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第八十九話 運の尽き

 


「本当は一刻も早く駆けつけたいわよね……。ごめんなさいね、翔太しょうたさん」


「め、滅相もねぇ……」


 無言ながらそわそわと落ち着き無く歩いていた翔太だったが、心を読まれたようなみそのの言葉に恐縮してしまう。

 二人は永岡からの伝言をお藤へ伝える為『豆藤』へ行って来たところで、今はみそのの仕舞屋へと向かっている。


「言ってもさほど遠回とおめえりになる訳じゃありやせんし、あんまり気にしねぇでくだせぇ」


 伸哉しんやを運び込んだ増上寺は芝にある。

 確かにみそのの住まう呉服町を通ったところで四半刻(凡そ30分)程しか変わらないだろう。


「それに奴らに出会でくわす可能性だってありやすからね?

 まあ、あっしが居たところで奴らを追い払うこたぁ出来やせんが、みそのさんを逃す為の時間稼ぎくれぇは出来まさぁ。とにかく今日んところはみそのさん一人にはさせられやせんよ」


 翔太が力強く言い切る。

 伸哉を一人にさせてしまった負い目があるからだろうか、その目はいつになく真剣そのものだ。

 気合いを入れ直すように自分の頬を叩いた翔太は、警戒を強めてみそのの前を歩き出す。

 みそのは申し訳ない気持ちを抱きつつ、逞しさを増した青年の背中に心の内で手を合わせるのだった。



 *



「お、あれは何時ぞやの読売屋ではないか?」


 信秀のぶひでの呟きに大村おおむらが足を止める。

 信秀の視線を辿るとおりん亜門あもんが並んで歩いていた。

 信秀の目は好色のそれに変わり、今にもお凛へ襲いかからんばかりだ。


「若、いけませぬぞ。先程男を斬ったばかりではありませぬか……」


 大村は眉間に皺を寄せ、渋い顔で信秀を窘める。


「ふっ、痴れ言を。男を斬るのと訳が違うわい。いいから手筈を整えろ」


「し、しかし若。あの一緒に居る男は曲者で御座る。足の運びからして元は武士、しかもかなり剣術に馴染んだ者と見て取れまする。なれば今日は無理せず、次の機会を待つのが得策で御座ります。どうかここは……」


