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第七十三話 繋がる縁と点

 


「美味い、こいつぁ酒に合う!」


 新之助しんのすけの声にみそのとお千代ちよの顔が綻ぶ。

 新之助の箸は止まらない。

 すぐさま鶏胸肉の胡麻ペースト和えを摘んで、ぐいっと猪口を傾ける。


「お千代坊、天晴れじゃ。いい仕事したのう!」


 新之助に褒められたお千代は満面の笑みで胸を張る。


「新さん、ラー油も試してみてくださいね?」


「そうじゃな。ピリリとしたラー油は、この濃厚な胡麻の風味に良く合いそうじゃな?

 雁助がんすけ亀吉かめきちもちろりと垂らしてみると良いぞ? ちろりと少しだけだぞ、少しだけ。かけ過ぎには注意じゃ」


 新之助がみそのの言葉に鼻息荒く反応する。

 みそのに言われてみて、頭の中でラー油と胡麻ペーストの相性の良さを確信したようだ。


「ほんまや、辛味が胡麻の風味によう合う。きっとこっちの胡麻味噌のぶっかけ饂飩にも合うでっ」


 新之助に倣ってラー油をちろりと垂らした亀吉が目を輝かせる。

 雁助も興味津々と言った表情で口にする。

 口にした途端、唸りながら天井を見上げ、


「えらいもん作りまんなぁ……」


 と、顔を綻ばせる雁助。

 そして新之助同様、美味そうに猪口を傾ける。


「お父ちゃん、ええ顔しとるで?」


 亀吉が揶揄うように声をかける。

 ここのところ父親の顔は顰めっ面が定番だっただけに、何やら嬉しそうだ。


「そりゃそうやろ。こんな美味いもん食うてみい、誰だってええ顔するがな……」


 酒でほんのり赤くなった雁助が照れ臭そうに口を尖らせる。

 そんな会話の中、千太せんたは焼き饂飩に夢中だ。


「お千代ちゃんも冷めないうちに沢山食べてね?」


 みそのがお千代に声をかける。

 お千代は箸を持ったまま、みんなの美味しそうに食べる姿に見惚れていたのだ。

 自分も手伝った料理なだけに嬉しくて仕方ないと言った様子だ。


 みそのに言われ、慌てて箸を動かすお千代。


「美味しーっ!」


 焼き饂飩を口にしたお千代は、思わずほっぺに手を当てて叫んでしまう。

 その顔にはみるみる笑みが溢れてくる。


「最初は焼いてまうのかと思ったもんやが、こうして食べてみると美味いもんやな?」


「そやな。焼くのもありやでお父ちゃん。うちでも焼き饂飩出そうや?」


 雁助の呟きに、亀吉が興奮気味に答える。


「アホな事言うたらあかんがな亀吉。これはみそのはんが考案したもんやで?」


「そやったな……」


 雁助に言われ、バツの悪い顔で頭を掻く亀吉。


「雁助さん、別に私が考案した訳じゃないですし、そんな事は気にしないでくださいな?」


「そやかて……」


 みそのの言葉に戸惑う雁助と裏腹、亀吉の顔はぱぁっと明るくなる。


「だったらこのラー油を卸させてくださいな。そしたら私にも利益になるし、是非そうしてくださいよ?」


「ほんまかいな」


「ええ。本当は卸すのは豊島屋さんだけって話だったけど、大阪屋さんは酒屋さんじゃないですし、そのくらいの融通は利くと思いますよ?

