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第十九話 同情剣学

 


「みーさん、その薬はやけにスースカと鼻にきますなぁ?」


 酔庵がくんかくんかと鼻を鳴らし、物珍しそうにみそのへ話しかけて来る。


 みそのは駕籠に揺られて腰の痛みがぶり返し、駕籠を降りるや、物陰に隠れる様にして、手を器用に袖から引っ込めて薬を塗っていたのだ。

 こんな事があろうかと、仕舞屋を出る際に念の為懐へ入れておいた薬だ。


「ちょいと失礼しますよ…。

 南蛮渡りでしょうかね?」


 酔庵はみそのの手を取って鼻を近づけると、難しい顔をして更に問いかけて来る。


「いえ、私の親類筋に蘭学に明るい方がいまして、時折薬をいただいているんですよ…」


「ほう、それはそれは。そんな御仁がみーさんの親類にねぇ。

 その薬は打ち身に効く薬と言う訳なのですよね?

 如何にも効き目がありそうな匂いですが、それは売りに出されているのですかな?」


 みそのが定番になりつつある言い訳を口にすると、酔庵は感心しながらも薬の販路を訪ねて来た。

 如何にも商売人と言ったところか。


「いえ、これは趣味の様に気ままに作っているみたいでして、偶にこうして私にくれたりするくらいで、売ったりはしてないと思いますよ…?」


「そうですか、それは勿体無い。

 試した訳ではありませんが、このスースカとした匂いが何とも効き目がありそうですな。

 これはもしかしたら、上手く売り出せば、思いの外化けるやも知れませんぞ?」


「い、いえ、きっと、そんな大した物ではありませんよ…。

 ささ、すーさん。そんな事より早速道場へ案内してくださいな」


「おお、そうでしたな。遠路遥々駕籠に揺られて来たのに、目的を忘れるところでしたな?

 ふふ、そうしましょう」


 みそのは厄介な話になりそうなので、無理矢理話を本題に戻すと、酔庵は思い出した様に笑いながら歩みを進めた。


 みそのは、昨日の庄左右衛門の隠宅道場とは一線を画する道場の佇まいに、ポカリと口を開け、キョロキョロと周りを見回しながら酔庵に続いている。


 酔庵が顔を出した若い門人に訪いを告げると、門人も酔庵を弁えているのか、待たす事なく中へ通し、自分は訪いを知らせるのだろう、急いで先に戻って行った。


「庄さんには悪いけど、昨日とは比べものになりませんね?」


 みそのは門人を見送りつつ、思わずそんな言葉を口にしてしまう。


「ほっほっほ。あれは道場と言っても、所詮は隠宅ですからな?

 質は間違いありませんが、道場と言うには少々無理がありますよ。

 まあ、それでも庄さんを慕って、遠方から集まるのですから、大した道場なのですがね?

 何にせよ、みそのさんの趣旨には打ってつけの道場でしたから、先ず一番に案内したかったのですよ?」


 笑いながら酔庵がみそのに応えていると、道場の板張りの床が見えて来た。

 そしてそこには、三十をいくつか越えたくらいだろうか、脂の乗り切った屈強そうな体躯の男が、満面の笑みを浮かべて立っていた。


「いやいや、久しぶりで御座ろう?

 良くぞ遊びに来てくださった。ささ、とうぞ中へ。いや、それとも早速一献傾けましょうかな?」


 男はそう言って、屈強そうな体躯を揺らしながら笑って見せる。


「いや、お酒の方は、先ほど門人の方に渡しておきましたので、後ほどゆっくりやってくださいませ。

 それより今日は、こちらのお方が道場見学をしたいと言うので、長沼先生のところへ案内して来たので御座います。少々稽古を見学させて頂きたいので御座いますが、宜しいですかな?」


 酔庵は和かに酒の誘いをかわしながら、今日の来意を告げ、


「みーさん、こちらのお方が道場主の長沼四郎左衛門国郷ながぬましろうざえもんくにさと先生ですよ。

 今日は色々と教わってくださいね?

