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第六十三話 出来ぬ約束はせぬ

 


「あぁ、あの二本差しねぇ。それでやしたら、幾日かめえに見かけやして、どこの家のもんか突き止めてやろうってなもんで、跡をつけた事がありやすよ?

 しっかし着いてみりゃ、そりゃ大層てぇそうな旗本屋敷でやして、びびってそのままけえって来ちまったんでやすけどね」


「ほぉう。それは話が早いねぇ…」


 北忠きたちゅうが職人風の男と話している。

 ここは浅草寺からも程近い田原町にある商家で、北忠は外壁の修繕作業をしていた職人を捕まえ、聞き込みをしているところである。


 これは居酒屋の親爺から聞き出した情報によるものだ。

 先ほどの居酒屋では、妙な癇癪を起こして出て行った北忠だったが、直ぐに追いかけた松次しょうじの説得でなんとか居酒屋に戻り、改めて件の武士について、あれこれと親爺から聞き込んでいたのだった。

 そこで出て来たのが、太郎松たろまつと言う名の左官職人の男だったのだ。

 太郎松は五尺七寸(凡そ173cm)ほどの上背で体格も良く、腕っぷしが強い。そして寸分違わずの江戸っ子気質なだけに、すこぶる喧嘩っ早い男なのだ。

 そんな太郎松は、我が物顔で小上がりに居座り続け、他の客へ圧力をかけていた信秀のぶひで大村おおむらに我慢出来ず、二人に挑んで行った事があった。

 しかし、相手は曲がりなりにも武士な上に旗本の剣術指南役。太郎松は敢え無く、大村に店の外へ放り出されたのだった。

 面子を失った太郎松は、「今度会ったら許しちゃおけねぇ」と息巻き、仕事の合間などに信秀達を探しているとの噂だった。

 居酒屋の親爺からそんな話を聞いた北忠達は、武家を探すより先に太郎松から話を聞く事にし、太郎松が居そうな普請場を手当たり次第当たっていたと言う訳だ。



「じゃあ早速その屋敷へと案内してもらおうかねぇ?」


「げっ、今からでやすかぇ?」


「うん、そうだよ。今からに決まってるじゃないかぇ?」


 北忠は驚く太郎松などお構い無しで、当然のように答えると、


「そうだ、松次。親方に太郎松を借りると伝えて来ておくれ?」


 と、勝手に話を進めてしまう。

 松次も「へい、合点でぇ」と威勢良く応えるや、ひょいと踵を返して身軽に駆けて行く。

 そんな松次の背中を太郎松が恨めしそうに眺めている。


「太郎松、これでいいんだろう?」


「ま、まぁ、そりゃいいっちゃいいんでやすがねぇ……。

 しっかし、オイラは今日の分の銭もらえるんでやすかね?」


 太郎松はドヤ顔の北忠に呆れつつ、苦々しく返す。


「そいつはお前さんの普段からの行い次第さぁ。普段から真面目に働いていたのなら、親方だって少し抜けたくらいは大目に見てくれると言うものだよう?」


「いやいや旦那、ウチの親方は滅法ケチでやすから、そんな大目に見るなんてこたぁありやせんや…。

 そうだ。今から絵地図を描きやすんで、オイラ抜きで行ってくだせぇよぅ」


「何言ってるんだい。お前さんねぇ、私達がお前さんを見つけ出す為に、どれだけ時間をかけたと思っているんだい? 優に一刻はかかってるんだよ? そこへ来てお前さんが描いた絵地図なんか当てにしてたら、それこそ日が暮れてしまうよぅ。あ、そしたらお前さん、私と松次の日当を出してくれるのかぇ?」


「無茶言わねぇでくだせぇよ、旦那ぁ。

 あぁぁああ、もうっ! 分かりやした、分かりやしたよ。案内しやすよ、案内しやすとも。ったく、どうにでもなりやがれってぇんでぇ」


 結局あれこれ北忠に言い立てられた太郎松は、頭を掻きむしりながら言い放つ。

 すっかり捨て鉢になっているようだ。

 そこへ場を離れていた松次が戻って来て、


「話は通して来やしたんで、とっとと行きやしょうかぇ?

 あ、太郎松、親方が今日のおめぇは休みって事にすっから、けえって来なくともいいってよ」


 と、矢継ぎ早に北忠と太郎松へ声をかけた。

 見る見る太郎松は眉を八の字へと形を変えて行き、恨めしそうに北忠へ目を向けるも、


「おっ、親方も休みとは豪勢だねぇ?

