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ユウ  作者: 晨暉悠翔
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着いた場所は、薄暗く、湿っぽい場所だった。前方には先が見えないほど真っ暗な洞窟がある。

「ここは?」

「・・・死の世界への入口だよ」

 そう言われて思わず身震いする。ここはとても寒かった。無は半そで半ズボンなのになぜか平然としている。

「その〝闇″に・・・より深い闇に向かえば自然に死ぬことができる。死んでしまったら、もう二度とここには戻ってこられないよ」

「そんなの分かってる!」

 僕は半ば自棄になってそう言っていた。

 僕は洞窟の中に歩み出す。無はそんな僕に何か言いかけたが、黙ったままで引き止めることはなかった。

 一歩前進するごとに、闇はどんどん深くなっていく。後ろを振り向くと、もう洞窟の入り口は見えなくなっていた。

 いつの間にか闇の中に独り取り残されたような錯覚に襲われる。寒い、とても寒い。この寒さは気温が寒いとか、そんな単純なものではない気がした。もっと深いところ・・・自分の体の、心の奥底が冷え切っていくような、そんな感覚。

 それでも僕は先を歩いた。

 僕は今、本当に〝死んでいっている″のかな?

 なんだか実感が湧かなかった。

 実際、よく分からないんだ。

 「死ぬ」ってどういうことなの?

 死んでしまったら、一体僕はどうなってしまうの?

 そんな疑問が頭の中を飛び交う。

 前に進んでいくと、闇の中に仄かな赤い光が見えた。それは本当に微かな光で、風が吹いているのか時折揺らめいている。

 僕はその光に近づいた。そばまで来ると、それはロウソクの光なのだと気が付く。同時に僕はギョッとして固まってしまった。

 ロウソクの近くに、真っ赤な物体が突っ立ていた。いや、正確にはその物体がロウソクを燭台に載せて持っていたのだ。

 上半身が裸で全身が赤い。頭には二本の角が生えていて、髪とパンツが鮮やかな黄色をしている。

「誰だ!」

 僕の気配に気付いて、その物体が振り向く。その顔はまさしく〝鬼″だった。

 僕は恐怖で声が出なかった。鬼は実在したんだ、と感慨に耽る余裕などない。

 鬼はまじまじと僕のことを観察する。赤鬼は目さえ血走っていた。

「お前・・死んでいないな?」

 鬼はそう言うと僕のことを睨み付けた。

「・・・ここには死人しか来られないはずなのに・・・どうして生きた人間がここにいるんだ」

「・・・僕は・・死ぬためにここに来たんです」

 僕は、やっとの思いで押し殺したような声を出す。

「自殺しに来たっていうのか?」

「・・・はい」

 鬼の顔が曇った。

「なぜそんなバカなことを」

 鬼は誤って口の中に入った砂を吐き出すように、そう言った。

「・・・なぜ、そんなこと言うんですか?」

「・・・もう嫌なんだよ。あの死人たちを見るのは・・」

 鬼は悲しそうな顔をする。鬼でもこんな表情をするのか、と僕は困惑した。

「お前は、本当に死んでしまってもいいと思っているのか?」

「・・・だって、僕の命なんだから。どうしようと勝手でしょ」

「そうか・・・」

 鬼の顔が、暗く歪んでいく。

「・・来なさい・・・お前に見せたいものがある」

 鬼はそう言うと静かに背を向けた。


「ここは、罪を犯した死人を裁くところだ。お前たちの世界では確か〝地獄″だとか呼ばれている」

 足元も見えないような闇の中を歩きながら、鬼は淡々と説明する。

「そしてここも・・・その地獄の一つさ・・・」

 鬼は前方を指差した。どこからか苦しそうな呻き声が聞こえて来る。そこは円形の砂場のような場所で、円の中心に行くほど底が深くなっていた。中心に首を伸ばして覗いてみるが、本当に真っ暗で何も見えなかった。

