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第五十九話 それぞれの向かう先



「おう、やっと来たか永岡」


 永岡が同心部屋へと足を踏み入れるや、すかさず奥から声がかかった。


「オイラを待ってらしたんで?」


「待ってたと言えばそうだな?

 ま、北忠きたちゅうの話じゃ要領も何もあったもんじゃねぇんで、無駄話しながらおめぇさんを待ってたところさ」


「沢田さん、無駄話って酷くないですかぇ?

 それにさっきから私の話で、ちょいちょい笑ってくれてたじゃないですかぇ…」


 北忠か頰を膨らませて言い募る。

 どうやら永岡に声をかけた主は、検屍にかけては南北町奉行所で彼の右に出る者のいない定町廻り同心、沢田さわだ謙一郎けんいちろうだった。

 沢田と北忠は、こうして朝の同心部屋で毎日のように話している。

 今日は昨日の事件について話していたらしいが、北忠からは何も得るものが無かったようだ。

 確かに北忠は、筵を捲り上げるや直ぐに吐いていたので、検屍など碌にしていない。


「そりゃちょいちょいどころか、おめぇの話ぁ笑うところしかねぇだろうよ?

 なんせ亡骸を見た途端に胃の腑のもんぶち撒けた挙句、腹空かせたんで団子だの蕎麦だのだろぃ?

 いいか北忠。おめぇの話ぁ基本は笑い話だ。今度ぁ寄席よせにでも出てそのまんま話してみろぃ。おひねりで思いの外稼げるかも知れねぇぜ?」


 沢田が揶揄うように言うと、


「忠吾、テメェ本気にすんじゃねぇぜ」


 すかさず永岡が低い声で釘をさす。

 北忠の顔が喜色に染まったからだ。


「ったく、いい加減にしやがれってぇんでぇ。

 そもそも昨日は、おめぇが団子屋に寄り道してっから、沢田さんに繋ぎをつけられなかったんじゃねぇかぇ?

 オイラにとっちゃ、そんなもん笑い話でもなんでもねえってぇの」


 永岡はそう続けると、ギロリと北忠を睨みつける。


「あのぅ、永岡さん。お言葉ですが…」


「おきゃあがれ! おめぇのお言葉を聞いてる暇はねえってぇんでぇ!」


 北忠は永岡にどやしつけられ、操り人形のようにビクンと背筋を伸ばす。


「ふふ。まあそんくれぇでいいだろぃ?

 で、昨日の亡骸ってぇのは、どう言った状態だったんでぇ?」


 沢田は苦笑しながら話を戻す。

 沢田は今日一番で昨日の亡骸を検屍しに行くつもりで、その前に要点だけ聞いておきたかったようだ。


「いや、手首を手拭いで縛った身投げなんですが、検屍の要点と言っても、遺体の損傷が激しいんで、オイラにゃ皆目見当がつかねぇってところでさぁね。

 ただ心中にしちゃあ執拗に縛ってたんで、簡単に心中と決めつけるのもどうかと思いまして、一度沢田さんに見てもらいてぇと思ったまでです」


「するってぇと何かい? おめぇは心中に見せかけた殺人と睨んでるんだな?」


 沢田は永岡の話に被せるように切り返す。


「あくまでオイラの勘働らきで、確証は何もありませんがね」


 そんな言葉とは裏腹に、永岡は自信に満ちた顔で頷く。

 時間が経てば経つほど、その思いが深まっているようだ。


「で、もう亡骸は番屋にゃねぇよな?」


「まあ、昨日の番太郎の様子だと、寺へ運び込んでんでしょうね?」


 沢田に問われた永岡は、昨日の番太郎の顔を思い浮かべながら応えた。

 北忠を待っている間、腐敗臭が堪らないと不平不満をこぼし、直ぐにでも運びたがっていたのだ。流石に一晩中置いときはしないだろう。


「辻斬りの方は未だ番屋かぇ?」


「あぁ、そっちは番屋だと思いますよ?

 そっちも検屍しますかぇ?」


 永岡は、沢田の口から辻斬りが出て来た事に驚きを見せる。

 忘れていた訳では無かったが、別で考えていただけに意外に思ったのだ。


「まあ見といて損はねぇだろうよ?

 それに一月ほどめえに上がった亡骸に、ちょいと解せねぇ傷痕があってな?

