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第三十三話 小握り屋に繁盛指南なり

 


「旦那、あっこが正兵衛長屋でやしたぜ」


「そうかぇ、すんなり見つかって良かったな?」


 伸哉の報告に、永岡が頰を緩めている。


 今日は北忠こと北山忠吾のお守役に、伸哉が選ばれていた。

 他の手下は広太が引き連れて、昨日の弥之助の住まう田原町界隈へと、もう一度調べ直しに向かっている。

 昨日の話では、永岡と智蔵は、弥之助の死体が見つかった現場に居た三次に、念の為話を聞きに行く事になっていて、北忠と伸哉は、常の町廻りをしながら、広太達へ合流する事になっていた。

 しかし、その後でみそのから、佐吉と乙松の住処を聞いた事もあり、先行している広太達はそのままにし、永岡は三次を捨て置く事にして、北忠組と一緒に、佐吉と乙松の住処へとやって来たのだった。


「いや旦那。菊川町の正兵衛長屋ってまで知れてりゃ、なんてこたぇでさぁ。

 全てみそのさんのお陰でやすよ?」


「まあ、そりゃそうだな?

 でも、あれだ。みそののおかげとかってぇのは、あいつのめぇでは言うんじゃねぇぞ?」


「へへ、そりゃちげぇや。

 永岡の旦那の心配しんぺぇ事が増えちまいやすからねぇ?」


 伸哉が笑いながら永岡へ返すと、嬉々として踵を返し、件の長屋の木戸門を入って行った。


 今日の伸哉は、北忠の守役と言う事で、朝から浮かない顔をしていたのだが、急遽永岡達と一緒に行動する事になり、それからは殊更上機嫌なのだ。

 その反面、北忠はと言うと、広太達と合流までの食べ歩きが断たれた為か、奉行所を出てから口数も少なく元気がない。

 今も浮かない顔で、とぼとぼと伸哉の後ろを歩いている。

 永岡は智蔵と顔を見合わせ苦笑いを浮かべ、消沈気味の北忠の後に続いた。


 裏長屋へと入った永岡達は、折良く井戸端会議をしていた女房連中に、佐吉と乙松の店を聞いたのだったが、生憎と二人揃って不在だった。

 不在と知った永岡は、ここは北忠と伸哉に見張りを任せる事にした。

 その間に自分と智蔵は、当初の予定通り三次から話を聞く為、三次の住処へと向かう事にしたのだ。


「取りえず、ここは頼まぁ」


「ええ、ええ、任せてくださいよ永岡さん。

 それよりも、三次の方は抜かりが無いようにお願いしますよぅ?」


「煩ぇやぃ!

 おめぇに言われたかねぇやな!」


 北忠が永岡に軽口を言ってどやされている。


 先程とは打って変わって、北忠は息を吹き返したように、一気に元気を取り戻している。

 時刻は朝四つ半を少し過ぎた頃合いで、昼餉刻前に自由になれた事が、北忠を生き返らせたようだ。


「忠吾、こいつぁ大事でぇじな見張りだかんな?

 伸哉と協力してしっかり頼むぜ?」


 永岡は不安を覚え、もう一度念を押してしまう。

 北忠の隣に居る伸哉の顔色が、それを物語っていたからでもある。

 智蔵も伸哉の様子が気になり、


「おめぇがしっかりしねぇでどうするよぅ?」


 と、喝を入れるように声をかけると、伸哉は自分の顔色の変化に気づいて無いようで、


「いや親分、あっしは何も問題ねぇでさぁ。

 で、大丈夫でぇじょうぶでやすよ…」


 と、虚勢を張るように応えてはいるも、やはりどうも歯切れが悪い。

 そして永岡は、そんな伸哉の肩を叩きながら、


「よろしく頼まぁ」


 と、声をかけつつ智蔵へ目配せをして、裏長屋を後にするのだった。



 *



「あれ? 今日は善兵衛さんもいらっしゃったのですね?」


 みそのは予期せぬ人物を目にして、驚きの声を上げていた。


 今日のみそのは、先日約束した通り、両国の『丸甚』へは寄らずに、直接小握り屋の作業場、元鳥越町にある裏長屋まで来ていた。

 みそのの住まいする呉服町からもそうだが、今日は鎌倉河岸の『豊島屋』から、直接向かう事になっていたので、『丸甚』のある両国を回ると、少し遠回りになってしまうからだ。

 そう言う訳で、みそのの隣には当然とばかりに酔庵の姿も見える。


 今日は、みそのなりに考えて試した成果を、

 甚右衛門へ披露しにやって来ている。

 その為、みそのはお加奈が来る事は予想していたのだが、まさか善兵衛まで来ているとは思ってもみなかったのだ。

 しかし、ここは善兵衛の店からも程近く、そもそもこの小握りの商いは、善兵衛に商売繁盛指南として勧めた事が起り。

 甚右衛門は、善兵衛の搗き米屋から米を仕入れていたり、この裏店の作業場も共同で使用しているので、考えてみたらそう不思議な事ではない。

 みそのはそんな風に思い直していると、


「いえ、当然ですよ、みそのさん。

 何せ店を構えようと言い出したのは、元はと言えば私なのですからね?!

