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第四十話 報告と物欲



「ふぅ〜、やっぱり沢山歩いた後のあんたは最高よねぇ〜」


 希美はまじまじとグラスを見ながら、感嘆の声を上げている。

 江戸から戻ると先ず最初にする恒例のイベント、至福の集いである。

 しかし、今日は心なしかその集いも慌ただしい様相だ。


「それにしても千太さんは賢い子よねぇ〜」


 希美は嬉しげに独り言ちる。

 そして今日の出来事を思い出し、ニンマリと笑みを浮かべている。


「あれじゃあ、いくら千太さんが子供だからと言って、ちゃん付けでなんかで呼べないわよねぇ…。

 お千代ちゃんも可愛いかったし、あんな子達が自分の子供だったらいいのになぁ…」


 今日の千吉達との出会いが、相当心温まるものだったようだ。

 そして聡い千太に一目置いているのも伺える。


「それにしても、すーさんには悪い事しちゃったなぁ〜。明日謝っておかないと…」


 クピクピとグラスを傾けた希美は、顔を歪めて独り言ちる。


 先ほど希美が仕舞屋へ帰ってくると、戸口に酔庵からの手紙が挟まっていたのだった。

 なんでも、大岡との面談が早く終わったようで、未だ帰っていないと思いつつ寄ってみたのそうなのだが、案の定みそのは留守だった為、暫く待ってはみたが、今日のところは鎌倉河岸の店の方へと帰るとの事だった。

 昨日寄ってくれと言った手前、希美は申し訳ない気持ちで一杯になっていたのだ。


「源次郎さんにも働いてもらってるからねぇ…」


 希美は源次郎に後ろめたい気持ちで独り言ちると、またクピクピとグラスを傾けるのだった。



 *



「おめぇなぁ、百歩譲って見張りを抜けんのはいいが、おめぇは伸哉達と違って、一目で同心って分かる格好をしてんだから、もうちっと出入りに気を配れってぇのっ。

 それにあれだ、そんな饅頭やらが食いたくなんなりゃ、常に懐にでも饅頭を入れて持ち歩きやがれってぇんでぇ。せっかく見張りをしてても、相手に悟られちまったら意味ねぇじゃねぇかぇ?」


「流石永岡さんっ!

 確かに懐に饅頭を入れておくのは名案ですよっ!

 でも、団子だと持ち運びに難儀しそうですねぇ…永岡さん、その辺のところは如何しましょうか?」


「知らねぇやっ!

 話はそこじゃねぇんだよ、そこじゃあ。ったく、いい加減にしやがれってぇんでぇ!!」


 堪らず永岡がどやしつけて、北忠こと北山忠吾は、ピョコンと飛び跳ねるようにして肩を竦めている。


 永岡達は『豆藤』に集まり、今日の報告を兼ねた酒宴の最中だった。

 ただ、佐吉の警護と見張りの為に、広太と翔太、それに先ほどまで一緒に佐吉を尾行していた伸哉は、佐吉の住まう裏長屋に詰めているので、この場には顔を見せていない。

 この場には、田原町界隈に探りを入れていた北忠を始め、留吉と松次、それに永岡と行動を共にしていた智蔵の五人の姿があるだけだ。

 永岡は、昨日の巳之吉に悟られた一件について、北忠に小言を言っていたのだが、北忠が神妙に聞いている風だった事もあり、途中から言葉を柔らかくしていたのが、どうやらそれが仇となったようだ。

 どやしつけられた北忠は、畏まって小さくなっているが、視線は物欲しそうに鍋へと向かっていて、早くこの時間が終わって欲しいと願っているのが見え見えである。


「ちっ…。

 とにかく、これからは気ぃつけんだな?」


 永岡はこれ以上言っても無駄と悟り、舌打ちと共に北忠を解放する事とした。


「ふぅ〜。あ、松次ダメじゃないかぇ?

