第十八話 駕籠のみそのと自身番
「お前よぅ、寝ちまうのはいいとして、閂くれぇ掛けておけってぇんでぇ。オイラだったから良かった様なもんだぜぇ?」
「ごめんなさい…」
「まあ、今回は何も無かったから良しにしてやるが、これから気をつけんだぜ?」
「はい…」
「にしても、いつも思うがこの飯ぁ美味えな?」
みそのが思いの外素直な上、段々萎んで行く様に小さくなっているので、永岡は茶化す様に話題を変えて小言を切り上げた。
今は夜も明けて、格子窓から朝の光が差し込んでいる。
みそのと永岡は向かい合って、朝食を摂っているところだった。
膳には永岡の好物の佃煮や豆腐の味噌汁、大根おろしにジャコの小鉢と納豆の小鉢、それに今永岡が口にした白いご飯だ。
永岡はこの白飯を、いつも美味い美味いと唸りながら食べている。この白飯に佃煮を乗っけて食べたら、何杯でもいけるそうだ。
しかし、この佃煮も米も、江戸のものでは無いのは知る由も無い。
いや、江戸時代のものでは無いと言った方が正確か。
この佃煮は、みそのが勤めていた日本橋丸越の地下食、「銀鮒佐」で買い求めているもので、米も同じく丸越お取り寄せ、こだわりのお米である。
この様に永岡を唸らせる食材は、みそのが永岡の為に東京から持って来たものが多いのだ。
他にも酒や薬、調味料など、色々と持ち込んではいる。全て容器を江戸の物に入れ替えての、用意周到ぶりだ。
みそのも江戸へ来る様になり、一年以上経っている。最初の頃こそ、煮炊きなどは殆どしなかったのだが、今では米も上手に炊いているのだ。
今朝も目覚めたみそのは、隣に永岡が眠っているのに驚きながらも、米を研ぎ、豆腐屋や納豆屋から食材を買い、朝食作りに精を出していた。
みそのは朝食を作りながら、永岡を待ち切れずに寝てしまっていた事を思い浮かべ、寝ていて永岡の訪いに気がつかなかったと、前日の言い訳で使ったばかりなだけに、どうも決まりが悪かったのだ。
嘘が本当になってしまった形だ。
「今日は沢山炊いたから、いっぱい食べてくださいよ!」
永岡のもりもり食べる姿に、少し気が楽になったのか、みそのは嬉し気に言うのだった。
「そう言えば、例のやっとう兄ちゃんに会って来たぜ?」
朝食も食べ終え、みそのがお茶を淹れているところに永岡から声がかかった。
「あら、昨日の内に行ってくれたのですね?
忙しいのに、ありがとうございます。はい、梅さんっ?」
「だからその呼び方はやめろって言ってんじゃねぇかぇ!?
ちっ、ったくよぉ…」
みそのが「梅さん」のところで永岡へ茶を差し出すと、永岡は即座に抗弁してみそのの手から茶を奪った。
みそのはプリプリする永岡をニマニマと眺めている。
すっかりこの仕組みを楽しんでいる様だ。
「それでどうだったんですか?」
永岡が口をきかなそうだったので、早々にみそのの方から口を開く。
「まあ、あの若さにしちゃあかなりの腕前だな。
ありゃ良い剣客になるぜ?」
「そうなんですねっ!
でもかなりの腕前って、程度としてはどのくらいなんですか? お大名に剣術指南とかって出来そうです?」
みそのは永岡の言葉に目を輝かせたが、すぐに眉をひそめて疑問を口にする。
「なんだお前、あの兄ちゃんにそんな話が来てんのかぇ?」
「い、いや、例えですよ例え。
かなりの腕前って言われても、私は剣術なんか分からないんだから、それがどのくらいのものなのか分からないじゃないですか?」
永岡に企みを先に言われて、みそのは何とか言い訳すると、
「まあ、そうなんだろうけどよう。かなりのっちゃ、かなりだろうがよ。
それに剣術は所詮、勝つか負けるかってとこもあるんでぇ。死んじまったら、その程度も知ったこっちゃねぇだろ?
