第六話 幸せの色
「こりゃあ珍しい顔ぶれだぁー。
今日はこれから雪でも降るんじゃねぇのかぇ?」
満面の笑みで奥から現れた男は、開口一番軽口を飛ばして豪快に笑う。
「雪や雹なんてしけた事ぁ言ってねぇで、槍でも降らせろってぇのっ!
まあ、それにしても相変ぇらず元気そうで何よりだな?」
永岡も満面の笑みで軽口で返すと、豪快に笑う男のがっしりとした肩を叩く。
豪快に笑う男。この男こそ雷神の政五郎だ。
政五郎は浅草寺雷門近くに駕籠屋を構え、血気盛んな男達を束ねてこの辺りを縄張りにする事から、雷神との二つ名で呼ばれる男伊達の親分だ。
元は武家の出では無いかと言われ、昔から腕っ節がめっぽう強く、その昔は永岡とも随分と遣り合った仲なのだ。
一頻りお互いの肩を叩きあった二人は、ゆるりと煙草盆を挟んで座る。
そして、政五郎が永岡の身体を繁々と見ながら話し出した。
「しっかし、もう一年くれぇになりやすかぇ?
傷の方は良さそうで、何よりでぇ」
「オイラが斬られてから顔出してなかったかぇ?
そうだな、すっかり無沙汰しちまったな?」
「そうですぜ旦那。あっしの事ぁ、気軽に使ってくだすって結構なんでやすが、使い捨てにされると、それはそれで寂しいもんでやすぜ?」
「おきゃあがれってぇんでぇ!
つたく、よく言うぜ。なら、これからは使い潰してやらぁな。覚悟してやがれっ」
「はは、使い潰されたんじゃあ堪らねぇや。
寂しい思いをしてるくれぇが、恋も長続きするってぇ忘れてやしたよ。ほどほどにお願ぇしやすよ旦那?
で、今日はどう言ったご用向きで?」
ポンポンと軽口を交わした流れを切り、政五郎が永岡と智蔵を交互に見ながら、今日の来意を確認する。
「おぅ、そうだったな。
ちょいとお前に聞きてぇ話しがあってな?」
永岡は政五郎に応えると、横に居る智蔵に目配せして続きを促した。
「どうやら親分さんの密告があったみてぇだな?」
「ふふ、煩えやぃ。でもそんな様なもんでぇ」
政五郎が戯けて言うと、智蔵は小さく笑ってそれを認めた。
「で、どんな話しを聞きてぇんで?」
「ああ、随分と前の話しになるが、お前から聞いた話しで確かめてぇ事が出来てな?」
「おっと。そいつぁ忘れてねぇといいけどな?
そんで?」
政五郎はポカポカポカと自分の頭を叩き、話しの続きを促す。
「熊手の弥五郎ってぇ野郎が、お前の賭場で揉め事を起こして、こっ酷くシメられたってぇ聞いた事があったんだが、お前、この話しぁ覚えてるかぇ?」
「ああ、あの野郎かぇ。任せろ、覚えてるぜ親分」
政五郎の返事を聞いて、智蔵が永岡に目配せをすると、永岡は小さく頷いて事件の内容を話す許可を出す。
「昨日捕物があってな?」
「ああ、泥沼の加平だな?
それと熊手の弥五郎がなんか関係してんのかぇ?」
「お前、昨日の今日で良くそんな事ぁ知ってやがんな。一体どっから仕入れてんやがんでぇ?」
「ふっ、詰まんねぇ事ぁ良しにしねぇ親分。
で、どう言うこってぇ?」
智蔵が政五郎の情報通ぶりに驚きを見せるが、政五郎は小さく笑って話しの続きを促す。
「まあ、そこんところは今度ゆっくりとな?
ふっ、知ってるかも知れねぇが話すぜ?」
ジロリと鋭い目で政五郎に牽制して、智蔵は呆れながらも話しを続ける事とする。
「そもそもこの捕物は、奉行所に投げ文があった事から始まった捕物なんでぇ。
まあ、十日ばかり泳がして、裏を取ってから踏み込んだんだがな。どうも泥沼の一味は端っから予測してたみてぇで、捕物では手向けぇもせずに素直にお縄になりやがったのよ」
「上等じゃねぇかぇ親分。そりゃ願ったり叶ったりって言うんじゃねぇのかぇ?
