第七話 可愛げある話し
「お前さんが末吉かぇ?」
「へ、へい。あ、あっしが末吉でやすが、な、なんかあっしに御用でございやすかぇ?」
「うん、御用っちゃ御用だね。
今、威勢の良いのに親方へ話しを付けて貰ってるから、ちょいと団子でも食べに行こうじゃないかぇ?」
北忠こと北山忠吾が糸の様な目を更に細め、巾着切りの末吉を前にニヤついている。
そんな黒羽織で腰に十手を差した同心姿の北忠に、末吉はすっかり怯えてしまっている。
北忠は翔太と昼餉を堪能し、広太達の居る両国界隈へ赴いていた。
そして、中でも末吉を良く知る伸哉を引き連れ、末吉が居ると言う鎌倉河岸まで来たのだ。
翔太は伸哉と入れ替えで、両国界隈の聞き込みに回っている。
末吉は巾着切りから足を洗い、今は口入屋を介して、この鎌倉河岸で人足仕事をしていたのだった。その口入屋に素性の危うい末吉を紹介したのが、智蔵に頼まれた伸哉と言う訳だ。
それは伸哉の幼馴染に口入屋に丁稚へ入って、手代となっていた男が居たからで、伸哉はその幼友達に頼み込み、足を洗った末吉が真っ当な暮らしが出来る様に、ちょいと口を聞いてやったのだった。
「あ、あっしはもう足を洗ったんでごぜぇやすよ。もうなんも後ろ暗ぇ事ぁありやせんよう…」
北忠に泣き顔で縋る様に言い募る末吉。
「それは分かってるつもりだよぅ。とは言ってもあれだろ?
未だ未だこっちの方の腕は、錆びついてないんだろう?」
ニヤニヤと糸の様に細い目を末吉に向ける北忠。
その手は人差し指をくいくいと曲げて、巾着切りの仕草をしている。巾着切りとは掏摸の事だ。
「滅相もござんせんよ旦那ぁ。
あっしは、もうすっかり足を洗ったんでごぜぇやすってぇ。あんな事ぁ、今じゃ一切やってねぇんでごぜぇやす。本当、勘弁してくだせぇよ旦那ぁ…」
末吉には北忠の細い目が、疑いを持って細められている様に見えているのか、必死な形相で弁解している。
「そんな事言ってても、やっぱり腕は錆びついてないんだろう?
今はやってないってぇのは、分かってるんだよ。私は単純にお前が、錆びてるのか錆びてないのか聞いてるだけさ。
言わないんなら、しょっ引くしか無くなるけど良いんだね?」
北忠はニヤニヤと目を細めたまま末吉に躙り寄り、耳元で囁く様に言った。
それを聞いた末吉はブルリと身震いさせて目を瞑り、意を決した様に北忠と距離をとって向き合う。
「ど、どっちか言えって言われるんでやしたら、錆びついてねぇとは思いやす。
でも本っ当にあっしはもうやってねぇんでさぁ。それは信じてくだせぇよ?」
北忠の疑いで鋭く細められた目(末吉から見てだが)に観念した様で、末吉は北忠の問いかけに答え、最後に無実の訴えを付け足した。
それを聞いた北忠の顔は益々ニヤけ、
「なら証明してもらおうかねぇ」
と言って、また末吉に躙り寄り、耳元で何やらごにょごにょと吹き込んだ。
「そ、そんなぁ…」
末吉が北忠の耳打ちを聞いて絶望の顔で呟く。
「良いからやるんだよ? やらないんならしょっ引くからね?」
「……………」
ニヤニヤと細い目で楽しげに言う北忠に、末吉は言葉を無くしてしまう。
と末吉がガックリと下を向いていると、
「お待たせしやした旦那っ!」
と、伸哉が向こうから小走りで駆けて来た。
「おぅおぅおぅおぅ、ちっと待てやっ!
ってお前、末吉じゃねぇかぇ!? お前何処行こうってんでぇ?」
伸哉が突然ぶつかって来た末吉に声をかけた。
「あ、あぁ、伸哉さんでやしたかぇ。ど、どうもすいやせん。
今、八丁堀の旦那に声をかけられやして、現場を離れなきゃならねぇんで、これから親方へ断りを入れに行く所なんでさぁ」
「ああ、そんなりゃ心配いるめぇ、俺が断っておいてやったぜ。
あちらの旦那は北山の旦那って言ってな、俺の連れでぇ」
伸哉はしたり顔で言って、そのまま末吉の肩を抱く様にして、北忠のところへと向かった。
「ご苦労さんご苦労さん。伸哉も小腹が空いただろう?
これから団子でも食べながら、この末吉の話を聞こうと思ってるんだけど、伸哉も何か食べたいだろう?」
伸哉達が側まで来ると北忠は伸哉を労い、末吉の肩を叩きながら提案する。
「小腹どころか大腹空いてやすぜ旦那?