 まさしく巨大な蟻地獄だ。

 中では死人が哀れにも蠢いている。必死に中心の〝闇″に取り込まれないように這いつくばっていた。彼らの顔は一様に憔悴し、恐怖に支配されていた。

「ここには自殺した人間たちが入るんだ」

 僕は驚いて鬼の顔を見上げた。

「どうして?この人たちは別に、罪を犯したわけではないでしょう?」

「お前は本当にそう思うのか?」

 僕は迷わず頷いた。

「・・・お前の命はな、お前だけのものじゃないんだ。お前を愛しているすべての人のものなんだよ。それを勝手に奪い去ってしまうことに、どうして罪がないと言えるんだ?」

「でも・・・」

 鬼は〝違う″という風に首を振る。

「この蟻地獄はな、愛していた者たちの〝思い″なんだよ。〝どうして″〝なんで死んだの″そんな愛情からくる〝悲しさ″が、いつしか〝恨み″となって地獄になるんだ」

 僕はもう一度、その蟻地獄の中を見た。土で真っ黒に汚れながら蠢く死人たちは、もう元が〝人″だったのかどうかもよく分からない程にやせこけ、顔は憎悪で歪んでいた。

「そして、最も彼らを苦しめているのは彼ら自身さ」

 鬼は僕に向き直った。

「お前は本当に死にたいのか?〝死にたい″と叫びながら〝生きたい″と強く願っているんじゃないのか?自分を苦しめているものに対して、当てつけのように〝死″を選んでいるんじゃないのか?

 なぜだろうな。ここに来る者の大半は、死んでしまうまでそのことに気付かないんだ。

 そして後悔する。その後悔はこの地獄をより深く、暗いものにするんだ」

 鬼は数歩先まで前進すると黙って立ち止まる。こちらを振り返ったときには燭台は手元にはなかった。代わりに〝金棒″が右手でしっかりと握られている。

 鬼に金棒―――

 陳腐なことわざが頭を過った。

鬼の表情は先ほどより暗く、無表情に固まっている。

「・・・あの中心の〝闇″に飲み込まれたら一体どうなると思う?」

 僕は鬼の不穏な雰囲気に思わずたじろく。言いようのない恐怖が体中を駆け巡った。今まで忘れていた寒気が急に襲ってくる。

「〝人″ではいられなくなるのさ」

「・・・どう・・・いう意味ですか」

 鬼に一心に睨み付けられ、逃げようとするのに足が竦んで動かない。意識もなんだか遠のいていく。

「〝鬼″になるのさ」

 気付くと、鬼の顔が目の前まで近づいていた。鬼は、右手の金棒を蟻地獄に向かって振りかざす。金棒が地面に到達すると、地響きが起きた。蟻地獄の底が隆起し地獄が破壊されていく。

