第三十九話 お目当の宝
「今日はなんも引っかかりそうもねぇなぁ?」
「そうでやすね。まあ、昨日の今日でやすから、無理もねぇんでやすがね?」
「ああ、全くでぇ」
永岡と智蔵が茶店の長椅子に腰掛け、のんびりと話している。
今日は何度も見られる光景だ。
丁度今、佐吉が茶店の前を通り過ぎたところで、次は伸哉が通り過ぎるのであろう。
「明後日にゃ会う段取りになってる訳でやすから、よっぽどの事がねぇ限りは、接触して来ねえってこってすかね?」
「ああ。でもそれを言うんなりゃ、昨日訪ねて来たってぇのは、やはり佐吉にゃ死んでもらおうってな話になってんだろう?
町中で運良く佐吉を見つけりゃ、食いついて来んだと思うんだがな。
まあ、こう言う事ぁ気長にやるしか無えって事さぁね?」
永岡が智蔵へ答えた時、伸哉が目配せしながら茶店の前を通り過ぎた。
「旦那?」
伸哉が茶店を通り過ぎると、智蔵が永岡へ声をかけた。
「ああ、そろそろ行くかぇ?」
永岡は、それを腰を上げる合図だと思い、残りの茶を飲み干して立ち上がろうとすると、
「いえ旦那。あれ、みそのさんじゃありやせんかぇ?」
と、伸哉が歩いて来た先を指差して聞いて来た。
見ればみそのは、小さな男の子と楽しそうに話しながら歩いて来る。
「本当だな?
あいつ、あんな子供と何やってやがんだかな?」
永岡も直ぐにみそのと気づいて、見知らぬ子供と話しているみそのに首を傾げている。
「みそのさんの交友関係は、随分と年齢の振り幅が広いんでやすね?」
智蔵は可笑しそうに言って笑っている。
つい最近、みそのが豊島屋の隠居の酔庵とつるんでいるたと、永岡から聞いていたからであろう。
「ふふ、全くでぇ。ちょいと声かけて来っかぇ?」
永岡はそう言うと、小粒を長椅子へ置いて茶店を出て、みその達のところへと向かった。
「あら、旦那じゃないですか!」
みそのは偶然永岡が現れたので、嬉しげな声を上げる。
「おう、そこの茶店で見かけたんでな。智蔵も一緒だぜ
」
永岡はみそのに応えてからチラリと後ろ見ると、智蔵がニコニコと近寄って来た。
「みそのさん、ご無沙汰しておりやす」
智蔵はそう言って頭を下げ、不思議そうにみそのの隣の子供へ目を向けた。
「ああ、この子は千太さんと言って、ちょっとした縁で知り合ったのですよ?
これから、すーさんの長屋へ行って、普請場で出る木屑をもらいに行くところなんです。
千太さん、こちらは永岡の旦那と智蔵親分さんよ?
私が親しくしている方々なの、よろしくね?」
智蔵の視線の意味を察したみそのは、千太を紹介し、千太にも永岡と智蔵を紹介した。
「オイラ、今戸町の千太です。
みそのお姉ちゃんには、絡まれてるところを助けてもらって、稼ぎ先まで紹介してもらって、本当、良くしてもらってます」
千太はそう言って、永岡達に深々と頭を下げる。
「おう、そうかぇ。絡まれてるとこを助けてもらったってぇとこは、ちょいと気になるが、まあ、なんとも無かったみてぇだし、良しとするかぇ?」
永岡はチラリとみそのを見るが、みそのはぷいとそっぽを向いている。
「まあ、精々この姐さんに稼がせてもらうんだな?
こいつぁ商売の仕方を指南するのにゃ、ちいとばかし定評があっから、きっとお前も儲かっと思うぜぇ」
永岡が千太の頭をポンポンと、軽く叩きながら意味深に笑う。
「もう、変な事を吹き込まないでくださいな。
それに、千太さんは小さいですけど、そんじょそこらの大人なんかより、よっぽど商才がお有りなんですよ?」
そっぽを向いていたみそのは、永岡が余計な事を言うので堪らず話に入って来た。
「ほう、お前が言うんじゃ間違ぇ無ぇな?
この歳でお前に仕込まれりゃ、そりゃ大した商人になるんだろうな?
千太、そん時ぁオイラに付け届けを忘れるんじゃ無ぇぜ?」
永岡は面白がって、千太にも戯けた口調で軽口を叩いた。
「みそのお姉ちゃんは、そうな凄いお人なんですか?」
千太は永岡とみそのを交互に見ながら、不思議そうに問いかける。
「お前、商売繁盛の生き神様とか何とか言われてる、金貸しの噂を知ってんだろぃ?
