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第五十八話 夜更かしさんと早起きさん

活動報告でお知らせしていたのですが、先週は怪我をしてしまい飛ばしてしまいました。

二話分とまでは行きませんが、今回は少し文字数が多くなっています。








「北山の旦那と一緒なら安心して出かけられるし、これからも宜しくお願いしますよ?」


「え? あぁ、お安い御用だよぅ。

 何せ私のような同心は、町の者に頼りにされてこその存在ですからねぇ。それにお凛さんのような器量好しなら、喜んで頼みを聞きますよぅ」


「あら北山の旦那ったらお上手ね。そっちのでっかいだけの阿保面男とは大違いよねえ?」


「誰が阿保面男でぇ!」


「あら、ムキになるって事は自分でも自覚してんじゃないの?」


 お凛が持っていた提灯を自分の顔にかざし、揶揄うように舌を出した。

 それを見た松次が「てんめぇ〜」と袖を捲り上げ、亜門が「まあまあ」と苦笑しながら窘めている。


 本郷の屋台を出た一行は、先ほど外神田に入ったところで、夜道を和気藹々と戯れ合いつつ、ゆるゆると歩いていた。

 しかし、周りにちらほら見える人影は、皆一様に小走りに道を急いでいる。

 もうすぐ夜四つ(凡そ午後10時)も近いとあり、町行く人々は町木戸が閉まる前に家路を急いでいるのだ。

 ただ一行には同心姿の北忠が居るだけに、例え門限に間に合わずとも木戸番に一声かければ済んでしまう。そんな事もあって特にお凛などは、帰路を急ぐ人々を尻目に悠々としているのだろう。


 町木戸は、明暦四年(1658年)に火付けや盗賊を取り締まる町触まちぶれの中で設置を義務付けられたのが始まりだ。

 当初は夜九つ(凡そ午前0時)が門限だったが、ここまでに夜四つと改められていて、吉宗が将軍となった享保元年(1716年)には、町裏からの出入りを防ぐ為に路地にも木戸を設け、締め切る際には塵溜ごみだめ雪隠せっちんなどを調べてからにせよなどと、取り締まりを強化する町触を出していた。

 とは言え、そこは人のやる事。門限を過ぎたからと言って、通してもらえない訳ではない。大抵は訳を話せば通してもらえるし、袖の下を掴ませて通してもらったりもする。

 木戸番によって対応は様々だが、余程の不審者でなければ門限後も通行可能なのだ。

 同心の北忠が居れば尚の事、余計な通行料もせびられずに済むし、煩わしい手間も無い。確かにお凛が言うように、北忠は夜の町歩きには安心で便利な存在と言える。


「ったく、第一でぇいち北山の旦那を便利に使うんじゃねぇってぇんでぇ」


 松次が唾を飛ばしながら言い放つ。

 亜門に宥められながらも、どうにも収まりがつかない様子だ。

 しかし北忠はと言うと、


「松次、私なら便利に使ってもらって構わないんだよう?

