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第四十三話 甘い物と忘れ物

 


 永岡と智蔵は、雷神の政五郎の店まで来ていた。

 雷神の政五郎は、その二つ名にもなっている浅草寺雷門からもほど近いところで駕籠屋を構えているのだが、所の不良や流れ者を束ねている男伊達の親分でもある。

 そんな政五郎が開帳する賭場での巳之吉と英二の情報を洗い直そうと、二人はやって来たのだったが、政五郎の店を出た二人はどうも苦い顔をしている。


「どうもいけやせんや。やはり一つ歯車が狂いやすと、こうも上手くいかないもんでやすかねぇ」


「まあな。歯車と言やぁ、一時は噛み合ったと思ったんだがなぁ」


 堪らず智蔵がこぼすと、永岡も愚痴るように返してから声音を明るくし、


「まあ、しょうがねぇやな。

 取りえず、忠吾んとこへでも行ってみるかぇ?」


 と、気を取り直すように言うと、智蔵も口調を改め、


「へぃ、そうしやしょう」


 と、威勢良く応え、その歩みも幾分早めた。



 *



「広太兄ぃ、これって大丈夫でぇじょうぶなんでやすかねぇ?」


 翔太が不安げな声で、隣を歩む広太に聞いて来る。


「ちっ、それを俺に聞くのかぇ?

 まぁ、他に聞く奴ぁ居ねぇかぁ…」


 広太はうんざりしながら、聞いてくれるなとばかりに返すも、


「あれだけ止めて聞かなかったんだぜ。俺にはどうしょもねぇやな。

 北山の旦那は、なんだかんだ言っても同心様なんでぇ。親分ならまだしも、下っぴきの俺たちが、あれこれ必要以上に意見も言えねぇじゃねぇかぇ?

 それに、ああ見えても北山の旦那は、探索にゃあツキを持ってるんでぇ。もしかしたらもしかするかも知れねぇから、俺たちゃ気ぃ引き締めてかねぇといけねぇぜ」


 と、下っぴきの常を語り、それでも何かあった時の為に、気を抜く事無くやるのだと窘めた。


 あれから広太達は北忠の言葉通り、佐吉を餌に巳之吉や英二を誘い出す作戦に出ていた。とは言っても、饅頭屋巡りが主体と言っても過言ではない。


 饅頭屋から翔太が帰って来るや、佐吉の裏店へ集まり、饅頭を食べながらの作戦会議だったのだ。

 広太がなんとか北忠に思い留まってもらう為、今夜にでも永岡や智蔵に相談した上で、明日から決行する事を進言しても、北忠は、


「明日だと繋ぎの日だから、やるなら今日だよぅ」


 と言い張り、更に伸哉が、万が一佐吉が襲われた時は、永岡が居なければ助けられないとの言い訳で言い募るも、


「伸哉、お前面白い事言うねぇ?

 そんなのは、ここで待ってても一緒だよぅ。もしそれを言うのだったら、外の方が助けを呼び易いじゃないかぇ?

