第六十二話 不届き者
「おっ、ありゃ正吉の野郎じゃねぇかぇ。こいつぁついてるぜ」
留吉が喜色混じりに独り言ちた。
半町(凡そ55m)ほど先で女と立ち話している正吉を認めたのだ。留吉の嬉し気な顔を見る限り、どうやら正吉に用があったらしい。
と言うのも留吉は、先ほどまで弁天一家で昨日の辻斬りの聞き込みをしていたのだ。
これは正吉が被害者の顔を見知っていた事から出た話で、名前などの詳しい情報を、弁天一家の若い衆から聞く事になっていた。
そもそもこの聞き込みは、昨日の内に永岡と智蔵が行うはずだったが、直後に別の人死騒ぎに出喰わした為に頓挫していたものだ。
「ん? 一緒に居るのはみそのさんかぇ…?」
留吉が二人に近づくにつれ、正吉の話し相手の女がみそのと気づき、留吉は訝しげに首を傾げる。
女は後ろを向いているが、あそこまで背の高い女はそう居ない。
「ーーうっ。姐さん、あっしは未だ用事が途中でやしたんで、また…」
正吉がみそのの後ろに見える留吉に気づき、慌てて話を切り上げた。
みそのはそんな正吉に訝しみながら、正吉の視線の先である自分の後ろを振り返った。
「あら、留吉さんじゃないですか?」
「こら正吉! お前、俺を見て逃げやがんのかぇ!」
留吉はみそのに手と目配せで挨拶を返しつつ、くるりと踵を返した正吉を怒鳴りつけた。
正吉はびくんと肩を竦ませ立ち止まる。
「あ、いや、留吉さんでやしたかぇ?
いやいや、あっしとした事がとんと気がつきやせんで。へぇ」
正吉はゆっくり振り返ると、頭を掻き掻き愛想笑いで応える。
どうやら正吉の方は会いたくない相手だったようだ。
「おきゃあがれっ!」
留吉はすかさず一喝すると、
「どうせ俺を避けてんだろぃ? ったく、お前って野郎は太え野郎だな。
とにかくお前、あの若ぇ衆に一体何を口止めしてやがんでぇ。あいつらときたら、何も言えねぇの一点張りだぜ? ったくよう」
そう言いながら、正吉の周りを舐めるようにぐるり一周し、厳しい疑いの目を向ける。
「あっしは口止めなんかしてやせんぜ?」
「おきゃあがれ! 抜かしてんじゃねぇやぃ!
お前なぁ、俺ぁ何もねぇで言ってんじゃねぇぞ。ちょいと若ぇのを脅して聞いてんだぜ?
お前から口止めされてるってな?
ったく、惚けんのもいい加減にしろいっ!」
留吉は唾を飛ばしながらまくし立てる。
正吉はバツの悪い笑みを浮かべながらも、
「そいつぁ何かの間違ぇに決まってらぁ。何せあっしにゃ、これっぽっちも身に覚えがありやせんからねぇ?
ま、あいつらぁ顔悪りぃ、頭悪りぃ、耳悪りぃの三拍子揃ってやがるんで、どうせまた何かを聞き違ぇたんでしょうよ?
全く、使えねぇ弟分持つと苦労しやすよ。留吉さんもこの苦労分かりやすでしょ? ま、そう言う訳でやすんで、勘弁してやってくだせぇよ?