 俺の見立ては違ってたんだが、そいつも心中で片付けられちまったのさぁ。

 まあ北の月番に呼び出されたんで、俺もそれ以上は口を出せなかったんだがな」


 永岡は苦虫を噛み潰したように顔を歪ませる。


 沢田は北町奉行所からも検屍依頼を受けている。

 ただ南と違い、沢田の意見が通る事は少ないようだ。

 北町奉行所も沢田の検屍の腕を買ってはいるものの、北の同心の見立てと意見が違えば、あちらに都合良く処理されてしまうのだ。

 北の同心としては、沢田が検屍したと言う事実が欲しいだけなのかも知れない。

 沢田としては、なんとも腑に落ちない話である。


「そいつぁどんな傷痕だったんで?」


 気を取り直した永岡が疑問を口にする。


「そうさな。今回こんけぇみてぇに裸では無かったが、それぞれの手を括ってたのは一緒だ。

 その亡骸は、男女共にブスリと腹を一突きされてたんだが、その傷痕がどうにも大きいのさ。要は町人にもかかわらず、太刀で最後を迎えたって事になるのさぁ。

 それに普通なりゃ片方が相手を刺してから、自分の腹を突きそうなもんだろぃ?

 その割りにゃ傷痕が双方酷似し過ぎてたのさぁ。こいつの意味ぁ分かるかぇ?」


 沢田は永岡へ目を向ける。


「自分で刺す時ぁ、迷いと痛みで刃が乱れるってこってすかぇ?」


 永岡が首を傾げながら応えると、沢田は首を振りながら、


「まあ、そいつもあるだろうが、それだけじゃねぇんだよ?」


 前のめりで応えると、舌で唇を湿らせてから続ける。


「同じ角度で背中まで突き抜けてたんだぜ?

 それなのにどちらも手には傷はねぇと来てる。

 自分で腹に太刀を突き立てるんなりゃ、刃を握らねぇとならねぇし、百歩譲って、二人が太刀をそれぞれ持ってたとしても、あんだけ傷口が酷似するのはおかしいってもんよ。

 とにかく俺は、ありゃ他殺と見てたんだよ」


 沢田は自分の見立てを語ると、懐から懐紙を出し、永岡へ広げて見せた。


「こいつぁ一体いってぇ…」


 永岡は言葉に詰まってしまう。

 懐紙には記号のような線が一つあるだけだ。


「これはあれですよ永岡さん」


 今まで黙っていた北忠が、したり顔で口を開く。


「ちっ…あれってなんでぇ?」


 永岡は面倒くさそうに眉間に皺を寄せる。


「傷痕ですよ、傷痕。こうして沢田さんは、傷痕を実物大に写しているのですよ」


 北忠は茶飲み話のついでに、沢田から検屍の教授を受けているだけあり、こうした事も教わっていたらしい。

 誇らしげに鼻腔を膨らませる北忠。


「これと同じ大きさの傷痕だったら、同一人物の犯行ってこってすかぇ?」


「それは早計と言うものですよ、永岡さん」


「ちっ」


 永岡の舌打ちに乗せた剣気に、ニヤついていた北忠が震え上がる。


「ふふ、まあそうだ永岡。北忠の言う通りだ。太刀でも特別でかいもんじゃ無い限り、これだけで特定出来る訳じゃねぇかんな?

