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第五十三話 様々な笑い



「のうのう、大村。次の試し斬りはいつにするかのう?」


「若、お声が大きゅうございますぞ」


 大村と呼ばれた男は慌てて周りを見渡すと、小声ながら鋭い口調で窘めた。


 幸いにも白昼に酒を飲む輩は他に居ないようで、この居酒屋にはこの二人を除いて客は居なかった。

 店の者も胡乱な武家に絡まれては敵わぬとばかりに、呼ばれない限り近づこうとしない。その証拠に、先ほど追加の酒を出してからは調理場に引っ込んだままだ。


「若、次なぞと言っている場合ではござらぬ。昨晩、ちいと不味い始末になったばかりではござらぬか…。

 とにかく暫し間を開けまして、ほとぼりを冷ませません事には次はありませぬ」


「何を小さき事を言っておるのじゃ大村。

 そう心配せぬでも良い良い。

 それに我らは下賤な輩を間引きしとるだけじゃ。あの者どももこの村正に血を吸われるだけ幸せと言うもんじゃて」


「若っ!」


 大村が悲鳴のような声を上げる。

 若と呼ばれている男の話の内容もそうだが、話しながらも太刀を半分ほど引き抜いたからだ。

 しかし男はと言うと、そんな大村の反応を面白がる始末で、ニヤニヤしながら一気に太刀を鞘から引き抜いてしまう。

 刀身は存在を誇示するようにギラリと怪しい光を放ち、場違いな白昼の居酒屋にその全容を露わにさせる。

 その刃文は箱乱れ、まさに村正特有の刃文だ。


 箱乱れとは、直刃すぐは(直線的な刃文)にのたれ(ゆったりとした波のような刃文)が混じった刃文で、の目(規則正しく繰り返す波状の刃文)の焼き頭(棟寄りの刃文の頂点)が平らで箱のような焼刃だ。

 また、村正は地鉄が非常に良く鍛え上げられている為、鋼の組織が熱に反応してキラキラ輝くにえ(鍛え上げられた鋼の粒子が荒く肉眼でも見える様)が地刃に付き、刃縁の沸が光に反射すると、あたかもオーラを発しているように輝いて見える。


「ふふ、やはり村正は美しいのう?」


 男は恍惚として刀身を眺める。

 その様子は一見、気が違っているかのようでもある。

 この村正を所有する男、次男坊ではあるが歴とした旗本である。

 名を伊沢いざわ信秀のぶひでと言い、父親の伊沢忠信は今は無役だが、寄合に入る三千五百石の大身旗本である。


「若、刀はそう易々と抜くものではござらぬぞ。それに今は血曇りがござれば、研ぎ終わるまでは人に見せるのも避けねばなりませぬ。ましてや、見る者が見れば直ぐにそれと分かる業物、村正でござるのですぞ」


 大村が呆れつつも諭すように言い募る。


 村正と言えば、徳川家が忌避する刀として知られ、旗本は元より大名までもが帯刀を避けるようになった刀だ。

 これは、徳川家康の祖父清康が謀反に倒れた時の凶器が村正の作刀だった事や、家康の嫡男信康が謀反の疑いで切腹した際に使用した脇差も村正。また、真田幸村が大坂夏の陣で家康の本陣に急襲した際に、幸村が家康へ投げつけた刀も村正と伝承されている。