それと熊手の野郎とどう関わって来るんでぇ?」
智蔵が話しを切ったところで、政五郎が茶々を入れて来る。
「こっからが熊手の弥五郎が絡んでくんでぇ」
智蔵は政五郎を待つ間に出された冷めた茶を啜る。
「まあ、お前の言う通り、捕物は願ったり叶ったりで、釣り銭出るくれぇ上出来だったんだがな。余りにも拍子抜けなもんで、こちらの永岡の旦那と新田の旦那が不審に思っちまったって訳だ」
智蔵は永岡をチラリと見ると、永岡は申し訳なさそうに小さく笑った。
「で、最初は俺も旦那らが言い出した投げ文を辿れば、芋蔓式に他の盗人をお縄に出来る目があるのかと思ったんだが、どうも旦那の思惑は違ぇみてぇでな?」
またここで智蔵が永岡をチラリと見やる。
永岡はすまなそうに、その視線に頷いて応えた。
智蔵は先ほどの永岡と泥沼の加平の遣り取りで、永岡の懸念を察したらしい。
「永岡の旦那は、今回の捕物の裏に素人が絡んでると見ててな。その素人の動向を気になさってるって訳なのよ」
「悪かったな智蔵。
オイラもさっきの遣り取りで確信に変ったもんで、お前にゃ今夜にでも『豆藤』で一杯やりながら、ゆっくり話そうと思ってたんでぇ」
智蔵が永岡を探る様にして話すので、永岡は堪らず口を挟んだ。
「で、それと熊手の野郎はどう繋がって来るんでぇ?」
政五郎が焦れた様に催促する。
「悪りぃ悪りぃ。そうだな、そいつの話しをしねぇとな?
今回の押し込みは、引き込みを含めて総勢六人でやったと加平が話してるんだがな。盗みに入ったのは、日本橋の伊勢屋だ。見張りを含め、舟も使ってるとなると、ちっと寂しい話しだろ?
永岡の旦那は、せめてそこにあと二、三人は絡んでねぇと、盗んだ金を運ぶにしても難儀してならねぇって、お思いになさったのさ。
で、その残りの二、三人が素人なんじゃねぇかと見てるのよ。
泥沼の加平と言やぁ、死人を出さねぇ盗人で聞こえてらぁ。それが為に、何年も準備期間をかけて、用意周到で仕事しやがるから、今まで尻尾も掴ませねぇ盗人だった訳よ。それが今回初めて死人を出しやがった。
その殺した野郎ってのが、助け働きに入った熊手の弥五郎って訳さね」
「やっと出て来やがったな、熊手の野郎。ったく待たせやがってぇ。
ああ、見えたぜ親分。こうだろ? 要は泥沼の加平に何かしら縁のある素人が、盗みに誘われて手伝ったって訳だな?
常は死人を出さねぇ加平の仕事だ、その素人も金に困ってたのか、加平が金を作ってやりたかったのかは分からねぇが、要はそこまで悪どい事をする訳じゃねぇって、落とし所をつけてたんだろうな?
なんせ日本橋の伊勢屋と言やぁ、悪どく儲けを貪ってるってぇ黒ぇ噂が絶えねぇや。そんな話しがあったら、ちょいと後ろ暗え話でも乗りたくなるってもんよ。そこで、いざ盗みに入ったら、あの熊手の下衆野郎が人を殺しちまって、さあ大変でぇ。そんでビビっちまったか、後悔したんだかで、その素人が投げ文を寄越したってんだな?
永岡の旦那は、その素人がその罪を悔やんで、自死しちまうんじゃねぇかと慮っちまってるってぇ訳だ?」
一気に語った政五郎が、永岡にニヤついた目を向ける。
「お前、端っから知ってやがったなっ!」
「なに言ってやがんでぇ。今し方親分が粗方語ったんじゃねぇかぇ。
泥沼の加平の噂を知ってりゃ、今の親分の話しを組み合えせりゃ、自然と答ぇは出て来るってもんよ。
そんでもって、わざわざ俺んとこへ聞きに来た事ぁ踏まえりゃ尚更でぇ」
「わっはははは、相変ぇらず話しが早ぇな、おい。
まあ、今は呑み込み早ぇお前が頼りなんでぇ。素人とは言え、盗みに加担しやがったら盗人でぇ。
が、ちっとばかし魔が差しちまったんだな。
そんな野郎を慮っちまってるオイラに、ちょいとお前の手を貸してくんねぇかぇ?」
智蔵に唾を飛ばしながら言い返す政五郎に、永岡は大笑いしてから協力を願った。
「へへ、魔が差しちまった者の為に、一肌脱ぐって訳でやすかぇ?
