3.刑事 黒木哲平
3.刑事 黒木哲平
康子の携帯電話の留守電に残されていたメッセージは今日の夕方のものだった。康子が滞納していた料金を美紀が支払った直後だと思われる。おそらくそれまでに何度も電話をかけていたに違いない。電話番号は早苗から聞き出したのだろう。録音されていたメッセージはこうだ。
『電話が通じたという事はやっと料金を払ったという事だな。今は電源を切っているのだろう。この3日間、さぞ心配しただろう。安心しろ。娘は無事だ。このメッセージを聞いたら、その後は絶対に電源を切るなよ。もし、警察に捜索願を出しているのなら、すぐに取り下げろ。明日、また連絡する』
音声はヴォイスチェンジャーで変えられている。声から犯人を特定するのは難しそうだ。康子も心当たりがないと言っている。
「着信番号は?」
「公衆電話だ」
「そうですか…。奥さん、このことはまだここでしか話していないんですよね」
黒木は康子に尋ねた。
「はい…。ところで、あなたは?」
「申し遅れました。こういう者です」
黒木は康子に警察手帳を見せた。
「所長さん!勝手に警察に知らせたんですか?早苗にもしものことがあったらどうするんですか?犯人は警察に知らせるなと言ってたじゃないですか」
康子は矢沢を睨みつけた。
「まあ、まあ。こいつは昔の俺の部下で個人的に協力してもらうだけだ。現役の刑事が協力してくれれば何かと都合がいいもんでね。表向きは俺の助手という事で動いてもらう。それなら構わんだろう」
康子は渋々頷いた。
「ところで、奥さん。娘さんの写真なんかお持ちですか?」
康子は携帯の待ち受け画面を黒木に見せた。
「ん?」
写真を見た黒木が首を傾げた。
「どうかしたか?」
矢沢が尋ねた。
「この子、どこかで見たことがあるような…。あっ!奥さん、この子、サッカーやってませんか?」
「はい、隣町のサッカークラブに入っています。本人がどうしてやりたいってきかなくて。会費もバカにならないんですけど」
「ちなみにお住まいはどちらですか?」
「東町です」
「やっぱりそうか!」
「どういうことだ?」
「うちの娘も同じチームですよ。確か一緒に写真に写っていました」
黒木の娘、優香が小学校3年になった時だった。優香は母親、智子の後ろで何か言いたそうにもじもじしていた。
「ほら!ちゃんと自分でパパに言いなさい」
優香は母親に促されて黒木の前に一歩出た。
「あのね…。優香、サッカーやりたいの…」
そう言って少年サッカーチームのチラシを見せた。黒木はそれを手に取って眺めた。
「真由美ちゃんや美咲ちゃんも入るって…」
真由美ちゃんと美咲ちゃんというのは優香の大の仲良しの子たちだ。黒木は優香の顔を見て訪ねた。
「友達が入るから自分も入るのか?」
「違うよ。優香がやりたくて二人を誘ったの」
「そうか!じゃあ、頑張れよ」
「うん!」
優香は満面の笑みを浮かべて黒木に抱きついた。
実は黒木も学生の頃サッカーをやっていた。妻の智子は知っていたけれど、優香にそのことを話したことはない。なのに、優香が自分からサッカーをやりたいと言った。
黒木がテレビでよく女子サッカーの試合を見ていたので優香も興味を持ったのに違いない。
優香がサッカーを始めて今年で3年目になる。今では小学生女子の部ではチームのエースストライカーだ。黒木は仕事の都合で試合を見に行ったことはないが、智子が写真やビデオを撮っては黒木に見せてくれていた。
あれは確か、今年の新入部員歓迎会の時の写真だった。このチームには3年生から入ることが出来る。新入部員には一人ずつ先輩が教育係として付くことになっている。優香が任されたのが早苗だったのだ。
「ウソ―!」
康子は驚いて声をあげた。
「じゃあ、もしかして、刑事さんは黒木優香ちゃんのお父さんなの?」
「はい。確か、早苗ちゃん、ウチに遊びに来たこともあるはずですよ」
「世間は狭いな。これじゃあ、哲平もこの事件を放ってはおけんな」
「もちろんですよ。何が何でも早苗ちゃんを助け出します。奥さん、どうか安心してください」
康子は信じられないといった様子で黒木の顔を眺めた。そして、少し間をおいて黒木に言った。
「あの、その奥さんって言うのは止めて貰えますか?今までそんな風に呼ばれたこと無いんで、なんだか恥ずかしくて」
「そりゃそうだな。こう見えても彼女、まだ25歳なんだそうだ」
「えっ?」
意外そうに声をあげた黒木を見て康子は矢沢に毒づいた。
「そんなことわざわざ言わなくてもいいじゃないですか」
「さて、瀬能さん。確かにこいつはいい男だが発情している場合じゃありませんよ。まずは娘さんを見つけ出すことが先決です。取り敢えず、パート先に今里君を潜り込ませますから何か変わったことがあったらすぐに彼女に知らせて下さい。それから、明日は朝から自宅の方を見せて貰いたい。何か犯人につながるものがあるかもしれない」
「解かりました」
「それじゃあ、僕は学校から児童館、その周辺の聞き込みをしてみます」
「頼む」
この日は一旦、そこで解散した。
黒木は家に帰ると、歓迎会の時の写真を見直してみた。
「ふーん…。あまりお母さんには似てないな…」
「誰が似てないって?」
智子に不意に声を掛けられたが黒木は職業柄慣れたもので、焦った様子も全く見せずに、答えた。
「この子、瀬能早苗ちゃんっていったっけ?きょう、お母さんに偶然会ってね」
「ふーん。それより、ご飯だから、早く着替えて来て」
「了解」
黒木はそういうと早苗が写っている写真を1枚ポケットにしまって他の写真を片付けた。