表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/97

第十二話 明暗と酔庵

 


「それにしても難しいもんだな?」


「ふふ、へい。端っから簡単な調べなんてぇのは、そうありやせんよ旦那?」


 永岡のぼやきに、智蔵が苦笑交じりで窘める様に応えている。


 永岡達は北忠や広太などの手下と別れ、両国橋を渡り本所深川へやって来ていた。

 儀兵衛から聞いた情報の一つを当たる為だ。


 儀兵衛から聞いた情報とは、加平との世間話の中からのもので、どれも曖昧な情報と言える。

 その一つに、「深川のじょうさん」と言う名前が度々出て来たそうなのだ。

 この承さんと言う男は、小さな道場を構える剣客の様で、加平はその人柄と腕を買っている話しぶりだったそうだ。


「承さんには、もう少しましな道場を建ててやりてぇんだがなぁ」


 と、話しに出る度、そう締め括るのが常だったそうだ。

「深川の承さん」と呼ばれるだけあり、永岡は先ずは言葉の通り、ここ深川界隈に住んでいるのではと言う事で、智蔵と二人やって来たのだった。


 小さいながらも道場を構えているとすれば、見つけ出す事などそう難しい話では無い。

 そう見込んでいた永岡だったが、実際には苦戦していた。

 番屋や道すがらの者に尋ねるも、小さな剣術道場自体知る者が少ない。

 先ほどやっと、それらしい情報を知る者を見つけ、聞き出した場所へと訪ねてみれば、確かに小さい道場ではあるのだが、中へ入ると、昼間から呑んだくれている老人が管を巻いている始末。

 どう考えても、加平が人柄や腕前を褒める様な御仁では無い。

 永岡は老人に話を聞くのも馬鹿らしく、早々に引き上げたところだった。


「深川育ちってぇ話なのかも知れねぇなぁ?

 ま、とにかくもう少し当たってみるかぇ?」


「へい、そうしやしょう」


 永岡のぼやき気味な口調に、智蔵は敢えて景気の良い声で応える。


「へへ、悪りぃな智蔵。んじゃ行くかぇ?」


 永岡は智蔵に自分の弱気を詫びると、気を取り直す様な声音で歩き出すのだった。



 *



「ちょいと小腹が空いただろう?

 着いて早々なんだけれど、腹が減っては何とやらと言うじゃないかぇ?

 ここは団子でも食べて英気を養おうじゃないのぅ?」


「昼餉刻には未だ間がありまさぁ。

 もう少しの辛抱でごぜぇやすよ旦那?」


「なに言ってるんだい松次は。昼餉の前に食べてこその団子じゃないのかぇ?

 団子で昼餉を済まそうなんて、私はそんな野暮じゃないよ?」


「いや、あっしが言ってやすのはそう言う事じゃ…」


 いつもの北忠節に、松次が困り顔に苦笑いを浮かべている。

 松次の少し後ろに控えた翔太は、そんな遣り取りを恐々と見ていた。

 自分が窘めなければとの思いを胸に、それでも実際には中々口を挟む勇気が出ない。いや、未だこのくらいでは口を挟む事の程でも無いと、自分を納得させていた。


「翔太はどうなんだい、小腹が空いたろう?」


 そんな翔太に、容赦無く北忠が話を振ってくる。


「いえ、あっしは昼餉までは我慢できやすんで、大丈夫でぇじょうぶでやす。へい」


「ほら、松次。翔太だって痩せ我慢してるじゃないかぇ?

 二対一だよ松次。これはあれだよ、食べ物の恨みは恐ろしいよ?

 お前も今団子食べとかないと、後で翔太に何言われるか、分かったもんじゃないよ?」


「ったく北山旦那は、いつもそうなんでやすから…。

 しょうがねぇや、団子食ってからにしやすかぇ?

 でも旦那、軽くでやすよ。軽く」


 何故か自分の言葉で団子屋行きが決定してしまい、愕然としてしまう翔太。


「翔太、親分には内緒にしといてあげるからね?」


 北忠は口に指を立て、翔太に悪戯っぽく笑いかける。


「い、いや…へい、ありがとうごぜぇやす…」


 悪戯っぽく笑う北忠の細い目が、やけに恐ろしく見えて思わず礼を言ってしまう翔太。


「ほら翔太、何やってんでぇ。はええとこ行くぜ?」


 いつまでも頭を下げている翔太に、松次が苦笑交じりに声をかけ、顎を振って翔太を団子屋へ促した。

 北忠は既に、団子屋の長椅子へ座ろうとしているところだ。


「あら、昨日の同心様じゃありませんかぇ?

 昨日の今日で来て頂けるなんて、よっぽどお口にあったのかしらね?

