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ユウ  作者: 晨暉悠翔
6/7

流れ星の真実

ここは最初にきた丘の上だった。そばの一本の木には僕のセーターがかけてある。

 無の手を握っていた右手の感覚が、突如としてなくなった。見上げると無の手が、姿が透明なガラスのように薄くなっていた。

「どうしたの!」

 僕は目の前の信じられない光景に動揺した。

「ちぇっ、タイムオーバーか」

 そう言って無は寂しそうに笑う。

そう、初めから無はこんな風に寂しそうに笑うんだ。

「・・・言っただろう?僕は存在自体ありえない、幻だって。・・叶わなかった夢だって・・・」

 無はあの時と同じように、この世界の青い青い空を見上げる。とても悲しそうな横顔で。

「・・・君は・・・神様の遣いなんかじゃないよね?」

 今までつっかえていた疑問をぶつけた。無は静かに僕のことを見つめる。

「僕は昨日、流れ星なんか見てないんだ。だから願いごとなんてしていないんだよ。僕の願いを叶えるなんて、最初からおかしかったんだ」

 僕は言葉を切る。

「君は一体、何者なの?何をしに僕の前に現れたの?」

 無は静かに笑いかけると、徐に口を開いた。


「流れ星に願いごとしたのは、僕なんだよ」


 そして口笛を少しだけ吹いて風を呼ぶ。木にかかったセーターを風で運んで僕の元へ持ってくる。

「・・・神様がね。流れ星が流れたとき、僕に明日のことを教えてくれたんだ。・・・そして願いごとを一つ、叶えてくれると言ってくれた」

「明日っていうのは、今日のこと?」

「・・・そうだよ」

 無は笑っているはずなのに、なぜか僕には泣いているように見えた。無の姿がどんどん薄くなっていく。

「君は一体・・・何を願ったの?」

 長い沈黙。それでも無の表情が、ほんの少し明るくなった気がした。


「直樹が、死なないこと」


 突如として、この世界自体が歪み始める。意識がどんどん遠のいていく。

「よかったよ。直樹が〝生きたい″と願ってくれて・・・そうでないと、あの死の世界からは救い出すことができなかったから・・・」

 なぜだろう、遠のく意識の中で無が消えていくのを見ていると、涙が出てくる。とても大事な何かが、失われている気がする。


「君はその内忘れるんだ。

 僕の声も、僕の姿も、僕の顔も、今日あった全てのことをきっと忘れる。

 だって僕は〝存在していない″んだから。

 〝存在する前に終わってしまった″んだから。

 僕は結局、叶わなかった夢で、幻にしか成り得ないんだよ。

 ・・・でも会えてよかった。

 ずっと嘘ついててごめんね。できることなら、直樹と遊びたかったから・・・

 とっても楽しかったよ。

ありがとう。


 ・・・僕には〝生きる″ことがどのくらいつらいかなんて分からないけど、でもね。きっと直樹が僕の頃は〝生きたい″と強く願っていたはずなんだよ」


 壊れゆく世界の中で、消えていく無は本当に〝無″に還っていくようで、僕は泣いていた。

 忘れたりなんかしない!絶対に忘れたりなんかしない!そう叫ぶのに、それは声にならなくて、無には届かなくて。それがとても、もどかしくてやるせない。

 その内に世界はなくなっていって。無は〝無″になって、僕の意識も失われていく。


「バイバイ、お兄ちゃん」

 最後に僕の耳に届いた声には、寂しさも、悲しさも含まれてはいなかった。


--------------------------------------------------------------------------------


―――――

 目を開けると、真っ白な天井が目の前にあった。規則正しくタイル張りされたそれは、どこか無機質で冷たい。

 僕は天井よりさらに白いベッドで仰向けに寝かせられている。

 一体ここはどこだろう?

 自分がどうしてこんなところにいるのか。今まで何をやっていたのか。すぐには記憶を手繰り寄せることができなかった。

 横目に、点滴の袋がつり下がっているのが見える。

 そうだ、確か僕は今日死のうと思ったんだ。

 そしたら、知らない男の子に会って、風が僕を不思議な世界に連れて行って―――

 脳裏に消えていく無の姿が浮かぶ。

 体中に痺れるような感覚が走った。僕は慌てて起き上がる。

 無は一体、あの後どうなってしまったんだ?