 長沼先生、こちらがみーさん、いや、みそのさんと申しまして、近々お知り合いが剣術道場を開くと言うので、みそのさんなりに色々と剣術道場の勉強して、そのお知り合いに協力したいそうなので、今日は宜しくお願い致します」


 と、二人を紹介し、四郎左衛門にみそのを願った。


「おお、こちらのお綺麗なお方が剣術とは、これは汗臭い道場に一輪の花が咲きますな?

 みその殿、某で良ければ何でも聞いてくだされ」


「い、いえ…あ、ありがとうございます…」


 四郎左衛門は和かに応え、みそのを恐縮させる。


「では、早速こちらへどうぞ」


 四郎左衛門は剣術家らしく無駄の無い所作で、みそのと酔庵を案内する。


「こ、こんな大層なところで、私なんかが申し訳ないです…」


 みそのは若い門人が座布団を運んで来て、そこへ促されると、すっかり恐縮した面持ちで声を震わせる。

 みその達は道場の上座に位置する、一段上がった見所へ通されたのだった。

 見所には立派な神棚が祀られている。


 みそのが見所へ上らされて恐々としていると、


「豊島屋さんと御一緒とあらば、当然の事で御座るよ。

 それに、道場見学であれば、ここで見学なさるのが一番で御座る。遠慮なさらずにゆっくりとご覧くだされ」


 と、四郎左衛門は鷹揚に言って笑い、みそのへ座る様に促して、自分もその隣へ腰を下ろした。


 みそのの左隣には、酔庵が小慣れた様子で座布団に座り、稽古に目を向けている。

 そして右隣では、四郎左衛門が床板に直に座り、門弟達の動きに目を光らせている。

 みそのは二人に挟まれる形で、緊張しきりで見学をしているのだ。


「面白い道具なのね…」


 みそのも慣れて来たのか、門弟達が激しく打ち込み合う稽古の様子を見ながら、ぽつりと独り言ちた。


「そうで御座ろう?

 あれは、我が直心影流で考案した道具で御座ってな。あの様な形になるまでは、中々工夫を凝らして来たので御座るよ?」


 四郎左衛門がみそのの独り言を聞き逃さずに、やや誇らし気に応える。


「そ、そうなんですね…。

 面白いなんて言ってしまい、すみませんでした。

 初めて見た形でしたもので、つい…」


 みそのは独り言に反応されて、恐縮してしまう。

 みそのは薄っすらと思い浮かべられる、現代の防具とは似ている様で全く似ていない、異形の道具類を見て独り言ちてしまったのだ。


「いや、良いので御座るよ。それに先ほど申した様に、我が直心影流考案の道具で御座れば、初めて見るのは当然の事で御座る。

 とにかく、あれのおかげで形稽古が主だった稽古も、大怪我する事無く、ああやって激しい打ち込み稽古が出来る様になり、稽古の幅も広がって御座る。そして何よりも、より実践的な稽古が出来る様になったおかげで、門弟の技量が上っているので御座るよ」


 四郎左衛門はみそのへ簡単に説明すると、


「あと大事な事を教えて進ぜよう。

 あの道具のおかげで、門人の数も日に日に増えているので御座るよ」


 と、最後に悪戯っぽい口調で教授をしたのだった。


 この時代の剣術道場は、現代の剣道の様な道具は確立されておらず、防具などを付けて稽古をする形は、殆どの道場ではとられていなかった。

 丸竹の柄の部分を残して、先を細かく割って皮袋を被せた皮竹刀、所謂、袋竹刀を使用する道場もあるにはあるが、木刀を用いての形稽古中心の道場が多い。

 木刀での打ち込み稽古は、それなりの技量を持ち合わせていないと、大怪我をしてしまう。下手をすれば死ぬ事すら珍しくないのだ。

 故にこの頃の剣術道場では、形稽古中心の道場が多いのだった。

 しかし、やはり剣術を修めるからには、地味な形稽古より、打ち込み稽古の様な剣戟をしたくなる。

 そう言った剣を志す者の心情も作用し、大怪我をせずに打ち込み稽古の出来る、四郎左衛門の直心影流道場には、日毎に門を叩く者が増えていると言う事だ。


「上手になる前に、腕を折ったりで剣術が出来なくなったら、せっかく剣術始めたのに勿体無いですものね?

