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第ニ話 酒宴

 


「それにしても、どうも呆気なく終わっちめえやしたねぇ?」


 智蔵がぼやく様に言いながら、永岡と新田に酌をする。


「まあ怪我人も出さずに済んだんだ。万事それに越したこたぁねぇやな」


 新田は上機嫌に言いながら、注がれた酒を一気に呷った。


 捕物を終えた永岡達は、お縄にした盗賊どもを奉行所へ連行してから、智蔵が女房のおふじにやらせている居酒屋『豆藤』へと繰り出し、労いの宴を催していたのだった。


「ひょ〜、これはこれはまたまた〜」


「ちっ……」


 北忠きたちゅうこと北山きたやま忠吾ちゅうごの奇声に、永岡が舌打ちを漏らす。


「まあまあ、無事捕物も終えたんでさぁ。

 今はゆっくり美味いもん食って、酒を飲むのもお勤めでさぁ」


 笑いを堪えた智蔵が酌をさせろとばかりに、注いだばかりの酒を干す様に促す。


「まあな。でも今日のあいつぁ何もしてねぇぜ?」


「へへ、まあ、そこが北山の旦那って事じゃねぇですかぇ。昨夜のお手柄もありやすしねぇ?」


「けっ」


 永岡は鼻で返事をするも、それ以上は何も言わずに猪口を呷ると、素直に智蔵から新たな酌を受ける。

 確かに智蔵の言う様に、昨夜の隠し金の祠を見つけたのは北忠の手柄だった。


 北忠は見張り場としていた蕎麦屋の二階で、遠く夜鳴きそばの声を耳聡く聞きつけた。

 それに誘われる様に見張り場を抜け出した事で、賊の一人と出くわしたのだ。

 その後、北忠が見事あとをつけてみせた事により、今日の捕物の決め手を掴んだのだった。


松次しょうじもこのお藤さんの心意気を食べてごらんよぅ。

 これが分かる様になったら、私みたいに手柄をあげられる様になるからねぇ〜」


「へいへい、要は食い意地をはりゃあいいんでやしょう?

 北山の旦那にゃ敵わねぇや」


「松次オメェ、旦那になんてぇ言い草してやがんでぇ。今となっては北忠の旦那の食い意地ゃ、捕物にゃ欠かせねぇ大事でぇじな武器だぜ?

 オメェは元より誰も敵わねぇやな?」


 鼻の穴を膨らませた北忠に、酒の入った松次がいい加減に応え、それを伸哉が被せて皆で馬鹿笑いしている。


「まあ、いいんだけどな?」


 永岡は諦めた様に智蔵へ目配せしながら、ちびりと酒を舐める。


「それにしても智蔵が言う様に、今日の捕物ぁ呆気なかったな?

 あんなんなりゃ、オイラも要らねぇくれぇだったぜ」


 横から新田が話しかけて来る。


「まあ、そうなんですが、新田さん達が来てくれたおかげで、怪我人も無く、無事に捕物を終えられたん…」


「で、永岡、どう見るよ?」


 新田は永岡の話しを途中で手で制し、ギョロリと鋭い眼光を向ける。


「どうと言いますと?」


「そりゃあ、この捕物の切っ掛けになった投げ文の事さね?」


「投げ文、ねぇ……」


「おぇも気にかかってんだろぃ?」


「まあ、気にかからねぇっちゃ、嘘になりますがね。

 新田さんもやはり気になりましたかぇ?」


「どう言うこってす?」


 永岡と新田が探る様に話し出したところに、智蔵が眉を寄せて割り込んで来た。


「いや、どうって事でもねぇんだがな?

 オイラも新田さんも、今日の捕物に違和感を覚えたって事さぁ」


「その違和感ってぇのが、投げ文に関係してると?」


「まあな」


「そうだ智蔵。オイラも永岡も今日の捕物にゃちっとばかし消化不良でな。

 その原因が、投げ文にあるんじゃねぇのかって話しなんでぇ」


「ど、どうも仔細が見えねぇんでやすが……」


 智蔵が二人の旦那を交互に見ながら、更に眉をひそめる。


「いや智蔵、そんな核心に迫る話しでもねぇんで、合点が行かねぇでもしょうがねぇやな。

 まあ、ちっとばかし泥沼の連中が潔すぎたって話しでな?