 他にも因縁深い話がいくつも有り、村正は徳川家に仇をなす妖刀として、世にその名が知られるようになったのだった。


 とにかく徳川家に仕える旗本が、この妖刀「村正」を所持しているのが露見するだけで、お家が取り潰しになり兼ねない。

 そんな刀を如何にも自慢げに見せびらかすとは、この伊沢信秀と言う男、相当頭のネジが緩んでいるのか、本当に妖刀に取り憑かれてしまったかなのだろう。


「だからお主は小さい男だと言われるのじゃ。

 確かに村正と知られるのはちと不味いかも知れぬが、それ以外は伊沢家の名で如何様にもなろうが」


 信秀はそう言うと、詰まらなそうに太刀を鞘に納める。

 そして、


「では早う研ぎに出して、ほとぼりを冷ました次の機会とやらを都合せよ」


「そ、それは…」


 大村は口籠もりながらも、目の前に突き出された猪口に酌をする。


「分かり申した。では約束の方はお忘れ無く…」


「ふっ。大村、心配無用じゃ。容易い事よ」


 意を決したような大村に、信秀は鼻で笑って応え、ニタニタと笑いながら猪口を呷るのだった。



 *



「なんでぇ、なんでぇ。御免よ御免よ、ちょいと御免よう!」


 弁天一家へ戻る途中の正吉だ。

 遠目に人集りを見つけた正吉が、野次馬根性を出して近づき、その人集りを掻き分けて顔を出したところだ。


「なんでぇ。確かおめぇは弁天一家のもんじゃねぇかぇ?」


 正吉は顔を出して直ぐに永岡と目が合い、永岡から声をかけられた。


「へい、弁天一家の正吉と申しやす。へぇ。

 殺しでやすかぇ?」


「ああ、辻斬りだな」


「つ、辻斬り…でやすかぇ…」


「なんだおめぇ、なんか知ってんのかぇ?」


 正吉は先ほど北忠から御用の筋を匂わせるように亜門の事を聞かれたばかりだったので、「もしや鹿の旦那が」と脳裏を過ぎり、それが顔に出てしまったようだ。


「い、いや、そう言う訳じゃござんせんで…」


「隠し事は為にならねぇぜ?」


 永岡の目が細められると、正吉は慌ててブンブンと手を振りながら、


「か、勘弁してくだせぇよ旦那。隠すも何もあったもんじゃござんせんよ。あっしは通りすがりに辻斬りの現場に出くわして、ただ単におどれぇてるだけでさぁ」


 と、必死に弁解してみせる。

 ただ頭に亜門の顔が浮かんでいるせいか、幾分顔が引きつってしまう。

 そんな正吉の様子を訝しんだ智蔵が、


「もしかして仏さんの方に見覚えがあんのかぇ?」


 と、眼光鋭く横から口を挟んだ。


「へ? ああ、そちらさんでやすかぇ…」


 正吉はそこで初めて骸をまじまじと見る事となる。

 そして骸に見覚えがあったのか、骸の近くまで来てしゃがみ込むと、


「ああ、こいつぁ偶にウチへ物乞いに来ていやしたねぇ…。

 名前なめぇは知りやせんが、きっとそいつで間違まちげぇねぇと思いやすぜ」


 正吉は後ろの弁天一家の方角を親指で指しながら応える。

 竪川を挟んで反対側にちょうど弁天一家があるのだ。

 正吉は通りすがりと言いつつも、弁天一家を目前に川向こうで人集りを認め、思わず野次馬をしに、わざわざ橋を渡ってやって来たのだった。


「そうかぇ。そんなりゃおめぇんとこに、こいつの名前なめぇを知ってるヤツが居るかも知れねぇな?」


「へぇ。何かしら恵んでやってたはずなんで、名前なめぇくれぇは聞いてると思いやすよ」


 正吉は永岡の問いに今度は自然に応えている。


「宜しかったらあっしが案内しやすんで、聞き込みをするんでやしたら、遠慮なく足を運んでくだせぇ」


 骸が思いもよらず見知った顔だったせいか、正吉は事件を身近に感じて協力を口にした。


「そうさな。なりゃ後で顔出すんでよろしく頼まぁ。

 おめぇは先にけえって、こいつを知ってるヤツが居ねぇか聞いといてくんな」


「へい。合点でぇ」


 正吉はすっかり手下のように応えると、キレのある動きで踵を返した。


「なんだか良くわかんねぇ野郎だな?」


 正吉を見送りながら永岡が呟くと、


「へえ、最初は何か隠してるようにも見えたんでやすがね…。

 念の為、留吉辺りに探らせておきやすよ」


 同じように正吉の背中を見ながら、智蔵が応えた。

 正吉は北忠のせいで変な疑いがかかってしまったらしい。

 全く、留吉を含めて災難である。