 ふふ。だったら何か美味しいものでも食べるとするかねぇ?

 えーと、その屋敷はどの辺りにあるんだぇ? そこまでの道筋に、私のお勧めの店があるといいねぇ?」


 と、北忠の思考は既に別のところへと行っているようで、太郎松の精一杯の抗議の表情など気にも留めていない。それどころか、すこぶる楽しそうである。


「まあ、今日の仕事は諦めろい。

 銭の約束は出来ねぇが、そのぇり、きっと今日食う分には困らねぇぜ?」


 松次の同情と揶揄いが綯い交ぜになった言葉に、太郎松は大きな溜め息で相槌を打つのだった。


 *


 場所が変わって両国の広小路に面した茶店には、みそのと正吉の姿が見受けられる。

 二人は茶を飲み飲み、なにやら話し込んでいるようだ。


「ーーなもんで、鹿の旦那の裏が取れねぇ限り、あまり口にしたくなかったんでやすよ…」


「ちょ、ちょっと正吉さん、まさか亜門さんに限ってそれは無いでしょう?

 それに亜門さんは大道芸でこそ刀を使うみたいだけど、普段は刀なんて持ち歩いていないじゃない?」


 みそのが目を丸くしながら言い募る。

 どうやら正吉は、先ほどの留吉とめきちに話せない訳を語っていたようだ。


「へぇ。あっしもそう思いてぇんでやすが、鹿の旦那はああ見えて元は武家だったんでやすよ。しかもお父上は、なんと奈良奉行所の同心様ですぜ?」


「同心様の御子息なら尚更、亜門さんをそんな目で見る必要ないじゃないですか?」


「いいや、姐さん。八丁堀の旦那が嗅ぎめぇってるってこたぁ、そこを踏まえてのこってしょう?

 それに鹿の旦那が家を出たのは、惚れた女子を探す為だって聞いてたんでやすが、今思えばそんな事で家を出るなんてぇのは、先ず有り得ねぇや。人を殺したかどうかは分かりやせんが、切腹もんの不祥事を起こして逃げ出したのかも知れねぇ。もしそうだとしたら、あっしのかんげぇもあながち侮れやせんぜ?」


「正吉さん、亜門さんがそんな嘘ついてるように見える?

 正吉さんの方が長い付き合いなんだから、亜門さんの為人ひととなりは、私より良く分かってるでしょう?

 悪いけど正吉さんの考えは杞憂にすぎませんよ」


「姐さん。人ってぇのは、思いも寄らねぇ一面があったりするんでやすよ? してや鹿の旦那は堅気じゃねぇんでやすぜ? それに、あっしはこの目で見てやすが、あのやっとうの腕前うでめぇは尋常じゃねぇや。あれなりゃ人の一人や二人、あっつう間に殺せちまいやすからね?

 とにかく裏を取らねぇ限りは、このかんげぇは捨てられねぇんでやすよ。

 姐さん、勘違かんちげぇしねぇでくだせぇよ。あっしだって鹿の旦那のはずぁねぇって思ってるんでやすぜ。んなもんだから留吉さんにも話してねぇんでやすから」


「でも…」


 思いの外真剣な眼差しの正吉に、みそのは口ごもってしまう。

 亜門の無実を信じているからこそ、正吉は裏を取ろうとしているのだろうが、みそのにはそもそも何故亜門が北忠に疑われていたのかが理解出来ない。

 何せ二人はつい昨日、昼に一緒に饂飩を食べ、夜にも屋台の蕎麦を食べに行っている仲なのだ。みそのも同席した『大阪屋』での様子も、二人は至って気の合う者同士と言った具合で、北忠が亜門を辻斬り犯などと疑っている様子など、微塵も感じられなかったのだ。

 もっとも、北忠が悪戯に話を拗らせているだけなので、みそのが摩訶不思議に感じるのも致し方ない。

 間に受けた正吉が悪いと言えば悪いのだが。


「あっ」「おっ」


 みそのと正吉が同時に声を上げた。

 二人の視線の先には話題の主。ニヤニヤと近付いてくる亜門の姿があったのだ。

 まさか自分の事を話しているとは、露とも思ってもいない様子だ。


「へへ、お二人さんはそう言う仲だったんで?