 それとも私が目当てだったり? あっはははははー」


 北忠が長椅子に座ると同時に、女将らしき店の女が北忠に声をかけ、自分の軽口に大笑いしている。

 歳は五十を越えているだろうか、でっぷりと丸い身体の女将は、その巨体を大きく揺らしながら明け透けに笑っている。

 どうやらこの団子屋は、昨日巾着切りの末吉から話しを聞く為に訪れた団子屋の様だ。


「そりゃあ、女将の事が忘れられなくてねぇ。

 団子を思えば自然、女将の事が思い浮かぶと言うものですよ。その逆も然り。本当にまん丸って言うのはいいねぇ?

 人を幸せな気持ちにさせる形だよぅ」


「あっはー、あら上手い事いいますね旦那はっ。

 じゃあ、今日もたぁんと食べてっておくれよう。

 で、今日は何本挑戦するんだぇ?」


 北忠の返しで益々上機嫌になった女将は、興味津々に北忠へ聞いて来る。

 昨日の北忠は余程たらふく団子を食べたのか、新記録に期待する様な目を向けているのだ。

 女将はそれもあって北忠を覚えているのだろう。


「今日は後で昼餉を食べないといけないからねぇ。

 うん、なら取り敢えず十本ほどもらおうかぇ?」


「北山の旦那ぁ、さっき軽くって言ったばかりじゃねぇでやすかぇ…」


 早速十本もの団子を注文した北忠に、駆けつけた松次が口を尖らせて項垂れる。


「大丈夫だよ松次ぃ。十本くらいじゃ昼餉には支障はないさぁ。

 ほら、松次もさっさと注文しなさいな?

 翔太、お前もせっかく松次が許してくれたんだから、気が変わらない内に頼むんだよ?」


「へ、へぃ…」


 完全に北忠のペースに呑まれている翔太。

 松次からは、


「おめぇが愚図愚図してやがったから、先に旦那が注文しちまったんじゃねぇかっ」


 と、小声で恨み言を言われる始末だ。

 これには翔太ももごもごと口を尖らせている。


「はいな、お待たせしちゃったかね?」


 女将が北忠に山積みの団子を持って来た。

 松次と翔太がヒソヒソと揉めているせいか、女将は笑みを浮かべながらも怪訝な顔になっている。


「こんなに早く出しといて、なに言ってるんだい女将は。

 私は待ってなんか無いよぅ。それより、このお兄さん達の注文を聞いておやり?」


「あら、やっぱりこの団子は旦那がお一人で?

 これお千沙ちさ、あんたお客様の注文取らないで何やってたんだい。ほれ、早くお客様から注文をお聞きな?」


 北忠は言い終えるやパクリと団子に齧り付く。

 女将はそれを見ながら、一度は自分も皆の分だと勘違いしたにも関わらず、奥に居る娘に催促した。


「は、はいぃ。ごめんなさいね、お連れさまだからてっきりご一緒かと思って…。

 お兄さん達は如何します?」


 女将に指摘されて慌てて飛び出して来た娘が、言い訳をしながら松次と翔太に悪戯っぽい笑顔を向ける。

 中々器量の良い、可愛らしい娘だ。

 女将が女将なだけに、この娘がこの団子屋の看板娘と言う事か。


「気にするこたぁねぇや。

 あっしは二本頼まぁ。翔太はどうすんでぇ?」


「あ、いや。へえ、あっしも二本で…」


「ふふ。はい、お団子二本ずつね。毎度ありぃ」


 娘が可笑しそうに笑いながら奥へと立ち去ると、松次が翔太にニタついた好奇の目を向ける。


「なんでぇおめぇ、早速惚れちまったんじゃねぇだろうなぁ?」


 松次は看板娘に赤面している翔太を揶揄う。


「な、なに言ってなさるんでぇ!

 や、やめてくだせぇよ、本当そんなんじゃねぇんでぇ…」


「なに言ってるっておめぇ、そんなあけぇ面して良く言うぜぇ。

 お千沙って言うらしいぜ、名前なめぇも可愛らしいじゃねぇかぇ?

 へへ、今日はおめぇ、北山の旦那に感謝しねぇとな?」


「へい…。い、いや、だからそんなんじゃねぇんでやすって兄ぃ…」


 松次は耳まで紅潮させて否定する翔太を益々面白がっている。


「そうかぇ女将、そりゃもう助かったさぁ。

 聞いたかぇ、松次?」


 松次と翔太が戯れ合っているところへ、北忠が声をかけて来た。

 団子を串から横へ引き抜いて食べる北忠は、ご満悦の様子。


「いえ、すいやせん旦那、聞いておりやせんでぇ…。

 一体いってぇなにを話していたんで?」


「もまえまめぇ…んっんんっ。

 人が物を食べている時に話しかけるんじゃないよぅ。私が団子を喉に詰まらせて死んでしまったら、どうするんだぃ?

 ああびっくりした…」


「いや、そう言うつもりじゃ…」


 北忠が頬張った団子を急いで飲み込み、松次に文句をつけると、松次は、


『旦那が聞いて来たんじゃねぇでやすかい』


 との言葉を呑み込み、苦笑いで応える。


「この女将が調べのお人の住処を知ってるとさ?