そいつの正体がこのみそのでぇ。
ふふ、お前もいい縁に恵まれたなぁ」
「旦那っ、その話はよしてくださいなっ」
永岡が益々面白がって、みそのの秘密をバラしてしまうと、みそのは慌ててそれを咎めた。
「本当かい!?
あの噂の女の人が、みそのお姉ちゃんなの?」
千太は顔をパッと明るくさせて、みそのへ聞いて来る。
「いや、あのね千太さん。あれはあくまで噂で、話に尾ひれ背びれが付いて伝わってるから、あまり信じちゃ駄目よ?
この旦那だって、面白がって言ってるだけなんだからね?」
みそのは千太に言ってから、永岡を睨め付ける。
「でも、今のところ全て繁盛してんのは間違ぇ無ぇや。
坊もその内、みそのさんから指南してもらうといいぜ?」
「智蔵親分まで、よしてくださいなっ!
もう、二人して面白がって…」
口を挟んで来た智蔵を、すかさずみそのが咎めるが、そんな口を尖らせているみそのの姿を見て、永岡と智蔵はニタニタと笑っている。
「全く、暇人には付き合い切れないわねっ!
行きましょ、千太さんっ」
みそのは永岡達にひと睨みすると、プリプリしながら千太の手を引いて歩いて行った。
「ふふ、いい暇つぶしになったな?」
「へへ、左様で。これで、詰まらねぇ尾行にも張りが出まさぁ」
永岡と智蔵は可笑しそうに笑いながら、みその達の背中を見送るのだった。
*
「あんたがみそのさんですかぇ?
へぃ、酔庵さんから聞いておりやす。どんな普請のご要望でやすかぃ?」
みそのと千吉が、本所深川にある酔庵の長屋へ辿り着くと、案の定せっせと普請をしている大工達が居た。
今は丁度その一人にみそのが声をかけたところだ。
大工は酔庵からみそのの事を聞いていて、みそのからの普請の要望は聞くように言われていたようで、早速その願いを聞いて来たのだ。
「いえ、普請に関して特に注文がある訳では無いのですよ。
こちらは千太さんと言いまして、私の親しくしてる方なのですが、この普請場で出る木屑なんかを、千太さんに譲ってあげて欲しいんです」
「ああ、そんなこってしたらどうぞご自由に。
そうしやしたら、これからは千太坊の為に木屑を取って置きやすよ」
みそのの頼みに、少々肩透かしにあったようだが、大工は頰を緩めながら快諾してくれた。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
千太は深々と頭を下げて、大工を更に笑顔にさせた。
「じゃあ、早速見て回ってもいいですか?」
千太は嬉しそうに大工へ言うと、
「おう、お宝を見て回ってくんな?」
大工が戯けて言ってみせるや、ペコリと頭を下げて普請場を散策し始めた。
「ありがとうございます」
「いいんでぇ。こんな事ぁ何でもねぇんでさぁ。
それよか、何か訳ありなんでやすかぇ?」
みそのが千太の背中を見ながら礼を言うと、大工は事もなげに言って、千太の事情を聞いて来た。
みそのも千太が普請場をウロチョロするのを見ながら、千太の父親が大怪我をして働けなくなっていて、千太がその父親と妹の為に大車輪で働いている事情を話した。
「そうでやすかぇ。そう言うこってしたら尚更千吉坊にゃ、いいお宝を残して置くよう皆にも声をかけときやすぜ?
はぁ〜、でもあの年で大したもんでやすねぇ」
大工はみそのの話を聞いて、更なる協力を口にする。
「ええ、本当に千太さんは大したお人ですよう」
みそのは千太の通った後が綺麗になって行く様を見ながら、しみじみと言うのであった。
*
「あれ? みそのさんじゃないですかーっ!」
みそのは遠くから名前を呼ばれて振り返って見ると、最近入れ違いにばかりなっていたお百合だった。
お百合は順太郎と少し間を置いて立ち止まっている。
「どうしたんですか、みそのさん?」
お百合は嬉しそうに駆け寄って来ると、忙しなく聞いて来る。
「うん、ちょっとね…」
みそのは普請場の隅で風呂敷を広げ、戦利品を仕分けしている千太を見ながら、経緯を説明する。
「ほう、大したものですねぇ」
一緒に聞いていた順太郎も、感心したように声を上げる。
「そうだ、順太郎さん。道場が出来たら、偶に千太さんへも指南してあげてくださいな?
