされ、みそのさん」


 駆け出そうとしたみそのを周一郎が呼び止める。


「未だ彼奴等きゃつら彷徨うろついてるかも知れぬ故、みそのさんを一人で行かせる訳にはいかぬ。なればそこの商家へ声をかけてくだされ。番屋へ走るより、そこで戸板と人を借りて道庵先生の元へ運びましょう」


「でも……」


 みそのが一瞬躊躇いをみせる。

 道庵は智蔵が伸哉の元へ連れて行くと聞いていたからだ。


「わかりました。頼んできます!」


 みそのはすぐに思い直し、急いで商家へ走るのだった。



 *



「痛い痛い痛い痛い痛い痛い……」


 信秀が震えた声で呪文のように同じ言葉を繰り返している。

 額にはびっしりと脂汗。

 右手には血濡れた手拭いを巻きつけている。

 大村はそんな信秀を肩に担いで疾走しているのだが、やはりその異様さは悪目立ちしているようで、時折すれ違う往来の者達は皆立ち止まり、呆気にとられたように二人を目で追っていた。

 信秀の血に濡れた手拭いを見た人々は、侍同士の喧嘩で負傷したとでも思っているようだ。


 信秀の右手は中指から薬指までの三本を欠損しており、人差し指も骨は断たれて薄皮一枚で繋がっている状況だ。実質、信秀の右手には親指一本しか残っていない。


「痛い痛い痛い痛い痛い痛い……」

「若、暫くの辛抱で御座る」

「い、急げ大村! うっ…………」


 叫んだはいいが、その衝撃で激痛に襲われる信秀。

 そのまま痛みで気を失ってしまった。


「………………」


 信秀の様子に歩みを緩めて立ち止まる大村。


『ここらに打ち捨てておくか…………?』


 橋の袂の暗がりを見ながらそんな思いにかられてしまう。

 周りに誰もいないのを確かめた大村はゆっくりと暗がりに近づいて行く。

 そうっと信秀を降ろそうとした時、


「ニャッ」


 暗がりから三毛猫が飛び出してきた。

 それを追うようにパタパタと子供が駆けてくる。


「フッ……」


 大村が鼻を鳴らしながら信秀を担ぎ直す。

 どうやら打ち捨てるのはやめたようだ。


「はぁ……」


 大村は大きな溜息を一つ吐くと、首を振り振り歩き出すのだった。



 *



「ではお願いします」

「うむ。永岡殿から何か言伝があるでしょうし、帰りにまた寄る事となるでしょう。とにかく戸締りは怠らぬように」

「はい、ありがとうございます」


 みそのが周一郎に深々と頭を下げる。

 ここはみそのの仕舞屋だ。

 三和土たたきには戸板に載せられたままの翔太しょうたが眠っている。

 翔太は伸哉の件で走り回った上に、腕を斬られて血を失っている。

 運ばれる内に疲れ果て、意識を失うように眠りについたのも頷ける。


 周一郎は思いの外安定した翔太の寝息に安堵し、最後に任せておけとばかりにみそのへ頷いて見せる。


「では参ります」

「お気をつけて」


 周一郎を見送ったみそのは急いで閂をかけ、二階のあの小部屋へと急いだ。

 いや、東京へと急ぐのであった。



 *



 永岡が増上寺の境内に転がるように駆け込むと、本殿の階段に腰掛ける小さな人影が目に入った。

 見慣れたこじんまりとしたシルエットだ。

 ただ俯いていて顔が見えない。


「智蔵!」


 呼びかけながらに近づくも小さな人影は全く反応しない。


「………………」


 智蔵の傍まで来た永岡は言葉を失ってしまう。

 色を失った智蔵が半目を開けた状態で放心していたからだ。


「と、智蔵…………」


 永岡が智蔵の肩に手をかける。


「だ、旦那…………」


 放心状態だった智蔵の顔がくしゃりと歪む。

 ポロポロと堰を切ったように涙を流す智蔵。

 永岡が泣きながら膝をつく智蔵を抱き寄せる。


「し、伸哉が、伸哉の野郎が……」

「智蔵…………」


 智蔵の言葉を遮った永岡は次の言葉が続かない。

 ただ智蔵をきつく抱きしめた。


「あっしより先に逝っちまうなんて…………」

「………………」


 永岡が智蔵を抱きながら天を仰ぐ。

 きつく瞑った目尻から涙がこぼれ落ちてくる。


 智蔵の慟哭が静まり返った境内にこだましている。


 静かにそれを聞く永岡の瞳には、光るものと一緒に怒りの炎が浮いていた。


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