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第四話 取り調べ

 


「これはこれは、みそのさんじゃありませんかぇ?」


「あら弘次こうじさん…じゃなかったわね、小川先生でした。

 ふふ、今や立派な蘭方医の先生ですものね?」


「やめてくださいよ、みそのさん。小川先生なんて堅苦しい、せめてひろ先生とでも呼んでください…」


 弘次、いや、今や元の医師に戻った小川おがわ弘治ひろはるが、みそのの言葉に照れ臭そうに顳顬を掻きながら応える。


 弘治は元々は侍の出で、蘭方を学んだ腕の良い町医者だったのだ。

 弘治は町医者の頃、町場の金の無い者達を無償で診てやる為に、定期的に盗みを働いていたのだった。

 とは言っても盗みを働く先はと言うと、悪どく金貸しをする旗本や商店が専らで、弘治としては年貢として徴収して、世の為にその金を生かそうとの考えでもあった。

 しかも弘治は薬代程度しか盗まないので、盗られた方は、気付いても奉行所へ届けを出すまでには及ばない。

 叩けば埃が出る輩なだけに、そう易々とお上に訴える事が出来ないと言う訳だ。

 そんな弘治だが、智蔵の一人娘、お雪の危篤の晩に盗みで留守にしていた事を悔み、智蔵を介して永岡に自首して来たのだった。

 永岡は、これからも町医者として多くの人を助ける事が、罪ほろぼしになるのだと、弘治をお縄にせずに放免したのだったが、弘治は再び人を診る資格は無いのだと思い詰め、名も弘治ひろはるから弘次こうじと町人風に変え、人足仕事などで糊口をしのぎながら、永岡の助けをする暮らしを続けて来たのだった。


「でも、相変わらず忙しそうですね?

 えーと、養生所、でしたっけ?」


「ええ、今日もその件で、この先の薬種問屋へ行くところなんです」


 みそのの問いかけに、弘治がはにかんだ笑顔で応える。


 弘治はこの度、将軍徳川吉宗と江戸町奉行の大岡越前守忠相の肝入りで設置が決まった、無料の医療施設、小石川養生所の医師に抜擢されたのだった。

 これにはみそのも一枚噛んでいる。

 みそのは将軍の徳川吉宗、町場では新之助から、誰か良い人材が居ないか打診された事があり、弘次が元は腕の良い蘭方医だった事を思い出し、弘次に断りもせずに独断で推薦していたのだった。

