2話-5
もうやめてくれ!
そう叫びたい、でも気付かれるのは嫌で、あいつの姿を見るのもまっぴらごめんだった。
だから、叫べない。今日も布団を握りしめて、ドアの方を凝視する。
いつ位からだろう。布団の中に籠って視界を遮るのを止めた。前にも言ったと思うが、こいつには気配がない。今は物理的なアクションがあるから僕にも「そこにいるのだ」と認知できるけど、それがなくなれば布団の中からこんにちはのルートだって無きにしも非ず。そんなのに遭遇した日には失禁ものだ。
体重をかけてドアを押しているわけでもないような軽い音。それが鳴っているという事実はもちろん不本意だが、ソレがソコで鳴っている事が逆に僕の精神的な命綱でもあった。ドアを隔てた向こう側。侵入を許さなければ、その音が鳴りやまなければ一応ここは安全地帯だ。
そんな本末転倒な思考に陥る程度には僕はおかしくなっていたのだと思う。
廊下や踊り場には窓がある。もちろんそれらもきっちりと施錠済み。風の通り道は塞いであるので、風で押されているのではないと思う。それに越してきてからこっち、ドアは閉めて寝ていたが、こんな現象に見舞われたことはない。
必ずしもアレな理由だと結論づける事は出来ないのかもしれないが、タイミングがタイミングだ。おっさんを見てから起こり始めた現象なので、どうしても関連付けてしまうのは仕方がない事だと思う。
今みたいにカメラが普及していれば、僕だって24時間体制でドアに向けて撮影位したと思う。まぁそんなことをいまさら言ってもしょうがないのだけれど。
とにかくその日はいつもと違って、なかなか音は鳴り止まなかった。
若干イライラしながらドアを睨む。「なんで、僕がこんな目に」もう何回・何十回と考えて答えの出ないこの問いにフラストレーションが溜まりまくっていたのも事実で、沸々とこみ上げる怒りに舌打ちをする。
多分すぐそこの部屋で姉が起きているであろう事実も背中を押したのだと思う。当時を振り返ってみてもいつもより随分と強気な心持だった。
こちら側から一発ドアを殴ってやろうと近づいた。もちろん夜中なので殴ると言っても平手でダンッ!くらいのつもりだったけど。ドアにそっと近づくと音が突然止んだ。その事に僕は動揺してしまった。音が止んだならドアの前にあいつがいるのか、いないのか分からないじゃないか。
突然の事に次の一手を決めかねているその間に、それは起こった。
今まで不動を決め込んでいたノブが軽く揺れたのである。
回るという動きにはほど遠かったけど、確実にノブに触れられている。
その事実にゾッと悪寒が走った。
今まではドアを押していただけだったソレが今度はノブに手をかけている。今は回すことができなくても毎夜触っていれば何かの拍子に開くことだってあるかもしれない。この期に及んでもノブをこちら側から押さえて、ノブ越しに伝わる何かの感触を味わいたくなくてとっさに体が動いた。
ドアの横にあった木製の本棚をドアの前に移動させたのだ。簡易バリケードで物理的に侵入を封じるという手段を取った僕は、そのままドアの方を一切振り返らずに今日も敗走と相成った。ベッドに飛び乗り羽根布団の間に滑り込む。
火事場のクソ力ってこういう事かと思考を無理矢理逸らせ、本満載の本棚を動かしたせいかツキンと鈍い痛みを感じる昔折った腕をさすりながら目を閉じた。
まだ続きます。