第六十七話 長らくお待たせいたしました
「大村、ここまで来たのじゃ、今から村正を取りに行くぞ」
「さて、研ぎ上がっているか……」
信秀は大村の言葉など耳に入っていない様子で、不機嫌そうに歩みを早める。
永岡達の存在でお凛の尾行を諦めたせいか、信秀は大いに機嫌を損ねていた。
大村はこれ以上機嫌を損ねても詰まらぬとばかり、続く言葉を呑み込んで大人しく信秀の後に続いている。
信秀の機嫌ばかり気にしているせいか、大村は自分達を尾行している男、留吉には全く気づいていない様子だ。
お凛を尾け回している武家を追っていた留吉は、見事二人を見つけ出していたのだ。
流石に永岡達の存在でお凛の尾行を諦めた事情は知らないが、下っぴきの勘で二人が捨て置けない輩だと判断した留吉は、二人がお凛の尾行をやめてからも巧妙に二人の後を尾けていたのだった。
*
「おっ、ありゃあお凛さんじゃねぇですかぇ」
亜門が半町(凡そ50メートル)ほど先の辻から顔を出した人影に声を弾ませた。
「あ、永岡の旦那っ」
みそのの声も弾む。
お凛のすぐ後ろから現れたのが、お目当ての永岡だったのだ。
「ふふ。二人の想いが通じたわね?」
「そう言う事でしょうな?
へへ、みそのさんにゃ敵わねぇや…」
みそのの言葉に亜門は照れ臭そうに応える。
先ほどお凛への想いを言い当てられていただけに、みそのにはもう隠し立てが出来ないのだろう。
それに、亜門はみそのに後押しされたせいか、今では昔の想い人や年齢を抜きにして、新たな気持ちでお凛を想うようになっている。
そんな矢先にお凛を目にした亜門は、自分の気持ちに正直にならざるを得ない。
それはみそのに対しても同じなのだろう。
「なんでぇなんでぇ、ちょいと珍しい絵面だなぁ?」
永岡が顔を綻ばせながら足を早めて近寄ってくる。
「あら、もしかして妬いてるんですか?」
「おきゃあがれっ! 誰が妬いてるってぇんでぇ。
そう言うお前の方こそ、小町娘と一緒のオイラに妬いてんじゃねぇのかぇ?」
永岡がみそのの軽口に嬉しそうにやり返す。
永岡も今の今までお凛に振り回されていたので、思わぬところでみそのの顔が見られてホッとしたのかも知れない。
一気に疲れが吹き飛んだような顔をしている。
そして二人は互いに笑みを浮かべながら、お凛達など居ないかのように見つめ合っている。
お凛はそんな二人を交互に見ながら、
「なんだいなんだい、あちきをだしに使いやがって!」
と、盛大に吠え立てる。
そして、
「そこの亜門の旦那が一番妬いてんじゃないのかぃ?
なんせこのお凛さんが他の男と歩いてんだからねぇ?」
「…………」
お凛が揶揄い半分矛先を亜門に向けたのだが、当の亜門は軽口で返す余裕もなく、黙ったまま顔を真っ赤にして俯いてしまう。
「おっ、図星と来たかぇ?
へへ、こりゃ面白ぇや。確かにこのじゃじゃ馬を乗りこなすんなりゃ、お前くれぇ飄々としてねぇとな?」
「じゃじゃ馬ってぇのは誰の事なのさっ!」
永岡に食ってかかるお凛。
しかしお凛は怒鳴りながらも、その頬をほんのり赤く染めている。
「おっ、お前も満更じゃねぇみてぇだな?