 それをこの強欲ばりの甚右衛門が、影でこそこそと…。

 しかも、選りに選って、みそのさんに泣きついてまで、話しを進めていたなどと聞いては黙っておれません。

 この話は、私と甚右衛門の二人で受け持つ事となりましたので、みそのさんもそのようにお考えください」


 と、善兵衛が忌々しげに鼻息も荒く言い立てた。

 甚右衛門は半ば及び腰で眉をひそめている。その隣のお加奈は二人を呆れたように見て、顔をしかめながら首を振っている。


「そ、そうなんですね…。

 まあ、私はやる事は変わらないので、考えるも何もないのですがね?

 でも、お二人で共同でお店をやると聞いて、少しほっとしましたよ。人が増えた方が助け合えますし、良い案も出ますしね?

 とにかく、こちらこそ宜しくお願いします」


 みそのは善兵衛達に頭を下げ、そこに居る皆を恐縮させたのだった。


「では早速取り掛かりましょうかね?」


 と、みそのが持参した風呂敷包みを置き、ぱちんと手を打ちながら言うと、


「ほれ、おちささん。良く見ておくんだよ。

 それに、せっかくだから半助も見ておきなさい」


 と、甚右衛門は追い立てるように、雇いの女房風の女と若い男を急き立てた。

 この二人は、この作業場で手間賃働きに来ている者で、総勢で六人程居る中の二人だ。

 今日は場所が狭い事もあり、代表してこの二人が見学に来ていたのだ。


「まあ、これで行けそうならば、後でゆっくりとお教えしますから…」


 みそのは甚右衛門のぐいぐい来る圧力に、やや気圧され気味に応えると、へっついの火の具合を確かめたり、用意の食材を見て回る。

 酔庵もその様子を笑みを浮かべながら、楽しげに眺めている。


「ほう、油を結構使うのですな?」


 甚右衛門が作業を初めたみそのを見ながら、興味津々と言った具合で呟いている。


「まあ、少し贅沢ですけど、これをケチると上手に出来ないですし、何よりこれが味の決め手だったりもするんですよ?」


 みそのは甚右衛門の呟きに応えながらも、黙々と作業を続けている。

 鉄鍋に油を敷き、そこへ溶いた卵を流し込んで、ご飯や干し海老、刻んだ葱やみょうがを入れ、手早くお玉杓子で掻き混ぜている。そして塩や醤油をチロリと垂らし、更に炒めて行く。

 裏店には芳ばしい香りが一気に充満して行く。


「ほう…」


 思わず善兵衛がゴクリと喉を鳴らして、声を上げている。


 みそのは少しつまんで味見をすると、「よしっ」と、小さく声を上げ、大皿へそれを盛り付けた。


「出来上がりです。味見してみてください」


 との、みそのの声とともに、「おお」と、低い感嘆の声が甚右衛門達から上がる。

 みそのは嬉しそうにそれを見ると、もう一度味見を促し、自分は水に浸していた白髪ねぎの水を切り、小鉢へ入れると、用意のラー油を加えて和えて行く。


「これは美味いっ!」「うぅむ、いけますぞっ!」


 みそのが作業している間に、味見をした甚右衛門達から次々と感嘆の声が上がる。

 そして、みそのは今和えたばかりの、赤く染まった白髪ねぎを大皿へ乗せ、


「今度はこれを乗せて食べてみてください。ピリッと辛いので、辛いのが苦手な方は少しだけにしてくださいね?」


 と、皆の顔を見回しながら勧める。


「おっ、これも中々っ。ピリリと良い塩梅で、食が進みますな?!」


「そうだね、あんた。これは歯応えも良いし、幾らでも食べれそうだよぅ」


 甚右衛門の声に、お加奈が嬉しそうに応えて、もう一口とばかりに匙を伸ばしている。

 一番頼りにしていたお加奈の口にも合ったようで、思わずみそのの口角も上がる。


「いやぁ、みそのちゃん。これは本当、美味いよぅ。

 最初は油ん中にご飯入れちゃうもんだから、どうなる事かと思ったけど、流石みそのちゃんだねぇ?

 これは大工や人足だったり、力仕事してる人達なんかには、絶対に人気が出るよぅ。うん、間違いないねぇ!

 あんた、これはいけるよっ!」


 お加奈がみそのへ賛辞を送り、夫の甚右衛門へも太鼓判を押すように、その声音を明るくする。


「お加奈さんに言ってもらえると、私もほっとしますよ。

 とにかくこんな感じで、今の小握り屋で使っている食材から始めて、これに汁物をつけてお出しすれば良いかな、って思っています。

 あと、ここにある他の食材や、新たな食材でも考えてみようと思っています。

 昨日の今日ですし、取り敢えずはこの一品で、皆さんの反応を見てからだと思ってましたのでね?」


 みそのは、そんなお加奈へ返しながら、甚右衛門達へ今後の取り組みを話すと、


「いやぁ、みそのさんっ。これは思っていた以上のもので御座いますよ!

