第十二話 明暗と酔庵
「それにしても難しいもんだな?」
「ふふ、へい。端っから簡単な調べなんてぇのは、そうありやせんよ旦那?」
永岡のぼやきに、智蔵が苦笑交じりで窘める様に応えている。
永岡達は北忠や広太などの手下と別れ、両国橋を渡り本所深川へやって来ていた。
儀兵衛から聞いた情報の一つを当たる為だ。
儀兵衛から聞いた情報とは、加平との世間話の中からのもので、どれも曖昧な情報と言える。
その一つに、「深川の承さん」と言う名前が度々出て来たそうなのだ。
この承さんと言う男は、小さな道場を構える剣客の様で、加平はその人柄と腕を買っている話しぶりだったそうだ。
「承さんには、もう少しましな道場を建ててやりてぇんだがなぁ」
と、話しに出る度、そう締め括るのが常だったそうだ。
「深川の承さん」と呼ばれるだけあり、永岡は先ずは言葉の通り、ここ深川界隈に住んでいるのではと言う事で、智蔵と二人やって来たのだった。
小さいながらも道場を構えているとすれば、見つけ出す事などそう難しい話では無い。
そう見込んでいた永岡だったが、実際には苦戦していた。
番屋や道すがらの者に尋ねるも、小さな剣術道場自体知る者が少ない。
先ほどやっと、それらしい情報を知る者を見つけ、聞き出した場所へと訪ねてみれば、確かに小さい道場ではあるのだが、中へ入ると、昼間から呑んだくれている老人が管を巻いている始末。
どう考えても、加平が人柄や腕前を褒める様な御仁では無い。
永岡は老人に話を聞くのも馬鹿らしく、早々に引き上げたところだった。
「深川育ちってぇ話なのかも知れねぇなぁ?
ま、とにかくもう少し当たってみるかぇ?」
「へい、そうしやしょう」
永岡のぼやき気味な口調に、智蔵は敢えて景気の良い声で応える。
「へへ、悪りぃな智蔵。んじゃ行くかぇ?」
永岡は智蔵に自分の弱気を詫びると、気を取り直す様な声音で歩き出すのだった。
*
「ちょいと小腹が空いただろう?
着いて早々なんだけれど、腹が減っては何とやらと言うじゃないかぇ?
ここは団子でも食べて英気を養おうじゃないのぅ?」
「昼餉刻には未だ間がありまさぁ。
もう少しの辛抱でごぜぇやすよ旦那?」
「なに言ってるんだい松次は。昼餉の前に食べてこその団子じゃないのかぇ?
団子で昼餉を済まそうなんて、私はそんな野暮じゃないよ?」
「いや、あっしが言ってやすのはそう言う事じゃ…」
いつもの北忠節に、松次が困り顔に苦笑いを浮かべている。
松次の少し後ろに控えた翔太は、そんな遣り取りを恐々と見ていた。
自分が窘めなければとの思いを胸に、それでも実際には中々口を挟む勇気が出ない。いや、未だこのくらいでは口を挟む事の程でも無いと、自分を納得させていた。
「翔太はどうなんだい、小腹が空いたろう?」
そんな翔太に、容赦無く北忠が話を振ってくる。
「いえ、あっしは昼餉までは我慢できやすんで、大丈夫でやす。へい」
「ほら、松次。翔太だって痩せ我慢してるじゃないかぇ?
二対一だよ松次。これはあれだよ、食べ物の恨みは恐ろしいよ?
お前も今団子食べとかないと、後で翔太に何言われるか、分かったもんじゃないよ?」
「ったく北山旦那は、いつもそうなんでやすから…。
しょうがねぇや、団子食ってからにしやすかぇ?
でも旦那、軽くでやすよ。軽く」
何故か自分の言葉で団子屋行きが決定してしまい、愕然としてしまう翔太。
「翔太、親分には内緒にしといてあげるからね?」
北忠は口に指を立て、翔太に悪戯っぽく笑いかける。
「い、いや…へい、ありがとうごぜぇやす…」
悪戯っぽく笑う北忠の細い目が、やけに恐ろしく見えて思わず礼を言ってしまう翔太。
「ほら翔太、何やってんでぇ。早えとこ行くぜ?」
いつまでも頭を下げている翔太に、松次が苦笑交じりに声をかけ、顎を振って翔太を団子屋へ促した。
北忠は既に、団子屋の長椅子へ座ろうとしているところだ。
「あら、昨日の同心様じゃありませんかぇ?
昨日の今日で来て頂けるなんて、よっぽどお口にあったのかしらね?
