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第七十九話 苦笑

 


「そりゃなんの真似でぇ?」


 眉を寄せる永岡の前で、おりんが矢立と巻紙を突きつけている。

 ちょうど今、話を終えた永岡が茶代を置いて立ち上がったところだ。


「なんの真似もなにもありゃしないよ旦那。

 心中もん仕立てにして読売に書いていいって証文だよ?

 それに、あちきらだけに捕物の詳細を教えるって事も、一筆したためてもらわなきゃねぇ?」


「安心しろい、オイラに二言はねぇ。そんなもん書かなくとも一度した約束は違えねぇぜ。大丈夫でぇじょぶでぇ」


「口で言うのは簡単さぁ。あちきは北の同心に何度も煮え湯を飲まされてんだいっ!」


「おいおい、オイラを北の奴らと一緒にするねぇ。オイラに二言はねぇってぇの……」


「だったら一筆したためるくらい、何の問題もないじゃないかいっ」


 お凛はぐいと矢立と巻紙を永岡に押し付ける。


「ったく、信用しろってぇの……」


 とは言いつつも、永岡は素直に矢立と巻紙を受け取った。


「ま、おめぇら二人にゃ貴重な情報をもらっちまったからな……」


 言いながらも腰を下ろしてサラサラと筆を滑らせる永岡。

 確かに行き詰まっていた探索を二人があっさり解決してくれたのだ。

 このくらいの願いなら安いものだ。


「このくれぇはしてやらねぇとな?」


 書き終えた永岡はふうふう息を吹きかけ墨を乾かしている。

 そして小太刀で紙を切り離し、


「んじゃオイラ達ぁ行くぜ。おめぇらは茶の続きをゆっくり楽しみねぇ」


 と、矢立と巻紙を長椅子へ置いて立ち上がった。


智蔵ともぞう、行くぜぃ」


「合点でぇ」


 永岡の声に智蔵が勢いよく立ち上がる。

 留吉とめきちは既に広太こうたのところへ走っている。

 殺された弥平やへいの物乞い仲間を当たっている面々を引き上げさせ、その代わりに辻斬りの証拠となる証言が聞けそうな、小井こい平左衛門へいざえもんの探索に切り替えるのだ。

 小井平左衛門の行方は、手掛かりは聞けたものの、品川、千住、内藤新宿と散らばっている。

 とにかく人手が必要なのだ。


「ちょ、ちょいと旦那お待ちよっ!

 肝心なもんを置いてけってぇの!」


 去りかけた永岡にお凛が吠える。

 確かに永岡は紙が乾くと折り畳んで懐に入れていたのだ。


「へへ。おめぇも抜け目ねぇな?」


「おきゃあがれっ!」


 軽口を叩いた永岡は、お凛の間髪入れない威勢のいい啖呵に肩を竦める。


「ほらよ。言っとくがオイラに二言はねぇ。んじゃ行くぜっ」


 永岡がパラリと紙切れを放って歩き出す。


「ったく、姑息な事を考えやがって。ふざけた旦那だよ……」


 頬を膨らませたお凛は、上手い具合に手元へ落ちて来た紙切れを手にぼやく。


「へへ。旦那らしいっちゃ、らしいじゃねぇかぇ。

 ま、そう膨れてねぇで、はええとここいつを食ってやろうぜ?

 さっきから放って置かれてるもんだから、めっぽう拗ねちまってるぜ?」


 可笑しそうに笑った亜門あもんが、手に持った団子をお凛にかざしてゆらゆら揺らす。

 お凛は膨れっ面を笑みに変え、亜門から団子を受け取ると、ヤケ食いでもするかのように、大口を開けて勢いよく団子に齧り付く。

 しかも一口で二つも放り込んでいる。


美味むぉみひ……」


 言葉にならない言葉を口にして目を細めるお凛。

 しかしその笑みも一瞬の事、途端にお凛は目を剥きトントンと自分の胸を叩く。

 一度に二つも団子を口に入れてしまったのだ、喉を詰まらせてもおかしくない。


「ふふ、ったく一度に入れすぎでぇ。ほら、こいつを飲みねぇ」


 呆れたようにお茶を差し出す亜門だが、その顔は頗る楽しそうだ。


「ふぅ〜。死ぬかと思った……」


「よせやぃ。団子を喉に詰まらせて死んでいいのは、北山の旦那くれぇなもんさね」


 亜門の軽口にクスリと笑うお凛。

 お凛も頗る楽しそうだ。

 この様子を見る限り、二人の距離は明らかに近くなっている。


「それはさておき、辻斬りを心中もん仕立てで読売にするってぇのは面白おもしれぇ。どうせなら戯作調に書いて、何回かに分けて売るのもいいかも知れねぇ。いや、是非ともそうしようぜ? 評判になる事請け合いでぇ」