 どうも今日の捕物も、端っから分かってたんじゃねぇかと思ったまでよ」


 永岡が智蔵に応えて新田の顔を覗き込む。


「そう言うこった智蔵。オイラも永岡もそいつの原因は、投げ文にあるんじゃねぇのかって、かんげえてたところなのさぁ」


 新田が永岡に膝を打って応えると、永岡の言葉を引き取って続けた。


「するってぇと泥沼の奴等ぁ、自分達であんな真似をしたって事なんでしょうかぇ?」


「そいつぁ分からねぇが、それもあり得るな?

 まあ、何にしても投げ文の件を捨て置くにゃ、ちっとばかし忍びねぇってこった。

 挙げたのが本物の泥沼の加平で、間違まちげぇねえって事なりゃ、捨て置いてもいいんだがな」


「ま、そう言うこった智蔵。

 今は特にかけえてる案件もぇし、明日っから投げ文を調べようと思ってたとこでぇ。

 んなもんだから、おめえもちょいと付き合ってくれねぇかえ?」


「そりゃまあ、是非もねぇこって」


「あいやー!

 お藤さんと来たら、こぉう来ましたかー」


 永岡に智蔵が応えた時、北忠の頓狂な声があがった。

 智蔵の女房のお藤が、盛り上がる北忠達の善に鍋を出したのだ。

 鍋の中は真っ白い物がこんもりと鎮座している。

 その真っ白い物の正体は、大量に擦り下ろされた大根だ。

 これは、今はこの場に居ない永岡の手下の弘次が、永岡と一緒に食べたみそのの鍋の話しを、事ある毎にお藤に吹き込んだ事により、この『豆藤』で最近再現されたのだった。


「まさかこいつが噂の淡雪鍋ですかぇ?!」


「松次ぃ、ちょいとそいつは早計だよぅ。ほら、よおく見てごらんよ?」


 少し腰を浮かせて盛り上がる松次に、北忠は鼻を膨らませたしたり顔で、お藤の手元を見る様に促す。

 次々と並べられる具材の皿には、軽く湯通しした軍鶏肉と鶏卵の黄身が人数分用意されている。他にポン酢や七味、柚子などの小皿も配膳されて行く。


「あら、北山の旦那は相変わらず目敏いのですねぇ?」


「いやいやお藤さん。これは目敏いとかではないのですよぅ?