 だからお凛さんは遠慮しないで良いのですよ?」


 と、直ぐさま否定し、お凛に優しく声をかける始末。


「北山の旦那…」


 松次は、そんな鼻の下を伸ばした北忠に呆れてしまう。


「ほぉうら。やっぱり北山の旦那は男だねぇ? どっかの誰かさんとは大違いさぁ。

 ったく、けつの穴の小せえ阿保面男はすっこんでろってぇの!」


 あっかんべーと、お凛が白目を剥いて舌を出す。

 しかし揶揄いも度が過ぎたようで、


「こんにゃろっ」


 と、松次が亜門を振り解いてお凛に躍りかかった。

 それを予期していたお凛は、キャッキャと笑いながら逃げて行く。


「ったく、こんくらいで頭に血ぃのぼらせてっから、小せえ男だって言わ…キャッ」


 逃げながらも悪態をついていたお凛が、突如悲鳴と共に吹き飛んだ。

 向こうから歩いて来ていた坊主頭の大男に激突したのだ。如何にも破落戸然とした男だ。

 男は酒が入っているのか、やけに赤黒い顔な上に目が座っている。

 そんな大男の酔眼がギロリとお凛へ向いた時、


「おうおうおうおうっ! 何処見て歩いてやがんでぇ!」


 と、後ろから威勢良く小柄な男が躍り出て来た。

 この男も相当酒を飲んでいるようで、辺りが一気に酒臭くなる。

 お凛は倒れた拍子に腰を打ったようで、痛みで顔を歪ませている。声も出ない様子だ。

 小柄な男は、それを無視しているとでも思ったのか、


「こんアマ〜、何とか言わねえかいっ!」


 と、凄みながら詰め寄って来る。

 そしてそのままお凛の襟元を掴もうとした時、


「ちょいとごめんよっ」「痛ててててて…」


 と、亜門の声と男の悲鳴が重なった。

 いつのまにか亜門がするすると近づき、男の手を捻り上げていたのだ。


「な、何しゃがんでぇ。いてえじゃねぇかこの野郎っ!」


「おぅ、悪りぃ悪りぃ」


 亜門が素直に手を離してやると、男は慌てて大男の後ろに隠れる。

 そして「あ、兄ぃ、やっちまってくだせぇよ」と小声で囁き、手首をさすりながら亜門を睨みつけた。


 大男は小男に応えるように、提灯をかざしながら鋭い目を向けると、


「うげっ! おめぇさんは鹿の旦那じゃねぇかいっ」


 と、仰け反るようにして驚きの声を上げた。

 亜門は大男の反応に首を傾げると、すっと大男との間合いを詰め、大男の顔をまじまじと見上げる。


「おっ、おめぇはあん時のケチな破落戸じゃねぇかぇ?

 頭丸めてっから分かんなかったぜ」


 亜門にも見覚えがあったようで、そう言ってニカッと笑った。


 どうやら亜門と大男は面識があったようだ。

 しかし亜門がニヤニヤしているのに対し、大男はすっかり酔いが覚めたように畏まっている。面識と言っても、決して良いものでは無いのだろう。


「もうまげえが、今度ぁ何処切ってもらいてえんでぇ?」


 亜門が揶揄うように口を開く。


「ぐっ…よしておくんなせぇよ、鹿の旦那ぁ。あっしはもうあんなんは御免でさぁ…

 それに今のはあのアマがぶつかって来やがったんですぜ?

 言っちまえば、今回こんけぇはあっしが被害者なんでやすよう?」


「被害者っておめぇ、どう見てもおめぇの方がピンピンしてんじゃねぇかぇ?

 町のもんにゃ優しくしねぇといけねえって、あん時に言わなかったかぇ?」


「そりゃまあ言ってやしたが…」


 大男は不満気に顔を顰める。

 今回に限ってはどうにも不満が残るらしい。

 まあ、お凛からぶつかって来たのだから、とばっちりもいいところである。


「なんだい、二人は知り合いなのかぇ?」


 そこへ北忠が割り込んで来た。

 発端の一人とも言える松次は、先ほどまでとは打って変わり、今は甲斐甲斐しくお凛を介抱している。


「八丁堀の旦那もいたんでやすかぇ…」


 暗くて分からなかったようで、同心姿の北忠に気づいた大男は、観念したような呆れたような声を上げる。

 小男の方も北忠の登場で益々小さくなっている。


「どうせお前さんが悪さでもしてたんだろうけど、お前さん達はどう言った知り合いなんだぇ?」


 北忠の細い目が更に細められる。

 大男は暗がり効果もあってか、そんな北忠にブルリと体を震わせると、


「いや旦那、鹿の旦那とはどうもこうもねえんでさぁ…。

 おっ、いけね。木戸が閉まっちまうぜ。ったく、おめぇが調子こいて因縁つけっからこんな事になるんじゃねぇかっ。ほら、お嬢さんに謝っとけってぇのっ! てな訳であっしは先を急ぎやすんで。御免なすって」