それとも私が目当てだったり? あっはははははー」
北忠が長椅子に座ると同時に、女将らしき店の女が北忠に声をかけ、自分の軽口に大笑いしている。
歳は五十を越えているだろうか、でっぷりと丸い身体の女将は、その巨体を大きく揺らしながら明け透けに笑っている。
どうやらこの団子屋は、昨日巾着切りの末吉から話しを聞く為に訪れた団子屋の様だ。
「そりゃあ、女将の事が忘れられなくてねぇ。
団子を思えば自然、女将の事が思い浮かぶと言うものですよ。その逆も然り。本当にまん丸って言うのはいいねぇ?
人を幸せな気持ちにさせる形だよぅ」
「あっはー、あら上手い事いいますね旦那はっ。
じゃあ、今日もたぁんと食べてっておくれよう。
で、今日は何本挑戦するんだぇ?」
北忠の返しで益々上機嫌になった女将は、興味津々に北忠へ聞いて来る。
昨日の北忠は余程たらふく団子を食べたのか、新記録に期待する様な目を向けているのだ。
女将はそれもあって北忠を覚えているのだろう。
「今日は後で昼餉を食べないといけないからねぇ。
うん、なら取り敢えず十本ほどもらおうかぇ?」
「北山の旦那ぁ、さっき軽くって言ったばかりじゃねぇでやすかぇ…」
早速十本もの団子を注文した北忠に、駆けつけた松次が口を尖らせて項垂れる。
「大丈夫だよ松次ぃ。十本くらいじゃ昼餉には支障はないさぁ。
ほら、松次もさっさと注文しなさいな?
翔太、お前もせっかく松次が許してくれたんだから、気が変わらない内に頼むんだよ?」
「へ、へぃ…」
完全に北忠のペースに呑まれている翔太。
松次からは、
「お前が愚図愚図してやがったから、先に旦那が注文しちまったんじゃねぇかっ」
と、小声で恨み言を言われる始末だ。
これには翔太ももごもごと口を尖らせている。
「はいな、お待たせしちゃったかね?」
女将が北忠に山積みの団子を持って来た。
松次と翔太がヒソヒソと揉めているせいか、女将は笑みを浮かべながらも怪訝な顔になっている。
「こんなに早く出しといて、なに言ってるんだい女将は。
私は待ってなんか無いよぅ。それより、このお兄さん達の注文を聞いておやり?」
「あら、やっぱりこの団子は旦那がお一人で?
これお千沙、あんたお客様の注文取らないで何やってたんだい。ほれ、早くお客様から注文をお聞きな?」
北忠は言い終えるやパクリと団子に齧り付く。
女将はそれを見ながら、一度は自分も皆の分だと勘違いしたにも関わらず、奥に居る娘に催促した。
「は、はいぃ。ごめんなさいね、お連れさまだからてっきりご一緒かと思って…。
お兄さん達は如何します?」
女将に指摘されて慌てて飛び出して来た娘が、言い訳をしながら松次と翔太に悪戯っぽい笑顔を向ける。
中々器量の良い、可愛らしい娘だ。
女将が女将なだけに、この娘がこの団子屋の看板娘と言う事か。
「気にする事ぁねぇや。
あっしは二本頼まぁ。翔太はどうすんでぇ?」
「あ、いや。へえ、あっしも二本で…」
「ふふ。はい、お団子二本ずつね。毎度ありぃ」
娘が可笑しそうに笑いながら奥へと立ち去ると、松次が翔太にニタついた好奇の目を向ける。
「なんでぇお前、早速惚れちまったんじゃねぇだろうなぁ?」
松次は看板娘に赤面している翔太を揶揄う。
「な、なに言ってなさるんでぇ!
や、やめてくだせぇよ、本当そんなんじゃねぇんでぇ…」
「なに言ってるってお前、そんな赤ぇ面して良く言うぜぇ。
お千沙って言うらしいぜ、名前も可愛らしいじゃねぇかぇ?
へへ、今日はお前、北山の旦那に感謝しねぇとな?」
「へい…。い、いや、だからそんなんじゃねぇんでやすって兄ぃ…」
松次は耳まで紅潮させて否定する翔太を益々面白がっている。
「そうかぇ女将、そりゃもう助かったさぁ。
聞いたかぇ、松次?」
松次と翔太が戯れ合っているところへ、北忠が声をかけて来た。
団子を串から横へ引き抜いて食べる北忠は、ご満悦の様子。
「いえ、すいやせん旦那、聞いておりやせんでぇ…。
一体なにを話していたんで?」
「もまえまめぇ…んっんんっ。
人が物を食べている時に話しかけるんじゃないよぅ。私が団子を喉に詰まらせて死んでしまったら、どうするんだぃ?
ああびっくりした…」
「いや、そう言うつもりじゃ…」
北忠が頬張った団子を急いで飲み込み、松次に文句をつけると、松次は、
『旦那が聞いて来たんじゃねぇでやすかい』
との言葉を呑み込み、苦笑いで応える。
「この女将が調べのお人の住処を知ってるとさ?