 太刀ったって、そう大きさは変わらねぇやな。

 だがこいつぁ目安にはなるし、実際に亡骸を目にすりゃ、太刀筋の癖も見えてくるってもんさ。

 そうやって総合的に見りゃ、ある程度は特定出来るのさぁ」


「ほう、そいつぁ面白おもしれえ。

 じゃあ今日はオイラもご一緒させてくださいよ?」


 永岡は沢田の言葉を受けると、身を乗り出すようにして同行を願った。

 そんな永岡を横目に、北忠はしたり顔で茶を啜る。


「忠吾、最近はオイラに茶も淹れねぇんだな?」


「た、ただ今っ」


 永岡の低い声で、北忠は飛び跳ねるように席を立つのだった。

 とにかく、今日の予定が決まったらしい。



 *



「すーさん、こう毎日私の用事に付き合ってて大丈夫なんですか?」


「おや? みーさん、それはもしや迷惑だと言ってるのですかな?」


「迷惑だなんて思ってないですけど、なんだか幸吉こうきちさんが…ねえ?」


 みそのは後ろの幸吉を振り返る。

 幸吉は何か言いたげにもぞもぞしている。

 今日は久々に酔庵すいあんの供で幸吉がついて来ているのだ。

 みそのに見られた幸吉は、更にもぞもぞしながら困り顔になる。

 やはり何かあるようだ。


「幸吉さん、何か豊島屋さんから言付かってるんでしょ?」


 みそのが幸吉に話を振ってやると、


「旦那様には大旦那様をお店へお連れするようにと…」


 と、幸吉が泣きそうになりながら応えた。

 みそのはキッと酔庵を睨め付ける。


「あ、いや、あれですよ、みーさん。どうせまたくだらぬ寄り合いでしょうから、気にする事は無いのですぞ?」


 みそのに睨まれた酔庵は、あわあわしながらも戯けたように弁解するが、


「すーさんがくだらないと思ってるだけで、皆さんにとっては大事な寄り合いなんですよ?

 それにすーさんを連れて来るように言いつけられた、幸吉さんの身にもなってくださいな。気にする事ないなんて、決して言えませんからね!」


 と、すぐ様みそのにやり込められる。

 母親に叱られた子供のように肩を竦める酔庵。

 そのしょんぼりした様が可笑しかったのか、みそのはクスクス笑いながら、


「ちゃんと労いの宴を用意しますから、また帰りにでも寄ってくださいな?」


 と、優しい口調で続けた。

 すると酔庵はパッと顔を明るくさせ、


「では今日のとのろは、幸吉の顔を立てるとしますかな…。

 幸吉、さっさと済ませてしまいますよ!」


 機嫌良く幸吉に声をかける。

 なんとも分かり易いご老人である。

 幸吉は呆れたような安堵の微笑と共に、みそのへちょこんと頭を下げる。


「ではみーさん、楽しみにしてますぞ!」


 幸吉を置いて意気揚々と歩き出す酔庵。

 なんとも現金なものだ。幸吉は改めてみそのへ深々と頭を下げると、そんな酔庵を小走りに追って行く。


「ふふ、幸吉さんも大変ね…」


 みそのは遠ざかる主従を眺めながら独り言ちる。


「でも今日は一人の方が良かったから、私としても有り難かったわ、幸吉さん」


 身体を左右に揺らしながら不恰好に酔庵を追う幸吉に、みそのが目を細めている。

 みそのはこれより周一郎の長屋へ赴くつもりだ。

 どう話を切り出すかは別として、話をするにあたり人の目が無いに越した事は無い。やはり、なるべく人に知られぬ方がいいに決まっている。


「幸吉さんにもご馳走しなきゃだわね」


 みそのは幸吉にとって嬉しい言葉を呟くと、ゆるゆると歩き出すのだった。



 *



「おう、どうしてぇ?」


 永岡が訝しみながら智蔵ともぞうへ声をかけた。


 永岡は沢田と北忠の三人で奉行所から出て来たところだ。

 智蔵の傍らには松次しょうじ翔太しょうたの顔が見える。

 昨夜養生所の件で智蔵へ繋ぎを付けた際、朝一で松次と翔太を走らせると、智蔵が語っていただけに、その松次と翔太が一緒に居る事を永岡は訝しんだのだ。


「へい。今朝方松次へ繋ぎを付けに行ったんでやすが、何やら気になる事を言い出しやがるんで、小石川へ走らせるめえに、直接旦那へご報告させようと思いやして」


 智蔵はそう言うと、松次へ目配せをした。

 松次は「へぇ」と智蔵に応えると一歩前に出て話し始める。


「いや、丁度ご両人がお揃いでなんでやすが、昨日北山の旦那と、沢田様へ繋ぎに走っていた時の事なんでやす。

 そん時、偶然みそのさん一行に出くわしたんでやすが、みそのさん達の跡を怪しげな武家がつけてたんでやすよ。で、後から気づいたんでやすが、その武家は昼餉で居酒屋に入った時に居た、武家の片割れだったんじゃねぇかって…」


「おいおい、松次。話の腰を折って悪りぃが、怪しげな武家がみその達をつけてたって言ったな? オイラは何も聞いてねぇぜ?」


 永岡が口を挟んで北忠を睨め付ける。


「いや、あれですよ永岡さん。みそのさんと一緒に居たのは読売屋のお凛さんですよ?