「そう! あちきも同じ事を思ったからこそ、後になって反故にされないよう、こうして証文まで書かせたのさぁ」


 お凛はどんなもんだとばかりに、誇らしげに亜門の前で紙切れひらひらさせる。


「あ…………」


 目の前でパラリと開いた紙切れを見た亜門がポカンと大口を開けて固まった。


「どうしたのさ?」


 亜門の反応を訝しんだお凛が眉を寄せる。

 そして、ひらひらさせていた紙切れを裏返して目を剥いた。


「なによこれ……」


 呟いたお凛の顔がみるみる赤くなっていく。

 そして紙切れを持つ手がプルプルと震え出した。


 それもそのはず、証文には心中仕立てで読売を書く許可、そして捕物の情報を教える約束など一切書いていない。

 全く別の事が書いてあったのだ。



『月下氷人相承り候』



 月下氷人げっかひょうじん、即ち媒酌人、仲人の事だ。

 証文にはただ一文、『仲人は引き受けたぜ』とだけ書かれていたのだ。

 これではお凛が怒るのも頷ける。


「なにがオイラに二言はねぇだよ……」


 ボソリと毒付くお凛。

 しかしその声音は妙に艶っぽい。

 明らかに怒りとは別のものだ。


「…………」「…………」


 ふと目が合った二人は同時に目をそらして俯いてしまう。

 亜門は年甲斐もなくドキドキしている自分に思わず苦笑すると、


「ったく、あの旦那にゃ負けるぜ」


 甘い沈黙を誤魔化すよう、あえて戯けた声でボヤくのだった。



 *



「そんなもの放っておけばいいのじゃ、みーさん。それにちゃんと手加減してる故、死ぬ事もないわい」


 月旦げったんが気絶した男の顔をまじまじと眺めているみそのへ声をかけている。


「でも……」


 みそのがもう一度倒れている男へ目を向け逡巡する。


 みそのは男の名前に聞き覚えがあった為、心配になって改めて顔を見ていたのだ。

 しかし良く見たところで、みそのにはまるで見覚えがない男だった。

 ただ、やはり大の大人が気絶しているのだから心配になったようだ。


「なに、四半刻もすれば目を覚まして勝手に帰るじゃろう。

 それに、みーさん。その男の気持ちも考えてみなされ」


「気持ち……?」


「うむ。目を覚ましたら、みーさんのような美しい女子が自分の無様な姿を見てるのじゃ。ワシじゃったら武芸者以前に男をやってられんわい」


 月旦が悪戯っぽく笑う。

 どさくさに紛れて美しい女子などと言われたみそのは反応に困ってしまう。


「ま、まあ美しい女子は置いといたとして、兵さんの言う通り、確かにこんな姿は人に見られたくないかも知れませんね……」


 みそのは半口を開けて白目を剥いている男の顔を見ながら返す。


「あら……」


 よく見たら男は口の端からよだれを垂らしていた。

 みそのは「見なかった事にするわね?」と小さく呟き、そそくさと月旦の元へと向かった。


「うむ。その男にとっては放っておくのが一番じゃ。

 さて、一服じゃ一服。ふふ。美しいみーさんをでながらの茶は格別じゃろうな?」


「もう兵さんったら、それじゃ美しいの安売りですよ?

 それにしても兵さんはいつもこれを持ち歩いてくれてたんですか?」


 みそのは今回は軽くいなしながら催涙スプレーを手に話題を変える。


「そんな訳なかろう。もし人に見られでもしたら大事になってしまうわい」


「確かに……。私ったら凄く迷惑な物を落としていたんですね……。

 取りに来るのが遅れて本当にごめんなさい」


 事の重大さに気づいたみそのは慌てて頭を下げる。


「ふふ。そう気にする事はないさ。人に見られなければどうって事もない訳じゃしな?

 今日はみーさんが来る予感がしたもんで、朝から懐へ忍ばせといたのじゃ」


「予感?」


「そうじゃ。ワシの予感は当たるのじゃ。

 前もって文で訪ねて来る日が分かっておったら、その客人が屋敷を出た頃合いも分かるくらいじゃからな」


「またまた〜……って、本当に分かるんですか?」


 笑い飛ばそうとしたみそのだったが、全くふざけた様子のない月旦を見て目を丸くする。


 達人の域に達した剣客にはこうした事が実際にあったようだ。

 剣の修行で研ぎ澄まされた第六感と言うべきか、昭和初期の剣客でもこうした逸話が残っていたりするくらいだ。月旦なら尚頷ける。

 みそのも飄々とした月旦に、あながち戯れではないと感じたようなのだ。


「うむ。こうしてみーさんが来るのを見越してそいつを持っていたのが証拠じゃな?

 それよりもみーさん、茶じゃ、茶。みーさんと飲む茶はさぞかし格別じゃろうな。うふふふ」


 盛大に相好を崩していそいそ歩き出す月旦。

 今の月旦を見たら誰もが剣の達人とは思わないだろう。

 そのくらい緩んだ顔の好々爺ぶりである。


「ふふ。どう見ても可愛いお爺ちゃんにしか見えないわよね……」


 みそのも月旦が凄い人物だと思いつつ、つい口を突いて出てしまったようだ。


「こんな事をお弟子さんに聞かれたら怒られちゃうわね……」


 周りを見回しながら独り言ちたみそのは、誰もいない事にほっとして舌を出す。

 ただ、みーさん兵さんの仲を良しとする月旦にとっては、可愛いお爺ちゃんでいいのかも知れない。


「早よせんか、みーさんっ」


 子供のようにはしゃぎながら急かす月旦。

 みそのは思わず苦笑しつつ、


「はーいっ」


 と、あえて姉や母親のような心持ちで返すのだった。



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