 吉宗は永岡の手下でもある弘次なだけに、すぐさま大岡に下知し、大岡から永岡、永岡から弘次へと、トントン拍子で事が動いて行ったのだった。

 弘次もまさか将軍からのお声掛けには逆らえない。

 永岡から話しを聞いた弘次は、これが潮時とばかりに今までの意地を通す事なく、二つ返事で引き受けたのだった。


「みそのさんは、今日はその…」


 弘治は、みそのの隣で肩を揺すりながら落ち着かない様子の男、正吉を見ながら口ごもる。


「ああ、この人は弁天一家の正吉さんで、今日はその弁天一家のお嬢さんに、お呼ばれして向かっているところなんです」


「ああ、そう言えば永岡の旦那から、以前そんな話しを聞いた覚えがあります。

 相変わらずみそのさんは御多忙ですね?」


ひろ先生ほどではありませんよ?!」


 弘治に肩を竦めながら応えるみその。

 二人はどちらからともなく微笑むと、


「ではお互い忙しい身ですから、今日のところはこの辺で」


 との弘治の言葉で、その場を別れたのだった。


「あ、今度またお邪魔させてください。

 永岡の旦那ともお話ししたいですし、何よりみそのさんの美味しい料理が恋しいのでね?」


 少し歩き出したところで振り返り、弘治がみそのに声をかける。


「いつでもいらしてくださいよ。それに今度は永岡の旦那なんか待たずに、先に家へ上がってくださいね?」


 みそのが嬉しそうに弘治に返すと、弘治はバツが悪そうに頭を掻きながらもにこりと笑い、深くお辞儀をするのだった。



 *



「おめぇが泥沼の加平で間違まちげぇねぇんだな?」


 ゆっくりと眼を開けた加平に、数瞬その眼を確かめる様に眺めた永岡が、穏やかな口調で語りかけた。


「へい、作用でごぜぇやす。あっしが泥沼の加平ってケチな盗人の正体でさぁ」


 加平は永岡の目を見たまま、落ち着き払って応える。


「新田さんの話しと被っちまうかも知れねぇが、そこは勘弁してくれぃ。先ずはオイラの問いに答えてくんな?」


「へい、造作もねぇでやす」


「やけに物分かりが良くて気持ち悪りぃな、おい」


「へい、ここまで来やしたら、もうあっしなんかは死人も同然なんで、生のあるお方を煩わせるのもなんでござんしょう?」


「はは、そりゃいいや。皆んなおめぇみてぇだったら、こっちも余計に昼寝が出来らぁ」


 永岡の軽口に加平は肩を竦めて苦笑いで応える。


「最後の盗みの日に死人を出したのが、年貢の納め時とばかりに腹が決まったみてぇだが、その日はその熊手の弥五郎 以外いげぇに、他にけ働きの輩は居たのかぇ?」


「いいえ旦那、あの弥五郎の野郎だけでさぁ」


 無表情に近い加平の返事を聞きながら、永岡の目が鋭く光る。


「するってぇと、その日、引き込みを除いて押し込みにへえったのは、おめぇさんとここに居る三人、それと弥五郎で全部で五人って事だな?」


「へい、作用でごぜぇやす」


「勿論見張りや猪牙で待たせる輩も含めてだよなぁ?」


 永岡は自分の問いに、加平の目が一瞬暗く光ったのを見届ける。


「そりゃ、あんな大店から盗みを働くにゃあ、随分と手薄なんじゃねぇのかぇ?」


「いえ、大店だからと言って、金を根こそぎいただこうって訳ではねぇんでやすよ。

 あのくれぇの店なりゃ、中へへえるのは三人も居りゃあ、用は足りるんでごぜぇやす」


「そうかぇ、そりゃあ勉強になったぜ」


「いえ、滅相もぇ……」


「まあ、引き込みの女も居たんだし、全部で四人なりゃ何とかなんのかも知れねぇしな」


「へぇ……」


「それにしても一万両だろ?

 四人じゃ担ぎ甲斐があったろう?」


「へい、慣れておりやすんで、そのくれぇはどうにでもなりやすんでさぁ」


「そうかぇ。オイラの見立てじゃあ、せめてあと二人は欲しいとこなんだがなぁ。

 流石泥沼の加平って訳か、手際が良過ぎて惚れ惚れするぜ」


「勘弁してくだせぇよ旦那。こうしてお縄になってるんでごぜぇやすよ。

 何よりもこいつが、あっしの底が知れてるって証拠でさぁ」


 相変わらず永岡から目を逸らさずに返答する加平に、永岡も目を向けたまま頰を緩める。


「これは別に答え無くてもいいんだがな。

 もし仮に、あと二、三人声をかけるんだったら、どんな奴がお望みだったかえ?」


「そりゃ、口のかてぇ一本筋が通った男でやしょうね」


 答えを望まないと言われた問いにも、加平は淀みなく応える。


「そうかぇ。そしたらもしその輩が居たとして、そいつらが土壇場で怖気付いて姿をくらましちまったら、その押し込みは強行すんのかぇ?」


「まあ、その時の状況や頭数 次第しでぇでごぜぇやすが、あっしだったら日延べして様子を見やすかねぇ」


「やはり慎重に慎重を重ねねぇと、泥沼の加平くれぇ掴み所のねぇ盗みは出来ねぇってこったな? 勉強になるぜ」


「いや、実際にはこうしてお縄になってるじゃござんせんかぇ。あっしがこれまでお縄にならなかったのは、偶々運が良かっただけでさぁ」


「その運も弥五郎に熊手で掻っ攫われたって訳だな?」


「仰る通りでさぁ」


 永岡は自分の軽口に、加平の目が少し陰るのを見る。


「おめぇにとっては貧乏神みてぇな野郎だな、弥五郎って野郎は?

 まさかそんな野郎を世話した奴の名前なめぇも忘れちまったってこたぁねぇだろうよ?

