【閑話】 ちょいと江戸でもクリスマス
月曜日はクリスマスでもありますので、今週はクリスマスイブ、日曜日に投稿させていただきます。
そして、今回は本編をお休みさせていただき、クリスマスバージョンの閑話回とさせていただきました。
※このクリスマス閑話は、本編に沿っているようで本編とは全く別のお話です。
本編を楽しみにされていたお方には申し訳ありませんが、どうぞお付き合いくださいませ。m(_ _)m
「うぅぅ〜、これこれこれこれっ!」
希美は久々のビールに少々興奮しているようだ。
このところ千太とお千代が泊まっているので、東京に戻ってゆっくり至福の時を過ごせていない。
今日は二人とも歩き疲れたせいか早々に床に就き、永岡も遅くなるとの事で堪らず東京へやって来たのだった。
「あ、そうか…」
これもまた久々に手にしたスマホの電源を入れると、クリスマス仕様なのかアプリ画面に雪が降っているのに気づき、今日が12月24日、クリスマスイブだった事に思い当たる。
「じゃあ、江戸でもクリスマスしちゃおうかしらねっ」
何か楽しみを見つけたように嬉しそうに独り言ちる希美。
美味しいご飯とクリスマスプレゼント。
永岡もそうだが、千太やお千代の喜ぶ顔を思い浮かべると、思わずニンマリしてしまう。
そしてニンマリ顔のまま、半分ほどグラスに残った相棒をコクコクと喉を鳴らして飲み干した。
「イブよイブ。前祝いよ前祝い。祝い酒よ祝い酒…」
希美は何かに言い訳するようにもう一人の相棒を取りに行くのであった。
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「じゃあ、千太さん。今日はお千代ちゃんと二人になっちゃうけど、気をつけて行ってくるのよ」
仕舞屋の前では、みそのが心配そうな顔で千太に声をかけていた。
そんなみそのを見上げるようにして、手を繋いだ千太とお千代が話を聞いている。
「うん。任せてよ、みそのお姉ちゃん。
それにね、これはお父ちゃんの見舞いなんだし、二人で行くのは当然だよ?
それよりお土産のお足までもらっちゃって、申し訳ないよ…」
千太は小さな古びた巾着袋を懐から取り出して言う。
「千太さん。千太さんとお千代ちゃんは、いつも私のお手伝いをしてくれてるんだから、お土産くらいは私に出させてもらわないと、私だって気持ちよくお手伝いを頼めないでしょ?
それに、もうそんな遠慮なんかして欲しくないな?」
「みそのお姉ちゃん、それは違うよ?
オイラたち、家に泊めてもらって、美味しいご飯も食べさせてもらって、それに湯屋にも行かせてもらってるし、着物だってもらってるんだよ?
お家の掃除やお料理の手伝いなんかじゃ、比べものにならないくらい良くしてもらってるんだから、オイラたちがお手伝いするのは当然で、みそのお姉ちゃんは何の遠慮もいらないんだよ?
お土産だって、お父ちゃんはオイラたちの家族なんだから、みそのお姉ちゃんが気を使う事なんかないんだからね?」
そう言って真っ直ぐ見てくる千太に、みそのは寂しさを覚え、
「もう二人の事は自分の子供みたいに思ってるんだから…」
と、つい呟いてしまう。
思いの外その呟きが大きかったようで、それを聞き逃さなかった千太は、
「オイラたちを子供みたいに思ってくれるのは嬉しいけど、そいつは無理な話だよ?