 やっぱり、ここは作戦決行だよう」


 と、北忠は、ああ言えばこう言うといった具合で全く話にならない。広太と伸哉はあれこれ粘ってみたのだが、最後には佐吉も、


「ここでじっとしてても始まらねぇや。乙松の仇を討つ為にも早く出かけやしょう?」


 と、北忠に賛同する始末で、広太はこれ以上同心の旦那には反対出来ぬと、渋々頷いていたのだった。


 早速先ほどは日本橋の饅頭屋へ赴き、北忠から各自一つずつの饅頭が配給されていた。

 次は神田、その次は下谷、浅草と巡り、吾妻橋を渡って北本所の草餅を最後に、スイーツツアーを締め括る事になっている。

 いや、あくまでも巳之吉と英二を誘い出す作戦だ。

 北忠の割には少々長距離の町廻りなのだが、北忠なりに考えがあっての事なのだろう。とは言っても、馴染みの甘味処を巡るだけなのだろうが。

 とにかく、そろそろ神田も近い。

 広太と翔太の前を行く佐吉の先には、北忠と伸哉が小さく見える。

 布陣としては、北忠と伸哉が先行し、佐吉を挟む形で広太と翔太が殿を務めている。


 広太は前を行く佐吉から目を離さず、


「蟻みてぇに、あめぇもんに寄って来てくれりゃあいいんだがなぁ」


 と軽口を叩きながらも、何処か巳之吉や英二が現れてくれるのではないかと、薄っすらと期待してもいる。

 そんな広太の軽口に、


「正直、もうあめぇもんは食いたかねぇんでやすがね…」


 と、翔太はうんざり顔でこぼす。

 翔太は佐吉の裏店で、


「翔太は一番若いんだから、残ったのはお前がお食べよぅ」


 と、北忠から言われ、残りの饅頭を食べさせられていたのだ。

 これから甘味処巡りが待っている北忠だからこその、普段ではあり得ない余裕の言葉である。


 翔太はこれから食べる饅頭を思い浮かべたのか、少し嘔吐きながら歩いている。


 一方、先行している北忠と伸哉と言えば、


「伸哉、次はまた格別だから覚悟しておきよぅ?

 私としては抹茶風味がお薦めなのだけど、伸哉は抹茶は好きかぃ?」


 と、北忠は佐吉の事などそっちのけで甘味話に花を咲かせている。

 しかし伸哉は、いい加減嫌気がさしたのか、


「いや、あっしはもう結構でやすよ旦那ぁ。

 あっしは、甘えもんはちっとつまむくれぇで丁度いいんでさぁ。

 北忠の旦那にゃ無駄遣いさせちめぇやすから、お気になさらずに。へぇ」


 と、甘味話に水を差す。

 伸哉は元々甘い物が然程得意では無いのだ。


「そうかぇ。確かに甘い物だけだと芸が無いかも知れないねぇ…。

 あっ! 分かったよ、伸哉っ!

 昼餉の時間も近い事だし、次は予定を変更して蕎麦でもいただこうかね?

 ん? 蕎麦じゃ不満かぇ?」


 北忠は名案を思いついたとばかりに声を上げたが、伸哉のつれない反応に眉をひそめて聞き返す。


「いや、不満ってぇのともちげぇんでやすがねぇ…。

 北忠の旦那は、今なにをなさっているか分ってやすよねぇ?」


 伸哉も遠慮無しに眉をひそめて言う。


「そりゃ分ってるよ、伸哉。

 お前が甘い物はつまむくらいで良いなんて言うから、気を利かせたのじゃないかぇ?

 分かったよう。私も武士だからねぇ、武士に二言は無いと言うものねぇ? 予定通りにするよう、もう…」


 そう言った北忠は、プリプリと歩みを早める。

 伸哉は直ぐに北忠に歩み寄ると、


「余り“佐吉”から離れちゃ不味いでやすよ、旦那ぁ」


 と、北忠に思い出してもらうように、佐吉のところを強調して言う。

 言われた北忠は、


「ああ、そうだったねぇ。危うく忘れるところだったよぅ」


 と、並んだ伸哉を肩で押しながら言う始末。

 伸哉は、


『ったく、すっかり忘れてた癖によぅ。なんだろねぇ、この旦那は…』


 と、思いながら後ろの佐吉をチラリと見ると、


「旦那、ちょいと見てくだせぇ」


 と、小声ながら緊迫した声で北忠に声をかけた。

 伸哉に言われるがまま、北忠は後ろを見ると、


「ん? あれはお友達かねぇ?」


 と、のんびりした声を上げる。

 後ろの佐吉が、見知らぬ男と並んで歩いていたのだ。

 その男は小柄ながらも俊敏そうな身体つきで、ずる賢そうな切れ長の目をしている。

 特徴的には、佐吉から聞いていた英二の風貌に思えた伸哉は、


「旦那、旦那はそんな格好してやすんで、ちょいと足を早めて先行しておくんなせぇ」


 と、同心の格好をした北忠を先に行かせる事として、自分は少し歩みを緩めた。


「そうかぇ、分かったよ伸哉。そしたら、ちょいと行ったところでやり過ごして、私は広太達の後ろに回るからね。後は頼んだよぅ」


 流石に北忠も状況を察したようで、そう伸哉へ言い残すと、ちょこちょこと足を早めて先行した。



「こんな所で会うとはなぁ。

 おめぇ、これから何処どけぇ行くんでぇ?」


 佐吉の肩を抱くようにして男が話しかけている。


「ど、何処って、別に何処だっていいじゃねぇかぇ?

