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おにさん、どうぞこちらへ  作者: かとうとか
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 昼食を食べ終えると、春子は桜子の部屋へ向かった。廊下を進む時に見やった坪庭の池はいつもより穏やかで、黒い水を湛えて、動きもせずじっとしている。鯉はみんな死んでしまったのだろうか。そんな心配をして覗くと、白と赤の鯉が優雅に泳いでいた。数が減ったかどうかよくわからない。


「姉さん」


 襖の前に座って、声を待つ。


 揃えた指先は、爪の隙間に土が入って、黒くなっていた。


 なかなか返事がなかった。どうしたのだろう、と思って、襖に耳を当てると、笑い声が聞こえてきた。男と女の笑い声だった。


 春子は、嫌な予感がして、音を立てぬよう襖をそっと開ける。隙間を覗くと、筑紫の姿が見えた。縁側に座っている。光が眩しいので、春子は目を細めた。


「アハハ、それはまた変な会社ねえ」


 桜子の声だ。


「そうなんです。社長が変わり者で」


 とうに声変わりを済ませた男の声。筑紫だ。


「貴方の性格に合っているんじゃないの」


「そうでしょうか」


「そうよ、絶対にそうよ」


 アハハと、桜子の高い笑い声が聞こえた。あんなにも笑って、一体、何の話をしているのだろう。春子は襖を開けて、もう少し隙間を作る。顔を近づけて目をいっぱいに開いた。


「誰!」


 突然あがった鋭い声に驚いて、春子は尻餅をつきかける。


「きっと、春子さんでしょう」


「何をしているの、春子」


 恐る恐る部屋へ入る。部屋の中には、布団に収まった桜子と、縁側に座る筑紫がいた。彼は足を外へ投げ出して、腰を捻ってこちらを見ていた。


 何の話をしていたのかと訊いても、桜子は絶対に教えてくれないだろう。姉は、いつだってそうなのだ。いつも、春子の望みを先回りする。春子はその度に、自分の中で苛立ちが沸くのを感じた。それは、長い年月を経て、懇々と沸く泉のような苛立ちだった。


「猫を埋めてきました」


 部屋のできるだけ隅に座って、二人を見つめる。よく考えると、そこは猫の死んでいた場所だと気がついた。


「ありがとう、春子」


 桜子はにっこりと笑う。口の端が引き攣っていた。


「貴方もお菓子を食べる? 筑紫さんが、街へ下りたお土産に、持ってきて下さったのよ」


「大したものではないです」

 

 筑紫は、相変わらず翳りのない顔をする。


「あら、とても美味しいわよ」


 春子は、桜子の手からひよこの形をした饅頭を取った。黄色いふんわりとした生地で、口に入れたとたんに甘みが広がった。


 それを見届けると、桜子はにんまりと笑い、やがて筑紫の方を見た。


「ねえ、筑紫さん」


 また、甘えた声を出す。春子は、桜子の甘えた声が嫌いだ。


「また、何か捕まえてきて下さらない?」


 筑紫が顔を上げる。


「今度は兎がいいわ」


「兎ですか?」


 筑紫は首を傾げる。


「ねえ、筑紫さん。お願い」


 暑さが肌の上を滑り行く。


 首を回す扇風機は、こちらを見向きもしない。


 泉が沸いていく。

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