なんせ昼餉抜きで来てやすんでね、へい。
でも俺ぁ甘ぇ団子よりも、せっかく鎌倉河岸なんでやすから、豊島屋の白酒に田楽ってぇのに惹かれるんでやすがね。
どうでやしょう旦那、中々乙なもんでやんすぜ?」
伸哉は空き腹のせいか、甘いものよりもしょっぱいものを所望している様だ。
伸哉の言う田楽は、豊島屋が酒の肴として売り出した特大の豆腐田楽だ。赤味噌を塗って酒が進むように仕掛け、その大きさから馬方田楽と呼ばれ評判となっている。一本ニ文という破格の値段も評判の一つの要因であった。
「田楽も鎌倉河岸は地者也」と詠われたことでも有名なのだ。
「田楽も良いけど、昼間っから酒はどうかねぇ?
うん。団子にするとしようかぇ」
北忠は既に口の中が団子になっている。酒は言い訳に過ぎぬのだ。
伸哉は『だったら聞かないでおくんなせぇよ』との視線を向け、嬉々と踵を返して歩き出す北忠を追うのであった。
*
「ほう、ここかぇ、儀兵衛ってとっつぁんの店は」
「へい、間違ぇねぇと思いやすぜ。
ほら、あっこに登りが置いてありまさぁ」
永岡と智蔵は政五郎から聞き出した、熊手の弥五郎を泥沼の加平へ手引きしたとされる男の住処へやって来たのだった。
男の名は儀兵衛、元は盗人だったと言う。
今は盗人稼業から足を洗い、唐辛子売りを生業にして、細々と暮らしていると言う事だった。
儀兵衛は顔が広い事もあり、時折昔の盗人仲間から人材の紹介を請われたりもしていた。
政五郎は、この儀兵衛をお縄にしないと言う事を条件に、儀兵衛とその住処を教えていたのだった。
「登りがあるってぇ事ぁ、とっつぁんは中に居るってぇ訳さな?」
「へい、多分居ると思いやすぜ」
永岡と智蔵は小声で確認すると、お互い目顔で頷いた。
「邪魔するぜっ」
「とうがらし」と書かれた腰高障子を、勢い良く開けて永岡が中へと入って行った。
「驚かせて悪りぃな、儀兵衛。ちょいとお前さんに聞きてぇ話しがあってな?」
四畳半の片隅で白湯か何かを啜っていた男が、突然の町方の訪いに驚いて目を丸くしていた。
手に持っていた湯呑みは取り落とし、畳の上に転がっている。幸い中身は大して入っていなかった様で、大惨事にはなっていない。
儀兵衛は歳の割には肌艶が良く、少し薄くはなった真っ白い髪は総髪で、優しげな細い目に白い髭を蓄えた、福耳の持ち主だった。
「悪りぃなとっつぁん。なにも旦那は、とっつぁんを召し捕りに来た訳じゃねぇんでぇ。
そう強張らねぇで、話しを聞かせてくんねぇ?」
智蔵が驚きを隠せずに固まる儀兵衛へ優しげに話しかける。
「へ、へい。突然なもんで…どうも失礼しやした。
へえ、狭ぇところでやんすが、どうぞ中へお入りになってくだせぇ」
智蔵の言葉で気を取り直したのか、儀兵衛は転がった湯呑みを拾うと、永岡と智蔵へ上がる様に手で畳を示した。
「いや、いいんでぇとっつぁん。
そんなりゃ、ちょいと座らせてもらうぜ?」
永岡は雪駄を脱がずに、そのまま土間から畳の上に腰を下ろした。
智蔵はその横で水瓶に腰を掛けている。
「湯呑みが一つっしかねぇんで、なんもお構いも出来やせんが…」
すまなそうに言いながら、儀兵衛は永岡の側へ近寄って腰を下ろす。
「そんな事ぁ気にすんねぇ。
オイラ達が勝手に押し掛けたんでぇ。土産も持たねぇで逆に恐縮してらぁ」
永岡は事も無く言って笑う。
そんな明け透けな永岡の人柄にほっとしたのか、儀兵衛の緊張はすっかり解けた様だ。
「今日はどう言った御用向きで?」
「そうだな。先ず、とっつぁんの事ぁ、ある筋から聞いたもんなんで、お縄にしようってんじゃねぇから安心してくんな?
そんでもって、ちょいとオイラに協力して貰いてぇのさ。勿論、裏は話さねぇでいいんだぜ」
「そんな風に寛容な話しになるって事ぁ、そのある筋ってぇのは政坊あたりでやしょう?」
「はは、政坊と来たかぇ?