 英二こそ、こんな所で何やってんでぇ」


 やはり男は英二だったのだ。

 佐吉はドギマギしながらも、何とかいつも通りに突っぱねるように返した。


「俺のこたぁどうだっていいだろうよ?

 先に俺が聞いてんだから、それに答えやがれってぇんでぇ。

 で、これから何処どけぇ行くんでぇ?」


 英二はしつこく同じ質問をして来る。


「ふっ、何処って言われても、別にあてがある訳じゃねぇんだよ。実は、乙松の野郎がけえって来ねぇんで、心配しんぺぇで捜してるんでぇ。

 英二は乙松を見なかったかぇ?」


 佐吉は鼻で笑うと、そう言って英二に聞き返した。

 昨日の探索前に、もし巳之吉か英二と接触する事になったら、話すように言われていた言い訳だ。


「乙松かぇ? 知らねぇなぁ。

 それよか佐吉、おめぇの裏店に八丁堀が張り付いてるって本当かぇ?」


 英二は乙松の事には素知らぬ顔で返し、また質問をぶつけて来る。

 その目は佐吉の反応を見逃さないようにか、細められている。


「ああ、そうなんだよ。良く知ってたなぁ?

 乙松が帰って来ねぇんで、誰かが番屋へ届けたみてぇなのさぁ。

 おかげで、こっちはビクビクよう」


 佐吉は卒なく返し、眉をひそめてみせる。

 これも昨夜、北忠が巳之吉に見られた恐れがあるので、用意されていた言い訳だ。


「お、おぅ、そうかぇ。

 しっかし、こんな時に乙松の野郎は何処どけぇ行きやがったんだろうなぁ?」


 英二はニヤつきながら、キョロキョロ乙松を捜す素ぶりをしてみせる。

 佐吉は、そんな英二に怒りを覚えたが、


「明日の繋ぎは例の茶店でいいのかぇ?

 って言うより、巳之吉に繋ぎが付けて、明日はちょいと色付けて、金を持って来てくれるように頼んじゃくれねぇかぇ?」


 と話を変えて、英二の様子を伺った。

 英二は少し面倒くさそうな顔をして、


「それなんだがな。

 実はおめぇんとこに、八丁堀が張り付いてんのを見たのは巳之吉でな?

 今は危ねえってぇんで、あいつぁ暫く姿隠すって、夜中に言いに来たんでぇ。

 おめぇにゃ、じきに繋ぎを入れっから、それまではじっとしてろって言ってたぜ」


 と、素気無く答える。

 佐吉は堪らず立ち止まると、


「そりゃどう言うこってぇ。

 勝手にそんな事されちゃ堪ったもんじゃねぇぜ! そんじゃ金はどうなるんでぇ?!」


 と、英二の胸ぐらを掴んで声を荒げる。


「んなもん知らねぇよっ!

