2話-1
僕には姉がいる。
当時、田舎に引っ越してきたばかりの僕たちは今までとは違う広い自分の部屋にちょっとテンションが上がっていた。
引っ越す前にも自分の部屋はあった。昔は「子ども部屋」で一括りになっていたが、まぁ思春期の姉弟が同じ部屋になることはないだろう。
姉が中学に上がる時に部屋は別々になっていた。6帖と4帖半、ご多分に漏れず姉は笑って僕に6帖の部屋を譲ってくれた。この頃の僕はとんだ末っ子根性野郎になっていたのではないだろうか。
ウチの親は子どもを甘やかすタイプじゃなかった。今振り返ると厳しくも愛情たっぷりに育てられたと感じるけど、目に見えるような甘やかし方はされてこなかった。おもちゃや欲しいものを誕生日とクリスマス以外で買ってもらえることもなかったし、欲しかったら小遣いを貯めるように言われた。アイスやジュースが常備されている友達の家の冷蔵庫を羨ましく思ったものだ。そんな中姉は僕を甘やかしていた。当時は甘やかされているという自覚はなかったのだけど。
あっ、記憶をたどるとつい脱線してしまう。
話を続けよう。
新しい部屋は2階の南向きの8帖と北向きの7.5帖。家が建つことになった当時小5だった僕は北向きの部屋に魅力を感じていた。東と北の開口で別に暗いわけではなかったし、奥の部屋という隠れ家的な秘密基地的な感じが気に入っていた。
姉は何度も僕に奥の部屋でいいのかと聞いた。こっちの方が広いし明るいよと。でも僕は頑として譲らなかった。結局姉は折れて僕はその部屋を勝ち取ることができた。
引っ越したのは3月。田舎へ帰るたびに少しずつ設えていったその部屋が遂に僕の物になった時には少し感慨深いものがあった。そこから約4ヶ月経った頃の事だった。ウチの田舎はとある県の北部に位置していて真夏ならいざ知らずこのくらいの時期は扇風機なんか必要なかった。窓とドアを開けてやれば風の通り道ができて、心地良く眠ることができた。
この頃は寝る前にベッドのライトをつけて小説や漫画を読むのが習慣になっていた。その日も例外ではなく文庫サイズのお気に入りの小説を手にベッドに転がっていた。ゆるく吹く風も気持ち良かった。
どれくらい時間がたった頃だろうか。そろそろ寝るかと思い始めた頃、ふと視線のようなものを感じた。目では文字を追いつつ意識を周りに向けてみるとドアの方からのようだった。階段を上ってくるような音は聞いていないので、そうだとしたら同じ2階に部屋のある姉しかいない。声がかかるのを待ちながら切りのいいところまで読んでしまおうと小説に意識を戻す。しかし、いつまでたっても姉は口を開こうとはしない。
とうとう章の最後まで読み切って、しおりを挟み目をドアに向けた。そこにはドアの隙間から横向きにこちらを覗き込むハンチング帽をかぶった禿げたおっさんがいた。無表情に大きく見開いた目はこちらを見ていたが、視線は僕とは合わさらない。いや合わなくて良かったのだけど、部屋全体を見ているような重いプレッシャーみたいなものが充満していた。
とっさに足元の羽根布団を引っ掴んで頭からかぶった。きつく目を閉じてもさっきの顔が脳裏に蘇る。そもそもドアから横向きにっていうのもおかしい。首を肩に付くほど傾けたら、まぁ横向きにはなるだろうがそれだと覗き込んだ時には肩や体が見えるだろう。しかしおっさんにはそれがなかった。顔だけが横向きで、頭から鼻の下くらいまでをこちらに出して覗き込んでいたのだ。
とにかく僕は思いつくだけの念仏を心で唱えてソレが過ぎ去るのを待つ事しかできなかった。