だって、みそのお姉ちゃんはお姉ちゃんだもん。母ちゃんには見えないやい」
と言って、にっこり笑い、
「だからオイラたちは家族だね?」
と続けて、人差し指で鼻を擦った。
お千代も言ってる意味が分かったのか、
「かぞくかぞくー」
と、嬉しそうにはしゃぎ出す。
「そうね、家族。家族よね?!」
みそのは「家族」と言う響きが妙に心地良く、嬉しさのあまり千太とお千代の手を取って飛び跳ねる。
そんな輪になってはしゃぐ三人を、柔らかい笑みを浮かべながら見ている男がいた。
将軍徳川吉宗の御庭番衆、源次郎である。
源次郎は昨夜みそのからある頼み事をされ、それを届けにやって来たところだった。
「今日はまた散歩の日になりそうじゃな…」
源次郎は目の前の光景に、千太たちの護衛を頼まれる覚悟をしたようだ。
X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼
「えーと、これでデザートはOKだけど、ちゃんと固まるかしら…」
みそのは不安げに独り言ちると、お盆に並んだ湯呑みに布巾をゆっくり被せながら、
「上手く固まってくれますように、上手く固まってくれますように、上手く固まっ……」
ぶつぶつと呪文を唱えるよう言って手を合わせる。
そして、お盆を庭先へ持って行くのだった。
みそのはクリスマスディナー作りの真っ最中なのだ。
今はクリスマスディナーにおけるデザート作りを終えたところだ。
最後は神頼みのような呪文を唱えていたが、とりあえず目処が立ったのだろう。その顔には安堵も伺える。
「さてと、次はこの子たちねっ」
みそのは目の前の食材をながめながら、たすき掛けした紐をぐっと引き締め、気合いを入れる。
この度の催しは丸越の地下食グルメでは無く、純江戸産をテーマにしているのだ。
なのでクリスマスディナーにしては、少し和テイスト過ぎる面も否めないが、そのくらいが丁度良いとも判断している。
例え〇〇のパティシエが作るクリスマスケーキなどを出したとしても、その入手経路に説明がつかない。永岡だけでは無く、千太やお千代にも食べさせる事を考えれば、江戸にある食材で自分で作れる範囲で行わなければならない。
なのでオーブンがないと作れないものや、江戸に無い食材などは排除しなければならなかった。
今までその辺りにゆる過ぎた節があるだけに、基本と言えば基本の至極まっとうな考えである。
「ふふ、まさかケンタくんのバーレルって訳にはいかないものね…」
みそのは可笑しそうに独り言ちると、同量の醤油と味醂を大きめの鉢にトポトポ注ぐ。
それとは別の鉢にも擦った生姜とニンニク、醤油を注ぎ、ぶつ切りにされた鶏の胸肉を入れて行く。
この鶏肉、先ほど千太達が出発する前に三人で購って来たものだ。
朝一番で軍鶏鍋屋へ赴き、無理を言って捌いてもらっている間に『大阪屋』へも赴き、養生所へのお土産の饂飩を打ってもらっていたのだ。
千太には弘治へのお土産のついでと言う事で、父親の分も持たせている。
みそのは、その他に何か甘いものでもと、千太には別で銭を渡していたのだった。千太が恐縮する訳である。
と言う訳で、今日のメニューはクリスマスらしく、チキンがメインのディナーになるようだ。
鶏肉と言っても軍鶏肉である。みそのにとっては微妙に勝手の違う食材で、極度に勝手の違う環境での調理だ。
しかも今日は鶏の唐揚げと照り焼きである。
いくら江戸での調理に慣れて来たと言えども、ガス台やオーブンの無い環境で調理するには、少々不安の残る料理なのだ。
「ま、みんな正解を知らない訳だし、この黄金バランスだけ押さえておけば大丈夫よねっ」
みそのは醤油と味醂を併せたタレをペロリと舐めてニンマリする。
どの時代であろうが、日本人ならほぼ間違いなく同じ顔をするだろう。砂糖を多目にすればアメリカ人だって虜になる味付けだ。もはやパーフェクトタレと言っても過言ではない。
とは言いつつも、そのパーフェクトなタレに安心しきりのみそのは少々楽観し過ぎであるが、みそのも言っているように、正解の味を知らない面々に食べさせるのであれば、鬼に金棒以上の心強さなのだろう。
「それよりこれよねぇ…とは言いつつ有効活用有効活用っと」
みそのは先ほどデザート作りに使用していた鉄鍋に、醤油と味醂のタレを半分ほど注ぎ火にかける。
鍋底を擦るようにかき混ぜたみそのは、煮立つ前に鉄鍋を火から上げる。
「おうおうおうおう、またまた良い匂いをさせてるのう?」
「ひゃっ」
みそのはいきなり真後ろから声をかけられ、悲鳴をあげてしまう。
「し、新さんじゃないですか…。もう、人が悪いんだから。びっくりさせないでくださいよう」
「ふふ。すまんすまん。じゃが入る時に声はかけたでな? 気づかん方も悪かろう?」
新之助は悪戯っぽい顔で応え、「どぉれ」と、今し方火から上げたタレをペロリと舐めて目を細める。
「うむうむ。今日は来て良かったわい」
「来て頂くのは誘った手前全く構わないのですが、ちょいと来るのが早過ぎませかねぇ?」
「いやなに、なんでも切りと言うものがあろう?