まあ、隠してもしゃあねぇや。そんなとこでぇ、とっつぁん」
二人はすっかり打ち解けた様に笑い合う。
「あっしがやってやす、裏の口入れ稼業の話しでござんしょう?」
「そう言うこった、とっつぁん。
とっつぁんは熊手の弥五郎って野郎を、泥沼の加平に手配りしたかぇ?」
儀兵衛は永岡から出て来た名前に、一瞬ギラリとした強い光を目に宿したが、直ぐに観念した様に元の穏和な目に変えた。
「あれは加平さんには悪い事をしたのでごぜぇやすよ…」
「その様だなぁ?」
儀兵衛の独白の様な呟きに、永岡は相槌を打つ。
「加平さんから頼まれた時なんでやすがね。
丁度そん時は手頃な玉が不在でやして、一度はお断りしていたんでさぁ」
「ほう、そいつぁ初耳だぁ」
「まあ、加平さんは決して話さねぇと思いやすんで、旦那は初耳で当然の話しでやすよ」
「悪りぃなとっつぁん、その通りでぇ。
加平からは殆ど何も聞けてねぇんだ。鎌かける様な相槌してすまねぇな?
話しの腰を折っちまって悪りぃが、どうか続けてくんねぇ」
加平と儀兵衛の間では、お互いに強固な信頼関係が出来ている様で、例えどちらかが捕らえられても、相手の事を密告する様な事は無いと踏んでいるのだろう。
永岡もそれを察して素直に詫びたのだった。
「いえ、鎌だのそんな事ぁ思っちゃいやせんよ。
へい、では話しを続けやすが、その前に喉を潤してぇんで、すいやせんがご免なすって」
儀兵衛は永岡へ断りを入れ、湯呑みを片手に立ち上がると、智蔵が腰を掛けていた水瓶から、湯呑みに柄杓で水を汲み入れた。
「すいやせん。歳なもんで、喋ってると直ぐに口が乾いちまうんでやす」
そう言いながら座った儀兵衛は、一口湯呑みの水を口に含ませる。
「すいやせん、へい。加平さんへ一度は断りを入れたんでやすがね。
二日ほどしやしたら、もう一度加平さんが現れやして、どうしてもあと二人は欲しいと、頼んで来たんでやすよ。
なんでも金を作ってやりてぇお方が居る様でして、どうしても日延べは出来ねぇって事でやした。
そんなこって、信用のおける普段の玉じゃ無くとも、加平さんさえ良ければって事で、何とかするってぇ話しになったんでさぁ」
「そうかぇ。そんで熊手の弥五郎が引っかかりやがったんだな?」
「仰る通りで。へい。
あの野郎もどっからか、あっしの噂を聞いたんでやしょう。いつの頃からか、何か良い話しがあったら回してくれと、顔を出す様になっていたんでさぁ。
まあ、あっしも信用のおけねぇ玉は、使いたく無ぇもんで、すっとぼけてずっと放っておいたんでやすがね。しっかし何の因果か、そんな時に偶々あの野郎が顔を出しやしたんでさぁ。
あっしも気は進まなかったんでやすが、取り敢えずあの野郎を加平さんに引き合わせたってぇ訳でやす」
儀兵衛は苦虫を潰した様に語った。
「そう言う訳だったのかぇ。
熊手の野郎にゃ、とっつぁんも加平も散々だったな?」
「いえ、旦那が言うに及びませんや。なんせ旦那は捕らえる方のお方じゃねぇでやすかぇ?
まあ、加平さんもあん時は焦り過ぎてたんでやすよ。それを窘められなかったあっしが悪りぃんでぇ」
「まあ、オイラが捕らえる方ってぇのは言えてらぁ。確かに心配する事ぁねぇわな?
だが、オイラも誰彼構わずお縄にする気は無ねぇよ。凶悪な盗人にゃあ鬼になるが、可愛げのある盗人にゃあ、それなりに可愛げを持って事に当たってるつもりよぅ」
「あっしらは可愛げがあるってこって?」
「まあ、その面見た後では何とも言えねぇが、凶悪ではねぇわな?」
「まあ、確かにこの老爺の顔を見た後では、可愛げがあるなんて言えませんや」
最後の永岡の戯けた口調の言葉に、儀兵衛も同じく返して顔を皺だらけにして笑う。
永岡と智蔵も堪えきれずに一緒に笑った。
「熊手の弥五郎の事ぁ分かった。
で、話しにちょいと出て来た、加平が金を作ってやりてぇって輩の話しは聞いてんのかぇ?
