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第八十一話 思い出したこと

永「なあ智蔵、オイラ達なにやってたんだっけか?」

智「旦那、いくら間があいたからって自分の事くれぇ覚えていておくんなせぇよ……」

永「そりゃあ一月もあけば忘れるさぁね。そうだろ、みんな?」

智「いや、みんなって旦那、さっき留吉を広太らんとこへ走らせやしたし、お凛と亜門の旦那とも別れたばかりで、ここにはあっしと旦那以外誰もいねぇじゃねぇですかぇ……」

永「あ、今ので薄っすら思い出したぜ。ただ、みその達がなにやってたか全くもって思い出せねぇ」

智「あっしがみそのさんの事までわかるわきゃねぇじゃありやせんかぇ……。なんでやすかえ旦那、その目は……」

永「いや、おめえが当てずっぽうに言う事ぁ侮れねぇかんな?」

智「当てずっぽうにでも言えってこってすかぇ?」

永「みんなの為にも頼むぜ親分っ」

智「だからみんなって……ったく、世話がやける旦那でやすよ……。ゴホン。そうでやすね……みそのさんはきっと千太とお千代を養生所へ送り届けて月旦先生の道場へでも行ったんでしょうよ。もっと言やあ、そこで誰かが乱入して来て長居する事なく帰ったのかも知れねぇ。ついでにお凛なんかは、どうせまた白子屋のお熊の嫌がらせにでも遭ってたんでしょうよ。せいぜいそんなとこでさぁ」

永「ちっ、そんなんでみんなが思い出すとも思えねぇが、まあいいや。智蔵、そろそろ行くとするかえ?」

智「だからみんなって誰の……って、置いたかねぇでくだせぇよ旦那っ! それに今回はあっしらの出番はこれだけなんでやすからねーっ!」



久方ぶりの更新でごめんなさい。

思い出せませんよね。その気持ち、わかります。

 


「あっ!」


「うふぇっ!!」「うひょっ!!」


 みそのが急に大きな声を上げながら立ち止まったせいで、偶々すれ違った町駕籠の駕籠舁かごかきが驚きの声を上げて飛び上がった。

 おかげで担いでいた駕籠は逆さになりそうなほど、ぶらりぶらりと大きく揺れている。

 人が転げ落ちていないところを見る限り、幸いにも空駕籠だったようだ。


 駕籠舁の二人はそのまま足を止め、ポカンと口を開けてみそのを見ている。その距離は一間(凡そ1.8m)もないだろう。

 みそのはすぐ近くで棒立ちになっている男達にも気づかぬ様子で、「そうかそうか、そうだったのね……」と、立ち止まったまま小声でブツブツ言っている。

 どうやら何かを思い出したようだ。


 みそのは半刻(凡そ1時間)以上前に月旦げったんの道場を後にしていた。

 今は外神田にある神田明神の少し手前である。

 みそのの向かう先は鳥越。約束こそしてはいないが、半助とお久の様子を見る為に善兵衛の小握り屋へ向かう途中なのだ。

 それと言うのも、今日この二人がみそののレシピを参考にしながら鶏そぼろチャーハンを作るとの事で、善兵衛が出来れば味見も兼ねてみそのに顔を出して欲しいと口にしていたのだ。