全く、そいつらも飛んだ幸せ者でぇ?」
「一肌脱ぐってぇ訳じゃねぇんだがな。
でもまあ、側からから見りゃそんなもんかねぇ。
そんなりゃお前も、その幸せ者の為に景気良く一肌脱いでくんな?」
「幸せ者の為に景気良くねぇ?
へへ、まあいいやぃ。そりゃあ知ってる事ぁお耳に入れやすぜ。
旦那は死んじまった熊手の野郎を、加平に手引きした男を捜してるんでやしょう?」
「お前、弥五郎が死んでる事まで掴んでやがんのかぇ?
一体どっから仕入れてるんでぇ!?」
話しの早い政五郎に再び噛み付く智蔵。
そんな智蔵の噛み付きにも、政五郎はニヤニヤと笑っているだけだ。
「まぁいいじゃねぇかぇ。で、その手引きした男ってぇの、そいつを知ってそうな口振りだなぁ?」
永岡は智蔵を窘めると、政五郎の裏の情報網には触れずに話を先に進める。
「まあ、知ってるかどうかは、旦那が直にそいつに会って、手引きしたか確かめて貰わねぇ事にゃあ、返事は出来ねぇってところでさぁ」
「そりゃまあそうだな。そこまでお前に頼む事ぁねぇやな。
名前を教えてくれたら、後はこっちでやるぜ。それに居処が分かんなら、お情けで教えてくれてもいいんだぜ?」
政五郎の言葉に、永岡は揶揄する様に返してニヤリと笑う。
「旦那ぁ、忘れちまったんでやすかぇ?
あっしはめっぽう情け深ぇんでやすぜ?」
政五郎はそんな永岡の揶揄に、パチリと片目を瞑って軽口を返したのだった。
*
「もぉー。みそのさんったら、なんであんな事を言ったんですかぁー!」
「そんな事言ったって、お百合さんだって、こう言う話しはしないでくれとか、細かい話しはしてくれなかったじゃない?」
「そんなのずるいですよ、みそのさん!
みそのさんが何言うかなんて、分かんないじゃないですかぁー!」
「でも良かったでしょ? 凄い進展じゃないのぉ?
それとも順太郎さんの気持ちなんか聞きたくなかった?」
「それは…」
「今から順太郎さんのお店へ引き返して、やっぱり、伝七親分さんが持って来た縁談話を進めますって、さっきの話しは無かった事にしてもらいましょうか?」
「いやー!」
「ふふ、じゃあ良いじゃない?
偶には博打しないとね?」
「もぉー。人の恋路で博打しないでくださいよぉー!」
「ふふ、言われて見ればそうね? ごめんなさい…」
「危ねぇーだろうがっ、橋の上で立ち止まんじゃねぇーやい!」
みそのが急に立ち止まって深々と頭を下げた為、後ろから来た遊び人風の男が怒鳴りつけて来た。
しかし、みそのの横で自分を睨め付ける存在に気づくと、
「あ、弁天のお嬢じゃねぇでやすかぇ?
