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第六十六話 歩きながらの話

 


「おいおい。まさかおめぇ、迷ってんじゃねぇだろうな?」


「あ、あちきを誰だと思ってるんだい! 旦那はただあちきについてくるだけでいいのさ!

 全く、寝ぼけた事を言ってんじゃないよ……」


「いや、オイラは寝ぼけてなんかいねぇぜ?

 それに、ここを通るのぁもうこれで三度目でぇ。寝ぼけてんのはおめぇの方さね?」


「………………」


 おりんが返す言葉もなく黙り込む。

 しかしすぐに気を取り直して歩き出した。


「おう、オイラはここで待ってるぜ?

 へっ、どうせまた戻って来んだろい?」

「黙ってついて来なってぇんだぃ。今の遣り取りで思い出したんだよ!?

 今度は間違いないから、あちきの尻でも見ながらよだれ垂らしてついて来やがれってぇんだ」


 お凛は一旦止まって言い捨てるや、プリプリと一人荒ぶりながら歩き出す。


「ちっ。ったくおきゃあがれってぇんで……」


 思わず舌打ちを漏らした永岡は、首をフリフリ仕方なくお凛の後を追うのだった。



 *



「そう言えば、亜門さんの絵のお師匠様のお話を聞かせてくださいよ。さっき話が途中になってしまいましたからね?」


「その話でやすかぇ……」


 みそのと亜門あもんがゆるりと歩きながら話している。

 お百合ゆり順一郎じゅんいちろうとも別れ、永岡が居そうな本所深川方面へと歩いているところだ。


 実際に出会えなくとも、番屋で待っていれば繋ぎが取れると踏んでの事だ。

 なので呑気に世間話しつつのんびり歩いているのだろう。


「そんな人に言ったら不味いような訳ありのお師匠様なのですか?」


「いやいやいやいや、そんな訳ありのお人じゃござんせんや。ただ、あのお方を俺なんかの師匠だなんて、人様に言っていいもんかどうかって話なんでやすよ……」


「へぇ〜。お師匠様は師匠と呼ぶなと?」


「いや、そいつぁねぇんでやすがね?」


「なら別に構わないんじゃないですか?」


 俄然みそのは気になって来たようだ。

 目が興味津々と言ったところでキラキラと輝かせている。


「まあ、みそのさんだから話しやすけどね……」


 亜門はそう言ってポツポツと話し出した。


 亜門は正吉しょうきちが言っていたように、元は武家であった。

 ただ、奈良奉行所の同心の倅ではなく、内与力の嫡男であった。

 内与力は永岡や北忠きたちゅうのような同心と違い、奉行所ではなく町奉行個人に所属する与力だ。


 亜門の殿様が遠国奉行である奈良奉行に任ぜられ、任地である奈良へ殿様共々赴いていたのだった。

 よって亜門は江戸生まれの江戸育ち、歴とした旗本の家来である。

 名も今は亜門と名乗っているが、本名は古川ふるかわ亜然郎あもろうと言い、古川家の嫡男として江戸に生まれたのだった。


 当時の亜門は見聞を広げる為、父親に奈良への同行を願っていたのだと言う。

 剣技に優れた亜門は、あわよくば廻国修行が出来るとの目論見もあったようだ。

 この時の亜門は十五を数えた歳だったそうだ。


 ただ、亜門には一つの出会いがあり、口実通り奈良に居座っていたのだと言う。

 出会いとは、奈良では数少ない剣術道場である。


 門人も少ないその道場は、秋山あきやま鹿之助しかのすけと言う剣客が道場主の小さな道場であった。

 ただ秋山鹿之助の剣技は本物で、亜門は一目ですぐに心酔したのだと言う。

 しかしながらそれだけではない。

 鹿之助の一人娘、お瑠花るかにほのかな恋心を寄せていたのだ。

 こちらの方が本命だったのかも知れぬ。


 しかし鹿之助の剣技は本物とは言え、土地柄が寺社の多い奈良な上に、鹿之助の稽古が厳しく門弟がなかなか増えずにいた。

 よって道場の懐事情はあまりよろしくない。

 鹿之助は剣客なだけに身体が丈夫だが、妻子はそうもいかない。

 妻は栄養失調もあったのだろう、風邪をこじらせて早くに亡くしていた。

 残った一人娘のお瑠花も、碌に食べ物を口に出来ない日もあったりと、健康状態は決してよろしくはなかった。

 亜門が入門する事によって、多少身入りはあったにせよ、内情は劇的に大きく変わる事はない。

 そうしたある日、お瑠花は突然家を出たのだった。

 借金返済の為の身売りだ。

 お瑠花も亜門を憎からず想い始めていただけに、踏ん切りがつかなくなる前に家を出たのだ。

 これは父親の道場を存続させ、そして亜門がより剣の高みに近づく為にも、なんとか借金を返済しなければならないと、お瑠花が家を出る前に亜門へ語っていた事もあり、身売りを考えてはいないかと、心配していた矢先の出来事であった。