 あの二人が揃って町を歩いていましたら、武士とは言え所詮は男ですから、つい見惚れて跡をつけてしまっても、おかしくないじゃありませんかぇ?

 私は武士の情けとして、さりげなく見納めの引導を渡したまでで、みそのさん達に何かあった訳ではなかったのですよぅ」


 慌てて言い訳を述べる北忠。


「悪りぃ松次、その武家は居酒屋で何かあったのかぇ?」


 永岡は北忠を黙殺すると、松次に話の続きを促した。


「へぇ。店の親爺の話でやすと、偶に来る客らしいんでやすが、自分らの話を聞かれたくねぇのか、他の客を追い出したりしていたようでやす。昨日もそいつらしか居なかったんでやすが、昨日は店ん中で刀を抜いて悦にへえってたようでさぁ。とにかく薄気味悪りぃ武家で、店の親爺らは怖がってやした」


「ちょいと松次。あの武士があの二人の片割れだと言うのかぇ?」


 今度は北忠が口を挟んだ。

 町場で見かけた武家は身なりの良い武家だっただけに、同一人物とは思えないようだ。


「そうだと思いやすよ、北山の旦那。

 あの小上がりで背を向けてた大柄な方でさぁ。あれに上等な羽織を着りゃあ、ああなりやすって。あっしもどっかで見たような気がしてたんでやすが、寝るめえにやっとピンと来たんでやすよ。旦那もよぉく思い出してくだせぇよ?」


 北忠は松次の言葉に小首を傾げて考える。


「確かに大柄な男が居たような…」


 北忠の呟きに、松次は『あん時の旦那は、飯で頭がいっぱいでやしたわ…』と、詮無い事を言ったと反省するのだった。


「とにかく見間違みまちげぇだったとしても捨て置けねぇな?

 どうだい智蔵。今日は忠吾と松次に、その武家を探らせて、小石川へは他のもんをやってみねぇかぇ?」


 永岡は北忠がブツブツ言っているのを尻目に、智蔵へ話を持ちかける。


「そうでやすね。みそのさんに何かあってからじゃ遅うごぜぇやすし、そうしやしょうかぇ?」


 智蔵は永岡に頷くと、


「翔太、おめぇはこれから伸哉しんやんとこ寄って、小石川へは伸哉と二人で行く事にしようかぇ。

 松次は北山の旦那と一緒に抜かりなく頼むぜ?」


 と二人の手下に指示を出した。


「そうだ翔太。弘治ひろはる先生にゃ、もう一人診てもらいてぇ患者が出たんで、そっちも頼むって言っといてくんな」


 永岡は今朝方役宅を訪れた、千太せんた春吉はるきちの願いを伝える。


「へい、合点でぇ!」


 翔太は意気込んで応えるが、その隣で松次は微妙な顔で立ち尽くしている。

 昨日に続き今日も北忠の守り役か、と言ったところだろう。

 手下の中では一番北忠の扱いに慣れているとは言え、それはそれで疲れるのだろう。お気の毒な話だが、親分の指示とあっては断れまい。


「じゃあ、宜しく頼まぁ」


 永岡は北忠と松次、翔太を見回しながら言うと、沢田と智蔵と連れ立って歩き出すのだった。

 先ずは辻斬りの骸を運び込んだ番屋へと向かうのだ。


「本当にあの武士だったのかぇ?

 お前、実は小石川まで行くのが面倒だったんじゃないのだろうねぇ?」


 相変わらず小首を傾げていた北忠が、松次に疑いの極細の目を向ける。


「ちっ、勘弁してくだせぇよ旦那ぁ…。

 翔太! 親分はああ言ったが、今日は俺とおめぇとで役目を入れ替えるぜっ!」


 松次が憤懣やる方ないと言った形相で振り返るも、既に翔太の姿はそこに無かった。

 視線を上げると、韋駄天のように駆けていく翔太の背中が遠くに見える。


「ちっ!」


 松次の盛大な舌打ちが、朝の奉行所前に虚しく響き渡るのだった。







ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

次話は来週の月曜日に更新する予定です。

また遅れるかも知れませんが、よろしくお願いいたします。

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