これで安心して、団子をゆっくり食べられるってものじゃないかぇ?」
「いや旦那、そうと決まったらこうしていられねぇんで?」
「なに言ってるんだか松次は…。
本当だったら、あれこれ聞き回って、夕刻まで掛かるかも知れなかったんだよ?
それにあれだよ、下手したら今日中に探せ出せたかも、怪しいもんだったんだからね。
それをこの女将がサラッと教えてくれたんだから、その女将の作った団子を有難くゆっくり味合わないで、お前はどうするって言うんだい?」
「………」
松次は北忠の妙な理屈に返す言葉も無く、ただ呆れた様に苦笑いで応える。
その横では、ここで自分が意見を言わなければと、伸哉に託された翔太が口を開こうとするも、
「ほら、翔太だってそのくらいの義理は、ちゃぁんと弁えているみたいじゃないかぇ」
と北忠に先手を取られ、何も言えなくなってしまう。
「女将、やはり美味しい物は人を幸せにするんだねぇ?
あと四本追加するから、この二人にもあと二本ずつ出してあげておくれ?
食べながらゆっくり話しを聞こうじゃないかぇ?」
北忠はご満悦な様子で、勝手に松次達の分まで団子を追加してしまい、腰を据える気配を漂わせる。
「いや旦那、申し上げ難いのでごぜぇやすが…」
「なんだい翔太、二本じゃ不満かぇ?
お前も遠慮が無くなって来たねぇ。分かったよぅ、今回だけだよ?
女将、そしたらこっちの兄さんには四本頼むよう。まったく、食べ物の恨みは何とやらだからねぇ」
翔太が思い切って口を開いたのだが、北忠が先回りして勘違いしてしまい、新たに団子を頼んでしまう。
翔太は呆気に取られながら、
『こいつぁ俺なんかにゃ太刀打ち出来ねぇや。
こりゃ伸哉兄ぃ、あっしにゃ荷が重過ぎやすぜ』
と、心の内で伸哉に詫びるのであった。
*
「少し良くなって来たみたいです。ご面倒をお掛けしてしまって、本当に申し訳ありませんでした。
ありがとうございます」
「いえ、面倒な事などあるものですか?
私など暇を持て余して、ぷらぷらしていただけですからねぇ?
逆に私の方こそ、みそのさんを巻き込んでしまって、申し訳無いと思っているのですよ?」
「いえ、それは先ほどもお伝えしましたが、決してご隠居様が悪い訳では無いのですから…」
幾分痛みも治まって来た様で、みそのは身体を起こして話している。
弘治がこの自身番を後にして、半刻は経っているだろうか。
みそのは未だに自身番の奥で休ませてもらっていた。
自身番の番人達も、みその達に気を使って外出や通りに出ている。
今はみそのと酔庵だけが部屋にいる形で、二人きりで話しをしていたのだった。
酔庵のお付きの幸吉はと言うと、弘治との約束通り、あの後すぐに奉行所まで知らせに走っているので、もうそろそろ帰って来る頃合いだろう。
「ありがとう御座います。
しかし、みそのさんだって、今日は予定が有ったのでしょう?
悪く無いと言ってくださっても、その予定を反故にした片棒は、しっかり担いでしまっていますからねぇ…」
「いえ、そんな…」
「そろそろ幸吉も帰って来る頃でしょうし、そうしたら使いっ走りくらい出来るでしょうから、私に協力出来る事がありましたら、遠慮無く言ってくださいね?」
やはり少なからず責任を感じている酔庵は、何か出来る事が無いかと思案していた様で、使いっ走りまで願い出る。
「いえ、急ぎの用は本当に無いのですよ?
さっきも道場を見て回るついでに、知り合いのお店に寄ろうと思っていたくらいのものなんです」
「道場とは剣術の道場の事ですかな?」
「え、ええ…」
「剣術道場とは、またどうして…。
お見受けする限り、みそのさんは剣術とは無縁の様に思えるのですが?」
みそのから道場の話が出て来て、興をそそったのか、酔庵はその話に面白そうに食いついた。
「まあ、私には無縁なのですが、色々とありまして…はい。
話せば長くなってしまうんですよ」
「時間なら先ほども申し上げた様に、私は持て余しておりますよ?
なればその長いお話しをお聞かせくださいな?」
酔庵は益々興がそそったのか、悪戯っぽく笑う。
「うぅぅん………。
まあ、私も未だ動けそうに無いですからね…。
いいでしょう。でも私の事では無いので、この話は、余り触れ回らない様にお願いしますよ?」
「それは勿論ですともっ」
みそのの言葉に、酔庵は嬉しそうに力強く返した。
「なぜ私が剣術道場の偵察をしようとしてたかなのですが……」
みそのは酔庵の嬉しそうな顔に毒気を抜かれ、微笑を浮かべながら話し始めた。
それを酔庵は、ニコニコと子供の様な笑顔で聞くのだった。