 お藤さんの次の手を読みながら、この箸をどう振るうか考える。

 ふっ。武士と言うものは、何事も真剣勝負なのでございますよ」


 箸を振り回して腰の見えない鞘に納める北忠。松次と伸哉が、揃って眉を寄せて見ているのには気づいていない。


「ふふ、淡雪に映る新月、と言ったところかしらね?」


 そんな北忠を目を細めて見ながらお藤が言った。

 そんな遣り取りを見ながら、永岡は舌打ちを肴に酒を舐める。


「智蔵、そう言うこった。

 今夜は淡雪に映る新月とやらで一杯やって、あとは明日っからって事だな?」


 永岡はこれ以上役向きの話しは無粋だと思ったのか、智蔵にそう言って箸を伸ばしたのだった。



 *



「ぷはぁー、やっぱルービーよねっ!」


 永岡が鍋に舌鼓をうっている頃、希美は感嘆の声をあげていた。

 白い帽子を乗せた琥珀色をニンマリの眺める希美の口元には、ほんのりと淡雪が残っている。


 希美が江戸から帰って、先ず最初に行う儀式がこれだ。

 一年経ってあれこれと生活が変わっても、こればかりは変わらない。


「それにしても初々しい恋バナって、テンション上がるわー」


 独り言が多いのも変わらない。


 希美は今度はゆっくりとグラスを傾けながら、コクコクと喉を鳴らす。

 今日のお百合との会話を肴にしての宴は、ビール一本では終わらなそうだ。


「でも安請け合いしちゃったかなぁ……」


 グラスにビールを注ぎながら、今度は弱気な声音で独り言ちる希美。

 早々に酔いが回って来ているのかも知れない。


「んー……」


 希美は大仰に腕を組んで、今日のお百合との会話を思い返す。


 お百合が抱える恋心とは凡そこうだ。


 今年十七になるお百合には、その美貌もあってか、引っ切り無しに縁談話が舞い込んで来ている。

 家が香具師の元締めである弁天一家なだけあり、その筋からの縁談話が殆どなのだが、中にはお百合を町場で見かけた、大店の若旦那からの申し入れも少なくない。

 お百合の父親である伝七にとっては、しがらみを生む同業よりも、むしろその大店からもたらされる縁談話に乗り気な様なのだ。

 伝七としても娘には幸せになって欲しい。

 娘は既に十七となり、拐かしに遭った事も大いに影響しているのか、伝七のその思いも強まる一方で、数々と持ち込まれる縁談を進めようと、随分と躍起になっているのだと言う。


 しかし、当のお百合はと言うと、心に憎からず想う殿方がいる。

 それは、凡そ一年ほど前に出逢った、浪人剣客である中西周一郎の息、順太郎であった。

 拐かし事件の直後の事だ。

 総髪を後ろで一本に纏めた若侍は、弁天一家の縄張り内にある長屋に転がり込んで来たのだ。

 お百合との出会いは偶然でいて、良くあると言うべきか。

 拐かしで拘束されていたお百合は、自分の無事を知らせる為、友人を巡っていたのだった。

 友人と言っても親の生業が生業だけに、楊弓場の看板娘の姉さんやら、賭場で花形ツボ振りを務める鉄火な姐さんなどが多い。余談だが、鉄火巻きとは、そんな鉄火場(賭場)で、博打をしながら手軽に摘める様に出された事が始まりだとか。

 話しがそれたが、お百合の交友関係と言うのは、そう言った面々が多い。

 よってその大部分の所在は、治安のよろしくない場所に偏っている。

 その日も楊弓場の看板娘、お千花とお京に無事の報告がてら、顔を出したのだった。

 お百合はその帰り道に破落戸二人に絡まれたのだ。

 この破落戸達は余所者だったのだろう。

 この辺りでお百合は、弁天一家の伝七の娘と言うのは周知の事実。そんなお百合に絡むとは正気の沙汰ではない。

 しかし、知らぬは仏とばかりにその破落戸どもは、足を踏んだのなんだのと因縁をつけたのだった。

 そこに偶々通りかかって助け出したのが、順太郎と言う訳だ。

 しかし、助けられたのはお百合では無く、破落戸二人の方だったのだが。

 お百合は破落戸に絡まれるや、近場の店から竹竿を借り受けると、拐かしに遭った鬱憤も有ったのだろう、身軽に飛び回り、さんざんっぱら破落戸二人を打ち据えていた。

 そこに止めに入ったのが順太郎と言う訳だ。

 順太郎は地を舐めている破落戸二人の前に立ち、お百合と対峙したのだ。

 気が高ぶったお百合の勢いは止まらない。

「あんたもグルなら容赦しないわよっ!」っとの啖呵を言い終える前に、猛烈に順太郎に飛びかかったのだった。

 順太郎は見事な体捌きでお百合を往なすと、隙が生まれた手首を取り、悠々とお百合から竹竿を取り上げたのだった。

 順太郎は粗方の経緯は見ていたので、どちらが悪いかは心得ていた。その上で、これ以上この破落戸を痛めつけるのは無用とばかり、お百合を説き伏せ、お百合を家まで送り届けたのだった。