 それに、料理は雁助さんが改良してくれたらもっと美味しくなると思いますしね?」


「改良して美味くする……」


 そう呟いた雁助の顔がぱっと華やぐ。

 みそのの言葉で、料理人の心に火がついたのかも知れない。


「いい。それいいがなお父ちゃん。そうや、更に工夫してうちの味にしたらええんやっ!」


 亀吉の顔もぱっと華やぐ。


「うんうん、江戸の町で美味いもんが食えるのは大歓迎だ。

 雁助、ワシも必ず食べに行くでな?」


 ご満悦な口調で口を挟んだ新之助は、みそのへウインクして見せる。


「ふふ、その時はちゃんとお足を払ってくださいよ?」


 みそのが呆れたように言うと、新之助は戯けたように肩を竦ませる。

 この時はみそのすら予想していなかった事だが、後に大阪屋には将軍家から取り寄せの使いが来る事になり、それがお凛の読売に書かれて大いに町場の評判を呼ぶ事になるのだ。


 今夜の雁助と亀吉の父子は、みそのの仕舞屋へ足を運んだ事で知らぬうちに将軍とも繋がり、運気がぐんと上がったようだ。



 *



 一方、居酒屋『豆藤まめふじ』では、男たちが微妙な表情を浮かべながら一人の男の話を聞いていた。

 聞きながらも男たちの視線は何故か語り部ではなく松次しょうじ留吉とめきちに集まっている。


「……そこでピンと来ましたね、ええ。ここは焦らずひとつ間を置いて探索するのが得策なのではないか、と。あ、ちょいと翔太しょうた、アクは小まめに取らなきゃダメだよぅ? そうそう。だから留吉、まだそれは煮えてないって言ってるでしょうにっ! で、私はあえてその場を離れたのでございますよ、永岡さん。そうしましたらどうなったと思いますっ!?」


 その語り部とは言わずもがな、北忠こと、いや鍋奉行こと北山忠吾だ。

 今夜の北忠は自腹なだけに酒は我慢している。

 ただ、北忠の饒舌は酒とは無縁のようだ。

 お藤の鍋に酔った北忠のボルテージは今や最高潮に達していた。


「どうせ蕎麦か団子でも食いに行こうとしたら、偶々目当ての旗本にでも出会ったんだろぃ?」


「……見てました?」


「んなわきゃねぇだろぃ。そんなもん、おめぇがやりそうなこってぇ!」


「…………」


 一気にボルテージが下がった北忠は、すかさず鍋を補給する。

 肩をすぼめながらもハフハフと軍鶏肉を頬張る北忠。

 永岡の舌打ちもなんのその、北忠は幸せそうにうっとりと目を細めている。


「そこであっしとも出会ったって寸法でさぁ」


 苦笑いしながら留吉が口を開いた。


「お凛を尾けめぇしていた武家ってぇのがその旗本ってこったな?」


 やっとまともな話が聞けるとばかりに永岡が問い返す。


「へぇ、おっしゃる通りで。松次が調べ上げたんでやすが、この旗本は三千五百石の伊沢いざわ忠信ただのぶってぇ大身旗本の次男坊で、信秀のぶひでって名前なめぇでやす」


 留吉はお前が詳細を話せとばかりに松次へ目配せした。


「へぇ、伊沢屋敷のめぇの屋敷から下男が出て来やして聞いたんでやすが……」


 留吉の目配せを受け、松次が話し出す。

 太郎松たろまつと先行して歩き、信秀と大村が屋敷へ入るのを見届けた松次は、後から来ると言っていた北忠を待っている間、向かいの屋敷から偶々出て来た老爺に聞き込みをしていたのだ。


「この信秀ってぇ次男坊ってのは頗る評判の悪りぃ野郎のようで、聞いてもねぇ話までしてくれやした。

 なんでも殿様は、そんな出来の悪りぃ息子でも溺愛してるようで、昔っから息子の不祥事を何かと揉み消しちまうそうなんでぇ。そんなもんなんで信秀の素行も悪くなる一方みてぇで、今じゃ所の鼻つまみもんって訳でさぁ。

 とにかく町娘を犯したとか、商人に難癖つけて金を巻き上げてると言った、悪りぃ噂が昔っから絶えねぇ野郎なんでさぁ。

 それにこの男なんでやすが、箔をつけるってぇ意味で、数々の名門剣術道場へ通わせてたらしいんでやす。しかし素行の悪さ故に次々と破門にさせられる始末でやして、最近では大村って言うどっかの剣術師範を家に迎え、信秀付きの剣術指南として屋敷に道場まで作ったんだとか。この大村ってぇのが、信秀と一緒にぶらついてた野郎でさぁ。

 なんでもこの大村ってぇのが来てからは、更に目つきが悪くなって見るのも怖えって震えてやしたよ。まあ、あの界隈で悪さするような事は無くなったみてぇでやすがね?