あれ以上やると抜け出せなくなるで、早目に退散して来たのじゃよ。ふふふふ」
新之助はみそのの問いに答えると、首を竦めながら笑う。
新之助は将軍なだけあり、日々の予定はぎっしり詰まっている。そうそう城を抜けられては困るのだろうが、偶の息抜きも必要なのだろう。
「で、牛の乳はどうなったのじゃ?」
「ああ!
ありがとうございます。助かりましたよ、本当。
アレは食事のあとのお楽しみって事で、楽しみに取っといてくださいな。ふふ」
そう。本日源次郎がみそのから頼まれて届けてくれたものとは、牛乳だったのだ。
みそのは以前、新之助が薬作りや健康の為に乳製品を摂っている事を聞いていた。
乳製品と言っても現代のようにそのまま牛乳として飲むのでは無く、酪と言って牛乳を煮詰めたチーズのような形で摂っていたり、これを更に煮詰めて干した蘇を煎じ薬のようにして服用しているようだ。
みそのはそれを思い出して、新之助から牛乳を所望したと言う訳だ。
「そうじゃな。後でのお楽しみに取っておくのも一興じゃな?
じゃがこっちは別じゃ。ふふ」
新之助は嬉しそうに側に有った猪口を持ち上げる。
先ずは政務を抜け出して来た目的を達成させるようだ。
「あ、じゃあ直ぐに佃煮と一緒にお酒の用意をしますから、居間で待っててくださいな」
「ふふ。言われなくともそうさせてもらうでな」
新之助は勝手知ったると言った様子で奥へと入って行く。
幾分跳ねるように歩く新之助の後ろ姿に、みそのは思わずクスリと笑ってしまうのだった。
X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼
「ねえねえ、きっとこっちの方が似合うとおもうよ?」
「そうかい? うーん、お千代も女子と言えば女子だからねぇ…。
じゃあ、お千代の見立てたこれにしようか?」
「やったやったー」
養生所からの帰り道、千太とお千代が小間物屋で何やら買い物をしている。
余り経過が良くないとは言え、久々に父親に会えた喜びもあり、お千代はすこぶる上機嫌のようだ。
千太が店の者に銭を払っている間も、嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねている。
「お千代。余り遅くなるとみそのお姉ちゃんが心配するから、ここからは少し早歩きで帰るよ?」
「うん! 兄ちゃんときょーそー!」
「こらお千代っ、走ったら駄目だって…」
お千代は言うやトトトトトと、ちょこまかと走り出し千太を困らせる。
「お千代、転んだら危ないからおやめっ」
千太はキャッキャと前を走るお千代を追いかけながら声をかけるも、案の定お千代は何に躓いたのかパタリと転がってしまう。
「危ないっ!」
思わず声をあげてしまったのは源次郎である。
源次郎は付かず離れずの距離で二人を見守っていたのだ。
今日はみそのに頼まれた訳でも無く、実際は目顔で「任せろ」と一方的に告げての護衛だ。
吉宗の命で最初に千太を調べたのが源次郎だ。源次郎もこの兄妹には愛着が湧いているのかも知れない。
「ほぅら言わんこっちゃないじゃないかぇ…」
「……ぃたぃょ…」
千太はお千代を立たせると、ぱっぱと着物に付いた泥を叩いてあげる。
お千代も自分がはしゃぎ過ぎていたと分かっているのか、小声で痛みを訴えてはいるが、目に薄っすらと涙を浮かべながらも泣く事なく我慢している。
「お千代、急がば回れって言葉もあるんだよ?
余り急いでもいい事は無いのが、これで良くわかったね?
じゃあ、ゆっくり急ぐ為に早歩きしようね?」
お千代は千太の言葉に大きく頷き、ギュッと兄の手を握るのだった。
X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼
「わぁー、すごーい!」
「こいつぁ豪勢だな? 今日は何の日だぇ?!」
お千代と永岡が歓声を上げる。
「おお、これは中々中々…」
既に酒で顔を赤くした新之助も、運ばれて来た料理にニマニマしながら舌舐めずりをする。
「みそのお姉ちゃん、これが唐揚げって言うのかい?」
千太も目を丸くしながら嬉しそうに聞いて来る。
「そうよ、千太さん。熱々だから気をつけて食べてね?