勝って生き残った方が腕が立つってなもんでぇ。まあ、大雑把過ぎだけどな?
でもあれだぜ、大名の剣術指南役は分からねぇが、出稽古くれぇは伝手がありゃ、ある程度の腕前でも出来んだぜ? 箔付けて名前売る為に、金子を積んでやるってぇ話もあるくれぇでぇ。
んなもんだから、そんな大名云々で腕前は語れねぇさな?」
永岡は自分なりの考えを語り、程度の言及は避けたのだった。
「それよか、オイラも聞こうと思ってたんだが、あのやっとうの兄ちゃんとお前は、どう言った繋がりなんでぇ?」
「あら、もしかして…」
「悪りぃが、そう言った関連の話じゃねぇぜ?」
みそのが嬉しそうに目を細めて返そうとしたが、言い終わらぬ内に永岡に真面目な顔で返され、思わずみそのは眉をひそめてしまう。
「ちょいとあの兄ちゃんの父親が、オイラの掛かりに絡んでるかも知れねぇのさ。
まあ、未だ決まった訳じゃ無ぇが、教えてくんねぇかぇ?」
「え? 中西様が旦那の?
って事は、中西様が何か悪い事をしたとでも?」
思わぬ永岡の言葉に、みそのは更に眉をひそめてしまう。
「未だ決まった訳じゃ無ぇって言ったろ?
でもまあ、そう言うこったな?」
「いや、何かの間違いですよ、中西様はそう言ったお方じゃありませんって。温厚な優しいお方なんですよ!?」
「まあ、そうだろうな…。
だがな、人って言うのはどんな奴だって、時には魔が差しちまう事もあるんでぇ。
オイラは別に、咎め立てしようって腹でもねぇのさ。もし、あの兄ちゃんの父親が黒でも、別に捨て置いてもいいくれぇなんでぇ。
ただ、確かめておきてぇ事があるって事さぁね」
みそのの非難する様な物言いに、永岡は宥める様に必死の面持ちで応える。
「確かめるって、どう言う事なんですか?
中西様は絶対悪い人じゃないですからね!?」
みそのも普段無い永岡の表情に、永岡の言を聞き入れた様だが、それでも周一郎の無実を口にする。
「まあ、人が悪りぃか悪くねぇかは、お前のおかげで、あの兄ちゃんと棒交えたんで、そこそこ知れてらぁ。
オイラもこの件に関しちゃ、端から悪人だと、決めつけてねぇから動いてんでぇ。
今は手隙なもんで、やらなくていい事ぁやってるだけなんでぇ」
「……どう言う事なんです?」
永岡の遣る瀬無い物言いに、何かあるのだろうと繰り返し訳を聞くみその。
そして永岡は、
「未だ決まった訳じゃ無ぇけどな?」
と、再三にわたって吐いた言葉を枕詞に、永岡が睨んだ今回のあらましを語り始めた。
みそのは眉をひそめながらも、静かに頷きつつ話を聞いている。
永岡の話を聞き終えたみそのは、納得した様に大きく頷くと、
「でも、中西様は悪い人じゃありませんからね?」
と、それでも言わずにはいられない。
みそのは初めて会った日に周一郎が見せた、やけに思い悩んだ様な疲れた笑顔が脳裏に浮かぶ。
そして一抹の不安を覚えながらも、自分に言い聞かせる様に、今の言葉を何度も口の中で繰り返している。
「ああ、分かってるぜ?」
永岡は苦笑交じりに、みそのへ声をかけると、
「だから安心して話してくんな?」
と、改めてみそのへ、周一郎と順太郎親子との繋がりを問うのであった。
*
永岡が奉行所へ出仕して直ぐ、酔庵が空駕籠を引き連れ、みそのの仕舞屋を訪ねて来た。
みそのは恐縮しながらも、酔庵がみそのの為に用意した駕籠に乗り込み、酔庵が懇意にしていると言う道場へと、一路駕籠の人で向かったのだった。