こりゃすいやせん、あっしが前を良く見ねぇのがいけやせんでやした。堪忍してくだせぇ。へい。
姐さんも用心しなすってくだせぇよ。この辺りゃあ柄の悪りぃ奴が多ごぜぇやすからね。へい、そうしやしたらあっしはこの辺で。ご免なすって」
矢継ぎ早に話し、矢の様に立ち去ってしまった。
ここいらは弁天一家の縄張りだ。
今は乙女そのもののお百合だが、普段のお百合はキレやすく、狂犬並みに恐れられているのだ。
今の男もそんなお百合を承知しているのだろう。お百合に終始無言で睨まれれば、とっとと立ち去りたくもなる。
今は順太郎の住まう緑町を出て、丁度二之橋を渡っている最中だ。男の言っていた様に、みそのは橋の上で急に立ち止まり、道を塞いだ形になっていた。男も災難と言って良い。
みそのとお百合は、順太郎もお百合の事を憎からず想っている事実を手土産に、一先ず今後の作戦会議を行うべく、弁天一家のある松井町へ歩みを進めていたのだった。
順太郎の長屋では終始顔を赤らめ、日頃のじゃじゃ馬ぶりも鳴りを潜めていたお百合。
そんな乙女乙女しているお百合が可愛いくて、みそのは長屋を出るなり、ついお百合を揶揄う様に弄っていたのだった。
「でも、橋の上で立ち止まるのは、どうかと思いますよ?」
「はは、そうよね。以後気をつけるわね…」
二人は橋を渡りきり、運河沿いを歩いている。
みそのは照れ笑いを浮かべながらお百合を見ると、水面に反射した陽光がキラキラとその顔を照らしていて、まるで恋路の好転をお天道様が祝している様に見えた。
「なんか恋っていいわねぇ…」
みそのはそんなキラキラしたお百合を見ながら、思わず呟いてしまう。
「もぉー。みそのさんたらまたぁー!」
お百合はみそのにまじまじと見られ、また見る見る顔を赤らめて口を尖らせる。
みそのは思わず出た自分の言葉に、思いの外良い反応を示したお百合が面白く、追い討ちをかける様に、
「ふふ、なんか順太郎さんところへ行く前より、ずっと綺麗になってるわよ?」
「…………」
と、お百合の顔を完熟させたのだった。
*
「おや? お早ぇお帰りで?」
「ーーッ! 早くて悪かったなっ!?
私の帰りが早いとお前はなんか困んのかいっ?!」
「いえいえお嬢、困る事なんざぁ一つもござんせんよ。言い付けられていやした饅頭も用意してありやすし、へい」
「饅頭だぁ?! 野暮言ってんじゃねえやぃ!
そんなもん茶ぁと一緒に、私の部屋へ黙って持って来りゃいいんだいっ!」
怒り心頭のお百合は、呆気に取られる正吉をよそに、プリプリしながら家へと駆け込んで行く。
庭先で一服つけていた正吉が、裏口から帰って来たお百合と鉢合わせたのだった。
正吉がのんびりと声をかけたところ、正吉の何がお百合の癇に障ったのか、お百合は急に激昂してしまい、捨て台詞を残すと、プイっと家の中へ入って行ってしまったのだ。
「な、なんかあったんでやすかぃ?」
正吉はお百合の後ろ姿を見送ると肩を竦め、手で鬼の角の仕草をしながら、お百合の後に続こうとしたみそのに聞いて来た。
聞いて来た後の正吉の口は、声には出さずに「赤鬼」と何度も言っている。
「お百合さんは赤鬼なんかじゃないわよ?」
みそのに咎められた正吉は、八の字眉でバツが悪そうな顔をする。
鬼の仕草も角の指を口元に持って来て、内緒にしてくれとばかりの仕草に変えた。
「ちゃんと見なきゃダメですよ、正吉さん。
赤は赤でも幸せの色なんですからね?」
正吉に思わせぶりな笑いを残し、いそいそとお百合を追うみその。
みそのは道々、お百合の顔が赤いと散々揶揄っていたので、お百合はそんな顔を誰にも見咎められたくないと、意図的に裏口から入ったに違いないと思っていた。
しかし、そんなお百合の思惑とは裏腹に、中へ入ると呆気なく正吉に見つけられてしまった。
お百合はそれに動揺し、瞬時に怒りに転嫁させて正吉を理不尽に怒鳴りつけたのだと、みそのは事の成り行きをそう見ていた。
普段は鉄火が売りのお百合が、自分の乙女な部分を身内に見られた恥ずかしさから、それを紛らわす為に及んだ行業と言う訳だ。
要はちょいと歪んだ照れ隠し。
正吉にとっては災難でしかない。とばっちりもいいところだ。
「幸せの…ねぇ…」
正吉は首を傾げなからぼそりと独り言ち、納得の行かぬ顔でみそのを見送るのだった。