 それに、やっぱり痛いのはみんな嫌ですものねぇ?」


「はっはははは。そうですな。痛くないに越した事は無いのは、正直なところで御座ろうな?

 しかしながら、あれも存外に痛いものなので御座るよ?」


 みそのの素人じみた感想に、四郎左衛門が高笑いした時、道場で鋭い小手打ちをもらい、袋竹刀を取り落とした門弟がいて、四郎左衛門はそれを目で追いながら、みそのに続けて応えた。


「あれは良いのが入りましたな?!」


 今まで和かに黙って稽古を見ていた酔庵が、今の小手打ちに声をあげた。

 そして、すぐ様みそのに顔を向けると、


「みーさん、あれを試してみましょうよ?」


 と、嬉しそうに目を輝かせた。


「あれって何ですか?」


 みそのは酔庵の意図する事が分からず、眉をひそめて聞き返す。


「いや、あれですよあれ。

 薬。例の薬をあの若い門弟さんに試してみましょうよ?」


 酔庵はワクワクとした子供の様な目で、前のめりになって訴えて来る。


「何です? 何か良い薬をお持ちで御座るのかな?」


「そうなのですよ、長沼先生。

 みそのさんの親類に蘭方医の先生がいらしてね。その先生が作ったと言う打ち身薬が、どうにも効きそうな匂いをさせていまして、未だ売りにも出ていないと言う事なので、もし本当に効く様ならば、売りに出すのも悪く無いと思っていたのですよ?」


「はっははは。そうしたら豊島屋さんは、うちの門弟が手酷く打たれるのを、先程から待っていたので御座るか?

 珍しく真剣にご覧になられていたかと思えば、いやいや、そんな裏が御座ったか」


 四郎左衛門は言い終えるや、またカラカラと笑った。


「すーさん、ちょっとやめてくださいよぅ。

 そんな大した物では無いって、さっきも言ったじゃないですか…」


 みそのが酔庵に言っている最中、四郎左衛門が興味津々に膝を詰め寄らせて来たので、諦めた様に尻窄みの反論になってしまう。


「まあ、何を申しましても物は試しですよ、みーさん?」


 酔庵は言いながらも、既に手を差し出して薬を催促している。

 それと同時に四郎左衛門は、今し方小手を打たれた門弟を見所へ呼び寄せてしまう。


「もう、すーさんったら…」


 みそのはこの状況に嫌とも言えず、蛤に移し代えた軟膏を酔庵へ手渡したのだった。



 *



 両国にある自身番では、奥の板の間で膝を付き合わせる様にして、周一郎の話を永岡が聞いていた。

 静かに語られた周一郎の話が終わると、暫し沈黙が支配し、おもむろに永岡が口を開いた。


「中西さんよう、間違っても早まったこたぁするんじゃねぇぜ?」


「……………」


 永岡の慈愛のこもった声に、周一郎は言葉を返せない。


 周一郎と泥沼の加平との付き合いは因果なもので、お百合が父親の伝七に働きかけて世話を焼いた、代書屋としての仕事の口利きから始まった。

 周一郎は伝七に勧められ、代書屋を仕事とする様になったのだったが、その仕事口の一つに、泥沼の加平が表稼業として商う『一休』があったのだ。


 周一郎も慣れぬ仕事で、右も左も分からぬながら、商店の品書きから個人のちょっとした手紙や約書の代書、古書の写本など、伝七の口利きで回してもらった仕事を、真面目にこなしていた。