「ふん」


 信秀は大村の話を最後まで聞かずに鼻を鳴らして歩き出す。

 大村が語っている間にお凛と亜門が通り沿いの饂飩屋へと入ってしまったからだ。

 大村もそれに気づいて胸を撫で下ろしている。

 最初の頃は信秀自身も周りを警戒して凶行に及んでいたものだが、最近では飴でも買いに行くかのような気楽さになっている。

 今日は人一人斬っている為、いつもより血が昂ぶっている分それが如実に表れているようだ。

 大村は首を振りつつ信秀の後に続いた。



「ちっ、左腕が疼く。やはりあの読売屋の娘と楽しまねばこの疼きが治らぬ。大村、今から戻り、何とか手筈を整えろ」


 どのくらい歩いただろうか。急に立ち止まった信秀が左腕を摩りながら苛立たしげに大村へ命令した。

 先程は止むを得ずお凛と亜門をやり過ごした信秀だったが、やはり気の昂りからか堪え切れなくなったらしい。


「わ、若、もう四半刻《凡そ30分》は前の事、今から戻ったところで探し出すだけでも困難に御座る。今日のところは……」


「何を言っておる、あの娘は饂飩屋へ入ったではないか。お主が走って戻れば丁度良い塩梅やも知れぬではないか。いいから今すぐ……」


 大村の言葉を遮り反論していた信秀だったが、遠くを見ながら口を噤んだ。

 その目はうっとりと細められ、邪悪に歪んだ顔と相まってなんとも言えぬおぞましい表情をしている。

 そんな信秀に思わず大村はゴクリと喉を鳴らしてしまう。


「今日のワシはついておるぞ……」


 恍惚と望む信秀の視線の先にはみそのの姿があった。

 みそのを先導するように歩む翔太の姿も伺える。


「読売屋の娘はお主の言う通り日を改めるとしよう。今宵はあの女じゃ。今度は連れの男がどうとの戯言なぞ聞かんぞ。良いな?」


「…………」


 大村はみそのと翔太を認めると、眉間に皺を寄せながらも無言で頷いた。

 信秀の狂気に満ちた表情から、これ以上何を言っても無駄だと悟ったようだ。

 それにこの四半刻程で一気に辺りも暗くなり、先程とは格段に人通りも少なくなっている。

 なにより遠目にも前を歩く男がただの町人の男で、亜門のような凄みを感じない。

 大村なりに計算が働いたようだ。


「ではこれをお被りくだされ」


「うむ」


 大村が信秀にすっぽりと顔を覆う程の頭巾を渡す。

 この頭巾は辻斬りや人を拐う際に使っている。

 信秀が頭巾を被り終えるのを見届けた大村は、自らもそれを被った。

 御高相おこそ頭巾のように目だけを露出した形で二人は頷き合い、音を立てずにみその達へ近づいて行く。


「頭巾など被りおって、なにやら怪しげな輩よのう……」


 そんな二人を顔をしかめて遠目から見ていた男がいた。


「む、あれは……」


 見ていた怪しげな頭巾の男達が、道行く男女の前後に剣を抜いて立ちはだかったのだ。

 男は慌てて走り出す。



「な、なんでぇテメェら!」


 急に現れた頭巾の男に翔太が吠える。


「お主に用は無い。命が惜しければそこを退くのだ」


「お、おきゃあがれ! こ、こ、こんな事してただで済むと思うなよ!」


 言いながらも逃げ道を探す翔太だが、頭巾の男、大村の威圧に視界が狭まり活路を見出せない。

 況してやみそのを連れて逃げ切れるとは到底思えなかった。

 絶望的な状況にただただ歯噛みする翔太。

 それでも翔太はみそのの手を取り、ゆっくり自分の側へ引き寄せると、「あっしが前の男に掴みかかりやすから、みそのさんはその隙にお逃げくだせぇ」耳打ちする。

 みそのを逃す為に咄嗟に考えた捨て身の作戦だ。だが、あまりにも無謀過ぎる。


「上等でぇ! 丸腰相手に刀を抜くような腰抜けにやられてたまるかってぇんでぇ! けえり討ちにして二人纏めて御用にしてやらぁ!」


 翔太が大声で啖呵を切る。いや、周辺の商家から人が出てくる事を願ったのかも知れない。

 しかし戸が薄く開く気配がするものの、中からは誰も出て来ない。

 大村は怯む事なくだらりと下げていた太刀を振り上げ上段に構える。

 その瞬間、大村が倍に膨れ上がったような威圧感を覚えた翔太は足がすくんでしまう。

 しかし翔太は自身の足をパシリと叩き、「今だ」とばかりにみそのへ目配せした。

 そして、


「べらぼうめっ! この命、取れるもんなら取ってみやがれってぇんでぇ!」


 叫ぶや、翔太は大村の腰を目掛けて突進した。

 まさに捨て身の覚悟でぶつかって行く。

 大村の上段に構えた太刀がピクリと動く。まさに斬撃直前、大村が手の内を絞った瞬間だ。


 プシューー


「うがっ……」


 何かの噴射音とともに大村が呻き声を上げた次の瞬間、翔太のタックルが見事に決まって大村を突き飛ばした。

 目を押さえながら転げ回る大村。

 みそのの突き出した手には催涙スプレーが握られている。

 今日月丹から返してもらった催涙スプレーだ。

 翔太はそれには気づかず、転がる大村を目を丸くして見ている。

 言葉通りに返り討ちにした自分に驚いているようだ。


「翔太さん、逃げるわよ!」


「へ、へい!」


 みそのの声に我に返った翔太が立ち上がるも、逃げるどころかその場で固まってしまう。

 みそのがもう一人の頭巾の男、信秀に捕まっていたからだ。


「ほう、こんな目潰しの道具があるのだなぁ?」


「くっ………」


 後ろ手に捻り上げた手中の催涙スプレーを見ながらみそのの耳元で囁く信秀。

 みそのの呻き声にニヤリと頬を歪ませる。


「そこまでだ。すぐさま女子を離し、大人しくお縄につけ」


「な、中西様…………」


 先程の遠目から見ていた男は中西なかにし周一郎しゅういちろうであった。

 周一郎は駆けつける内にみそのと気づき、既に太刀を抜いている。


「中西?」


 呟いた信秀の目がギロリと光る。


「それ以上近づいてみよ、この女の命は無いと思え!」


 周一郎は正眼の構えのまま腰を落とし、ピタリと動きを止める。

 ずるずると後退りながら刀をみそのの喉元に当てる信秀。

 ただその距離は一定の距離を保ち続けている。

 周一郎は足指だけで間合いを詰めていたからだ。


「みそのさん、決して動いてはいけませんぞ」


 言うや周一郎が視界から一瞬消えた。

 次の瞬間、みそのは耳元で呻き声、そして足元でガシャリと何かが落ちる音を聞いた。


 見ると地面に刀と人の指が二本転がっていた。


「ひゃ……」


 みそのが悲鳴を上げる。

 良く見ると自分の袖に血濡れの指が一本貼り付いていたのだ。

 みそのは目眩を起こしたようにふらつき、堪らず気を失って倒れてしまう。


「みそのさん!」


 周一郎がみそのを支えた時、


「うがっ」


 突然翔太が叫び声を上げ、もんどり打って転がって来た。

 翔太はそのまま呻きながら地面をのたうち回っている。

 左腕を押さえた翔太の右手がみるみる血で染まっていく。

 大村に左腕を斬られたのだ。

 大村を見ると片目を押さえながら片手に太刀をぶら下げて立っている。

 片目が潰れていた分、翔太を斬る際に目測を誤ったに違いない。

 翔太は命拾いをしたようだ。


 片目を押さえた大村は無闇矢鱈に太刀を振り回しながら信秀の傍まで来ると、振り回す勢いのままみその達へ太刀を投げ付けた。

 ビュンと風を切りながら太刀が真っ直ぐみそのへ迫り来る。


 キンッ


 間一髪、周一郎が叩き落とす。が、右手でみそのを支えていた周一郎だ。左手一本で刀を振り下ろしたせいで、体勢が崩れてみそのと一緒に倒れてしまった。


 これを狙っていたのか、大村はこの隙に信秀の刀を拾い上げると、蹲る信秀を担いで一目散に逃げ出した。


「し、翔太さん!」


 倒れた衝撃で目を覚ましたみそのが目の前で転げ回る翔太に気づいた。


「な、中西様、翔太さんが!」


 大村を追おうと立ち上がった周一郎だったが、みそのの声で思い留まり翔太に駆け寄った。


「動くでない! 無駄に血が流れてしまうぞ!」


 周一郎がガシリと両膝で翔太を押さえ込み、自らの帯を解いて翔太の左腕に巻き付ける。


「誰か! 誰か出て来てくれ! 誰かおらんのか!」


 周一郎の声と同時に薄く開いた戸がパタパタと閉められて行く。


「もう悪漢は去った! 誰か出て来てくれ! 誰か!」



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