 今までどう足掻いても蟻地獄から出られなかった死人たちが、次々と外に出てくる―――

「お前はまだ生きている・・・

 そうさ。もしかしたら・・・もしかしたら、お前の〝命″をつかえば俺たちは・・・


 生き返れるかもしれない!!」


 鬼のその言葉が、まるで合図であったのかのように死人たちが掴みかかってきた。僕は必死でそれを振り切り、方向も分からないまま走り出す。

 怖い。

 恐い。

 恐いよ。

 後ろを振り向くと、何人もの死人たちが四つん這いで急接近してくるのが見える。

 恐い。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 いつの間にか泣き出していた。

 嫌だ。

 嫌だよ。死にたくなんかない。

生きたい。生きたいよ。

本当は心の奥底で、ずっとそう叫んでいた。

でも、つらくて。

世界は僕にとって、あまりに生きづらくて。

厳しかったから。

誰かに助けてほしくて、甘えたくて。

でも、その方法が分からなかった。

どうしたらいいのか分からなかっただけなんだ。

お母さんの顔が浮かんでくる。・・・このままじゃ、二度とお母さんとも会えなくなる。

冷たい〝腕″が体に絡みつく。次々に得体の知れない黒い物体が掴みかかってくる。僕は必死でもがいた。

「助けて!」

そう叫んだ次の瞬間には口元を押さえつけられていた。体の身動きもとれなくなる。

「今さら生きたいと願っても手遅れさ」

 鬼の声がした。落ち着き払った足音が聞こえて来る。

「お前の〝命″をつかって俺たちは生き返るんだ」

 正面に現れた鬼は〝鬼″の姿ではなかった。一人の少年だった。僕と何一つ変わらない少年だった。

この子もきっと、どうしたらいいのか分からなかったんだ。

少年が僕の顔に手を伸ばす。

「待つんだ!」

 突然、闇の中に声が響き渡る。

「誰だ!」

 僕だけがこの声の正体を知っていた。

「直樹を放せ」

 無が、少年の後方に立っていた。この〝闇″の中で無のいる場所だけは、なぜだか明るい。

 それはとても温かい光。

 少年は耐えきれないというふうに笑い出す。

「だめだね!これでおれたちは生き返れるんだ。わざわざこっちに来た、こいつが悪いんだよ!」

 無は少年を悲しげに見つめた。

「君は・・」

「・・・ああ、そうだよ。笑いたければ笑えばいい。俺もここに自殺して来たのさ。そしてずっと自殺したことを後悔し続けて、そこから抜け出せないでいる。憐れな奴さ」

 僕の目から、涙が止めどなく流れてくる。この少年の〝悲しさ″が、まるで自分のもののように心に響く。

 この少年は、この真っ暗闇で、ずっと独りきりで後悔し続けてきたんだ。会いたい人に会えなくて、したかったことが何一つできなくて、ずっとこの〝闇″の中に取り残されてきたんだ。

 僕はこの少年が、〝あの死人たちを見るのは嫌だ″と言っていたことを思い出していた。

「・・・君も分かっているんだろう?一度失われた命は、もう二度と戻っては来ないことを。こんなことしても無駄だってことを」

「うるさい!うるさい、うるさい、うるさい!!」

 少年は両手で耳を塞ぎ、首を忙しなく左右に振った。

 体がみるみる赤くなり、髪が黄色に染まっていく。頭からは角が生え、少年はまた鬼の姿になっていた。

 鬼は金棒を振り上げて無に襲いかかった。

 僕は思わず目をつむる。耳に迫る静寂が心臓の鼓動を速くした。

 そして恐る恐る目を開ける。

 無は平然とそこに立っていた。

「どういう・・・ことだ?」

 鬼が驚愕の眼差しで無を見つめる。なぜか鬼の手にあった金棒はコの字に折れ曲がっていた。

「君は僕には触れられないんだ、勝てないんだよ」

「なぜだ!」

 鬼がまた無に向かって金棒を振りかざす。金棒は無に触れる前に折れ曲がっていった。何度やってもそれは同じだった。次に鬼は無に掴みかかろうとするが、それも直前で鬼の方が動けなくなる。まるで無の周りに見えないバリアーがあるみたいだった。

「なぜだ!なぜなんだ!なぜ俺はお前に、触れることさえできないんだ!」

 鬼は座り込むと頭を抱えた。無はただ、悲しそうに、寂しそうに、鬼を見つめるだけだった。

「・・・僕は幻だけど、叶わなかった夢だけど・・・〝希望″だから。絶望に屈しない〝希望″だから」

 無は僕の方に歩み寄る。僕のことを羽交い絞めにしていた闇が、無が近づくにつれみるみる消えていった。

「行こう。早くここから出なくちゃ本当に死んでしまう」

 無は僕の右手を強く握った。

 僕たちはひたすらに走った。少しでも明るい方へ、少しでも希望のある場所へ。

後ろから泣き叫ぶ声が聞こえて来る。それは先ほどの鬼のものだった。悲しさが胸を貫く。

「振り向いちゃだめだ!」

 前を走る無は言った。後ろを振り向きかけていた僕の動きが止まる。

「同情しちゃいけない。・・・だめなんだよ。何もしてあげられないんだ。死んでいるから・・・彼の願っているように救ってあげることはできないんだ」

 無は俯きがちにそう言った。

 泣き叫ぶ声が、耳元で張り付いてなかなか離れない。

 泣いている〝彼″の姿は、はたして〝鬼″なのか、それとも〝少年″なのか。

 出口が見え始めると、無はいつものように口笛を吹いた―――


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