 正吉も隅に置けねぇなぁ、おい。

 それにしても八丁堀に楯突くたぁ、いい度胸じゃねぇかぇ? 」


 亜門は揶揄うように言いながら、正吉の隣の空いてる床几へ腰掛ける。そして、ぱたぱたと注文を取りに来た娘に、「俺もこいつと同じ、女子にモテる茶を頼むわ」と告げるや、ニヒヒと笑いながら正吉の脇腹を肘で小突いている。

 完全に面白がっている様子だ。


「そんなんじゃねえんでやすって。やめてくだせぇよ旦那ぁ」


 と言いつつも、正吉の顔は急激に赤くなって行く。

 ちょっとした逢い引き気分を満喫していたのかも知れない。


「んなこたぁ言われなくとも承知してらぁ。みそのさんが永岡の旦那を袖にして、よりによっておめぇなんぞに鞍替えする訳ねぇだろうよ? ま、俺だったらあり得るがな?」


「勘弁してくだせぇよ、鹿の旦那…」


 正吉は亜門の返しに益々顔を赤らめる。

 亜門も益々面白がり、


「どうした正吉。おめぇ顔があけぇが熱でもあるのかぇ?」


 と大袈裟に続け、みそのへ悪戯っ子のような目を向ける。

 ニタニタとすこぶる楽しそうだ。全く人が悪い。


「ふふ。ほら、正吉さん。こんなふざけた人が辻斬りなんてすると思う?」


「いや、姐さん…」「つ、辻斬り?!」


 笑いながらのみそのの言葉に、正吉と亜門が同時に声を上げた。


「そうよう、亜門さん。あなたは知らない内に辻斬りにされるところだったのよう?」


 みそのは正吉へはウィンクで応え、亜門に大袈裟な口調で応えてみせる。

 思いもよらぬ展開に、亜門のニタついた顔が一気に素に戻される。

 そして今までニタついていた亜門が一転、ギロリと正吉へ鋭い目を向ける。


「いや、あの…あっしが鹿の旦那の裏…いや、ちゃんと話しを聞くまではってだけで、何も鹿の旦那を辻斬りだなんて本気で思っちゃいやせんよ? そ、そうでやすよ。んなもんだから家のもんにも口止めしてたんでやすから…って本当でさぁ旦那。あっしは旦那を信じてるからこそでやして…」


 正吉はしどろもどろになりながらの言い訳を口にすると、


「分かった分かった。こいつぁ一体いってぇどう言うこってぇ?」


 亜門は手で制しながら一旦正吉の言葉を切った。

 自分の関わる急な展開に驚きながらも、とにかく整理が必要と判断したようで、床几を跨ぐようにして正吉へ向き直り、すっかり聞く体制を整えた。


「って言うこたぁ、やっぱ鹿の旦那は白でやすね…」


 亜門が辻斬りと聞いた際、瞬時にニタついた顔から驚愕へと変わった様が、まさに寝耳に水と言った様相であり、正吉はそれを見ただけでも、裏を取るまでもなく無実だと判断したようだ。


「何言ってやがんでぇ。俺ぁ白も白で真っ白白だぜ? ったく、勝手に辻斬りの咎を着せんじゃねぇやい。堪ったもんじゃねぇぜ…」


 亜門はそう言うと、正吉の首へ腕を巻きつけてぐいっと締め上げる。


「だからそうと決めつけてた訳じゃねぇんでさぁ。勘弁してくだせぇよ…」


 正吉は締め上げられながらも、どこか嬉々とした様子で答えている。実際に亜門と対面した事で懸念が消え去り、ほっとしているのかも知れない。

 亜門も然程力を込めている訳ではないようで、仲の良い子供が戯れ合っているようである。


「でも、なんで北山さんは亜門さんを辻斬りだなんて思っていたんでしょうね?」


 二人の様子に目を細めていたみそのが、一つの疑問を口にする。


「へ? 北山の旦那が話の発端でやすかぇ?」


 亜門が素っ頓狂な声を上げる。


「そうなんでしょ?」


 亜門へ首を傾げて応えたみそのは、正吉へ水を向ける。


「へぇ。あの八丁堀の旦那が、鹿の旦那の事をあれこれ聞いて来やしたんで…」


「って、俺の何を聞いてたんでぇ?」


 みそのに促されて語り出した正吉に、堪らず亜門が口を挟む。


「いや、主に鹿の旦那の居場所を聞いて来たんでやすがね…」


「ただ単に俺を探してただけじゃねぇかぇ?