 あと、この信秀って野郎の性格が良くわかる話も聞きやした。信秀はガキん頃から変わりもんってぇかちょいと狂っていたみてぇで、そこらの犬猫を斬り殺して遊んでたみてぇでやす。ま、そん頃から歪んだ性格だったんでしょうね」


「が、ぼぶびべぼ、ぼっだぶびぼ……」


「おい忠吾! 話すめぇに口ん中のもんをどうにかしやがれっ!」


 松次が話し終えるや北忠が急に話し出したのだが、熱々の軍鶏肉を頬張った北忠の言葉は意味不明。

 すかさず永岡が怒鳴りつけた。


「んんぅんっ…………し、失礼しました……。

 そう言えば、酔った振りをした松次に向かって『全く町人めが忌々しい。夜であれば斬って捨てるところよ』などと、件の男が物騒な事を言っていたのですよ?

 もう一人の男が窘めていましたが、どうにもうそぶいてるような口振りにも聞こえず、物騒な御仁だと思ったものでして」


「ほう、そんな事を言ってやがったのかぇ」


 北忠が急いで軍鶏肉を飲み込んで話すと、それを聞いた永岡が関心を示した。


「それでやしたら、もう一つ面白おもしれぇ話がありやすぜ?」


 そこへ留吉が身を乗り出した。


「なんでぇ、面白おもしれぇ話ってぇのは?」


 永岡も身を乗り出す。


「へぇ、鳴海屋なるみやのおりんを尾け回した後の事なんでやすが、本所ほんじょ北割下水きたわりげすいの貧乏屋敷へへぇって行ったんでさぁ。

 へぇってる間にざっと聞き込みをしたんでやすが、家主は小井こい平左衛門へいざえもんなる貧乏御家人でやして、刀研ぎを生業にしてるって話でやした。明日にでもその御家人に話を聞きに行こうと思っていたんでやす」


「ほう。刀研ぎたぁちょいと興味深ぇな?」


 永岡が言いながらチラリと智蔵を見る。


「辻斬りで刃こぼれでもさせちまったんでしょうかね?

 そうでも無けりゃあ、わざわざ貧乏御家人に研ぎに出したりしねぇでしょう。

 とにかく訳ありにちげぇねぇ。明日は旦那も一緒に行った方が良さそうでやすね?」


 智蔵はそう言うと、鋭く細めた目を留吉へ向ける。


「へい、あっしが案内いたしやす」


 留吉は智蔵の視線に答えると、「留吉、よろしく頼むぜ?」との永岡にポンと胸を叩いてみせた。


「そんじゃ忠吾は松次と引き続き例の旗本を探ってくんな。

 広太と伸哉、翔太は、弥平やへいから話を聞いてそうな輩がいないか、物乞い仲間からの聞き込みを頼まぁ。オイラと智蔵は、留吉と件の御家人んとこへ行って話を聞き次第、そっちの聞き込みへめえるとしようかぇ」


「へい、旦那。細けえ話はあっしが詰めときまさぁ」


 智蔵が永岡に酌をしながら答える。

 そろそろ永岡がみそのの仕舞屋しもたやへ向かうのを察したようだ。

 宴の前に伸哉から報告を受けていたからだ。

 恐らく千太の父親に関する悪い報せなのだろう。


「ふふ、ちょいと酒を入れとかねぇとな?」


 永岡はそう言うと、翳る気持ちを振り払うように一気に猪口を呷るのだった。



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