 おめぇが勝手に預けたんだろうが!」


 英二は逆ギレしながら、佐吉の手を振り解くと、


「元々おめぇの金なんかじゃねぇだろうが。

 勘違かんちげぇしてんじゃねぇってぇんでぇ。おめぇは黙って言う事聞いてりゃいいんでぇ」


 と言い放って、佐吉を突き飛ばした。


「まあ、伝えるだけ伝えてやっから、おとなしく待ってろぃ」


 英二は見下すように言い捨てると、


「乙松みてぇに消えんじゃねぇぜ?」


 と、ヘラヘラと笑いながら言い放って踵を返した。

 佐吉はその背中を、ギリギリと歯を鳴らしながら睨みつけている。


「後は俺たちに任せて、おめぇは北山の旦那と先にけえってろぃ」


 立ち尽くす佐吉に声をかけた伸哉は、遠去かる英二の跡を追って行った。

 そこへ広太と翔太が合流し、伸哉に耳打ちされた翔太が北忠のところへ駆けて行き、北忠と一緒に佐吉のところへやって来た。


「せっかくだから、蕎麦でも食べてから帰るかねぇ?」


 北忠の第一声に、佐吉は毒気を抜かれてよろけてしまう。翔太も一気に脱力したように、ガックリと首を垂れてしまっている。


「いや、甘い物はつまむくらいで良いって、伸哉が言ってたんだよう。

 それとも何かい、佐吉も翔太も今日は甘味三昧が良かったかぇ?」


 二人の様が蕎麦に不満だと見た北忠は、慌てて言い訳すると、


「私は天婦羅蕎麦なんか食べてから、お土産に、草餅でも買って帰るのがお薦めなんだけどねぇ?

 あれ? やっぱり饅頭の方が良いかぇ? 今日は饅頭三昧の予定だったものだから、最後は草餅で締めようと思ってたんだけど、予定が変わってしまったからねぇ。帰り道を考えると、饅頭だと何処が良いかねぇ…」


 と、お薦めを述べながらも、真剣に悩み出してしまうのだった。



 *



「では、ワシはこの辺でな?

 陰ながら源次郎が送るで、安心して帰るが良い」


「いえ、もう帰るだけですから大丈夫ですよう。

 それにしても新さん、今日は本当にありがとうございました。

 兵さんも凄く喜んでいて、庄さんもとても嬉しそうでしたよ?

 機会があったら、また一緒に行きましょうね」


「そうじゃな。中々貴重な御仁じゃ。今度はもう少し時間をとって、ゆっくりとご教授願いたいものじゃ。ではな」


 みそのと新之助が小石川のある辻で、立ち話に別れを告げているところだ。

 新之助は直ぐそこの小屋敷へと入って行く。


「あんなところだったのねぇ…」


 みそのは新之助を見送ると、感心するようにポツリと独り言ちる。

 どうやらこの小屋敷が、以前聞いていた城中へと抜ける隠し穴のある屋敷らしい。


 みそのは月丹に昼を呼ばれた後、新之助に用事があると言う事で、酔庵と庄左右衛門を残し、先に新之助と一緒に道場を後にしていた。

 酔庵は口を尖らせてはいたが、月丹が無理に引き留める事なく、気持ち良く二人を見送った為、比較的すんなりと帰れたのだった。

 酔庵と庄左右衛門は、もう暫く道場に滞在し、今日も浅草山谷の奥にある庄左衛門の隠宅へ赴き、昨日の対局の続きに興じるらしい。正に碁敵と言うべきか。


「あっ!」


 みそのは歩き出して直ぐ、声を上げて立ち止まる。


「やっちゃったかも…」


 立ち止まってみそのは、何かを探すように帯をパタパタと叩いている。

 みそのは新之助と別れて一人で帰る事になった事で、帯に挟んだ催涙スプレーを確認したのだった。

 以前一人歩きで誘拐に遭ってからと言うもの、みそのは護身用に常に持ち歩くようにしていたのだ。

 その催涙スプレーが無いのだ。


 心当たりは無くはない。

 月丹の道場だ。

 見所に座って見学していた時に、少し当たって位置を変えたのを覚えている。

 その時に落としているか、位置を変えた事により、その後の食事の席で落ちてしまったか、何れにしても月丹の道場で落としたのは間違いなさそうだ。


「見られちゃってるかな…」


 念の為、催涙スプレーは、着物地で作った専用カバーに入れてある。

 しかし、いくらぴったり作ってあったとしても、容易に引っ張り出せてしまう。

 材質もそうだが、何せアメリカ製だ。

 江戸には似つかわしくない文字がびっしりだ。

 これ以上無い抜け荷の品だ。


 抜け荷=死罪


 みそのの脳裏に、以前ネットで見た文字が浮かぶ。


 それに、幸いにもカバーから出されなくとも、咄嗟の時に使用する物なので、催涙スプレーの上部、噴射口は剥き出しになっている。

 誰かが誤って噴射させていたら一大事だ。

 結果として調べられて、すぐに露見するのは間違いない。


 抜け荷=死罪


 再びみそのの脳裏に不吉な文字が浮かぶ。


 みそのはブルリと身震いさせると、慌てて踵を返すのだった。



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