九
昼食を食べ終えると、春子は桜子の部屋へ向かった。廊下を進む時に見やった坪庭の池はいつもより穏やかで、黒い水を湛えて、動きもせずじっとしている。鯉はみんな死んでしまったのだろうか。そんな心配をして覗くと、白と赤の鯉が優雅に泳いでいた。数が減ったかどうかよくわからない。
「姉さん」
襖の前に座って、声を待つ。
揃えた指先は、爪の隙間に土が入って、黒くなっていた。
なかなか返事がなかった。どうしたのだろう、と思って、襖に耳を当てると、笑い声が聞こえてきた。男と女の笑い声だった。
春子は、嫌な予感がして、音を立てぬよう襖をそっと開ける。隙間を覗くと、筑紫の姿が見えた。縁側に座っている。光が眩しいので、春子は目を細めた。
「アハハ、それはまた変な会社ねえ」
桜子の声だ。
「そうなんです。社長が変わり者で」
とうに声変わりを済ませた男の声。筑紫だ。
「貴方の性格に合っているんじゃないの」
「そうでしょうか」
「そうよ、絶対にそうよ」
アハハと、桜子の高い笑い声が聞こえた。あんなにも笑って、一体、何の話をしているのだろう。春子は襖を開けて、もう少し隙間を作る。顔を近づけて目をいっぱいに開いた。
「誰!」
突然あがった鋭い声に驚いて、春子は尻餅をつきかける。
「きっと、春子さんでしょう」
「何をしているの、春子」
恐る恐る部屋へ入る。部屋の中には、布団に収まった桜子と、縁側に座る筑紫がいた。彼は足を外へ投げ出して、腰を捻ってこちらを見ていた。
何の話をしていたのかと訊いても、桜子は絶対に教えてくれないだろう。姉は、いつだってそうなのだ。いつも、春子の望みを先回りする。春子はその度に、自分の中で苛立ちが沸くのを感じた。それは、長い年月を経て、懇々と沸く泉のような苛立ちだった。
「猫を埋めてきました」
部屋のできるだけ隅に座って、二人を見つめる。よく考えると、そこは猫の死んでいた場所だと気がついた。
「ありがとう、春子」
桜子はにっこりと笑う。口の端が引き攣っていた。
「貴方もお菓子を食べる? 筑紫さんが、街へ下りたお土産に、持ってきて下さったのよ」
「大したものではないです」
筑紫は、相変わらず翳りのない顔をする。
「あら、とても美味しいわよ」
春子は、桜子の手からひよこの形をした饅頭を取った。黄色いふんわりとした生地で、口に入れたとたんに甘みが広がった。
それを見届けると、桜子はにんまりと笑い、やがて筑紫の方を見た。
「ねえ、筑紫さん」
また、甘えた声を出す。春子は、桜子の甘えた声が嫌いだ。
「また、何か捕まえてきて下さらない?」
筑紫が顔を上げる。
「今度は兎がいいわ」
「兎ですか?」
筑紫は首を傾げる。
「ねえ、筑紫さん。お願い」
暑さが肌の上を滑り行く。
首を回す扇風機は、こちらを見向きもしない。
泉が沸いていく。