 お百合としては、道場の男達でも同年代では負け知らずだった為、この突然現れて軽くいなされた若い侍に、俄然興味が湧いたと言う訳だ。

 帰りの道中、聞けば住まいは父親の縄張り内の長屋と言う事で、その後は何かにつけて差し入れだのを持って、会いに行く様になったのだった。

 元より自分が嫁ぐ男は、自分よりも強くなくてはならぬと心に決めていたお百合だ。

 若侍のすっとした容姿もさる事ながら、そんな思いが益々お百合の恋心を育んだのだった。


 みそのは一年ほど前のこの出会いの直後に、お百合から相談を受けていた。

 その際は、破落戸を痛めつけ過ぎたせいで、逆にお上からお叱りを受け兼ねなかったと言う口実で、お礼がてら何か差し入れを持って会いに行く事を勧めていた。

 お百合はみそのに言われるまま、嬉々として行動した。

 そして、みそのが弁天一家に顔を出した際には、その報告を受けたり、新たな口実を考えたりと、若い乙女の恋心を温かく見守っていたのだった。

 その後は、おきくの頼みから棒手振りの辰二郎たつじろうへ商売繁盛の指南をする様になり、俄か忙しくなってしまい無沙汰をしていた。

 そして、次々と起こる事件などで、本格的に足を運ぶ事が出来ずに今日に至っていたのだ。



 プシュ


「まあ、とにかく明日、お百合さんと一緒に長屋へ行ってみて、実際に順太郎さんと会ってみてからかしらね……」


 希美は2本目のビールを開けると、面倒ごとを後回しにする気楽さで独り言ちた。


「ふぅうー、とりあえず今はコレだわー!」


 希美は冷えたビールを喉に流し込み、満面の笑みでグラスを高々と掲げるのだった。



 *



「おう、邪魔するぜっ」


 勝手口から聞き慣れた声が聞こえて来る。

 みそのは赤らめた頰を綻ばせて立ち上がる。


「邪魔するぜってうめさん、今何時だと思ってるんですか?」


 みそのが濯ぎ水と手拭いを持って口を尖らせる。


「その梅さんは良さねぇかぇ。

 それに何度も言うがな、そんな時刻を気にしやがるんなりゃ、閂くれぇかけとけってんでぇ」


「はいはい、閂かければいいんですね?

 それはそうと、梅様とでも呼べばいいかしら?」


 逞しい足を濯ぎながら、みそのが悪戯っぽく応える。


「ったくよぅ。おめぇにゃ絶対ぜってぇ知られたくなかったんだがな……」


 凛々しい眉を八の字にして、すっと通った鼻をひくつかせる。


 黒羽織りに尻っぱしょり、腰の二本差しを抜き、みそのに足を濯がれている男の腰には十手が挟み込まれている。

 梅さんとは永岡の事である。


 永岡とみそのは夫婦約束をしているが、未だ正式に夫婦になった訳では無い。

 みそのと永岡は、夫婦になる事を前提に、“正式にお付き合いをする”と言う形をとっていた。

 その際に永岡の唯一残された肉親である母、志乃しのを紹介され、その時初めて永岡の名前を知ったのだった。

 二人が夫婦にならず、こうした曖昧な形を取っているのは、この志乃が首を縦に振らなかったからなのだが、これはまたの話しとする。

 とにかく、そこで初めて明かされた名前。


 永岡ながおか梅太郎うめたろう


 永岡のフルネームだ。


 永岡は松竹梅の梅くらい気楽な気構えで、怪我せず命を落とす事無く、無事にお役目を勤め上げる様にと命名されたと聞いている。

 血気盛んな永岡にとって、この中途半端な事勿れ主義的な名前が嫌いだった。

 そんな事もあり、親しい仲間にも名前で呼ばす事無く、今日まで来ていた。


「でも私は好きよ、梅さんって響き。お寿司屋さんみたいじゃない?」


「なんだそりゃ。オイラをそこらの寿司の辻売り扱いすんじゃねぇやい!」


 永岡はみそのに鼻息荒く応えると、手拭いを荒っぽく取り上げ、さっさと自分で拭いて立ち上がった。


「こんな立派な体のお寿司屋さんなんて、居ないわよね?」


 すっと永岡の胸に顔を埋めて品を作るみその。


「お、おぅ……。

 ま、まあ、上がらせてもらうぜ」


 永岡はさっきまでの憤懣が何処へやら、急なみそのの接近に顔を赤らめてしどろもどろ。

 未だ初々しさが残る二人の関係が伺える。


「おめぇも酒飲んでたのかぇ?」


 みそのに酒の香りを覚えたのか、気を取り直す様に永岡が声をかける。

 さっきまでビールを飲んでいた為、みそのの頰も仄かに赤くなっている。


「梅さんもお酒臭いわよ?」


「だから梅さんは良さねぇかってぇの……」


 みそのがまた悪戯っぽく言い返すと、永岡は辟易した顔をする。


 しかしそれとは裏腹に、みそのをすっと抱き寄せるのだった。



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