お千代ちゃんは、少し経ってから食べるのよ?
源次郎さんも遠慮なく食べてくださいね?
新さんと梅さんは、これをたっぷり絡めて食べると良いわよ?」
みそのは千太に答えると、一人一人に声をかけながら、最後はラー油の小瓶を持ち上げて笑った。
「その名前で呼ぶんじゃねぇやいっ!
ったく、それにそいつぁ目障りだからあっちに持ってけってぇのっ」
「ふふ、確かにの…」
永岡はぞんざいな仕草で口を尖らせ、新之助は苦笑を漏らしている。
しかし、目は唐揚げに行っており、部屋一杯に広がる芳ばしい香りにやられているだけに、口元には涎なるものが光っている。
現代人は見慣れてしまっているだけで、確かに唐揚げとはそのような存在である。そのはずだ!
「じゃあ、もう一品拵えて来ますから、先に食べててくださいな」
みそのは皆の表情に満足すると、二品目に取り掛かる為に部屋をあとにした。
「熱っ!」
永岡の声を背中にクスリとするみその。
「おい千太にお千代、こいつぁ熱過ぎていけねぇ。お前らはオイラがいいと言うまで食うんじゃねぇぞ?」
「そんな事言って、全部食べないでおくれよ?」
「ふっ、バレたかぇ?
ま、熱いのは本当でぇ。気ぃつけて食うんだぜ?」
「おお、これは中々美味ですな!」
「おっ、源次郎がそこまで言うのは珍しいのう?
どぉれ………ホォッホォッホォッホォッ」
中々どうして、居間では唐揚げ祭りが始まったようだ。
新之助はホフホフと熱くて喋れないようだが、目を真ん丸にしながら拳を作って美味しさを表現している。
お千代はそれがやけに可笑しかったようで、お腹を押さえながらコロコロと笑っている。
ジュジュジュー
「なんでぇ?」「おっ、また良い香りがして来おったぞ」
大きな音と共に、また芳ばしい香りが漂ってくる。
みそのが焼いた軍鶏肉に黄金のタレ(アレではありません)を流し込んだのだ。
醤油と味醂の香り、幸せの香りと言っても過言ではない。皆一様に目を瞑り、その香りを楽しんでいる。
軍鶏のモモ肉を皮面がカリっとして来た頃合いを見てのタレの投入。
仕上りまではあと少しだろう。
みそのの表情にも笑みが浮かんでいる。
心配していた焼き具合も上々と言ったところのようだ。
「みそのちゃん、ご飯持って来たよう」
「あ、お菊さん。ちょうどいい頃合いですよ!」
裏店に住まうお菊がお櫃を抱えて持って来たのだ。
竃には火口が二つしか無い為、今日はお菊に米を渡し炊いてもらっていたのだった。
「こっちももう少しで焼き上がりますから、持って行ってくださいな」
みそのはさっきの唐揚げも取り置いている。
側に置いてある少し大振りの器には、唐揚げが端に寄せて乗っかっていた。空いたスペースに照り焼きが乗るのだろう。
「いや、いいんだよう。米炊いただけなんだから、気を使うんじゃないよう」
お菊はそう言いつつも鼻をひくつかせ、口元には光るもの。
やはりこの香りには敵わないのだろう。知らず知らずのうちに目が釘付けになっている。
「ふふ、目は口ほどに物を言うって本当ね?
これはお菊さんと寅一郎さんに食べてもらおうと思って、最初から取ってあったのですからね。遠慮なんかしないでくださいよう?」
「なんだかあたしゃ特しちまったねぇ。うふふ」
「その代わり、お若さんやお静さんには内緒ですよ?