 ベッドから出ようとすると、布団の裾が引っ張られた。見ると、お母さんが布団を下敷きにしてベッドの端で突っ伏している。

「お母さん、お母さん!」

 僕は必死でお母さんの体を揺すった。

 お母さんは徐に起き上がる。

「直樹・・・!」

 僕の姿を見るとお母さんは口元を抑え、泣き出してしまった。そして強く強く抱きしめられる。お母さんの嗚咽が耳元で大きく木霊す。

「あなた・・あなたお寺の林の中で倒れていたのよ。・・・一日中ずっと、目を覚まさなかったのよ」

 僕があの世界に行っている間、どうやら意識が無くなっていたらしい。

「あなた、なんであんなところにいたの?住職さんがね。あなたが倒れていることにすぐ気付いて、救急車を呼んでくれたのよ」

 その後、お母さんはただ、よかった、よかったと繰り返した。

 後ろめたい気持ちになる。僕は死んでしまおうとしていたのに・・・

 僕はこれほどにお母さんを悲しめることを、裏切る行為を、やろうとしていたんだ。

 目の前で悲しむ人を見ることが、こんなにも苦しいことだなんて知らなかった。

 僕はお母さんの着ている服を眺める。それは緑色をした患者さん用の物だ。

 僕には訊かなければならないことがある・・・。

「お母さん・・」

 お母さんは顔を上げて、僕の顔を見つめた。

「赤ちゃん・・・お腹の中の赤ちゃんはどうしたの?」

 僕が見つめる先にあるお母さんのお腹は、妊娠中とは程遠くぺしゃんこになっていた。

 お母さんはまた泣き崩れる。泣いて泣いて、顔を上げようとはしなかった。

「千鶴!」

 病室の入口から声がした。見ると、広幸さんが松葉づえをついて立っている。右足には大きなギブスがしてあった。そして僕を見て、驚いた表情をする。

「直樹君!・・・よかった、意識を取り戻したんだね」

 広幸さんは心底ほっとしていた。

「千鶴、直樹君も意識を取り戻したんだから、自分の病室に戻ろう」

 お母さんはしばらく抵抗していたが、広幸さんが連れてきた看護師さんと共に病室を後にして行った。

「直樹君、今、先生を呼んでくるからね」

「待ってください」

 僕は広幸さんのことを縋るような目で呼び止めた。

「・・・どうしたの?」

「・・お母さんと広幸さんに何が遭ったんですか?・・・お腹の赤ちゃんは・・・どうなったんですか?」

 広幸さんはどこか悲しそうに目を伏せる。そして徐にそばの丸椅子に座った。

「実は・・・病院に車で向かっている最中に交通事故に遭ってね・・・それは一度に沢山の人たちが巻き込まれた事故で・・・どうしても回避することはできない事故だった」

 広幸さんは辛そうに、重たい口を開く。

「僕は足の骨を折って、千鶴さん・・君のお母さんはお腹を強くぶつけてしまったんだ」

 広幸さんは唇を軽く噛む。


「お腹の中の赤ちゃんはね。その衝撃で死んでしまったんだよ」


〝僕は存在自体ありえない幻だから・・・叶わなかった夢だから・・・″

 無の声が頭の中で強く響く。

〝バイバイ、お兄ちゃん″

 無の最後の言葉が胸を貫く。

 無は・・・あいつは、お母さんのお腹の中の〝胎児″だった。

 僕の、弟だったんだ。

 視界がぼやけて、涙が止めどなく流れ、嗚咽が漏れ出る。


 どうして?

 どうしてだよ。

 もっと・・・もっと怒ってくれたらよかったのに。

 自分は生きられないんだって。

 自分は産まれてくることさえできないんだって。

 〝死にたい″なんて言っている僕に、

 そうやって罵声を浴びせてくれたってよかったのに。

 どうしてだよ。

 どうして君は、こんなにも僕を〝好き″でいてくれたの?

 〝お兄ちゃん″と呼んでくれたの?

 僕はきっと君のこと、恨んでいたんだよ。

 僕の泣く姿に困惑している広幸さんの腕を、僕は強く引き寄せた。そしてその胸の中に顔を埋めて泣く。

 僕はきっと、ずっとこうしたかったんだ。

 誰かに、僕の心の叫びを受け止めてもらいたかったんだ。

 

 お花も、盲目の人も、セミも、僕自身も、不幸なんかじゃなかった。

 いや違う。幸せだとか不幸だとかいうのは関係ないんだ。

 僕たちは生きている。

 死んだらなくなってしまう全てを、僕たちはちゃんと持っている。

 ちゃんとここに存在している。

 それで十分だったのに・・・

 〝名前はなんていうの?″

 そう訊いたとき、無は・・・いや、あいつはどんな表情をしていただろう。

 あいつには、名前がなかったんだ。

 産まれていないから、名前すら貰っていなかったんだ。

 だから、

 生きられない存在だから。

 生きる前に消えてしまうから。

 自分のことを「無」だと言って

 そうやって、僕に寂しそうに笑っていたんだ。

 

 僕は広幸さんの胸に顔を押し付けて泣き続けた。広幸さんは、そんな僕の頭を優しく撫でる。

それはまるでお父さんみたいだった。


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