 そんな当初の、慣れぬながらも必死で立ち回っていた時に、『一休』の品書きの仕事をする事になり、加平と出会ったのだと言う。

 加平は、慣れぬながらも直向ひたむきに仕事をする、品のある周一郎が気に入ったのか、度々依頼をしてくれ、土産に煮物なども持たせてくれたりしていた。

 そんなある日、伝七の香具師繋がりで、芝の茶店やら各種屋台など、露店の仕事を紹介されたのだった。

 距離はあるが中々纏まった仕事を紹介され、周一郎は一路、芝を縄張りにする、伝七の香具師仲間の元へと向かったのだ。


 一通り注文を取った周一郎は、帰り道に増上寺に参詣してから帰る事にし、そこで偶然加平と再会する事になった。

 その日は人手も多く、周一郎は参詣するのも一苦労だったのだが、そんな人手も多ければ、良からぬ事を考える輩も一人や二人、必ず居るものだ。

 その日も例に漏れずに、そんな輩が現れた。

 周一郎がなんとか参詣を済ませ、帰路につこうと境内を歩いていた時、その輩が現れたのだ。

 周一郎は歩いていた時、後ろから叫び声から逃げる様に、人が駆けて来るのに気がついた。

 周一郎は瞬時に巾着切りだと判断し、駆け寄りざまに見事な体術で、その巾着切りの男を投げ飛ばし、そのまま後ろ手を封じて取り押さえたのだ。

 それを間近で見ていたのが泥沼の加平。

 煮売飯屋の『一休』の主人と言う訳だ。


 加平は、普段は物腰が柔らかくて品のある周一郎が、あっという間に巾着切りを取り押さえた手際に驚き、その腕っ節を褒め称え、丁度知り合いの道場を訪ねるところだったと言い、周一郎に同行を願ったのだった。


 加平に連れて行かれた道場と言うのは、門人も殆ど居ない小さな道場で、斎藤さいとう承太郎じょうたろうと言う浪人が道場主として、ほぼ一人で剣術修行に励んでいた。

 承太郎は剣風荒々しく、古武士然とした人物で、その割に砕けた部分も持ち合わせ、如何にも加平好みの好漢な人物で、周一郎も元は道場主で、自分も一度木刀を握ると、猛虎の様に荒々しい剣を使う事もあり、直ぐに承太郎とも打ち解け、それから度々訪れる仲になったのだった。


 そんな交流を深めていたある日、承太郎から相談事を持ち出されたのだった。

 その時に、煮売飯屋の『一休』の主人である加平が、泥沼と二つ名を持つ盗賊の頭だと明かされたのだ。

 その際承太郎は、加平は押し込む先で人殺しはおろか、女を犯す事も無く、盗む金も根こそぎ盗むのでは無く、十分に立て直せるだけの金は残す盗人で、決して悪どい盗人では無いと力説した。

 しかもその押し込み先は、悪辣に暴利を貪り、多く恨みを買っている曰く付きの大店や、旗本だったりすると言うのだ。

 そして、承太郎も押し込みの見張り役として、二度ほど手伝った事があるのだと語った。

 周一郎には、近々その泥沼の加平の押し込みがあるので、一緒に手伝わないかとの、一度聞いてしまえば半ば断れない類の勧誘だった。


 加平は昔から承太郎の腕を買っていて、是非とも立派な道場を構えて欲しいと、切に願っていたと言う。

 この度もそんな思いからの話でもあり、近年に無い纏まった金子が見込める大きな仕事なのだと言い、その分け前で、承太郎に新たな道場を開いて欲しいとの事だった。

 承太郎は以前にも手伝った経験がある為、断る事は無かったが、加平の話では、今回は人手が不足しているらしく、ここへ来て決行も危ぶまれているとの事だった。

 加平は何とかすると話していた様だが、承太郎としては、周一郎も自分と同じ様に、元は道場を構えていたと聞いていて、しかも大身旗本の嫌がらせで止むを得ず道場を畳み、その影響で妻をも亡くしていた事も聞いていた。それもあって承太郎は、周一郎も加平の仕事を手伝い、その分け前で道場を再建する事を勧めて来たのだった。