 小握り屋の食材で、まさかこんな美味しくて、しかも、他で見た事の無いものが出来るとは、流石にみそのさんだっ。

 本当にありがとうございます」


 と、甚右衛門は感動したように言って、深々と頭を下げる。

 そして、その横の善兵衛も、甚右衛門の言葉にうんうんと頷きながら、同じく頭を下げるのだった。

 おちせと半助の二人も、ようやっと味見をしたようで、二人とも目を見開きながら、幸せそうな顔をしている。

 先ずは、ここへ集まった者の評判は上々なようだ。


「これはこれは。みーさんは、またもや商売繁盛指南を成し遂げたようですなっ! ほっほっほっほ」


 その様子を見ていた酔庵は愉快げに言うと、高らかに笑うのだった。



 *



 みそのはお披露目会を終え、酔庵と二人、お百合のところへと向かう事として、両国の『丸甚』へと戻るお加奈とともに、ゆるゆると歩いていた。

 今日は日差しも心地よく、先ほどの試食の興奮もあってか、お加奈の口も滑らかになり、三人横並びで楽しげに話している。


 そうして一行が細道から御蔵前通りに出たところで、浅草方面に目をやったみそのが急に立ち止まり、


「ちょっとあの男を見てくださいな?」


 と、両隣の酔庵とお加奈へ声をかけた。


「あの男と言うのはどの男の事ですかな、みーさん?」


 酔庵は、みそのの険しい表情に眉をひそめ、困惑を隠し切れない。

 みそのが指し示す先には、大勢の道を行き交う男達がいるだけなのだ。


「あの肩を大きく揺らしながら歩いている、少し小柄な男の人ですよ?」


「ああ、あの男ですね? で、あの男がどうかしましたかな?」


 みそのが酔庵の困惑の問いに応え、酔庵がようやっとその男に気がついた時、


「あっ、みそのちゃんあの男っ」


 と、お加奈も男が近づいて来た事で、その顔を確認出来た様子で声を上げた。


 お加奈も見覚えがあるその男、それは、みそのが昨日跡をつけた佐吉だったのだ。

 みそのは昨日跡をつけたおかげで、佐吉の歩き方の特徴を掴んでいたのもあり、逸早く見つけられたようだ。

 お加奈は自分の声にみそのが頷くのを見て、


「まさか、みそのちゃん…。

 おやめよ、みそのちゃん。気づかれたら何させるか、分かったもんじゃないんだからね?!」


 と、その表情でみそのの行動を予測して、慌てて窘める。

 酔庵は相変わらず意味が分からないながらも、不穏な空気を察して、通り過ぎる男を眉をひそめたまま見ている。


「今日、永岡の旦那が調べに行っているはずなのよ?

 一人のところを見ると、きっと入れ違いになってると思うのよね…。

 やっぱり見失っちゃうといけないから、私、これからあの人の跡をつけるわ。だから二人とはここでお別れするわね?」


 みそのは言うや、男の跡を追い始める。


「ちょ、ちょっとみそのちゃん…」


 お加奈はみそのを呼びながら追い、酔庵もそれに続いてみそのの横へ並んで、


「良く分かりませんが、みーさん。これはお加奈さんの申された通り、危ないですから、おやめになった方が良いですぞ?」


 と、みそのへ声をかける。

 みそのはそれに頷きながら、


「昨日も跡をつけたんですよ?

 存外あの人は警戒心が無いから大丈夫ですよ。すーさんには悪いけど、今日は予定変更で、また明日…いや、明日すーさんは、大岡様とお会いする事になってるのよね。明後日にでも会ってお話ししましょ?」


 と、臆する事なく応えて、その歩みを止めない。


「い、いやぁ、みーさん。そうしましたら、私もお供しますぞ?

 お加奈さんは、この事を自身番にでも届けて、永岡様へ伝わるようにしてくださいな?」


 酔庵はみそのが聞き入れないと見るや、自分も同行を願い、お加奈へは永岡への繋ぎを頼むのだった。


「ちょ、ちょっと二人ともおやめなさいなっ。

 こんな事は素人がやるような事じゃないんだから、怪我でもしたらどうするのさぁ?」


「お加奈さん、本当に気をつけますので大丈夫ですからね。

 それよりお加奈さんはお店へ戻って、お仕事をしてくださいな。

 どうせ今夜にでも永岡の旦那に報告するので、自身番へも知らせ無くて大丈夫ですからね?」


 お加奈の心配も他所に、みそのはそう言って尾行に集中してしまう。


「お加奈さん、みそのさんには私がついていますから、心配なさらず戻ってくださいな。

 でも自身番へは念の為、届けておいてください。

 なに、もし気づかれそうになったら、みそのさんは私が護ってみせますよ」


 酔庵もそう言って、今度はお加奈を窘める。


「もう、酔庵さんまで…」


 お加奈は呆れ顔で酔庵を見て、それ以上の言葉を諦めるのだった。



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