第六十四話 試食と死色
いつもより短めです。
「こっちの男は浅黒いんだったな…。
ーーーっと。これでどうでぇ?」
「わぁ〜」「流石は鹿の旦那でぇ。お見事!」
亜門がスラスラと懐紙に文字を書き込むと、それを覗き込んだみそのと正吉が感嘆の声を上げた。
「ほれ、出来たぜ」
亜門は両手で二枚の懐紙を掲げるようにしてみそのへ差し出した。
右手の一枚には、瓢箪を逆さにしたような輪郭に細く短い眉、小さいが狂犬を思い起こすような冷血な双眸、そして比較的通った鼻筋の下に薄い唇を歪ませている男が描かれている。そして、「五尺七寸ほどの痩身、その肌浅黒し」との覚え書き。今し方書き終えたものだ。
左手の一枚には、岩石のように角張った輪郭に太く逆立った眉、こちらも小さいが鋭い眼光を感じる双眸、そして小鼻が張った大振りの鼻筋の下に肉厚の唇を従えた男が描かれ、同じように覚え書きとして、「六尺ほどの大男、肩幅逞しく力士の如し」と書かれている。
瓢箪の方が信秀、岩石の方が大村である。
みそのが先ほどの二人の人相書きを亜門へ依頼していたのだ。
お凛を尾行していただけと言えばそれまでだが、やはり実際に対面してみて、捨て置けない何かを感じたようで、永岡へ報告する為に依頼したのだ。
亜門が居合わせている事もあり、これは丁度良いと、あの二人の人相書きを描いてもらおうと思い立ったのだった。
「本当、絵師みたいよね〜」
みそのは感心しながら受け取った懐紙を繁々と眺める。
確かに題材に難があるにしても、色入れでもすれば、そこいらで売られていそうな仕上がりである。
即興で描いた割に筆の運びに迷いがなく、それでいて線の強弱だけで表情に体温を感じさせる様は、確かに名のある絵師の手によるもののようだ。
「へへ。嬉しい事を言ってくれるじゃねぇかぇ?
ま、こんなもんで良ければいつだって描きやすよ。って、こんな野暮な男は勘弁だな。どうせ描くんなりゃ、次はみそのさんを描きてぇもんだな?」
亜門は照れ臭そうにしながらも満更でもない様子で、調子に乗って創作意欲をみそのへ向ける。
みそのも「あら嬉しい」と手を合わせ、
「でも本当、砂絵の大道芸もいいけど、これだったら絵師として、立派にやって行けるんじゃないかしら?」
と、更に亜門を持ち上げるように続ける。
裏店の腰高障子に描いてもらった時も驚いたが、この人相書きで改めて亜門の才に関心を示したようだ。
「いやいやいやいや。俺なんざまだまだでさぁ。こんなんで絵師なんぞと宣った日にゃ、師匠に怒られちまいやすよ?
ーーまあ、いつの日かは俺も絵師として身を立ててぇんでやすがね?」
「あら、きっと亜門さんは絵師として大成しますよ!」
みそのは、亜門が最後にボソリと小声で言ったところを拾い上げ、太鼓判を押すように言い切る。
そして、亜門の言葉に興味が湧いたようで、
「亜門さんには絵のお師匠様がいらっしゃるのね? どんなお師匠様なんですか?」
と、身を乗り出すようにして問いかけた。
「いや、師匠なんて恐れ多いかも知れねぇな。可愛がってもらったと言った方がいいやね…」
亜門は何やら言い難そうに言葉を濁す。
するとそこへ「みそのさん!」と、華やいだ声が聞こえて来た。
みそのが自分を呼ぶ声の方へと顔を向けると、
「このところ無沙汰してしまい、申し訳ありませんでした」
実直そうな声音で頭を下げる順太郎。そして、ニコニコと花の咲いたような笑みを浮かべるお百合が、その横に立っていた。
少し見ない内に随分と綺麗になったように感じる。
「なんか入れ違いになっちゃってたから、本当、会えて良かったわ〜」
お百合が子犬のように駆け寄って来る。
「ふふ、本当ね。さっき順太郎さんの長屋へ顔出して来たところなのよ?」
「ええ、ええ。それで後を追って来たのですもの!」
お百合はみそのの言葉に被せるようにして言い放つ。
お百合達は早朝からの稽古を終え、昼餉を摂ろうと長屋に帰って来たとのろ、周一郎から少し前にみそのが帰ったと聞いたのだった。
「あら、そしたらもう少し中西様とお話してれば良かったわね?」
「そうよ、みそのさん!
あ、それよりもみそのさん、昼餉は未だですよね? これから一緒に食べません? もうお腹ペコペコなんですよ〜。ね? ね?」
朝から剣術の稽古で身体を動かしていたお百合は、矢継ぎ早に言ってみそのの袖を引っ張る。
「お百合殿…」
見兼ねた順太郎が窘めるように名を呼ぶも、お百合は小さく舌を出すだけで、みそのの袖は掴んだままだ。
「お嬢、みそのさんにも都合ってもんがあるんでやすから、無理を言っちゃいけねぇや」
堪らず正吉が口を挟むと、お百合は正吉に今気がついたようで、今までのキラキラとした乙女な表情が、瞬時に般若のそれに変わる。
「いや、あっしは何もおかしな事ぁ言ってねぇと…って……ねぇ、若先生?」
正吉が助けを求めるように順太郎へ目を向けるも、その視界にお百合が立ちはだかってしまう。
「ところで正吉。あんたなんでこんなとこで油を売ってるんだぃ?」
「いやいや、お嬢。決して油を売ってた訳じゃねぇんでさぁ。あっしは下っぴきの留吉さんに頼まれて、姐さんの警護を…」
言いつつも、正吉はお百合の眼力に負け、「えっと、後はお嬢と若先生に任せやすわ…。では姐さん、ごめんなすって」と、逃げるように去って行った。
「お百合さん?」
「ふふ。いいのいいの、正吉はあのくらいで丁度いいんだからっ」
窘めるように目を合わせるみそのに、お百合は悪戯っぽく笑って応える。なんとも正吉の立ち位置が不憫である。
みそのはそんなお百合に呆れつつ、
「でもお百合さん。正吉さんじゃないけど、これから私、丸甚さんに寄ってから鳥越まで行くところなのよ」
と、お凛を尾行していた者を追う前の用事を口にした。
甚右衛門と善兵衛の願いで、チャーハンのレシピを教えに行く予定なのだ。なかなか忙しいみそのなのである。
お百合は一気に眉を下げてしょんぼりする。
「あ、そこで試食がてら一緒にご飯食べるって言うのもいいわねぇ…。でも少し我慢する事になるけどね?」
みそのの言葉でお百合の顔がパッと華やいだ。
なんとも分かりやすい変化に、みそのは思わず吹き出してしまう。
「じゃあ決まりね?