それにあいつら、顔と頭と耳が悪りぃだけで悪気はねえんでやすからね?」
と、しれっと言い逃れを言う始末。開き直ったようにニヤついている。
留吉は怒気を露わに正吉を睨め付け、
「ったく、良く言うぜ…」
と吐き捨てると、苦々しく正吉を顎で指しながら、
「で、みそのさんはどうしてまたこんなヤツと一緒なんでやすかぇ?」
声音を戻してみそのへ話を向けた。
みそのへは蔑ろに挨拶しただけだったので、惚けた正吉は一旦見切りをつけたようだ。
「ふふ、こんなヤツって仰いますけど、そんな正吉さんには、ほんのついさっき、危ないところを助けてもらったんですよ?」
「ついさっきって、何かあったんでやすかぇ?」
戯けた口調のみそのとは裏腹に、留吉は真剣な眼差しで聞き返す。
みそのもそんな留吉の反応で何かを思い出したのか、
「あっ!」
と悲鳴のように声を上げ、急に狼狽し始めた。
「ど、どうかしやしたかぇ?」
留吉がみそのに声をかけるも、
「正吉さん、さっきの人達はあっちへ行ったわよね?」
みそのは留吉の言葉が耳に入っていないのか、それには応えず、正吉へ縋るように問いかける。
「へぇ。それがどうしたんでやすかぇ?」
「お凛さんよ! あの人達、またお凛さんを追って行ったんじゃないかって…」
みそのは男達がお凛と同じ方向へ去っていった事を、今更ながら思い出したようだ。
「ちょいと待っておくんなせぇ。あっしにも分かるように説明してもらえやすかぇ?」
「え、あ、お凛さんが…」
みそのはお凛が去った方と留吉を見比べるようにしながら、わらわらしてしまう。直ぐにでも追いかけたいのだろう。
「そこで姐さんが侍に絡まれてたとこに、あっしが助けに入ったんでやすがね。何でもその侍はお凛ちゃんをつけてたみてぇでやして、姐さんはその侍の跡をつけてたらしいんでやすよ」
見兼ねた正吉がみそのの代わりに口を開く。
「お凛ちゃんってぇのは、あの鳴海屋のお凛かぇ?」
「へぇ、そのお凛ちゃんでやす。でも留吉さん、いつものお凛ちゃん贔屓の暇な侍とはちと違ぇやすぜ? あの侍はちょいと危ねぇ輩でさぁ。何せ、人を斬った事があるような目をしてやしたからね」
留吉の「なんだそんな事か」的な目に、正吉は補足するように続けた。
小町娘であるお凛の人気を知る者は、付き纏わられるくらいは良くある事だと認識しているのだ。留吉もそう思ったのだろう。
「そうかぇ、そいつぁ捨て置けねぇな…」
留吉がそう言いながらみそのへ目を向けると、みそのは縋るような目でこちらを見ていた。
「みそのさん、ここはあっしに任せておくんなせぇ。
正吉、あっちだな? 悪りぃがお前はみそのさんを頼まぁ。
それに今夜にでも顔出すんで、さっきの続きはそん時にゆっくり聞かせてもらうぜ?」
留吉は矢継ぎ早に言うと、お凛や信秀と大村が去った方へ駆け出して行った。なんとも素早い行動である。
みそのは呆気にとられながらも、ほっとした様子で留吉の背中を見送っている。
あとはお凛に何も無い事を祈るばかりだ。
「ふぅ。お陰でちょいと時間が稼げたぜ…」
正吉が留吉を見送りながら独り言ちた。
留吉が去って安心したのか、思った事が口に出てしまったらしい。
「どう言う事です?」
正吉の独り言を聞き逃さなかったみそのは、そう言って首を傾げながら正吉の顔を覗き込む。
何やら留吉に隠し事をしているのは、先ほどのやり取りで見て取れていたので、みそのの目は興味津々だ。これは正吉も言い逃れ出来そうもない。
「ちょちょ、そんな目で見ねぇでくだせぇよう。そんな目ぇされちまったら何でも喋っちまうじゃねぇですかぇ…」
間近でジトっとした目を向け続けるみそのに、正吉は軽口混じりに音をあげる。その顔はすっかり紅葉していて、勇み肌と言うよりウブな男と言ったところだろう。
「ふふ。何でも喋ってくださいまし」
みそのは微笑とともにウインクしてみせる。
これには正吉もたじたじで、軽口で返す余裕もなく、ただ真っ赤な顔を小刻みに頷かせるのだった。
*
「危ねぇところでやしたね、旦那」
「まあ、気持ちは分からねぇ事ぁねぇがな?」
永岡が手拭いで鼻を押さえながら智蔵に応えている。
目の前には膨らみを帯びた筵。
昨日発見された、心中との疑いのある二体の亡骸だ。腐敗臭が昨日にも増して強烈に漂っている。
ここは昨日運び込んだ番屋から程近い、寺の裏庭である。
永岡の予想通り、番屋の者もこの腐敗臭には耐え切れず、早々に寺へ運んでしまったようだ。
ただ寺の方でも同じ事。檀家も来ると言うのに、この腐敗臭では寺も堪ったものではない。衛生面的にもいつまでも放置しておく訳には行かず、悪いと思いつつも、町方の調べを前に供養しようとしていたところだった。
既に墓穴は掘られ、あとは運ぶだけと言ったところで永岡達が駆けつけたのだ。