 なんでそれで辻斬りが出て来るんでぇ?」


 亜門は言い辛そうに答える正吉に、呆れ顔で言い返す。


「いや、あの旦那は何やら含みを持たせていやしたんで、やばい事件なんだとばっかり…。それに、その直ぐ後に辻斬り騒ぎに出くわしたんでやすが、その亡骸があの弥平やへいだったんですぜ?」


「弥平って、あの物乞いの弥平かぇ?」


 正吉から思わぬ名前が出て来て、亜門は目を丸くする。


「へぇ、その弥平でさぁ。

 先だって旦那は弥平と揉めてたじゃねぇでやすかぇ?

 八丁堀に目ぇつけられてて、その弥平が殺られちまってるのを目の当たりにしちまったら、取りえず旦那を疑わずにいられねぇじゃねぇでやすかぇ…」


「確かにそうなってもおかしかねぇな…」


 亜門は正吉に応えると難しい顔で腕を組む。


「しかし、揉めてたって言ってもてぇした事じゃねぇし、俺が弥平を殺す訳ねぇじゃねぇかぃ…」


「いや、冗談にしても旦那は、弥平をぶった斬るって言ってやしたからね?」


「そいつぁそのくれぇ言わねぇと、弥平が真面目に働かねぇからじゃねぇかぇ!?

 いつも最後は俺んとこへ来て、何とか食い繋いでたみてぇだからよぅ。ここいらでその甘えもしめぇにして、真っ当に活計たつきをたてる術をかんげぇろって話さぁ。

 ま、それで死んじまったら何もならねぇがな…」


 亜門は正吉に強く否定すると、最後は弥平の顔を思い出してか力なく言い捨てる。

 殺された弥平とはそれなりに親交があったようだ。

 事実、弥平は物乞いが上手く行かない日は常に亜門を頼っていて、亜門もそれに応じていたのだ。


「で、弥平はおめぇんとこの若い衆に何か言ってたのかぇ?」


 弥平は基本は弁天一家を贔屓にしていて、常に施しを受けていた。

 専ら弁天一家の者から袖にされた日に、亜門のところへやって来ると言ったサイクルである。


「いや、特に何も変わった様子は無かったみてぇでやすが、ただ六助ろくすけが妙な話を聞いてやしてね?」


「ほう。そあつぁ一体いってぇどう言うこってぇ?」


 正吉の言葉に亜門は身を乗り出して聞き返す。六助とは弁天一家の若い衆で、亜門も承知の正吉の弟分だ。


「それがちけぇ内に纏まった金がへぇるんで、まともな着物か金を貸してくれって言って来たそうなんでやすよ」


「纏まった金ねぇ…。そいつぁいつの話だぇ?」


 亜門は少し考える素ぶりをすると、鋭い目を正吉へ向けた。


「三、四日くれぇめぇの話みてぇでやす。

 ま、そんな話ぁ信じられねぇってぇんで、着物も金も貸しゃしなかったそうでやすがね?」


「そうかぇ。そいつぁそうなるだろうな…」


 亜門はそう言うと目を瞑り、何やら考えを巡らすように黙ってしまう。


「その弥平さんと亜門さんが揉めていた日って言うのは、いつの話なんですか?」


 暫く沈黙が続くと、今まで黙って聞いていたみそのが口を開いた。


「それなんですよ、みそのさん。

 そもそも俺が弥平にキツく言ったのも四日ほどめぇで、今の話と全く同じで、纏まった金がへぇるんで着物か金を貸してくれって、弥平が持ち出して来たのが発端なんでさぁ。

 あの野郎、今までの施しを倍にして返すとか抜かしやがったんで、どうせ碌な話じゃねぇと思って、逆に説教してそろそろ真っ当に働けって話になったんでさぁ」


「その纏まったお金が入る何かに真相がありそうね…?」


 亜門はみそのの言葉に大きく頷いてみせる。


「やっぱりこの話は、永岡の旦那に報告しといた方がいいわね?」


 みそのの言葉に、亜門は考えを巡らしながら静かに頷く。


「正吉さんも、もう亜門さんの心配は要らないから、その六助さんにも町方へ協力するように伝えてくださいな?

 黙ってたら、今度は正吉さんが辻斬りの犯人にされちゃうかも知れませんよう?」


 続くみそのの脅すような物言いに、正吉は首を竦め、気まずそうな苦笑いで応えるのだった。







ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

サブタイトル通り、次話は不定期更新と言う事にさせていただきます。m(_ _)m

よろしくお願いいたします。

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