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十話 落命 と 救命

 傷は塞がったものの、ネズミは意識を失い眠り続けた。

 傍らで事態を見守っていた村長にお願いして、大き目の箱と飼い葉を貰い、即席の寝床を作って、そこにネズミを安置した。

 揺らさないよう慎重にユナさんの家まで箱を運ぶと、僕はずっと傍に付いてネズミの看病をした。


 といっても、僕にできる事なんて何も無い。

 ネズミが目を覚ました時の為に、餌と水を寝床の端に置き、後はその寝姿をじっと凝視していただけだった。


 日が暮れて夜になっても、ネズミは目を覚まさなかった。


「私の魔法じゃ傷は治せても、体力や流れた血は元に戻らないの」


 ユナさんの説明に、一時は安心しかけていた僕の心は、再び不安で満たされた。


「それで、一体何があったの?」


 夕食を終えると、ユナさんから尋ねられた。

 そこで僕は、いまだに事の顛末を話していなかった事に初めて気が付いた。余程、気が動転していたらしい。


「森で、また牙犬に出くわしたんです」


「牙犬? あぁ、あいつね」


 ユナさんは、僕が名付けた俗称を簡単に受け入れ理解してくれた。


「また襲われたの?」


「いえ、まずこのネズミが追いかけられていて、二匹いたんですけど……一匹はやられちゃって。それでこの子も襲われて、酷い傷を受けたんです」


 僕達二人は、中腰にしゃがんでネズミの寝床を並んで見下ろしている。

 ネズミは聞こえるか聞こえないかの、小さな小さな寝息を立てている。


「で、牙犬は僕の事にも気付いて襲い掛かってきて、だから僕は魔法を使って。……それでこの子も助けなきゃって思って、抱えてユナさんの所に走って……」


「ふぅん……。梅ちゃん森の中で魔法使ったんだ。大丈夫だったの?」


 ユナさんは膝を抱えるように座り、視線はネズミに固定したまま聞いてきた。長い髪が横顔を覆い隠していて、その表情は見えない。


「はい。昨日練習していたおかげで、森への被害は、そんなに無かったと思います。氷の魔法を使ったんです」


「氷?」


「えぇ。でも危険な、攻撃的な形じゃなく、丸い形の。ちょうど、この前食べた白丸を二つに切ったような。それで中は空洞にして、そこに牙犬を閉じ込めたんです」


「へぇ。でもそれで牙犬は暴れなかった?」


「暴れてました。大暴れで氷の壁を何度も壊そうとしてました」


「壊れなかったの?」


「僕が思っていた以上に、その氷は分厚かったみたいで、牙にも爪にもビクともしていませんでした」


 意識した訳ではなかったが、僕はほんの少しだけ得意気に言っていた。

 一部始終を聞き終えたユナさんは、その後しばらく押し黙り、ネズミの背中を優しく撫でていた。


「今日はもう寝ましょうか」


 何をきっかけにしたのか、ユナさんは突然そう言い出した。

 いつもよりも随分早い時間帯だと思ったが、昼間の事に神経をすり減らし疲労していた僕は、異を唱える事もなく了承した。


 僕はベッドに行く前に、ユナさんがしていたようにネズミの背中を撫でた。

 明日には目を覚まして、元気な姿を見せてくれ。と心の中でお願いした。




 たたき起こされたのは、やっと陽が昇り始めた頃合で、これもまたいつもより早い時間帯だった。

 ユナさんはすでに身支度を整えており、その手には何故かスコップを持っていた。


「今から森に行くから、付いてきて」


「何でこんな朝早くに?」僕は目を擦りながら聞いた。


 まだ夢心地でベッドから出たくない僕とは裏腹に「歩きながら話すから、急いで準備して!」と、ユナさんの態度は強硬だった。


 無理矢理ベッドから引き離され、強制的に顔を洗わされてようやく僕の目は覚めた。

 ネズミは昨日と変わりなく、すやすやと眠ったままだった。


「梅ちゃんはこれ持って」


 僕の覚醒を見て取ったユナさんから渡された物は、畑を耕すクワだった。