「そうさな。念を入れるに越したこたぁねえな…。

 てか遅えなおい。あの番太郎のヤツぁ、何処まで戸板を取りに行ってやがるんでぇ」


 永岡は災難を確定させる言葉を吐くと、苛立ち紛れに口を尖らせた。


「まあ旦那、今日は慌てるこたぁねえんでゆっくり待ちやしょうや。

 そのうち来まさぁ。ふふ」


 智蔵は思い出したかのようにイライラし出した永岡が可笑しくなって、窘めるように言って笑うのだった。



 *



「みそのお姉ちゃんは、ここで商いをするのかい?」


「そうよ。あの呉服町のお家だと作業するには手狭だし、思い切ってここを借りる事にしたのよ」


 みそのは千太ににっこりと応える。

 ラー油の材料を備え付けの棚に並べ終え、嬉しげに眺めていたところだった。

 千太もお千代と一緒に手伝いをしていて、綺麗に整頓された材料の並ぶ棚を満足げに眺めていた。


 この店は完全にみそのの作業場用として普請されており、少し休めるように二畳ほどの小上がりがあるが、あとは全て土間で竈も二つある。壁際には備え付けの棚もあり、狭いながらも如何にも使い勝手が良さそうだ。

 真新しい白木の香る不思議な作りの裏店に、千太は少々興奮しているようだ。


「その商いって、オイラもお手伝いできないかな?」


 千太は興奮そのままに、目を爛々とさせて聞いて来る。


「お手伝い?」


「うん。みそのお姉ちゃんにはお世話になりっぱなしだし、オイラに出来る事ならなんだってするよ?

 それに、働かざる者食うべからずって言うだろう? オイラ達、美味しいご飯を食べさせてもらってるんだから当然だよ。お願いだからお手伝いさせておくれよ?」


「させておくれよう」


 お千代まで千太を真似て言うと、その小さな体を折り曲げてみそのへ頭を下げた。


「そんなに気を使わなくっていいのよ?

 それに、二人ともお家のお掃除をしてくれてるじゃない?

 それだけでも十分過ぎるほど助かっているのに、これ以上やってもらうんじゃ、私の方が困っちゃうわよう。

 だから千太さんもお千代ちゃんも、お願いだからそんな風に気を使わないでね?」


 みそのは並んで頭を下げる兄妹の前にしゃがむと、二人の顔を見上げながら懇願するように言った。


「ほっほっほ。そうしましたらみーさん、この二人にお給金を出して上げれば良いじゃありませんかぇ?」


 その様子を見ていた酔庵が、可笑しそうに笑いながら口を挟んで来た。


「ああ! それもそうですね、すーさん。

 千太さんには順太郎さんの道場に通ってもらいたかったし、ここで働けば一石二鳥ですよ!?

 流石すーさん、良いところに気がつきましたね!」


 みそのは酔庵の助言に声高に返すと、


「そう言う事で、ただのお手伝いじゃなくて、ここで働いてもらう形なら二人にお願いしても良いわよ?」


 と、二人を覗き込むように続けた。


「やったー!」

「……それじゃ申し訳ないよ、みそのお姉ちゃん」


 お千代は飛び跳ねて喜んだが、千太はそれを横目にもじもじしながら言い募る。


「千太さん?

 千太さんもお千代ちゃんみたいに、ここは喜ぶところよ? 第一これで私もすっきりした気持ちでお願い出来るのだから、みんなが嬉しい事なんだからね?」


「……うん」


 みそのの言葉に千太が頷くと、みそのもにっこりと頷きながら立ち上がり、二人の頭を撫でるのだった。

 そんな光景を目を細めて眺めていた酔庵だったが、思い出したように店の外へ視線をやり、


「それにしてもあの二人、急に仲がよろしくなったみたいですな?」


 と、可笑しそうに呟いた。

 腰高障子の外では、お凛と亜門が何やらやっている。

 何をやっているかと言うと、お凛の注文に応える形で亜門が巻紙にサラサラと絵を描いているのだ。

 亜門は長屋に荷物を運び入れている間、お千代に約束の絵を描いて見せていたのだが、みそのから亜門に読売の挿絵を描いてもらうように言われていたお凛は、気になってその絵を覗き込んでいたのだった。

 お凛は亜門がお千代に描いてあげた猫や犬の絵を見て、その見事な描写に驚き、両国橋の風景画や美人画など、次々にお題を出して亜門に絵を描かせていたのだ。

 お千代はそんな二人の世界に次第に飽きてしまい、みそのの店の整理に加わっていたのだった。


「ふふ、そうみたいですね?