 ただ、甚右衛門が流石にみそのを毎日のように呼び寄せるのも悪いと思ったのか、遠慮するよう善兵衛を窘めていたのだった。

 しかし、みそのも鶏そぼろチャーハンは材料不足で作れなかった事もあり、その場では顔を出すと言わなかったものの、時間が許すようであれば顔を出す心積もりであったのだ。



「お嬢さん、どうかしなすったんでぇ?」


「ひゃっ」


 みそのは駕籠舁の一人に声をかけられると、びくんと飛び上がって驚いてしまう。

 やはり全く気づいていなかったようだ。


「いやいやいやいや、びっくりしたのはこっちの方だぜ。なあ、門松かどまつ?」


 もう一人の駕籠舁がみそのの驚きように苦笑しつつ、相棒に問いかける。


「おうよ、寅吉とらきち。急にあんなでけぇ声出された日にゃあ、駕籠を放り投げちまってもおかしかねぇぜ」


「ああ、客を乗せてたと思うとゾッとすらぁ。空駕籠で助かったぜ」


「…………」


 駕籠舁達の遣り取りで、大声を出してしまっていた事に気付くみその。

 途端に恥ずかしくなったようで、みそのの顔はみるみる赤くなって行く。


「ところでお嬢さん、急に腹でも痛み出したのかぇ?」


「そうだそうだ、何処か悪いのかぇ?」


「いえ、何でもないんです。それより本当にごめんなさい……」


 駕籠舁二人が心配そうにみそのの顔を覗き込むと、みそのは恐縮しながら頭を下げた。

 そして頭を下げたと同時に、


「あっ!!」


 と、先ほどにも増して大きな声を上げる。

 そんなみそのにまたもや二人の駕籠舁が飛び上がる。


「な、なんでぇ、びっくりするじゃねぇかぇ」


「こいつぁ流行りの遊びかなんかかぇ?」


「あ、いや、ごめんなさい……」


 目を白黒させる駕籠舁に再び頭を下げるみその。

 なんだか良くわからない駕籠舁は困惑した様子で、お互いの顔を見合わせる。


「あのぅ、今空駕籠って仰ってましたよね?」


「まあ言ったは言ったが……。それがどうかしなすったんで?」


 寅吉と呼ばれた駕籠舁がみそのへ首をかしげながら聞き返す。


「実は私、急用を思い出したのですけど、次のお客さんが決まってないなら、これから本所の方まで行ってもらえないかしら?」


「おっ、俺達の駕籠に乗りてぇってかぇ?

 合点よう。本所だろうが京の都だろうが何処へでも乗せてってやるぜぃ」


 横からもう一人の駕籠舁、門松が袖を捲りながらノリノリでしゃしゃり出る。


「おい門松、俺たちゃたなけえったら次の客が待ってるんじゃねぇのかぇ?」


「そ、そうなんですか? だったら……」


「なぁに、俺達がけえらなきゃ親方が他の奴らにやらせらぁ。それに寅吉、こんな別嬪さんを乗せられる機会はそうそうねぇぜ?」


 寅吉の言葉を聞いたみそのが慌てて遠慮しようとするも、その言葉を打ち消すように相棒へ声をかける門松。


「それもそうさね?」


 瞬時にニヤリと返す寅吉。

 やはり器量よしを乗せるのはモチベーションが上がるのだろう。

 それに、みそのがこの時代の女としては大柄とはいえ、痩せているので重さ的にも苦にならないのだろう。


「そうと決まりゃあお嬢さん、はええとこ乗っておくんなせぇ」


「そうそう。すっ飛ばして行きやすんで、しっかり吊り紐につかまっておくんなせぇよっ」


「え、あ……え?」


 二人は戸惑うみそのを急き立てて、あれよあれよとみそのを駕籠の人にしてしまう。


「今日はついてるな、門松っ」


「ああ、今宵の酒は美味えぜ、寅吉っ!

 お天道様もはええとこ暮れやがれってんだチクショー!」


「クゥーッ、飲みたくなっちまったじゃねぇかぇチクショーめっ!」


 二人の叫び声とともにみそのを乗せた駕籠が上がる。

 なにやら駕籠舁達のテンションはマックスだ。


「お、お手柔らかにお願いしますね……?」


 堪らず駕籠から顔を出して恐々と懇願するみその。

 その顔には後悔の念が色濃く出ている。


「へいへい、安心しておくんなせぇ。俺達の駕籠は揺れが堪らねえってぇ評判でさぁ。ゆらーりゆらり揺れてるとあっつーまに着いてまさぁ!」


「へへ、あまりの早さに度肝をぬかしやすぜ?

 あ、そうだ、お嬢さん。俺達、お嬢さんの顔を見ると力が湧いてきやすんで、時折そうして顔を出しておくんなせぇ!」


「…………」


 みそのは逆にやる気を漲らせる二人に閉口してしまう。

 何やら嫌な予感しかしない。


「うわわ……」


 案の定、ぐらんぐらんとの大きな揺れに、みそのは慌てて吊り紐にしがみつく。


「やっぱり頑張って歩けば良かったわね……」


 暴れる駕籠の中で必死に吊り紐を握りしめながら独り言ちる。

 後悔先に立たずとはいえ、駕籠は以前に懲りているはずのみそのである。

 余程の急用だったのだろう。

 本所方面といえば弁天一家かその先の順太郎の裏長屋だろうか。

 まさか永岡がその辺りに居ると予想しての事ではないだろう。

 何れにしても急遽鳥越の小握り屋から行先が変更になったようだ。



 *



「だからなんであっしのせいなんでさぁ……」


「お勤めの最中居眠りしてた男が良くいうよぅ。これを怠慢と呼ばず何を怠慢と呼ぶのさぁ」


「それを言ったら旦那だってお勤めの真っ最中に飯に夢中で、目の前にいた平六を易々と逃しちまったのはどう言うこってすかぇ。他に何も目にへえってなかったって事でやすよね? しかもあっしが寝てるからって煮魚も追加して長々と食べ続けて……。