束脩は私が出しますから、是非お願いしますよ?」
みそのは千太にも剣術を習わせてあげたくなって、思わず順太郎へ頼んでしまう。
「勿論、喜んで。しかしみそのさん、私で宜しければお教えしますが、束脩などは別に良いのでございますよ?」
と、順太郎は快諾するも、みそのから金を取る気も無く、金の心配は無用とばかりに言う。
「いや、こう言うのは大事な事なんですよ?
何せ活計がかかってますからね?
あ、そんな事よりも大切な話がありました!」
みそのは話していて何かを思い出したようで、思わず大声を上げてしまう。
「ど、どうしましたか?」
順太郎はみその声に驚きながら、お百合と訝しげに目を合わせた。
「順太郎さんの出稽古先を決めて来たのですよ?!
未だ詳しい日程は決まっていませんが、今度時間を作って、ご挨拶がてら腕前を見せに行って欲しいんです」
「は?」
「いや、だから出稽古ですって。
子供相手の道場運営だけでは、先が不安でしょ?」
「い、いえ、不安と言うよりも、むしろ希望に満ちていますが…」
「まあ、それは良い事なんですけど、やはり大人相手に稽古をつけるのも、大事な事だと思うのよ?
それに収入にもなるのですしねっ?」
みそのは戯けるようにして目を細める。
「勝手に決めちゃって申し訳ないのですが、偶々昔の知り合いが訪ねて来て、話をしてみたら快諾してくださったのですよう。
これは絶対に良いご縁ですから、きっと受けてくださいね?」
「はあ。それは願っても無い事ですし、勿論お受けしたいのですが、私などで本当に宜しいのでしょうか?」
順太郎はみそのに気圧されながら引き受けるも、心配顔で問い返す。
「大丈夫よ。順太郎さんは、永岡の旦那だって太鼓判を押したんですもの。
それに、このお話はお殿様に直接話しを通していますから、腕を見てからとの話になったとしても、決まったも同然の話なのよ?」
「そ、そうですか…。
で、どちらのお家なのでしょうか?」
順太郎は直接殿様に話しが通っていると聞き、動揺しながらも、その出稽古先の家柄を問う。
「加納久通様と言って、今は城中で将軍様の御用懸りをなさっているお方よ。
これを機に、出稽古先が増えるといいわね?」
「そ、そんなお方の…」
順太郎は、みそのに何気なく将軍の御用懸りなどと言われ、声を震えさせてしまう。
「なんか偉いお方みたいですけど、大丈夫なんですか?」
そんな順太郎の様子を見ながら、お百合が恐る恐るみそのへ聞いて来る。
「ええ、お殿様は至って温厚で気さくなお方よ?
順太郎さんならば、全く問題無いわよ。お百合さんも順太郎さんをしっかり支えてあげるのよ?」
「は、はい…」
お百合も気圧されるように返事をすると、みそのは順太郎へ目を戻し、
「順太郎さん、益々精進しなければですねっ!
頑張ってくださいよ!?」
と、発破をかけるように言って笑った。
みそのが笑っていると、
「ありがとうございましたっ」
と、千太の声が聞こえた。
みそのは声のする方へ目を向けると、丁度千太が、先ほどの大工に頭を下げているところだった。
「みそのお姉ちゃん、ありがとう。またおいでって言われたよ!」
千太が嬉しそうにみそのへ報告をすると、お百合と順太郎に気づいてペコリと頭を下げた。
「良かったわね、千太さん。
こちらは順太郎さんとお百合さんよ。二人とも私のお友達なの、よろしくね?」
「オイラ、千太と言います。よろしくお願いします」
みそのに紹介された千太は、改めて自己紹介をすると、順太郎とお百合にペコリと頭を下げた。
順太郎達も頰を緩めながらそれに応えている。
「順太郎さんはね、この普請が終わったら、ここに剣術の道場を開くのよ?