次はお裾分けしようと思いますけど、今日は人数が多いのでそっちに回らないんですよ…」
「いいのいいの、みそのちゃん。あれは何食っても一緒のバカ舌だからねぇ? あはははははは」
みそのはお菊が大笑いするのを聞きながら、ちょうど良い頃合いに焼き上がったのを見計い、熱々の照り焼きをまな板の上に乗せて行く。
そして食べ易く包丁を入れ、唐揚げの横へ乗せてあげると、皿の端に少し溢れたタレを手拭いで拭き取り、
「はい、お待ち。お菊さん」
と、お菊の前に皿を差し出した。
お菊は目を瞑りながら鼻腔を広げ、存分に香りを楽しみニンマリと笑みを浮かべる。
お櫃との物々交換、見事成立の瞬間である。
いそいそと帰って行くお菊を尻目に、みそのは切り分けた軍鶏の照り焼きを小皿に盛り付けて行く。
クリスマスに茶色いご飯だが、これは致し方ない。
小松菜のお浸しと南瓜の味噌汁と言うのも、クリスマス感を台無しにしているが、これも致し方ない。
美味しければ良いのだ。
しかし、一品だけオレンジ色のものがある。
南瓜のポタージュだ。
南瓜の味噌汁とは別に、南瓜を人参と大根と一緒に小さく角切りにして塩茹でし、それを濾し器で濾して余った牛乳で伸ばした一品だ。牛乳が然程残らなかった為、人数分とまでは行かなかったので、南瓜の味噌汁も作る事になったのだ。
今は少量ずつ小さな小鉢に入れられている。
「ふぅ。終わったわ…」
みそのはすっかり満腹になった気分である。
「みそのお姉ちゃん、お手伝いするよ?」
「おてつだいおてつだいー」
タイミングよく千太がお千代を連れて現れた。
聡い千太は、物音の具合でそろそろ配膳の準備だと察したようだ。
「ありがとね。じゃあお願いするわ!」
みそのはニコリと笑ってそれに応え、追加のお酒の準備にかかった。
「おおー」と、永岡達の声を遠くに聞きながら、みそのはクスリと笑う。
「よしっ」
徳利の口に指を当てて温度を確かめたみそのは、お盆にそれを乗せて立ち上がる。
「おっ、来た来た。お前、また美味えもんこさえたな!」
みそのが部屋へ入ると、永岡が嬉しそうに声をかけて来た。
「ふふ。だって今日はサンタさんの日ですからねぇ」
「サンタの日って言ったかぇ? なんでぇそれ?」
みそのの呟きが思いの外大きかったようで、永岡が不思議そうに聞き返して来る。
「い、いや…な、なんでもないんですよぅ」
「なんでもないって事ぁねぇだろぃ?」
「いや、なんでもないんですっ。これは秘密なんですから、余り詮索しないでくださいよう。
それに余り詮索すると、この後のお楽しみはお預けにしますからねっ!」
「お、おぅ…。ま、美味ぇもん食えんなりゃ、なんでもいいかぇ。ふふ」
みそのの逆ギレにも似た苦し紛れの言い訳に、永岡は呆気にとられながらも苦笑する。
「みそのお姉ちゃん、これなーに?」
微妙な空気になったところで、お千代の可愛らしい声が響いた。
「それはね、南瓜のポター…汁物よ。お味噌汁みたいに飲むものなんだけど、このお匙で掬って食べるといいわ」
みそのは木の匙を指差して説明する。
危うくポタージュスープと言いそうになり、ドギマギしてしまう。
「おいしー!」
直ぐにお千代から声が上がり、皆競って南瓜のポタージュを食べ始める。
皆一様に美味しい顔をしているところを見る限り、上々の出来栄えだったらしい。
みそのも匙で掬って一口食べると、目を細めてうんうんと頷いた。
酒が入っている割に、照り焼きや唐揚げのおかげで思いの外ご飯が進むようで、大人達からもお代わりの声が上がりながら、楽しい夕餉は進んで行く。
「いやいや、美味かった美味かったぁ」
「新さん、まだお楽しみが残っていますよ?」
新之助が満足げに自らの腹を叩いていると、みそのが耳元で内緒話でもするように言って笑った。
楽しみにしていたデザートの時間なのだ。
みそのはクスリと笑いながら立ち上がると、庭先に置いてあるデザートを取りに行く。
冬の屋外は天然の冷蔵庫だ。
千太とお千代は夕餉の皿などを片付けている。
そして先ほどみそのに言われていたのか、人数分の小皿と、先ほどの木の匙を洗って持って来た。
「じゃあ、始めますよ?」
みそのの手元を皆が食い入るように見入っている。
今みそのは皆に囲まれて、湯呑みに入った中身の淵を木匙でぐるりと押し、湯呑みに蓋をするように小皿を上に乗せた。
そしてその湯呑みと小皿をゆっくり振り上げ、