「なんだか、こんな事しててもいいのかしら…」
みそのは、先ほどの永岡から聞いた話が引っかかり、駕籠に揺られながら考えていた。
「でも、決まった訳じゃ無いって言ってたしな…」
永岡には悪い様にはしないと言われている。
それに、今日の調べである程度は見えて来るとの事で、それまでは未だ決まった訳では無いので、余り心配しない様にも言われていた。
なので、今日は予定通りに、酔庵と道場見学をする事を選んだのだが、やはり駕籠の中で一人だと色々考えてしまい、要らぬ不安を掻き立ててしまう。
「やっぱり、道場見学が終わったら行ってみようかしら…。
でも、ちょっと遠いからな…。
どうしよう、やっぱりすーさんには、明日にしてもらえば良かったかしら…」
やはりみそのは周一郎が気になる様だ。
駕籠に乗った事を少々後悔している。
今日は酔庵が懇意にしている道場と言う事で、芝西久保にある直心影流長沼道場へと向かっている。
酔庵は隠居する前、この長沼道場へ支援を行っていて、昔から浅からぬ付き合いをしていると言う。
そして酔庵は、この長沼道場で数年前から面白い稽古を始めたのだと、みそのに語っていたのだ。
「それにしても、すーさんは顔が広いわよね…」
今度は今日の事を語る酔庵の事を思い出し、みそのはぽつりと独り言ちる。
「ま、ああ見えて、すーさんは豊島屋さんの大旦那様ですもんね…」
どう見えているのか、既にみそのの中では、酔庵は大物から格下げされているらしい。
「すーさん」との愛称が、みそのに親近感を持たせているのかも知れない。
「つーか、腰に来るわね…」
みそのは思わず愚痴る様に独り言ちる。
未だ半刻(約一時間)にはならないが、それに近い時間みそのは駕籠に揺られている。
仕舞屋を出て来る際には然程痛みを感じていなかったが、やはり昨日の今日だ、駕籠に揺られて痛みがぶり返すのだろう。
「つつつつつ、もう無理。帰りは歩いて帰ろ…」
みそのが弱音を吐いた時、駕籠舁きの「着きやしたぜ」との言葉が聞こえ、みそのはほっと救われた思いになるのだった。
*
「旦那、今日はどうするんで?」
「まあ、とにかく『腕っ節の強ぇ代書屋』に会いに行くぜ?」
「いえ、そう言う訳…」
「分かってらぁな。会ってからどうするかって事だろぃ?
まあ、みそのの話でも好人物みてぇだし、しょっ引くってぇ事ぁねぇと思うが、それも会ってみてからのこったな?」
智蔵の言葉を断ち切って、永岡はその思いを伝えた。
基本的にはみそのと約束した様に、もし周一郎がお目当ての『腕っ節の強い代書屋』であったとしても、悪い様には扱わない路線で行くらしい。
しかし永岡は、とにかく直接会って話してからとの考えらしい。
「しっかし、今回はみんなにゃ悪りぃ気がしてならねぇぜ…」
「いや、偶にはいいんじゃねぇですかぃ?
それに、何もねぇで町廻りするよかぁ、余程ましでごぜぇやすよ。
なんてったって、人の命を救えるかも知れねぇじゃござんせんかぇ?」
永岡は広太達や北忠達、遠方へ向かった者達の事を零すと、智蔵は珍しく誇らしげに返す。
「まあ、そうとは鍵らねぇが、最悪の事ぁ考えればな?
とにかく話してみねぇ事には分からねぇやな?」
永岡がそう智蔵へ返した時、
「永岡殿、お待ちを」
と、後ろから声をかけられた。
その声に永岡が振り返ると、思わぬ声の主に永岡は、「おっ?」と、思わず驚きの声をあげてしまう。
「少々お時間を頂けませんかな?