今、千太さんにも教えてあげて欲しいって、話していたところなの。千太さんも興味があったら、是非教わってみてね?」
みそのは先ほどの話を千太にして、千太にも剣術を学ぶように勧める。
「オイラ、剣術はやってみたいとは思うけど、オイラは働かなきゃならないから、せっかくの話だけど、習いには来れないなぁ…」
千太は申し訳なさそうに言い、ペコリと頭を下げて謝った。
「なに、仕事の合間とかに通えば良いのだし、束脩などの心配はしなくて良いから、時間のある時に是非お出でなさい」
順太郎はそんな千太に好感を持ったようで、力強く勧誘する。
千太は人を惹きつける何かがあるようで、出会う人々を皆、千太贔屓にさせてしまうようだ。
「ありがとうございます。そしたらオイラ、頑張って時間を作って来ます」
千太は嬉しそうにはにかみながら応えた。
みそのはそんな千太を見て、笑みを浮かべながら、
「では、遅くなっちゃうと、お父様やお千代ちゃんが心配するでしょうから、そろそろ帰りましょうか?」
と、帰宅を促した。
お百合と順太郎はもう少し普請を見て行くと言い、その場で別れる事となり、みそのは千吉と二人、来た道を歩い行く。
「みそのお姉ちゃん、今日は本当にありがとう」
歩きながら千太はみそのに礼を言う。
「いいのよ、そんな何度も…。
それに、本当に大した事してないしね?」
みそのもすっかり千太のファンになったようで、嬉しげに答えて笑ってみせる。
行きでもそうだったが、帰りも途中から道筋を変え、千太の御用聞きの用事を済ませながら帰り、浅草の今戸町へ辿り着く頃には、空もすっかりと薄暗くなって来ていた。
千太の裏店に近づくと、外で待っていたお千代が目敏くみそのの姿を見つけ、
「あ、みそのお姉ちゃんっ!」
と、駆け寄り様にみそのへ抱き付いて来た。
みそのは先ほどの帰り道で、お千代ともすっかりと打ち解けていたようだ。
「良い子でお留守番出来たみたいね?
はい、これはそのご褒美よ?」
みそのは帰り道で購った饅頭をお千代に手渡すと、お千代は満面の笑みを浮かべて喜んでいたが、直ぐにその笑顔を引っ込めると、探るように千太を見た。
千太は大きく頷いて、饅頭を受け取っても良いと伝えると、お千代はぴょんぴょんと飛び跳ねて、改めて喜びを露わにした。
「今日は本当にありがとう、みそのお姉ちゃん。
お土産までもらっちゃって…」
「いいのよ、千太さん。
私も千太さんと一緒に居て、今日は楽しかったのですもん。また会いましょうね?」
みそのが帰る段になり、今日何度目かの礼を言う千太に、みそのは再会の言葉を口にして笑ってみせる。
「じゃあ、少し遠いいかも知れませんが、うちにも遊びに来てくださいね?」
みそのは名残惜しそうにするお千代の頭を撫でながら、千太へ声をかけて裏店を後にした。
「みそのお姉ちゃん、またねーっ」
後ろでお千代の声がして、みそのは振り向きながら手を振り振り家路につく。
「なんか新さんの頼みを聞いて良かったなぁ」
みそのは頰を緩めながら独り言ち、今日の千太達との出会いを喜んでいると、
「ご苦労様でござった」
「ひゃっ」
と、何処からとも無く源次郎がみそのの隣に現れたので、みそのは思わず驚きの声を上げてしまった。
「びっくりするじゃないですか、源次郎さんっ!
もっと普通に出て来てくださいよう」
みそのは源次郎に口を尖らせると、源次郎はクスクスと笑ってそれを応えとする。
「ずっと見ていたんですか?」
「まあ、それが仕事で御座るからな?」
みそのの問いに、源次郎が事もなげに応えると、
「ぜんっぜん、分からなかったですよう。
一体源次郎さんは、どんな秘技をお持ちなんですか? ってか、もしかして源次郎さんだけじゃ無くって、大勢で見張ってたりしてるんですか?」
またもやみそのの質問責めが始まり、源次郎は苦笑いを浮かべてあやふやに頷いている。
「でも新さんは人使い荒いわよねぇ?
私、新さんの直属の部下じゃ無くて良かったわぁ〜。あ、源次郎さんは既に…。御愁傷様です…」
みそのの言葉に源次郎が声も無く笑っていると、
「あっ」
と、みそのが小さく声を上げてから歩みを止めた。
「どうかなさったか?」
源次郎がみそのの様子を訝しみながら声をかけると、
「源次郎さん、あの人見てください」
と、みそのは角を曲がって現れた男を目で指し示した。
「あの男が何か?」
源次郎はただならぬみそのの様子に、思わず顔を引き締めて聞き返す。
「あの人は今、永岡の旦那が捜している人で、人を殺しているかも知れない人なんです」
「ほう」
「源次郎さん、あの人の跡をつけて、住処を突き止めてもらえませんか?」
「捕えんで良いのかな?」
「それは永岡の旦那に聞いてみないと分からないですし、未だ人を殺してるかどうかも分かりませんから、先ずは住処だけでお願いします」
「承知した。後ほど報告に上がる」
「じゃあ、お待ちしてま…って、源次郎さん?」
みそのが返事をしながら振り返った時には、隣にいたはずの源次郎の姿形が消えていてた。
「全く、源次郎さんってどうなってるのやら…」
みそのは源次郎に呆れつつも、あの源次郎に任せておけば間違い無いと思い、安心して家路につくのだった。