 これで安心して、団子をゆっくり食べられるってものじゃないかぇ?」


「いや旦那、そうと決まったらこうしていられねぇんで?」


「なに言ってるんだか松次は…。

 本当だったら、あれこれ聞き回って、夕刻まで掛かるかも知れなかったんだよ?

 それにあれだよ、下手したら今日中に探せ出せたかも、怪しいもんだったんだからね。

 それをこの女将がサラッと教えてくれたんだから、その女将の作った団子を有難くゆっくり味合わないで、お前はどうするって言うんだい?」


「………」


 松次は北忠の妙な理屈に返す言葉も無く、ただ呆れた様に苦笑いで応える。

 その横では、ここで自分が意見を言わなければと、伸哉に託された翔太が口を開こうとするも、


「ほら、翔太だってそのくらいの義理は、ちゃぁんと弁えているみたいじゃないかぇ」


 と北忠に先手を取られ、何も言えなくなってしまう。


「女将、やはり美味しい物は人を幸せにするんだねぇ?

 あと四本追加するから、この二人にもあと二本ずつ出してあげておくれ?

 食べながらゆっくり話しを聞こうじゃないかぇ?」


 北忠はご満悦な様子で、勝手に松次達の分まで団子を追加してしまい、腰を据える気配を漂わせる。


「いや旦那、申し上げ難いのでごぜぇやすが…」


「なんだい翔太、二本じゃ不満かぇ?

 お前も遠慮が無くなって来たねぇ。分かったよぅ、今回だけだよ?

 女将、そしたらこっちの兄さんには四本頼むよう。まったく、食べ物の恨みは何とやらだからねぇ」


 翔太が思い切って口を開いたのだが、北忠が先回りして勘違いしてしまい、新たに団子を頼んでしまう。

 翔太は呆気に取られながら、


『こいつぁ俺なんかにゃ太刀打ち出来ねぇや。

 こりゃ伸哉兄ぃ、あっしにゃ荷が重過ぎやすぜ』


 と、心の内で伸哉に詫びるのであった。



 *



「少し良くなって来たみたいです。ご面倒をお掛けしてしまって、本当に申し訳ありませんでした。

 ありがとうございます」


「いえ、面倒な事などあるものですか?

 私など暇を持て余して、ぷらぷらしていただけですからねぇ?

 逆に私の方こそ、みそのさんを巻き込んでしまって、申し訳無いと思っているのですよ?」


「いえ、それは先ほどもお伝えしましたが、決してご隠居様が悪い訳では無いのですから…」


 幾分痛みも治まって来た様で、みそのは身体を起こして話している。


 弘治がこの自身番を後にして、半刻は経っているだろうか。

 みそのは未だに自身番の奥で休ませてもらっていた。

 自身番の番人達も、みその達に気を使って外出や通りに出ている。

 今はみそのと酔庵だけが部屋にいる形で、二人きりで話しをしていたのだった。

 酔庵のお付きの幸吉はと言うと、弘治との約束通り、あの後すぐに奉行所まで知らせに走っているので、もうそろそろ帰って来る頃合いだろう。


「ありがとう御座います。

 しかし、みそのさんだって、今日は予定が有ったのでしょう?

 悪く無いと言ってくださっても、その予定を反故にした片棒は、しっかり担いでしまっていますからねぇ…」


「いえ、そんな…」


「そろそろ幸吉も帰って来る頃でしょうし、そうしたら使いっ走りくらい出来るでしょうから、私に協力出来る事がありましたら、遠慮無く言ってくださいね?」


 やはり少なからず責任を感じている酔庵は、何か出来る事が無いかと思案していた様で、使いっ走りまで願い出る。


「いえ、急ぎの用は本当に無いのですよ?

 さっきも道場を見て回るついでに、知り合いのお店に寄ろうと思っていたくらいのものなんです」


「道場とは剣術の道場の事ですかな?」


「え、ええ…」


「剣術道場とは、またどうして…。

 お見受けする限り、みそのさんは剣術とは無縁の様に思えるのですが?」


 みそのから道場の話が出て来て、興をそそったのか、酔庵はその話に面白そうに食いついた。


「まあ、私には無縁なのですが、色々とありまして…はい。

 話せば長くなってしまうんですよ」


「時間なら先ほども申し上げた様に、私は持て余しておりますよ?

 なればその長いお話しをお聞かせくださいな?」


 酔庵は益々興がそそったのか、悪戯っぽく笑う。


「うぅぅん………。

 まあ、私も未だ動けそうに無いですからね…。

 いいでしょう。でも私の事では無いので、この話は、余り触れ回らない様にお願いしますよ?」


「それは勿論ですともっ」


 みそのの言葉に、酔庵は嬉しそうに力強く返した。


「なぜ私が剣術道場の偵察をしようとしてたかなのですが……」


 みそのは酔庵の嬉しそうな顔に毒気を抜かれ、微笑を浮かべながら話し始めた。


 それを酔庵は、ニコニコと子供の様な笑顔で聞くのだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