 と、バツが悪そうに矢継ぎ早に言うや、小男も置いて、今来た道を逃げるように駆けて行ってしまった。

 小男は困惑顔でお凛に頭を下げると、すぐさま大男を追って駆け出した。


 どうせあの二人は博打帰りだったのだろう。

 二人が走り去った先には寺社が多く点在している。寺社には町方が介入出来ない為、中には大小様々な賭場が開かれていたりするのだ。

 二人はまた賭場へとんぼ返りとなったようだ。


「で、お凛さんは大丈夫なのかぇ?」


 二人の行方を眺めていた北忠がお凛へ声をかける。


大丈夫でぇじょぶ大丈夫でえじょうぶ心配しんぺぇ無用でさぁ、北山の旦那。偶にゃこの跳ねっけぇりにゃ、こんくれぇの仕置きがねぇといけやせんや」


 松次がお凛に代わって応えて「イヒヒ」と笑うと、お凛は手を振り上げたのが腰に響いたようで、「いつつっ」と痛みで顔を顰めてしまう。


「へへ。バチが当たったんだな?」


 松次が意地悪げに笑いながら言うと、背中を貸すようにしゃがんでみせた。

 お凛は振り上げた手で松次の頭を「パシリ」と叩いてから、素直に松次におぶさった。

 幼馴染なだけあり、なんだかんだ二人の仲は良いようだ。


「しかし亜門、あの男の髷はお前が斬ったのかぇ?」


 北忠は羨ましそうに二人の様子を見ながら、亜門に問いかける。


「へへ。いつだったか商売を荒らしに来やがったんで、みんなの為にもちょいと懲らしめてやったんでさぁ」


 亜門はそう言うと、先ほどの大男の所業を語って聞かせた。


 あの男は以前、深川八幡の境内へ定期的に来ては、出店の者や大道芸人などにいちゃもんを付けて回り、金品をせびっていたのだ。

 その日は剣客風の浪人を連れていて、武士相手に居合術を見せていた亜門にも絡んで来たのだった。

 ああだこうだと難癖をつけて絡みつつ、結局亜門はその剣客風の男と、金を賭けて居合合戦をする羽目になったのだ。

 しかし亜門は抜く手を見せぬ抜刀で、先ずは剣客風の男の髷を切り落とし、返す刀で大男の髷までも落としたのだった。

 そして、その流れのまま剣客の喉元へピタリと切先をつけ、大男に皆からせびった金品を返させ、町の者へ悪さしないよう釘を刺していたのだった。


 ただ北忠には剣客風の男の事などは省略し、大男が境内で嫌がらせをしていた事と、大男の髷を切り落とした事だけを語るに留めた。


「居合の遣い手だって噂は本当だったんだねぇ?」


 北忠がやっかみの目を向ける。


「ふふ、どっから聞いたか知りやせんが、そんな良いもんじゃありやせんや。俺のは昔かじっただけで、所詮は大道芸なんでやすよ」


「なぁんだ、そうなのかぇ?

 私もこう見えて剣術の一通りはかじっているんだよ?」


 亜門の謙遜で途端に胸を張る北忠。

 北忠の場合、見学程度の事をかじっていると言うようだ。


「食といい剣といい、余程お前とは趣味が合うのだねぇ。

 しかしあれだよ、もし剣術で負けたとしても食に関してだけは、お前なんかに絶対に負けないからね?」


「へへ。まあ美味いもんにゃどんな豪剣も敵いやせんや?

 これからも美味いもん指南の方、おねげえしやすぜ?」


 亜門の返しに満足げに頷く北忠。

 なんだかんだこの二人も馬が合うのかも知れない。


「案外強いのね…」


「亜門の旦那かぇ?」


 松次が背中のお凛の呟きに反応すると、


「ふっ、あんたじゃないこたぁ確かさぁねっ」


 お凛はそう言って、目の前の松次の後頭部へ頭突を食らわす。今までの亜門と何かが違って見えているようで、急に照れ臭くなったようだ。


いてっ! テメェなにしやがんでぇ」


 松次がお凛を揺すりながら文句をつけるも、今のお凛はどこ吹く風で、松次の肩越しから見える亜門を眺めている。


「あの男、中々遣えるようじゃな…」


 その様子を眺めながら大村が独り言ちた。

 どうやら尾行していたらしい。

 亜門の体捌きを見ただけで、ある程度の力量を認めたのだろう。


「町方といい、得体の知れぬ男といい、中々骨が折れるかも知れんのう」


 溜息を吐くように言うや、大村は今までより少し間をあけて歩き出した。




 *




「あら、甚平さん。また使いを頼まれちゃったのね?