きっとそいつが投げ文したに違ぇねぇんだ。
そいつもとっつぁんと一緒で、お縄にしようってぇ腹でも無ねぇんだ。知ってる事があったら、オイラに教えてくれねぇかぇ?」
一頻り笑った永岡は、声音を改め話し出し、儀兵衛に本日聞きたかった問いをする。
「へい、あっしの聞いた限りでは、そのお方はあっしらよりも可愛げがありやすから、旦那には知ってる限りお話ししやすよ」
加平と同様とまでは行かないが、この短い時間で永岡に対しても信頼を寄せたのか、儀兵衛はすっかり警戒する事なく、滑らかに口を開くのであった。
*
「それでお百合さんは結局どれが良いの?」
皿に乗った饅頭と睨めっこしているお百合に、堪らずみそのが声をかけた。
別にお百合はどの饅頭を食べようかと、迷っている訳ではない。
そもそも饅頭は、一種類しか皿に乗っていないのだ。
お百合の部屋に入って早々、言い付け通りに正吉が饅頭とお茶を持って来た。
正吉にはああ言ったが、順太郎の長屋でカステラを食べて来た二人は、さして饅頭を欲していない。やはり正吉、災難である。
二人はお茶を啜りながら、先ほど周一郎から聞いた剣術家の条件を踏まえ、お百合が如何にしたら順太郎と一緒になれるかを、二人で考えていたのだった。
周一郎が挙げた剣術家の条件とは、簡単に言えばこんなところだ。
一、大名や旗本の剣術指南役に納まる。
一、何処ぞの剣術道場の師範に納まる。
一、小さくとも自分の道場を持つ。
周一郎は自分でも果たせていない条件ではあるが、息子には是非に果たして欲しいと切に願っていた。
荒っぽく言えば、この条件を満たせるのであれば、二人さえ良ければお百合と順太郎がどうなろうが、周一郎は一切口出しをしないと言う訳だ。
「そうは言ってもみそのさん。
三つの内どれにしたらいいかなんて、私選べないですよ…」
順太郎の剣術家へ道の選択だったらしい。
順太郎の意見などそっちのけだ。
「でもあれよ、お百合さん。三つの内って言うけど、お大名や旗本の剣術指南役になって仕官でもされたら、お百合さんは町人なんだし、順太郎さんとは一緒になれなくなっちゃうわよ?
だから剣術道場の師範か道場を開くかどっちかよう。二択よ二択、ほら、決めやすくなったんじゃない?」
みそのも勝手なものだ。
今頃順太郎は嚔でもしているのだろう。
「うーん……」
みそのに煽られ、唸り声をあげて考え込むお百合。また饅頭と睨めっこを始める。
「でもさぁお百合さん。これってほぼ一択だと思うのよね?」
「どう言う事です?」
「だって、お百合さんはなるだけ早く順太郎さんと一緒になりたいのよね?」
「もぉー!」
みそのの言葉に、お百合は顔を真っ赤にして不満の声をあげる。
しかし、みそのにじっとりと見られ続け、最後はコクリと首を縦に振る。
それを受けたみそのはニコリと笑って話し出した。
「でしょ? なら、剣術道場の師範は無しよ。
だって、今から剣術道場に入門したところで、いくら実力あったとしても、師範になるまでは何年もかかるに違いないわ。それに師範としてお金が貰える様になるまで、それなりにお金だってかかると思うのよ。
失礼だけど今の順太郎さんの暮らしぶりを考えると、それは難しいんじゃないかしら。
頑張って働きながら道場に通う事が出来ても、お百合さんと会うのは一苦労ね。しかも住み込みになんかになったら、それこそ会う時間だって無くなるのよ?
ほら、それは困るでしょう?」
みそのは話しながら、お百合の綺麗な眉が八の字に変わって行くのを見てとり、すかさず最後に同意を求めると、お百合はコクコクと細かく首を上下させる。
「だったらもう自分で道場を開くしか無いじゃないっ!
最初は小さくたっていいのよ。
それにお百合さんだって剣術が上手なんだから、一緒にお手伝いだって出来るわよ?
子供達なんかに教えたりするのもいいしね?
自分の道場なんだから、時間だって自由に使えるし、最悪は食べて行くくらいの副収入を何かしらで稼げるわ。出稽古とかの口だって、もしかしたら紹介出来るかも知れないし、絶対になんとかなるわよ?!
最初に先行投資で幾らかお金がかかるかも知れないけど、大規模にやらなければ私が立て替えられると思うの。ね? 決まりでしょ?!」
みそのが話し終えると、お百合はみそのの手を握り締め、うんうんと頷いている。
何かの勧誘の様にも見える。
空き時間で暮らしの糧の仕事をする事が、周一郎が挙げた剣術家の条件に当てはまるかどうか甚だ疑問だが、“どんな事でもして成就させよう”との、みそのの思いだけは伝わって来る。
「決めましたみそのさんっ!!」
お百合は事が成就したかの様に、高々と歓喜の声をあげるのであった。
相変わらず順太郎不在での一幕である。