せっかくだから亜門さんもご一緒しましょ?」
みそのはお百合の答えを聞くまでもなく、続けて亜門へ声をかけた。
試食と聞いた時からニンマリしていたからだ。
みそのから誘いを受けた亜門は、満面の笑みをその返事にし、ウキウキしながら立ち上がる。
「じゃあ、早速行きましょっか?」
みそのは懐からお代を出して床几へ置くと、颯爽と立ち上がった。
思わぬところで、試食ツアーと相成ったようだ。
*
「それにしてもお前、いつまでオイラ達に付き纏う気でぇ?」
永岡が辟易しながら背後へ声を投げる。
その声が向けられた先には、慌てて用水桶の陰に隠れる女が居た。
お凛である。
お凛は寺を出た永岡達を付かず離れず尾行していたのだ。
とは言いつつも永岡や智蔵にはバレバレで、これまでも曲がり角や商家、今のような用水桶など、お凛がひょこひょこと見え隠れする様が、鬱陶しいほど悪目立ちしていて、智蔵などは先ほどから笑いを咬み殺すのが必死であった。
永岡も暫くは放って置いたようだが、いよいよ我慢が出来なくなったようだ。
永岡の言葉に合わせるように、智蔵が声を立てて笑っている。
「へっ、なんだいなんだい、気づいてたんならもっと早くに声かけろってぇのさ!」
「お前、あれで気づかねぇ方がどうかしてるぜ?
第一、道行くやつらにあんだけ声かけられてたじゃねぇかぇ?
ったく、無茶言うんじゃねぇってぇの…」
そうなのだ。
お凛が永岡達を尾行している間、「お凛ちゃんじゃねぇかぇ。相変ぇらず今日も可愛いぜ!」から始まり、「こいつぁツイてるぜ。俺にも一発ぶちかましてくんな!」や「お凛ちゃん、今日はどうしてぇ? 奢ってやるから、これから茶ぁでも飲まねぇかぇ?」などと、お凛の啖呵聞きたさで声をかけて来る職人が後を絶たなかったのだ。
お凛もぐっと堪えて素知らぬふりを決め込み、永岡達が振り返らないのをいい事に、そのまま尾行を続けていたと言う訳だ。
「………」
お凛は何も言い返せずに立ち尽くしている。
その顔は恥ずかしさで赤く染まっている。啖呵の一つも出ないようだ。
「そんなとこに突っ立てても往来の邪魔になるだけさぁね。早ぇとこ諦めて帰りねぇ」
「そう言うこった、お凛。それに他の事なりゃ日を改めて聞いてやらぁ。今日は旦那も忙しいんでぇ。あまり手間とらすんじゃねぇぜ」
永岡の言葉に続き、笑いを引っ込めた智蔵も釘をさすように言い放つ。
確かに、心中に見せかけられた遺体の身元から何から、全ての調べがこれから始まるのだ。お凛の相手をしている時間などないのだ。
「仏さんの身元を調べるんだろ? それだったらあちきに任せておくれよぅ。 松次なんかより、よっぽどいい仕事するよ?」
お凛は何を言われようがめげないようだ。
何やら作戦を変えたようで、嬉しそうに駆け寄って来た。
「伊達に読売屋やってないんだよ、あちきは。今までに逐電した男女の情報だって、いくらか持ってるんだぃ。きっと、旦那たちの役に立つはずだよう。ほら、遠慮する事ぁないんだよ」
「ちっ…」「お前なぁ…」
永岡も智蔵も開き直ったお凛のしつこさに呆れてしまう。
そんな事などお構い無しに、お凛は懐から朱色の可愛らしい紐で綴じられた、小さな冊子を取り出し、チラリチラリと思わせぶりに開いてみせる。
「そんじゃあ、お前。北の掛かりだったんだが、一月ほど前にあった心中の男女の情報は持ってんのかぇ?」
永岡が悪ふざけしているお凛に声をかけた。
沢田が北町奉行所の月番時に呼び出され、検屍した案件である。
沢田の見立てとは別に、早々に心中扱いとされた事件だ。
後に聞いたところ、北町奉行所は心中扱いにしたものの、身元をはっきりさせられなかった事件なのだ。
永岡はこれを出して、お凛を黙らせようとの考えである。
「旦那、このお凛さんを舐めんじゃないよぅ」
お凛の目がニタリと細められる。
「……」
当てが外れた永岡の顔色は、先ほどの死骸のように色を失うのだった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
次話は引き続き不定期更新にさせていただきます。
よろしくお願いいたします。m(_ _)m