 それにしてもこんなに早くに大変ねぇ?」


 明け六つ(凡そ午前六時)を過ぎた頃合いだろうか、みそのが米を研いでいると、勝手口から控え目に戸を叩く音が聞こえて来たのだ。


「へい。みそのさんさえご迷惑じゃなけりゃ、そう大変な事でもありやせんよ。へぇ」


 こんな時くらいしかみそのと話せないからか、甚平はそう返すと嬉しそうに笑った。

 実際、みそのが『丸甚』を訪れている時には、いつも接客などでまともに話が出来ないのだ。

 未だ甚平の中では、みそのに対する恋心は消えていないようだ。


「甚右衛門さんと善兵衛さんの件でしょ?」


「へい、ご明察でさぁ。なんかいつもいつもすいやせんね…」


「ふふ、いいのよ。私も気にはなってたんだけど、中々時間が作れなくてお伺い出来なかった事ですし。

 それより今お茶を淹れますから、中へ入ってくださいな?」


 みそのは丁度湯を沸かしていたところで、そう言うと急いでお茶の用意にかかった。


「今日は本所へ行く予定だったから、その後に寄らせてもらいますよ。鳥越の方へ向かえば良いかしらね?」


「そうしやしたら、どうせ両国を通りやすし、一度ウチへ寄ってくだせぇよ。そうすりゃおっ母も喜ぶし、親父も店で待ってりゃいいこってすからね」


「それもそうね。未だ時刻もはっきりしませんし、その方が待たせなくて済みますね?」


 みそのは湯呑みにお湯を注ぎながら応えている。

 今日のみそのは、昨夜永岡と話していた事を実行する為、周一郎を訪ねるつもりでいたのだ。

 永岡は太平の様子を見に行かせる為に、今夜の内に智蔵と繋ぎをつけておくと言って、あれから程なくして、みそのの仕舞屋を後にしていた。

 きっと留吉や伸哉辺りが翔太を連れ、早くから小石川へと向かうのだろう。


「しかし、相変あいけえらずみそのさんは忙しいお人でやすね?」


「ふふ、甚平さんだって今じゃ繁盛店の若旦那。いつも大忙しじゃない?

 怖い人に追われてウチに逃げ込んで来たなんて、本当嘘みたいよね?」


 みそのは当時の事を思い出しながらクスリと笑った。

 みそのが江戸の人と関わりを持ったのは、この甚平が最初と言える。感慨深くもあるのだろう。


「へへ、それもこれも全てみそのさんのおかげでさぁ」


 甚平も懐かしく思いながら小さく笑うと、大袈裟に頭を下げてみせた。


「それを言うならお加奈さんのおかげでしょ?

 これからは偉大な母親に沢山孝行しないといけませんよ!」


 みそのは湯呑みの湯を釜に戻すと、そう言いながらお茶を注いで甚平に手渡した。

 確かにお加奈あっての成功である。

 甚平も照れ臭そうに笑いながら頷いている。


「おっ、何してんだぃおめぇ?」


 甚平が勝手口を見ながら声を上げた。

 戸を少し開けてこちらを覗いている男の子がいたのだ。

 男の子は一瞬バツが悪そうに目を泳がせると、そおっと戸を引いて顔を覗かせた。


「あ、えーと…。

 ここに千太って子はいるかい?」


 最初もじもじしいていた男の子は、意を決したように声を上げる。


「あら、千太さんのお友達なの?」


「うん、オイラは千太の長屋の隣の長屋に住んでるんだ。

 千太を知ってるって事は千太はいるんだね?」


 男の子の顔がパッと明るくなった時、


春吉はるきち!」


 と、みそのの後ろから嬉しげな声が上がった。

 みそのが振り返ると、喜色満面の千太がお千代の手を引いて立っていた。


「千太!」


 春吉と呼ばれた男の子は、千太の名前を呼ぶと途端に涙目になって行く。


「どうしたんだい、春吉。何かあったのかい?