 加平が言うには丁度人手も足りていない。

 そして、周一郎は腕っ節もあり、信用も置ける。


 承太郎は周一郎が正に適任だと思った様だ。

 承太郎の必死の説得と夢を語る様を見て、周一郎は益々断る事が出来ず、返事は後日と言う事でその日は別れたのだと言う。

 周一郎はそれから数日考え抜いた。

 承太郎の道場再建との甘い言葉と、今の現状を鑑みた周一郎は、息子の先行きの事を思うと、どうしても甘い言葉に傾いて行ったのだと、後悔の念に苛まれながら語った。

 結局、周一郎はこの話しを引き受けた。

 押し込みの夜は、逃走と千両箱の運搬用の舟の見張り役として、泥沼の加平の押し込みに加担していたのだ。

 しかし、結果はと言うと、押し込みは成功したものの、あれだけ熱弁されていたにも関わらず、なんと押し込み先で殺人が起きたと言うのだ。

 逃走の際にはそれどころでは無かったが、周一郎の中で沸々と後悔の念が膨れ上がり、自首するのか、それとも腹を切るのかと、日々思い悩む様になっていた。

 承太郎の事を思うと、密告する気にもならず、自首するよりも、罪を償うには一人で腹を切るのが道理だと、そんな考えに至っていたのだった。


 そんな思いを内に決めつつあったある日、加平が周一郎を訪ねて来て、押し込みで人を殺した熊手の弥五郎を始末した事を話し、今回の事を奉行所へ投げ文する様に頼んで来たのだった。

 加平はこんな仕事に巻き込んでしまって、すまなかったと詫び、これで自分はお縄になって責任を取るので、周一郎はこのまま何も無かった事として、この先暮らして欲しいと、分け前の金を置いて行ったのだった。

 周一郎は思い悩んだが、再三に渡り加平からの催促があり、結局は奉行所へ投げ文をしたのだった。

 加平は周一郎が投げ文をする事で、泥沼の加平と言う盗賊を捕縛させた手柄として、今回の罪を気持ちの上で、相殺して欲しかったそうだ。

 しかし、周一郎はそんな事で相殺する事など出来ず、現在抱えている、伝七の口利きで引き受けた仕事が片付いたら、金を奉行所にでも持って行き、自分は腹を切る覚悟だったそうなのだ。


 そして、あと数日で仕事も片付く目処も立った昨日、永岡達と遭遇したのだった。

 しかも、みそのが懇意にしていて、息子の順太郎とも立ち合ったと言う。

 この度のみそのは、順太郎の行く末を真剣に考えてくれている。

 そんなみそのが町方の役人と懇意にして、息子の腕試しにと、わざわざその役人を寄越し、順太郎と立ち合わせたのだ。

 仕事の目処もついて、そろそろだと心に決めていた周一郎にとって、これは何かの思し召しとしか思えなかった。

 正に、これも何かの縁だと思ったのだった。


 そして今日、永岡へ金を返し、自分の知っている事を話す事を決めたのだった。

 叶う事ならば、武士の情けでこの場は見逃してもらい、代書屋の仕事が片付いた日に切腹をするつもりである。

 そこまでは永岡に話していないが、暗に察してもらえればとの思いであった。


 永岡の脇には千両箱が置いてある。


「ここにはオイラしか居ねぇんだし、もし中西さんが約束出来るんなりゃ、この話は聞かなかった事にしてくれねぇかぇ?」


「そ、それは…」


 続く永岡の思わぬ言葉に、周一郎は言葉が続かない。


「あれだぜ、オイラはこの千両で人の命を売ったんだぜ?

 売った商品は大事でぇじに使ってくれねぇと、オイラぁ商売しょうべぇ上がったりでぇ。

 そこんとこ、しっかり忘れねぇでくんな?」


「な、永岡殿…」


「ああ、売ったっつっても、オイラはお上の代理人でぇりにんでぇ。

 この金ぁ新たに加平から隠し場所を吐かせて、探し出した事になるんで、払い戻しはきかねぇかんな?」


「いや、永岡殿…」


「何も言うねぇ。

 いいんでぇ、こいつぁあいつとも約束しちまった決定事項でぇ。あいつぁ約束 たげえると煩えかんな?

 文句があんなら、あいつに言ってくんな」


「…………」


 永岡が強引に言い切ると、周一郎は苦悶に笑みを浮かべ、何も言えずに嗚咽するのだった。



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