 ちゃあんとアクを取らなきゃ、美味しく食べられないんだよぅ?

 私が手が離せなかったのは、見てれば分かっていただろうにぃ」


 北忠は松次に口を尖らせながらも、せっせとアクを掬っている。

 今日は良い軍鶏が入ったとかで、久しぶりの軍鶏鍋となっていた。

 クツクツと煮立った鍋を、満面の笑みで世話をする北忠に対し、声をかけられた松次は、永岡の怒りの視線にブルリと身震いさせている。


「ったく、新田さんもひでえ人だよなぁ」


 永岡は先輩同心の新田に対して、思わず憎まれ口をこぼす。

 そもそも北忠は、永岡と新田の持ち回りで面倒を見る事になっていた。

 しかし蓋を開けてみれば、面倒を見るのは専ら永岡で、今では完全に永岡の配下のように、日々連れ回す流れが定着している。

 永岡も存外使えない事もない北忠なだけに、不平は言うが、見捨てる事なく引き回しているのだが、何分にもこんなのが毎日だと、時折弱音も出てしまうと言うものだ。

 智蔵はそんな見慣れた様子を見ながら苦笑している。


「しっかし、永岡の旦那ぁ。今回こんけぇは明後日まで動きはぇんでやすかねぇ?」


 永岡の機嫌を直そうと、苦笑していた智蔵が酌をしながら声をかけると、


「まあ、そうなるかも知れねぇなぁ。

 だが、その明後日の繋ぎに、巳之吉達が現れるかどうかも分からねぇぜ?

 そうなっちまったら、いよいよ佐吉が狙われんのを待つか、巳之吉と栄二の寝ぐらを、しらみ潰しに探し当てるかになって来るわな?

 ま、いずれにしてもやるこたぁ一緒でぇ。ただ、明日っからは、田原町からは離れた方がいいかもな?」


 と、永岡も同じ事を考えていたのか、今日の調べでも然程成果の無かった、田原町界隈の調べに触れた。


「へい、そうでやすね。

 それにしても闇雲に当たっても何でやすからねぇ…」


 智蔵も同意見らしいのだが、だからと言って、ここと言う場所も浮かばず、難しい顔で両手を組む。


「まあ、留吉と松次にゃ、もう一度政五郎のとこへでも行って、なんか情報がぇか確かめてもらうとするかぇ?」


「へい。やはりそれが一番でやしょうねぇ」


 最初の情報源でもあった雷神の政五郎を頼る事で、二人の話は決したようだ。


「おう、留吉、松次、今の話は聞いてたな?」


 智蔵が声をかけると、


「へい、政五郎親分のところでやすね。合点でさぁ」


 と、留吉が抜かりなく応えた。

 松次も智蔵を見ながらそれに頷いていたが、


「ほれ、何やってんだぇ松次は。こう言うのは呼吸と言うものが大事なんだよぅ?