「さて、早えとこ見て供養させてやるかぇ?」
沢田の言葉で智蔵が筵を捲りあげる。
「何度見ても酷えもんでやすね…」
思わずそんな言葉が智蔵の口を突いて出る。
遺体は至る所で膨らんだ皮膚が裂け、骨が剥き出しになっている。それに、腹など所々肉が抉れているのだ。
この男女の区別も難しい痛み具合には、誰もが目を背けたくなるだろう。
「かぁ〜、こりゃ想像以上に酷え痛みようだな…」
沢田は驚いた声を上げながらも、言葉とは裏腹に淡々と遺体を調べ始める。
それを見ている智蔵の顔が、手拭いの下で歪んでいる。
沢田は襷掛けをすると、平然と口の中に手を突っ込んだり、抉れた腹部に手を突っ込んだりしているのだ。それに遺体は脆く、沢田が触れると簡単に肉が裂けてしまう。
「ゔっ…」
智蔵の口から呻き声が漏れた。
沢田が遺体の腹部から臓腑を取り出し、繁々とその取り出した臓腑を眺め出したのだ。
「なんか分かりましたかぇ?」
臓腑を手にうんうん頷いている沢田に、永岡が顔を寄せ声をかける。
「いや、大した事ぁ分からねぇさ。何せ検屍すんにもこの有様でぇ。
ただ、こいつを見てみろい。分かり辛ぇが、ここに一筋跡があんだろ? この大きさは太刀の跡に違ぇねぇ。
て事ぁ、この仏さんは川に身投げしたにせよ、そいつぁ太刀でブスリとやった後だろうよ。
そっちの仏さんにゃ同じもんは見当たらねぇが、あくまで残ってる臓腑に見当たらねぇだけだ。ま、川に流れちまったのか、消えちまった臓腑に同じ跡があるかも知れねぇな?」
「こいつが刀痕ですかぇ…」
永岡は沢田の指し示す跡を見ながら感心するように呟く。
確かに傷痕のような一筋の線が見えるが、それが何かなどと言う発想には至らないだろう。
「するってぇと、これも殺しでやすかぇ?」
顔を歪めた智蔵が口を挟んで来た。
ただ、沢田が手に持ったモノは見ようとしない。
「その線もあるってこったな。ま、お前らも殺しだと睨んでたんだろぃ?
そんなりゃ、益々その線で探った方がいいと思うぜ?」
沢田は智蔵に答えると、
「しかし仏さんの名前も何も分からねぇ状況じゃ、探りようもねぇかも知れねぇがな…」
気の毒そうに永岡を見ながら続けた。
「確かに難しい調べになるが、この仏さんの為にもやるしかねぇやな?」
「へぇ。取り敢えず、行方知れずになってるもんが居ねえか、そこから当たってみまさぁ」
智蔵が永岡に応えた時、
「永岡の旦那ぁ! やっと見つけたよぅ」
遠くから女の声が聞こえて来た。
その声に振り返った永岡は、
「こんなとこまで何しに来やがったんでぇ…」
ため息混じりに呟いた。
永岡達の視線の先には、元気良く駆け寄って来るお凛の姿があった。
「うわっ、何コレっ…」
お凛は十間(凡そ18m)ほど近づいたところで急に立ち止まり、袂で鼻を覆う。そして、遺体らしき物の前にしゃがんだ沢田の手に、何やら悍ましい物体を目にして後退る。
「お前に話す事なんざ何もねぇさね。これ以上付き纏うとこいつをぶつけちまうぜ!?」
永岡は沢田の手にある臓腑を指差しながら叫ぶ。
お凛はそれが何なのかなんとなく想像が出来たようで、ゴクリと喉を鳴らして更に数歩後退る。
「永岡、こいつを投げるのはどうかと思うぜ?」
「そうですぜ旦那、あまりにも罰当たりでごぜぇやすよ…」
お凛の反応を面白がる永岡に、沢田と智蔵から苦笑混じりの講義が飛ぶ。
そんな二人に永岡は、
「ま、小町娘にぶち当たるんでぇ。仏さんも本望さね。きっと許してくれんだろうよ?」
と軽口で返すも、二人の眉間に皺が寄るのを目にして、バツの悪い笑みを浮かべる。
「あれは町方ですぞ…」
「ちっ、分かっておる…」
お凛の遥か後方の木陰で、大村と信秀が囁き合っている。
どうやらこの二人は、見失いかけたお凛を見つけ出し、ここまでお凛の跡をつけて来たようだ。
「行くぞ…」
流石に信秀も同心二人と岡っ引きを目にした事で、今日のところは諦めたようだ。
不機嫌に言い捨てると踵を返した。
「ちょっと旦那〜。そんなつれない事言わないでおくれよう」
つけられていた事など知らぬお凛は、沢田の手中のモノにぞっとしながらも、必死に鼻にかかった甘え声をあげている。
「もしかして、その仏さんは心中したのかぃ?!」
ふとそれに思い至ったようで、お凛の声音がぐんと明るくなった。
これに沢田と智蔵の眉間に深々と皺が寄る。
永岡以外にもう一人、不届き者はここにもいたようだ。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
次話は来週の月曜日に更新する予定です。きっと。
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