 みそのお姉ちゃん、悪いんだけどお千代を見てもらってもいいかい?」


 千太は春吉に駆け寄り声を掛けると、チラリとお千代を見ながら、申し訳なさそうにみそのへ声を掛けた。

 見るとお千代は目をこすりながら、落ち着きなくもじもじ内股で立っている。

 寝起きに厠へ連れて行くところだったらしい。

 みそのは直ぐにそれと気づき、千太に笑みで頷くと、


「お千代ちゃん、私と一緒に行きましょ?」


 お千代の頭を撫でながら言い、お千代の手を取った。


「じゃあ、あっしはこの辺で失礼しやすねっ」


 みそのの「ごめんなさいね」との目配せに、甚平はそう言って腰を上げる。


「では、お昼過ぎにはお伺いしますね?」


「へい、お待ちしておりやす」


 みそのと甚平は歩きながら言葉を交わし、お千代の「もれちゃう…」との呟きで、みそのは慌ててお千代を抱えて厠へ走った。


「どうしたんだい?」


 みその達がバタバタと外へ出て行くと、千太が改めて春吉に問いただした。


「突然居なくなっちゃうから心配したんだぞ、千太…」


 涙目の春吉が千太を睨むようにしてから笑った。


「でも元気そうで良かったよ」


 少し落ち着いて来たのか、春吉はホッとしたような顔で続ける。


「良くここが分かったね?」


「うん。長屋のみんなに聞き回って、おつたさんが教えてくれた」


「そっか、そうだった。おつたさんは知ってたからね。あの時は急だったから、碌に挨拶も出来なかったんだ。ごめんね?」


「もういいんだよ。

 それでおとっつぁんは大丈夫なの?」


「うん。長屋に居た時よりかは良くなってるみたいなんだ。

 心配してくれてありがとう。でも、そんな事より他に何かあるんだろぅ?」


 千太が春吉の顔を覗き込むようにして問いかける。


「………うん」


 少し間を空けて春吉が気まずそうに頷く。

 どうやら図星を突かれたらしい。


「オイラのおとっつぁんも昨日から寝込んじまったんだよ。だから千太のおとっつぁんと一緒のお医者さんを、オイラにも紹介して欲しいんだ。

 それと……暫くはオイラも活計をたてなきゃならないから、千太に色々教えて欲しいんだよ。母ちゃんの内職だけじゃ食えないみたいなんだ。頼む千太!」


 春吉はそう言って必死な表情で両手を合わせた。


「わかったよ春吉。養生所ってところは、誰でも無料で診てくれるみたいだから、そう心配する事ないさ。後でみそのお姉ちゃんに相談してみようよ。

 それにオイラで良かったら何でも協力するよ。でも小銭しか稼げないぞ?」


 千太は春吉の肩をさすりながら言うと、最後は戯けるように笑って見せた。

 この二人は父親が仲が良かったせいか、貧乏長屋の中でも特別仲の良い友達なのだ。

 年嵩の子供にイジメられたりしても、二人で協力して乗り越えていた。親友と言っても良いのだろう。


「あ、みそのお姉ちゃん…」


 みそのがお千代を連れて帰って来ると、千太は早速養生所の話を聞き、今日は春吉にあれこれ仕事を教える為、一旦長屋へ帰る旨を伝えた。

 千太の商売繁盛指南と言ったところか。


「それじゃあ、今日丁度太平さんの様子を見に行ってくれる事になってたから、永岡の旦那に伝えておくわね? 間に合えばいいけど…」


 と、みそのは昨夜の永岡の話を千太に話した。


「ありがとう、みそのお姉ちゃん。じゃあオイラが永岡様のお屋敷まで知らせに走るよ」


 千太が言うと、隣で春吉がうんうんと頷く。


「そうね…。

 未だこの時刻だから奉行所へは出仕してないでしょうし、その間に朝餉の用意をしとこうかしらね?」


 みそのは早朝の事なので少し考えるも、そう言って千太の言葉を聞き入れた。

 少しでも早く春吉を安心させたいとの千太の思いが、みそのには有り有りと見えたからだ。


「じゃあ、行こっか?」


 千太の言葉に春吉が大きく頷き、二人は勢い良く飛び出した。


「ふふ、男の子は朝から元気よね?

 じゃあ女の子は朝餉の支度しましょっかね?

 とりあえずお千代ちゃんは顔を洗ってらっしゃい。

 お豆腐屋さんが通ったら来てもらってね?」


「はぁ〜い」


 お千代は手を挙げて返事をすると、ちょこちょこと顔を洗いに向かう。


「ふふ。今日はなんだかみんなが忙しくなりそうね…」


 みそのは周一郎と甚右衛門、善兵衛のところへ行き、千太は長屋へ戻って仕事を教える。

 永岡は早朝から千太の訪問を受けてから、二件の人死の調べに掛かるのだろう。そして下っぴきの誰かが小石川へと走るのだ。

 それにみそのは周一郎を訪れた際に、順太郎とお百合とも打ち合わせするつもりである。

 そして日時の約束はしていないが、近いうちにお凛とも会う事になっている。お凛の事なので、早速今日にでも訪ねて来そうだ。

 勿論、酔庵も顔を出す事だろう。

 なんやかんやと、みそのが一番忙しいのかも知れない。


「みそのお姉ちゃん、納豆もらったよ」


 お千代は井戸まで顔を洗いに行っていたようで、そのまま豆腐屋を待っていたらしい。

 そこに丁度通りかかった納豆売りが、売れ残ったと言ってくれたそうだ。

 お千代は何かとこうして物を良くもらうのだ。

 本当に売れ残った場合もあるのかも知れないが、大概は可愛いお千代に絆されての事だろう。

 こうした棒手振り達は、お千代に商品をあげた代わりに、きっと家では女房から小言をもらうのだろう。


「ふふ、お千代ちゃんが居ると一品増えていいわね?」


 みそのはそう言って笑うと、誇らしげなお千代から納豆を受け取るのだった。







ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

次話は来週の月曜日に更新する予定ですが、怪我の具合がよろしくないので、また遅れるかも知れません。

よろしくお願いいたします。

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