 どうなんだい、そこんところぁ?」


「あっしの罪は洗いざらい話しやすが、それ以外いげぇはここへ仕舞って、三途の川を渡るつもりでさぁ」


 永岡の問いに自分の胸を叩いて応える加平。心無しか清らかな顔さえしている。


「そうかぇ。そりゃあ勿体ねぇな。なんならオイラが、そいつを六文で買ってやってもいいんだがな?」


面白おもしれぇ事を仰りやすね。しかし旦那、あっしなんかは船には乗せてもらえやせんよ、元より泳いで渡るつもりでさぁ。

 せっかく旦那から六文銭を頂いても、無駄にしちまうのが落ちでさぁ。その御心だけ頂いておきやすよ」


「そうかぇ、そりゃ寂しい話しだな。まあ、精々溺れねぇでおくれや」


 永岡が軽口に落ちをつけると、加平がほっと声も無く笑った。


「時に加平や」


「なんでごぜぇやしょう」


「堅気を庇うのは良いが、それが庇ってる事にならねぇ場合ばええもあるぜ?」


「…………」


 今までの軽口口調から一転、永岡が低い声音で鋭く問いかけると、今まで目を逸らさずにいた加平の目が、そこで初めて虚空を彷徨った。


「悪りぃ様にはしねぇつもりだぜ?

 おめぇが三途の川を渡るめえに、誰かさんが先に渡っちまうってぇ事もかんげえられねぇかぇ?」


「…………」


「まあ、そこんとこ、よぉくかんげえといておくれや?」


 永岡は最後に優しく語りかけると、智蔵に目配せをして床几から立ち上がった。



 *



「こんな美味い菓子は産まれて初めて食しましたよ!」


「そんな大袈裟なぁ。でも順太郎さんが甘い物がお好きで良かったわ」


 みそのは正吉に連れられて弁天一家へ着くや、待ち切れずに表まで出ていたお百合に急かされ、その足で順太郎の住まう長屋へとやって来ていた。

 そこで手土産のカステラを切り分けて食べての、冒頭の順太郎の反応なのだ。

 このカステラは朝一番で日本橋丸越まで行き、地下食の『福田屋』で購って来た代物だ。

 これは度々長崎まで出かけている、蘭方の薬師である叔父から教わった物だと、またまた大嘘をついての強行軍だ。

 とにかく甘い物で脳の幸福度を麻痺させ、幸せのベクトルを恋心へ向かわせる作戦であった。


「いや、大袈裟なんかでは御座いません。みその様はこれで天下をとれるのでは御座いませんか!?」


 鼻息荒く言い、指に付いたカステラの残り屑を舐める順太郎。相当お気に召した様だ。

 いや、反響が良過ぎて、みそのは今後が心配になるくらいだ。


「お百合さんはお口に合わなかったかしら?」


「い、いえ、凄く美味しいですよ、本当に……」


 順太郎がガブリと噛り付き、瞬く間に一切れを平らげたのとは対照的に、お百合のカステラは角が取れた程度にしか進んでいない。


「ふふ、そうよね。緊張して物が喉を通らないだけよねー?」


 みそのの悪戯っぽい顔を、お百合は頰を膨らませてひと睨みする。


「今日はお父様はいらっしゃらないのですね?」


「ええ、父はこのところ家を開ける事が多いので御座いますよ。お百合さんに紹介して頂いた、代書屋稼業が忙しいのかも知れませんね」


 順太郎は応えながらお百合を見やり、感謝の意を込めて軽く頭を下げる。

 それを受けてお百合の頰が仄かに赤らむのを見て、みそのは思わず目を細めてしまう。


「代書の件もみそのさんから提案された事なのよ?

 だから私は何一つ、順太郎さんに頭を下げられる事なんてしていませんよ……」


 見る見る顔を紅葉させながら、恥ずかしそうに言い訳するお百合。


「そんな事ないわ。お百合さんは順太郎さん達の事を想って、何か助けになる事をしようって必死に考えてたじゃないの?