 僕は色々と訳が解らなかったが、とりあえずそれを受け取り、そしてユナさんと二人で森へと出発した。


 途中、僕は紳士的な優しさを発揮し、ユナさんのスコップも持ってあげた。右手にスコップ、左手にクワは、決して軽いものではなかったけれど、そこはやせ我慢をした。


「それで、森には何しに行くんです? また薬草採りですか?」


 ユナさんは、はっきりとしない態度で「うん……」と言った。そして言いづらそうに続けた。


「昨日、梅ちゃんが閉じ込めた牙犬を助けに行くの……」


「え?」


「だって、梅ちゃんの魔法って強力だから。きっと、今もまだその子は氷の中から出られていないと思うの」


「そんなことは……。いや、そうかもしれませんけど」


 でも何故? 相手は凶暴な魔物なのに。

 その疑問を口に出す事は、なんとなく憚られた。僕達はそれ以上の会話もせずに、ただ昨日の現場へと歩いた。



 氷のかまくらを見つけた時、僕は愕然とした。

 形こそ変わっていなかったが、その見た目は昨日とは似て非なるものに変化していた。


 ユナさんが懸念していた通り、牙犬はまだ氷の中に囚われたままだった。彼はあれから一日中、その牢獄を破ろうと暴れまわり、そして、その努力は無駄に終わった。

 特徴的な四本の犬歯は全て砕け折れ、片足に四本ずつあった鋭い爪は、今や左前足の小指に、割れて欠けたものが確認できるのみだった。

 武器を失って以後の彼は、体当たりによる破壊を試みたらしいが、もちろん効果は無かった。

 彼の全力は、氷内面の壁に、穴とも呼べない窪みやへこみを所々につける程度だった。

 そしていたる所に、彼の体から流れ出した(あるいは吐き出した)黒赤色の血が張り付けられ、透明な氷は血の色に染まっていた。

 僕が助けたネズミの片割れの姿はどこにも無かった。



 僕達は二人同時に息を飲んだ。


 中に居る牙犬はピクリとも動いていないが、外側からではその生死の判断はつかなかった。


 ユナさんは何も言わずに僕からスコップを奪うと、大きく振り上げてそれを氷のかまくらへと叩きつけた。ごく微量の氷が削られて、粉のように四方へ散った。


 それを見て、僕も同じように持っていたクワを振り上げていた。来る途中に浮かんでいた疑問など、忘れていた。



 数分間、農具を氷に叩きつける「カッカッ」という音が続いた。

 けれど、前日の牙犬がそうだったように、その努力に応じた成果はほとんど得られなかった。

 かまくらは、その曲線をほんの少しだけ歪なものにしただけで、今もきっちりと、当初与えられた役割を果たしている。

 しかも一体どういう原理でそうなったのか、その牢獄は、土の中にまで氷の根を伸ばしていた。地下から牙犬を救うこともできない。


 僕の持っていたクワは、かまくら以上に歪んでしまった。


「ユナさん。この氷は、このままじゃ壊れません。僕が魔法で溶かします」


「でも、梅ちゃんの魔法は……」


 ユナさんは躊躇の態度を見せた。

 でもそれしか方法が無い事は、ユナさんだって解っているはずだ。

 たしかに、僕がこの森で炎の魔法を使えば、大火事を起こすのは必至。


 だけど……。


「少しでも早く助けないと手遅れになります。被害を出さないようにやってみます! 離れててください」


 僕の気迫に押されたのか、ユナさんは心配気な表情を浮かべつつ、指示通り僕の後ろへと下がった。


 僕はナイフで指に傷をつけながらイメージを巡らす。どんな形状の炎であれば、森を焼かずにあの氷だけを溶かせるだろう。


 幸いにも、周囲の木々は氷には密接していない。とはいえ、半径二メートルほどの位置には、燃えやすそうな木が四方を囲っている。

 上空もダメだ。持ち主の木が解らないほど、天は木の葉で覆われている。


 空いたスペースは極端に少ない……。


 そこで僕は閃いた。

 氷のかまくらが作れるのであれば、炎のかまくらを作ることも可能ではないか?