 こうやってあの二人を見てると、なんだかお似合いかも知れませんね?」


 亜門が描いている側から何やら指差して指示を出すお凛と、筆を止めて顳顬を掻き掻きそれに応える亜門の姿が、みそのにはなんとも微笑ましく見えた。


「あっしもお願えしようとは思っていやすが、みそのさんもここへ描いてもらうと良いですよ?」


 儀兵衛が腰高障子を指差しながら声をかけて来た。

 福々しい表情は正に大黒様。

 大黒様の言う事だ、みそのは嬉しげに頷いてみせる。


「ふふ、ではせっかくだから早速依頼と行きましょうかぇ?」


 大黒様は鷹揚に言うと、絵に夢中になっている二人に声をかけた。


「そりゃ構わねぇんでやすが、本当に俺なんかでいいんでやすかぇ?」


 儀兵衛から話を聞いた亜門は、照れ臭そうに言いながら店へ入って来た。

 その顔はいつの間にやら付いた墨で所々汚れている。


「ふふ、勿論良いに決まってますよ!

 なんせ元々饂飩仲間ですしね?」


 みそのは顔に墨を付けた亜門に可笑しくなりながら応えると、早速描いてもらおうと腰高障子へ手をかざしてみせる。


「えーと。ところで何の商いをおやりになるんでやす?」


 亜門はラー油とは聞いていたが、そもそもそのラー油が何かなど知らない。

 絵を描くにしても、何を描いて良いのやらと言ったところなのだ。


「ああ、ごめんなさいごめんなさい。そうでしたね。

 単にラー油と言っても、それがどんな物かご存知なかったですもんね…」


 みそのはかざした手を慌てて戻し、ラー油が唐辛子を主体とした調味料だと説明した。

 説明はされたが、亜門は今一ピンと来ないようである。

 しかし、


「まあ、こんなところでようござんすかね?」


 と、サラサラと腰高障子に筆を走らせた亜門が言う。


「あら素敵じゃないっ!」


「おうおう、何やら雰囲気があって宜しいですな!」


 腰高障子に描かれたものは、唐辛子が踊るように描かれた壺に、味のあるラー油の文字。

 ラー油の油の字は、右下の角から油が滴り落ちたように描かれ、何とも遊び心がある。


「あたしもラー油ってぇのが何なのかさっぱりだけど、この絵を見てたら何だか買つて確かめたくなって来たよぅ。

 あんた中々やるねぇ?」


「なかやかやるねぇ?」


 お凛の口調を真似してお千代が続き、一同に笑いが起きる。

 しかし、お凛は偶に自分でも読売の挿絵を描いているので、この手の話では辛口になりそうなものなのだが、このように手放しで褒め称えるとは、余程亜門の作風が気に入ったようだ。

 お凛の亜門を見る目が、出会いのソレとは格段に違うものになっている。


「へへ。そう言ってもらえやすと描いた甲斐がありまさぁ。

 こうなったらこの長屋は全てラー油屋って事にして、片っ端から掻きまくっちまいやしょうかぇ?」


「いやいや亜門さん。せっかく綺麗にしたのに、他の店子が入れなくなるからやめておくれ!」


 亜門が腕まくりして隣の店の腰高障子に筆を走らせようとするので、慌てて酔庵が止めにかかった。


「へへ。酔庵さん、こいつぁ冗談に決まってまさぁ。

 まあ、俺を調子に乗らせると、そこら中に描いちまいやすよってこってすわ。はははははは」


 亜門が戯けて言って大笑いする。

 皆の反応が余程嬉しかったようだ。


「まあ、この店全て借り受けてくれるくらい、みーさんの商売が繁盛してくれればいいのですがな?」


 酔庵もホッとしたように言って亜門と一緒に笑うのだった。







ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

次話は来週の月曜日に更新する予定です。

よろしくお願いいたします。

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