 順太郎さん、このお百合さんは本当に優しい娘なのよぅ」


「ええ、承知しております。些か出会いが特異な物でしたが、その辺はお話しをして直ぐに分かりまして御座います」


 順太郎がにこりと笑って応えると、益々お百合は顔を赤らめ目を落とす。

 お転婆娘は、すっかり別人の様にその影を潜めている。


『しかし、ここまでだとは思わなかったわ……』


 と、みそのの内心は、順太郎の前でのお百合の乙女ぶりに驚きを隠せない。

 しかしながら、


『さて、ここは強引に行くのも手よね』


 と、キラリとみそのの心の目が光る。


「不躾ですが、順太郎さんは夫婦約束しているお方や、お父様が決めた許嫁なんかはいらっしゃるのですか?」


 脈絡もないみそのの問いかけに、順太郎が目を丸くする。

 みそのの隣に居るお百合も、きっと同じ様な顔をしているだろう。


「と、突然ですねぇ……」


「いえ、こちらのお百合さんが最近縁談の話しが多くて、断るのにてんやわんやの大騒ぎ…までは行かないのかしら?」


 チラリと悪戯っぽくお百合を見るみその。

 お百合はその視線に顔を赤らめながら眉をひそめる。


「ふふ、でも実際に縁談の申し入れが凄く多くて、本人的には困っているみたいなんですよ。

 お年頃ですから、縁談の一つや二つは来て当然なんでしょうけど、お百合さんには心に決めた人が居るみたいで、それも負担になっているんです。だから順太郎さんにも心に決めた人が居るのでしたら、そのお話しを聞けたら、参考になるんじゃないかと思いまして」


「はぁ……」


「私なんかは心に決めた人が居たら、もうその人しか見えなくなってしまうのですが、男の人も同じなのでしょうか?

 男の人から見てお百合さんは、そんな心に決めた人とか言ってないで、縁談を進めた方が良いと思います?」


 みそのの話しを順太郎は小さく頷きながら聞き、応える前にお茶を啜って一呼吸入れる。


「そうですね。先ず、私は夫婦約束している女子も父に決められた許嫁も居りません」


 みそのの横でお百合のほっとした様な吐息が聞こえる。


「しかしながら、それが事で心に決めた女子が居ないとか言うと、それはどうだか自分でも分かり兼ねます…」


 みそのは気のせいか、横に座るお百合の胸の鼓動が大きくなった様に感じる。

 実際、お百合が膝の上の手を握り締めたのが横目で見えた。


「と言いましても、やはり私は、女子に関して全く縁の無い身で御座います。

 実際、今の私は剣の事で頭が一杯でして、そんな女子を想っている余白が御座らんのですよ。

 ただ、お百合さんに縁談の話しが来ていると言うのは、私もお聞きしておりますので、幸せになって頂きたいと切に思っておりました。

 しかし、そんな心境でのお話しとあらば、目出度い事だと軽はずみに祝した事が悔やまれますな。

 単純な話しでは無かったのですね?

 その節はお気持ちを察する事が出来ず、申し訳無い事をしました」


 順太郎はお百合に深々と頭を垂れた。


「い、いえ、なんで順太郎さんが謝るんですか、やめてください……」


 お百合はあたふたと言って、順太郎とみそのを交互に見る。


「いや、いいのよお百合さん。順太郎さんは謝るべきよ」


 お百合は変に攻撃的な口調のみそのに目を丸くする。


「なに言ってるんですか、みそのさん!」


 順太郎も謝る事は吝かでないが、二人の女の雰囲気に呑まれて目を白黒させている。


「だってそうでしょう?」


 みそのは先ほどの攻撃的な口調とは裏腹に、声音を落として窘める様に語りかける。


「順太郎さん」


「はいっ」


 みそのの突然の呼びかけに、順太郎が思わず上擦った声をあげる。


「順太郎さんも先ほど仰りましたよね?」


「はい?」


「お百合さんとの出会いが特異な物で、お話ししているうちに、性根の優しい良い娘だって事が分かったって事ですよ?」


「ええ、確かに口にしました……」


 順太郎は何故か、先生に怒られる子供の様な心持ちになっている。


「言い換えれば、そのくらい順太郎さんの前では、乙女になれているって事なんですよ?

 境内で大立ち回りを演じた娘が、何も無くてこんなしおらしい娘になると思います?」


「…………」


「こんな分かりやすい愛情表現なんて、無いのじゃありませんか?

 私はそんなお百合さんが、いじらしくて可愛らしいと思いますよ?」


「…………」


「順太郎さんはこんな可愛らしいお百合さんを目の当たりにして、何か感じる物は無かったのですか?」


「…………」


「剣術家は相手の心情やらを察する事に、人より長けてると思っていたのですがねぇ……」


「…………」


「私の大事な人も剣術が凄く強くて、名前だって順太郎さんと似ていて、梅太郎って言うんですがね。その人だって、ちゃあんとその辺は察してくれましたよ?」


「…………」


「少しは思うところがあったのでしょう?」


 みそのは黙りこくる順太郎に、最後は優しく問いかける。


「ーーー面目御座らん……」


 暫し押し黙った順太郎は、ぼそりと言って頭を下げた。

 みそのの取り調べじみた言葉の数々に、若侍が落ちた瞬間であった。



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