 いや、きっと可能だ。

 氷を覆う、ほんの一回り大き目の炎のかまくら……。それがあの氷を溶かす。


 イメージできた!

 僕は腕を振った。血は飛び、氷のかまくらの壁に着地した。


 ゴォッ! とイメージ通りの炎があがった。

 ……まるで、氷が燃えているようだ。普通は燃えない物を燃やす。改めて魔法とは非常識ですごいものだ。


 僕はちょっとした感動を覚えつつも、周囲へ引火していないか、細心の注意を払って見守った。


 十秒後、炎と氷のかまくらは同時に消え去っていた。延焼も無かった。


 僕達はすぐさま牙犬の元へと駆け寄った。数秒前で固形だった水分が、地面をぬかるんだ泥に変えていた。


 ユナさんは、牙犬の体の各所を触り、弄り、掴んだ。そして……「死んでる」と言った。


 僕は無力感に襲われ、膝から崩れ落ちた。

 ユナさんも俯いた。いつも浮かべている笑顔も、今は見えない。



「……ユナさんの魔法で」


「死んだものを蘇らせることはできない……」


 僕のダメ元でだした提案は、言い終える前に却下された。




 僕達はしばらくの間、茫然としていた。陽の光の届かない森の中では、どれだけの時間が経過したのかを知る事はできなかった。


 やがて、どちらともなく牙犬の為の墓を掘り始めた。かまくらがあった場所から少し離れた、やや開けた場所に、ボロボロになって文字通り冷たくなったその体を埋めてやった。



 帰り道、僕達は互いに何も喋らなかった。頭に浮かぶ話題は全て、口に出して話すべきことでは無いと思った。


 家の扉を開くと、奥から物音が聞こえた。

 行ってみると、そこには元気に餌を食べるネズミの姿があった。


「気が付いたんだね。良かった」


 随分久しぶりに思えるユナさんの声と笑顔だった。

 もちろん僕だってユナさんと同じ気持ちだ。ネズミが生きていてくれて心底嬉しい。けれど、牙犬の痛ましい死体を見た後だと、その想いが揺らいでくる。


「僕は……この子を助けるべきじゃなかったんでしょうか?」


 ユナさんは再び表情を消し「何でそんな事言うの?」と言った。


「だって、牙犬はただ自分の食料を得る為の狩りをしていただけで。それは生きる為には別に悪い事とかではなくって。弱肉強食は自然界のルールで……」


 滅茶苦茶だ。言葉も感情も、ぐちゃぐちゃに混乱している。やっぱり、口に出すべきではなかった。

 ユナさんも黙りこくってしまい、重苦しい空気が流れた。


「プー」


 いつの間にか食事を終えて、箱から出てきたネズミが、こちらを向いて鳴いた。そのままのそのそと僕に近づいてきて、足元で「ピピピピ」と鳴いて僕の右足にしがみついてきた。


 ユナさんはその光景を見て、笑顔を蘇らせた。


「難しい問題だけどさ、その子は梅ちゃんに助けられて感謝してるみたいだよ」


 僕はしゃがみこんで足にじゃれ付くネズミを見た。つぶらな瞳とげっ歯類特有の口から覗く出っ歯が愛らしい。

 頭を撫でてやると、気持ち良さそうに目を細めた。


「魔法が使えたからって、人間は神様じゃないんだよ。ただ、梅ちゃんがこの子を救いたいって、心の底から思って行動した事なら、それは誰にも責められる事じゃない。……と私は思うけど」


 ユナさんの言葉は、あまり僕の耳には入ってこなかった。けれど、その意味は不思議と体に染み渡っていくようだった。

 僕は「うん、うん……」と頷く事しかできず、どのような返事を返せばいいのか解らなかった。

 ただ、目の前のネズミを撫で続けた。


 ユナさんも近づいてきて、ネズミの背中を撫でた。ネズミは幸せそうだった。

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