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おにさん、どうぞこちらへ  作者: かとうとか
7/17

 ある日、子猫が死んだ。


 子猫を貰い受けてから、一週間ほど経っていた。


 午前十時。いつものように春子が桜子の部屋へ朝食を持っていくと、子猫が白目を剥いて畳の上に転がっていた。近づいてよく見ると、口から泡を吹いている。畳の上に、手足をだらんと伸ばしたまま。まるで、くたびれた黒い布のように。餌の器には、肌色の吐瀉物が溢れていた。


「死んだわ」


 部屋の中央にある布団の膨らみが言った。春子は姉を避けて、運んできた朝食を書き物机の上に置いた。障子の淵は逆光で黒くなっている。それらは、無数に並ぶ十字の影だ。


 部屋の中に存在するありとあらゆる隙間は閉められて、昼にほど近いにも関わらず薄暗い。


 いつだって、この部屋は光に見放されている。


 檻のように薄暗く、池のように湿っている。


「また新しいのをもらわないと」


 布団の膨らみが、吐き捨てるように呟く。

 春子は、しばらく押し黙り、体を固めた。膝に置いた両手を握りしめる。


「どうして死んでしまったんでしょう」


 ようやく出した声は震えていた。


「どうして?」


 桜子が静かに答える。


「ご飯を食べていたら突然暴れだして、どうしましょうと考えていたら、動かなくなっちゃったの」


 桜子の顔は、どこか晴れやかだ。


 布団の側へ寄って、春子はできるだけ表情を変えないようにして尋ねる。


「子猫に何をあげたのですか?」


 耳元でブンと不愉快な音がしたので、手を振ると、蠅が一匹天井へ昇っていくところだった。旋回を続けて、何度も電灯にぶつかって、ぶつかるたびに高度を落とし、また、天井へ昇ろうとしていた。


「鯉よ」


 桜子がにっこりと笑って答える。


「鯉?」春子は首を傾げる。「池の?」


「そう」


「鯉を子猫にあげたの?」


「そうよ」


 春子は、桜子の食事を運ぶ時に、必ず、子猫に水とソーセージを与えていた。子猫は小さな口をいっぱいに広げてよく食べていた。抱いてみると、ミーミーと声をあげて逃げようとした。指を口の前に出すと、赤い舌で舐めた。

 桜子は、そんな春子の様子を遠目に、あまり猫に触れようとはしなかった。


「どうやって?」


 桜子は歩くことさえできないのだ。鯉を捕まえるなんてできるとは思えない。車椅子に乗ったまま、釣りでもしたのだろうか。馬鹿馬鹿しい。どう考えても、誰かに頼んだはずだ。そもそも、鯉を食べさせたというのが、桜子の嘘かもしれない。


 布団の膨らみがもぞもぞと動く。


「姉さん」


 春子は布団の膨らみに手を置いた。それはそれは生暖かかった。


「人に頼んだの」


「家の者ですか?」


「違うわ」


 春子はとても嫌な予感がした。


「もしかして、筑紫さんですか?」


 桜子は、「違うわ」と言った。


 良かった、と何故か彼女は思った。


 安心したというのが、一番近い。


 その時、春子の頭に一人の少年が浮かんだ。


 いつも兄の後ろに隠れているあの小さな少年。


「ねえ、春子」


 静かに、とても静かに、姉が妹へ尋ねる。


「どうしたらいいと思う?」


 それは、言葉だけの意味を持たない。

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