 亜門はすぐに動いた。

 父親に黙って出奔し、先ずは大阪、そして京、島原まで足を伸ばし、町々の遊郭を探し回ったのだった。

 そして二度目に訪れた京でお瑠花を見つける事となる。


 お瑠花は以前に比べて肉付きは健康的とも言えたが、その代わり目がいけなかった。

 すっかり世を捨てたような死んだ目を亜門へ向けてきた。

 そして、「せっかく身売りして道場を存続させたのに、一体全体あなたは何をやってるの」と気力なく罵り、「もうどうでもいいけどさぁ」と奇妙な笑いを浮かべ、犬でも追い払うように亜門を追い返したのだった。


 お瑠花をあんな風にさせた剣術を続ける事に意味があるのか。

 人の人生を犠牲にしてまで剣術に価値はあるのか。

 甚だ疑問になった亜門は、半ば自暴自棄になって京の町を飲み歩いていた。

 そんな時に出会ったのが、亜門が師匠と崇める人物だった。

 その男の名前は尾形おがた光琳こうりん

 言わずもがな。あの『燕子花図屏風かきつばたずびょうぶ』や『紅白梅図屏風こうはくばいずびょうぶ』等、数々の作品、後に国宝となる名作を残した天才絵師である。

 当時の光琳は既に実家である呉服商『雁金屋かねがや』も破綻し、莫大な財産も湯水のように使い果たした後だった。

 ただ、生来からの気品溢れる美的感覚は放蕩三昧でより培われたのか、ブルジョワで斬新な、より現代的な作風の芸術家として歩み出していた。

 しかし光琳の放蕩三昧は、ライフワークとして染み付いてしまっているようで、稼いだ銭どころか借金してまでも続けていた。

 亜門とはそうした最中、京の遊郭で出会ったのだ。


 金の無い亜門が暴れているところを偶々通りかかり、一興とばかりに身柄を引き取ったのだ。

 そして亜門から経緯を聞いた光琳は、亜門に好きなだけ自分の側にいるよう勧め、次第に絵の手ほどきをするまでになったのだった。


 そうして宝永元年(1704年)、光琳とはパトロン以上の親交のあった京都銀座役人、中村なかむら内蔵助くらのすけが江戸詰になったのを機に、光琳も内蔵助を頼って江戸へ出て来た。

 その際に亜門も光琳とともに江戸へ戻って来たのだった。


 ただ、宝永六年(1709年)、光琳が京へ戻る際、亜門は生まれ故郷でもあり武士の町でもある江戸に残るよう、光琳から言い渡されたのだと言う。

 これには光琳も亜門の剣の才を惜しんでいた事もある。

 放蕩を極めて見えた芸術性同様、剣を極めて見えてくる芸術性もあるのだと説いていた。

 それに亜門は旗本の嫡男である。

 もう一度自分の道を見つめ直す良い機会だと思ったようだ。


 ただ、亜門はお瑠花の件が頭から消えず、剣術を続ける為にお瑠花を身売りさせてしまった結果に、未だに納得が出来ないでいた。

 剣術自体にそれ程の価値を見出せないとともに、剣術に対して嫌悪感すら抱いていたのだ。

 毎朝の素振りは欠かさず行っていたというのに、頑なに剣の道に生きる事を嫌っていたのだ。


 よって光琳と別れて江戸に留まった亜門は、家に戻るでもなく、改めて剣の修行に励む訳でもなく、自由気ままに大道芸人の如く、砂絵師として江戸での暮らしが落ち着いたのだった。