 ちゃあんと見てないでどうするよぅ。さっとお皿出しなさいな、さっとぉ。

 お前もかれこれ長いんだから、そろそろそこんとこの段取りを覚えないとダメだよう?」


 と、北忠に叱られて、慌てて取り皿を手渡していた。


 それには智蔵も苦笑するしか無く、永岡の舌打ちが聞こえて来るのを待つのだった。


「ちっ」



 *



 コンコン、コンコン


「源次郎さんかしらっ」


 みそのは玄関を控え目に叩く音を聞き、急いで玄関口へと向かった。


「住処を突き止めて来たで、報告に上がらせてもらった」


 案の定みそのが戸を開けると源次郎が立っていて、源次郎は開口一番、その成果を口にした。


「流石源次郎さん。ありがとうございます。

 さ、どうぞ中へ」


 みそのは源次郎へ礼を言い、中へ上がるように促した。


「いや、某はここで構わん。早速、報告するとしようか?」


「で、でしたら、お茶くらいお出ししますので、少しお待ちをっ」


 源次郎が招きを断り、早々に話しだそうとするので、みそのは慌ててお茶の用意をしに奥へ引き返して行った。


「はい、どうぞ。お茶くらい飲んでからにしてくださいな?」


 みそのはお茶の用意をして現れると、上がり框に腰をかけていた源次郎へ、お茶を出しながら声をかける。


「忝い。では遠慮なく」


 そう言って源次郎は、美味そうに茶を啜る。

 やはり源次郎も喉が渇いていたらしい。


「あの男だが、あの後は飯屋で飯を食ってあの先の橋場町の裏店へ入って行ったぞ。宗兵衛長屋と言う裏長屋だ。

 名は巳之吉と言うそうだが、その男の名前で間違い無いのかな?」


 茶を飲んで人心地ついた源次郎が、簡潔に報告をすると、みそのに調べ上げた男の名前を確かめた。


「ええ、間違い無いです!

 助かりました、ありがとうございます」


「いや、造作も無い事じゃ」


 みそのが改めて礼を言うと、源次郎は事も無く言って美味そうに茶を啜った。


「では、馳走になった。上様へお伝えする事は御座らんかな?」


 源次郎は茶を飲み終えるとやおら立ち上がり、新之助への言付けを聞いて来る。


「そうですねぇ…。

 千太さんは、新さんの事が大好きみたいでしたから、千太さんの期待を裏切らないように、江戸の人達の為にしっかりと将軍様をやってください、と?」


「い、いや、上様は今でもしっかりと働かれて御座るから…」


 源次郎は思わず口ごもってしまう。


「ふふ、そうですよね?

 冗談ですよ、冗談。新さんには、何とか千太さんの力になりますとお伝えください。

 それに、千太さんは稀に見る賢い子ですから、一度直接会ってみるのも良いですよ、ともお伝えください」


「分かり申した。ふふ、確かに聡い子でしたな?

 では、そのお言葉、確かにお伝えしましょう」


 みそのへ応えた源次郎は、「これは上様より、預かって参り申した」と、袱紗を上がり框に置いて、身軽に踵を返して立ち去ってしまった。

 みそのは、「あっ」と、引き止めようにも源次郎の動きについて行けず、ただ静かに閉まる戸を見つめるだけになってしまった。


「新さんも、こんな事しなくてもいいのに…」


 みそのは上がり框に置かれた袱紗を見ながら、ポツリとこぼすのだった。



 *



「おう、けえったぜ」


 永岡の声を聞いたみそのは、急いで玄関口へと向かった。

 永岡が腰の太刀を抜いていると、血相を変えてみそのが飛び出して来た。


「おう、そんなに慌ててどうしてぇ?」


 永岡は驚きながら問いかけると、


「突き止めましたよ、旦那っ。あの巳之吉って人の住処を突き止めたんですよっ」


 と、みそのが興奮した様子で報告する。


「本当かぇっ。ってか、おめぇ、まさか…?」


 一瞬喜色を浮かべた永岡だったが、みそのの無茶を疑ってギロリとみそのを見るが、みそのは、それに手を振りながら、


「い、いえ、千太さんを送った帰りに偶然源次郎さんと一緒になって、源次郎さんが跡をつけてくれたんですっ。

 それで、さっき源次郎さんが報告に来てくれたんですよ」


 と、多少脚色しているが、慌てて経緯を話した。


「そうかぇ。とにかく分かったから、おめぇもちっと落ち着きねぇ?

 まあ、中でゆっくり話を聞こうじゃねぇかぇ?」


 永岡は興奮したみそのを落ち着かせるように言うと、あえてゆっくりと腰を下ろして濯ぎで足を洗うが、内心はみそのに負けないくらい心が逸っていた。


 永岡に言われ、みそのも落ち着きを取り戻したようで、酒の用意をして現れた時には、すっかり平常と変わらぬ様子になっていた。

 最も、源次郎が帰ってから、然程時が経っていなかった事もあり、興奮冷めやらぬところへ永岡が帰って来た為、必要以上に昂ぶってしまっていたところがある。

 みそのはすっかり落ち着いた様子で永岡に酌をすると、偶然巳之吉と出食わし、これも偶々居合わせた源次郎に、跡をつけてもらった経緯を話したのだった。


「しっかしおめぇは何なんだろうなぁ?