媒酌はオイラに任せとけっ、何なら今から祝言挙げるかぇ?」
「…………」
永岡の軽口に、お凛は益々顔を赤くさせて口をもごつかせる。
永岡はお凛らしからぬ反応にニヤつきが止まらない。
ただ、みそのの厳しい視線を感じて、永岡もこのくらいにしておこうと思ったのだろう、
「で、お前らは何してるんでぇ?」
と、瞬時に顔を引き締め話を変えた。
「何してたって、旦那を捜していたんですよう」
みそのが眉をひそめながら答える。
みそのとしてはゆっくり二人の後押ししようと思っていただけに、永岡の軽口に少々呆れているようだ。
「オイラをかい? そいつぁどう言うこってぇ?」
「お凛さんにも関わる事なんですがね…」
みそのはそう言うと、ここまでの経緯を語り始める。
お凛が二人組の武家に尾行されていた事から始まり、心配して後を追ったみそのも武家から因縁をつけられ、ちょうど通りかかった正吉に助けられた事。
その正吉が見た辻斬りの骸が弥平と言う名の物乞いで、亜門が数日前にその弥平と揉めていたせいで、正吉から辻斬りの疑いをかけられていた事。
弥平は亜門と揉めていた際、纏まった金が入ってくると言っていた事。
「するってぇと、お前が言ってた物乞いは、その弥平ってヤツなんだろうな?」
「あ、そっか。正吉さんって弁天一家の若頭の正吉さんかっ」
お凛は合点がいったようにパシリと手を打つ。
お凛は弁天一家へ永岡を案内するつもりだったのだ。
先ほど同じ場所をぐるぐる回っていたのも、物乞いの弥平が縄張りとする町筋だったからで、決して迷っていた訳ではなかったのだ。
弥平が最後の最後に弁天一家へ足を運ぶことを思い出したお凛は、今まさに弁天一家に向かっているところだった。
「そう言うこった。正吉が見間違ってなけりゃ、これから行ったところでお目当ての物乞いはいやしねぇ。
なんせとっくに死んじまってるんだからな?」
「じゃあ、もう情報は聞けないのかぁ……」
お凛ががっくりと力なく答える。
お凛としては、ここで恩を売っておきたかったのだろう。
「まあ、そうがっかりするねぇ。
お前にとって悪い報せだったかも知れねぇが、こいつぁ有力な情報でぇ。それにお前のおかげで裏も取れたようなもんだ。
オイラにとってはこの上ねえ良い報せだったぜ。
なんせ、これ以上お前に付き合わねぇで済むんだしな?」
「ちょっと旦那っ!」
みそのが盛大に口を尖らせたお凛の肩を抱き、永岡の要らぬ一言を咎める。
「へへ、冗談に決まってらぁな。
とにかく良い報せで助かったぜ。ありがとよ」
みそのに睨まれた永岡は笑いながら答えると、最後は顔を引き締めて礼を言った。
そして永岡はおもむろに手を振り上げると、
「あ……」
目にも留まらぬ速さで、みそのの手にあった人相書きを抜き取った。
そして、
「オイラはこいつを手下に見せねぇといけねぇんで、今日のところはお前らの祝言にゃ付き合えねぇな?」
と悪戯っぽく言うや、踵を返してさっさと歩いて行ってしまった。
その背中は、有力な情報を得た興奮とお凛から解放された喜びで溢れている。
「もう……」
みそのはそんな永岡の背中を見ながら呆れ声を漏らすも、弾むように歩いて行く様が可笑しくて思わずクスリと笑ってしまう。
「あんな旦那でごめんなさいね、お凛さん。
亜門さんもここまでありがとうございました」
「…………」「…………」
二人ともみそのの声が届いていないようで、お凛は顔を赤らめもごもごししていて、亜門は俯いたままで顔色すらわからない。
永岡の最期の一言が効いたようだ。
みそのはそんな二人の様子が可笑しくて、
「私で良かったら媒酌人やってあげるわよ?」
と、思わず小声で呟くと、媒酌人に食いついたのか、小声にもかかわらず二人が同時に顔を上げた。
二人の顔を見たみそのは、
『あら、亜門さんもお凛さんも顔が真っ赤じゃないの……』
と思いつつ笑みを浮かべ、
「さて、こんなところに立ったままも何ですし、そこらでお茶でもしましょ?」
と、二人の背中を押すようにして歩き出すのだった。
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