きっと某を訪ねて来たのでしょうから、丁度良いのでは無いかと思いますが、如何で御座ろうか?」
思わぬ声の主とは、思っていた男でもあった。
その男、中西周一郎。順太郎の父親だ。
周一郎は永岡達の訪いを予期していたのか、鎌をかける様にして永岡を誘った。
「丁度いいと言やあ丁度いいんだがなぁ。
なんでぇ、オイラ達をつけていたのかぇ?」
永岡が砕けた調子で問い返す。
「いえ、つけていたと言う訳では御座らんよ。
某も永岡殿に会いに向かっていた所で御座って、丁度お見かけしたと言う訳で御座る。
まあ、入れ違いになる恐れも御座ったので、店でお待ちしようとも思ったので御座るが、やはり倅の前では話し辛い事も御座れば、待つ事をせずに出向く事を選んだ訳で御座る。とにかく、見つけられてよう御座った」
永岡の砕けた問い掛けに、周一郎は和かに応えたが、その笑みは何処かしら硬い。
しかしながら決意が伺える瞳が、それを邪なものでは無く、誠意の表れだど教えてくれる。
「そうさな、見つけてもらえて助かったぜ。
危うく二度手間になっちまうところでぇ。
そうと決まったら、ちょいと歩くとするかぇ?」
永岡は砕けた調子を崩さずに返しながら、周一郎に並び立つ様にして歩き出した。
周一郎は硬い笑みを浮かべたまま頷くと、黙って永岡の歩みに従っている。
*
「なんか大変な事になってるって聞いてるぜ?」
「………」
いきなりの永岡の言葉に、周一郎はどう応えて良いのか考える様に、一瞬眉をひそめる。
「みそのが出しゃばってるそうじゃねぇかぃ?」
永岡は例の話しの事を言っていた様で、思わず周一郎も表情を和らげてしまう。
永岡達は両国橋を引き返す様に渡り、先ほど北忠組や広太組を見送ったばかりの、両国広小路にある番屋まで来ていた。
永岡は顔見知りの番人達に小粒を渡し、外へ茶でも飲みに行かせる形で席を外してもらっていた。
今、この番屋には、永岡と周一郎、それに智蔵の三人が居るだけで、智蔵も番太郎宜しく、外出した番人達の代わりを務めている。智蔵は猫の額程の土間から板敷に腰をかけ、煙草盆を側へ引き寄せ、腰高障子を睨む様にしながら一服つけている。
そんな智蔵が番人を務める自身番の奥の板の間で、永岡と周一郎は、丁度その腰を下ろしたところだった。
人に聞かれたく無い話しをするには、これ以上は無いと言った塩梅だろう。
「出しゃばるなどと言っては、聞こえが悪う御座れば…。
某としては、みそのさんには感謝しているので御座るよ。某が不甲斐ないもので息子に先も決めてやれず、今回の事もあって思い悩んでいたところに、みそのさんからあの様なお話を頂きまして、縁と言ったらそれまでで御座ろうが、某としては、天の思し召しかとも思っているので御座る」
周一郎は表情を和らげながらも、何処か神妙な顔付きで永岡へ返した。
「天とかそんな大それた話じゃねぇぜ。
どうせ、ただの節介ってところよ。あいつの野次馬根性みてぇなもんさね?
しかしまあ、あいつの事でぇ。なんだかんだ言って、最後にゃ上手ぇとこに収めるはずだぜ?
まあそう言うこったからそっちは安心して、その思い悩んでいたってぇ、今回の話を聞かせてくんな?」
永岡は茶化す様に応えてながらも、最後に周一郎の言を拾って、周一郎に話の本筋を促した。
周一郎は深々と永岡へ黙礼すると、真摯な眼色を永岡へ向けて語り始めた。