 強運って言うのともちげぇし、良く分からねぇが、男に生まれてりゃあ、凄腕の同心や岡っ引きになってたんだろうなぁ」


 酒をちびりちびりとやりながら、みそのの話を聞き終えた永岡は、感心するような、呆れるような顔でみそのを評した。


「ちょいと永岡の梅さん?

 それじゃあ、私が男に生まれた方が良かったみたいに聞こえますが?」


「いや、そりゃ例え話だろうがよぅ。んなこたぁ思っちゃいねぇよ。

 それに、後ろにつけた名前なめぇは余計だってぇのっ」


「先に余計な事を付け足したのは、梅さんの方じゃないですか?

 言われたくないんなら、余計な事は言わなければいいのよ?!」


「あぁあぁ、分かったってぇの。オイラが悪うござんした。これでいいかぇ?」


 永岡は戯けて言うと、降参するように両手を挙げる。

 そして二人は同時に笑みをこぼすと、


「まあ、冗談はこんくれぇにして、その詳しいところを聞くとするかぇ?」


「ふふ、そうね」


 と、二人は場が温まったとばかりに、少し顔を引き締めた。


「と言いましても、私も源次郎さんの受け売りでして、見てきた訳では無いので、そう詳しい話は出来ないのですがね?」


「ああ、分かってらぁ。だが住処を突き止めたんなりゃ、上出来もいいとこでぇ。なんも言うこたぁねぇさな?

 詳細まで聞けちまったら、オイラ達の仕事が無くなっちまうぜ?」


「そうよね?

 ふふ、源次郎さんは捕らえなくていいのかって、言ってましたけど、それこそ仕事を奪われるところでしたね?」


 みそのは可笑しそうに笑うと、


「源次郎さんの話では、あの人は橋場町の宗兵衛長屋と言う裏長屋に住んでるそうよ。

 名前も確かめてくれていて、巳之吉で間違い無いとの事でした」


 と、あっさりした報告をする。

 みそのは言葉にしてみて、情報量の少なさに改めて気づき、


「これだけなの…」


 と、肩を竦ませる。


「それだけ分かりゃあ、十分過ぎるさぁね。

 なんせオイラ達ぁ初めに戻って、政五郎んとこから洗い直そうとしてたくれぇでぇ。

 ありがとうよ」


 と、永岡は重要な情報に礼を言った。

 改めて礼を言われたみそのは、源次郎のお手柄を横取りした気分になってしまい、


「いえ…。これは源次郎さんのおかげなので、旦那も今度源次郎さんに会ったら、直接お礼を言ってくださいな?」


 と、源次郎の手柄を強調するのだった。


「そうだな、源次郎殿に感謝しねぇとな?

 礼は言っとくわな。聞くだけ聞いてけえるのも何なんだが、この話を智蔵の耳にも入れときてぇんで、これからちょっくら行ってくらぁ」


 永岡は明日の手配りが変わって来る事もあり、今日のうちに繋ぎを付ける為、これから出かけると言う。


「これからですか?

 まあ、しょうがないですよねぇ…」


「ああ。今日はその後ぁ役宅へけえるんで、おめぇは待ってねぇでいいからな?」


「はぃ…」


 永岡の言葉に、みそのは少し気落ちして応えるも、


「では、気をつけて行ってくださいね」


 と、声音を明るく見送る事とした。


「余計な事をしちゃったかしら…。

 でもしょうがないわよねぇ…」


 夜の闇に消え行く永岡の背中を見ながら、みそのは取り留めも無く呟くのだった。



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