 ただ光琳を間近で見て来ただけあり、いずれは絵で人を魅了させたいとの思いがある。

 亜門は砂絵の大道芸で活計を立てながら、亜門なりに絵の修行をしているのだと語った。


「へぇー、亜門さんのお師匠様は凄いお師匠様だったんですね!」


 流石にみそのも尾形光琳の名前くらい知っている。

 間接的にせよ、思わぬところで縁が繋がったことに驚いていた。

 ちなみに光琳は正徳六年(1716年)六月に亡くなっている。

 正徳六年は吉宗が征夷大将軍となり元号を享保と改めた享保元年である。

 みそのが暮らすこの時が享保七年なので、もう既に亡くなって六年ほど経っている。


「おっ、みそのさんも師匠をご存知でしたかぇ?」


「ご存知もご存知、未来永劫に讃えられる最高の絵師じゃないですか!」


「そ、そんなに知れ渡ってやしたかぇ?」


 まだまだ江戸の庶民レベルでは知る人ぞ知るくらいだと思っていた亜門は、みそのの言葉で顔に喜色を浮かべている。


「い、いや、あれですよ……。

 今はどうかは関係無いんです。これからもっともっと刻を重ねれば重ねるほど、誰もが知る絵師になるってことですよ……」


「そうでやすかぇ…。でも嬉しいことを言ってくれやすね?

 みそのさんは絵の事をようくわかってらぁ」


 みそのの取り繕った言葉にも気を良くしたようで、満面に笑みを浮かべながら唸っている。


「それにしてもそのお瑠花さんって、もしかしてお凛さんに似てたりするんですか?」


「ふぅへ?」


 みそのの唐突な問いに、亜門は奇妙な声をあげてしまう。

 ボロが出る前に話題を変えたかったのかも知れない。

 熱い茶を啜ってなくて幸いだ。


「な、な、な、な、なんでそんな事を聞きなさるんで?」


「いや、亜門さんのお凛さんを見る目がどうも訳ありな気がしてたんですよ。

 好意を寄せてるにしても、ただ単に好意を寄せてるだけでは無いんじゃないかなって」


 見る見る顔を赤らめる亜門。

 どうやら図星のようだ。


「いやぁ、みそのさんにゃ敵わねぇや……」


 亜門はみそのには隠しきれぬとばかりに、お凛と初めて出会った時には、お瑠花と見間違えたほど良く似ていると白状した。


 まさに道場に居た頃のお瑠花と生き写しだったようで、お凛を初めて見た時は、自分があの時に戻ったのだと思ったくらいで、心底驚いたそうだ。

 しかしそれも一瞬で、すぐにお凛に捲し立てられ、そのお凛の言動から別人だと理解する事となったようだが。


「だから亜門さんは、お凛さんのことが気になってしょうがないんですね?」


「そんなこたぁ……まあ、気になりまさぁあね。正直な話……」


 亜門は即座に否定しようとするも、観念したように戯けた口調で認める。


「お凛さんと一緒になりたいんですか?」


「ふぅへ?」


 またもや奇妙な声をあげる亜門。

 みそのの唐突でストレートな問いにたじたじだ。


「いや、昔惚れた女に似てたってぇのが第一印象じゃあ、お凛さんに悪りぃですし、何より俺は今年で三十五ですぜ?

 歳が離れ過ぎてて話になんねぇや」


「歳のことは置いといて、こう考えたらどうかしら?

 亜門さんは昔、お瑠花さんを通して未来のお凛さんを見ていたんだと。

 お凛さんと出会う為に今までの人生を歩んで来たんだと」


 みそのは自分と永岡のことを重ねているのか、いつになく真剣な表情で話している。

 戯けて誤魔化そうとしていた亜門も、これでは真剣にならざるを得ない。


「まあ、そう言うかんげぇ方もありかも知れねぇな……」


「ありですよ、きっと」


 みそのがにこりと笑ってみせると、亜門も照れ臭そうな笑みをこぼした。


「それにしても、上手いこと永岡の旦那と会えりゃいいんだが……」


 照れ隠しか、亜門はそんな事を口にしながら歩みを速める。

 キョロキョロと周りを見回す姿は実にわざとらしい。


「ふふ、応援しますからね、亜門さん」


 そんな弾むように歩く亜門の背中に、みそのは嬉しそうに囁くのだった。





ここまでお読みくださりありがとうございました。

ちょいちょい実在する人物名が出て来ますが、完璧フィクションです。はい。

そして、週一ペースで更新が出来ませんでしたね。

もう言うまい。

次からは週一『くらい』で更新していきます。

よろしくお願いいたします。

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