「えいっ!」
と、みそのは大袈裟に声を上げながら、蓋にした小皿が下に来るようブンっと振り下ろす。
更にブンブンと小さく振り、そっと湯呑みを持ち上げる。
「おお〜」
小皿の上に山頂に黒い雪を被った黄色い富士山のような物体が現れる。
富士山と言っても裾野は広がってないが、永岡達にはそう見えたようだ。
みそのは皆の反応を尻目に同じ作業を繰り返して行く。
みそのが作ったデザートは言わずもがな。
プリンである。
山頂の黒い雪はカラメルソースだ。
新之助からもらった牛乳は、このプリンに使われたと言う事だ。
クリスマスにプリン…。
いいんですプリンで。美味しいから。
「じゃ、いただきましょっか?!」
みそのの声で、皆自分の前に行き渡っていたプリンに木匙を入れる。
「おいしー!!」
先ずお千代から歓喜の声が上がる。
千太も目を丸くしてみそのを見ていた。
声が出ないほどの代物だったようだ。
「こ、これがアレから出来とるのかっ!」
新之助はマジマジとプリンを見ながら感嘆する。
この時、新之助は本格的に牛を飼育する事を考えたとか。
実際この数年後、享保十二年にインドから白牛の雄雌三頭を輸入している。そして江戸幕府の天領である嶺岡牧(今の千葉県南房総)で本格的に繁殖、飼育されるようになった。それが故、嶺岡牧は日本の酪農発祥の地とされている。
もっとも、この当時は牛乳を生産していた訳では無く、牛乳から作られる酪蘇、白牛酪と呼ばれる滋養強壮作用があるとされる薬が主に生産されていた。
とにかく皆、プリンには上々の上を行く反応だ。
みそのは自分でもプリンを口にして、幸せそうな笑みを浮かべる。
「みそのお姉ちゃん」
プリンの甘味に浸っていたみそのに千太が声をかけて来た。
お千代も何やらゴソゴソと後ろを探ってから立ち上がり、嬉しそうに近づいて来る。
「みそのお姉ちゃん、これおみやげー」
お千代の小さな手にキラキラと光る玉簪が乗っていた。
玉の部分には花の絵が描かれており、なんとも可愛らしい代物だ。
「え、私に……」
みそのもクリスマスプレゼントとして、千太とお千代に色違いの巾着を用意していたのだが、まさかの二人からのプレゼントに思わず言葉を無くしてしまう。
「うん! だって今日は、かぞくのきねんだもんねー」
続いたお千代の言葉に、みそのは胸が熱くなってしまう。
そして真っ直ぐと純真な笑顔で見られ、堪らずに涙が溢れ落ちてしまった。
「おいおい、こう言う時ぁ泣くもんじゃねぇぜ?」
永岡の茶化すような言葉に救われつつ、みそのは泣き笑いでお千代を抱きしめた。
「家族、家族よね…」
このところ現代での離婚や永岡の母との確執など、「家族」と言うものに引け目を覚えていただけに、その思いが涙と共に堰を切って溢れ出て来たのかも知れない。
クリスマス。
日本では恋人と過ごす日だと誤解されがちだが、本来は家族で過ごす日である。
この夜、みそのはクリスマスの無い江戸で、本当の意味でそれを知る事となったのだった。
X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼X〼
ーー翌日ーー
「おぅ、真面目に商いやってやがるみてぇだな?」
「こりゃどうも、永岡の旦那。とんとご無沙汰しちまってすいやせん。へぇ」
「何言ってやがんでぇ、みそのから聞いたぜ?」
「みそのさん…でやすかぇ?
はて、なんのこって…」
「お前も徹底してやがんな?
まあいいやぃ。色々気ぃ遣わせちまったみてぇで悪かったな?
ありがとうよ、三太。ふふ」
永岡は一方的に言うだけ言うと、礼を言って上機嫌で去って行った。
その昔、永岡に掏摸で捕まりながらも見逃してもらった三太は、首を傾げながら永岡の背中を眺めている。
ちなみに三太、今は真っ当な暮らしをしていて、智蔵の紹介で本所の軍鶏鍋屋で下働きをしている。
「なんだかわからねぇが、あっしも旦那のお陰で真っ当に生きられてまさぁ。
ありがとうごぜぇやす、旦那」
三太は小さくなって行く永岡の背中に、深々と頭を下げるのだった。
【メリークリスマス!】
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
どうか良いクリスマスをお過ごしください!
本編は来週の月曜日までに更新する予定です。
よろしくお願いいたします。