 これは怠慢とは呼ばねぇんでやすかぇっ?」


「…………」


 北忠と松次が言い合いをしている。

 いつもなら思った事をグッと呑み込んでいる松次だが、今は同心である北忠にも遠慮する事なく、唾を飛ばしながら言い返している。


 場所は三千五百石の大身旗本、伊沢家が臨める川のほとりだ。

 殺された弥平やへいについて何も聞けぬまま平六へいろくに逃げられた二人は、平六を探すのを諦め、本来の目的である伊沢屋敷の張り込みへと向かったのだった。

 伊沢屋敷に到着して早々、運良く向かいの旗本屋敷から昨日の下男が出て来て話を聞けたのだが、信秀のぶひで大村おおむらが屋敷を出たかどうかは知らないとの事だった。


 北忠達はそれから一刻(凡そ2時間)ほど、この伊沢屋敷を臨めるこの川縁で件の二人の出入りを見張っている。

 何も動きのない地味な見張りだ。次第に焦れて来た北忠は平六を逃した責任を松次に押し付け、その鬱憤を晴らしていたのだった。

 松次も全く責任がないとは言わないものの、端から伊沢屋敷の見張りにつこうとしていた松次にとっては堪らない。

 いくら弥平の死に関する重要な話が聞けそうだったとはいえ、聞けず仕舞いでは単に油を売っていたも同然。

 結局北忠に振り回されて空振りしただけの話である。

 横道にそれる北忠を散々窘めていた松次としては、自分が寝てしまった事だけを理由にされるのは腑に落ちないのだろう。


「黙ってるってことは認めたってこってすよね? どうなんでやすかぇ、北山の旦那っ」


 口ごもる北忠に松次が吠える。

 日頃の鬱憤を晴らすかのようだ。

 中々の迫力だが北忠は何処吹く風とニヤリと笑い、


「松次、武士は食で出来てるって話を忘れたのかい?

 武士こそ食べて強靭な身体を作らなきゃいけないってヤツだよぅ。昨日話したばかりだろぅ?

 極悪人を捕らえる大変なお勤めをしている同心は、強靭な身体を作る為にそこらの武士より食べて食べて食べまくんなきゃ勤まらないんだよ?

 だから同心の私が食べるのはお勤めの一つなのさぁ。

 よって怠慢なんかではないって事なんだよーだ」


 と、最後はぷっくり鼻腔を膨らませ、ざまあみろとばかりに勝ち誇った顔を近づけ松次を挑発する始末。まるで子供だ。

 松次は一瞬挑発に乗っかりかけるも、


『そんな道理が通るんなりゃ世話ねぇやい。ったく呆れた旦那だよ。言い返した俺がバカだったぜ……』


 との言葉をいつものように呑み込んだ。

 北忠とはまともな会話にならない事を思い出したようだ。

 それに、きっとこれは暇つぶしの会話。

 北忠が構ってもらいたい時に使う手だ。

 今回はふて寝してしくじった自覚がある為、いつになくムキになってしまったが、ムキになればなるほど北忠を喜ばせる事になる。

 松次はそれを思い出したのだ。


『危うく旦那の術中にハマるところだったぜ。ったく、面倒くせぇ旦那だぜ……』


 松次は心の内で呟くと、べー、と舌を出す北忠にも構わず伊沢屋敷へと目を向ける。


「急にどうしたんだよ、松次。さっきの勢いは何処に行っちゃったんだぃ?

 あ、もしかしてもう飽きちゃったのかねぇ?

 じゃあ、次は話をガラリと変えて甘味処の話でもするかねぇ……。うん、そうしよう。で、松次の五本の指に入る甘味処は何処なんだい?」


 やはり松次の思った通りだったようだ。

 北忠は単に動きのない見張りがつまらなかっただけのようだ。


「あっしは旦那と同じでさぁ」


 伊沢屋敷から目を離さずに答える松次。

 いつもの北忠への対応に戻れたようだ。


「そうかい? やっぱり松次は見所があるねぇ。まあ、松次は私と組む事が多いから口が似てくるのかも知れないねぇ?

 あれ? でも私は未だ何も言ってないけど良くわかったねぇ。流石相棒さぁね?

 ただ、最近私の中の真打ちが入れ替わった事は知らないだろう?

 ねえねぇ、何処だか気にならないかぇ?」


「そりゃあ気になりやすよぅ。でもいきなり真打ちから聞くのもなんなんで、下から順に教えてくだせぇ?」


「流石松次っ! 話には順序ってものがあるからねぇ?

 でもご安心あれ、私も最初からそのつもりだったさぁ」


 ぐふふふと頗るご機嫌な笑みを浮かべる北忠。

 松次はその笑みを見るでもなく、その目は伊沢屋敷に釘付けだ。


「先ずは松次にもわかり易い草餅から順に挙げてこうかね?」


『げ、甘味の種類別に挙げるところからかぇ……。

 ま、長けりゃ長えほどこっちも相手することねぇから助からぁ。あとは一人で喋らせとけばいいさね……』


 心の内で呟いた松次は、完全に意識を伊沢屋敷へ集中させる。

 次第にその耳には北忠の話し声すら入らなくなるのであった。



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