四
「桜子さん」
声が聞こえたので、姉妹は顔を上げた。ガタガタと障子が動き、鋭い日差しが畳の上を走る。若い男が顔を見せた。浅黒い肌をした、端正な顔立ちの青年だ。
「筑紫! いきなり障子を開けないでと以前にも言ったはずよ!」
桜子が怒鳴った。先程までの穏やかな声とは似ても似つかない、激しい声だった。春子は驚いて皿を落としかける。
「すみません、二人の声が聞こえたので」
青年は軽く頭を下げた。開襟のシャツに、綿のパンツを穿いている。髪は栗色に染められ、見上げるほど背が高い。腕周りは太く、がっしりとした体型をしている。
「いい加減にして!」
桜子は膝に拳を叩きつけた。体が震えている。
「姉さん、落ち着いて下さい。筑紫さんも、気をつけて」
筑紫は春子に笑いかけると、すみませんと言った。どうして笑ったのだろう。
「実は、二人に見せたいものがあるんです」
えっと春子は首を傾げる。
「見せたいもの?」
「これです」
すると、筑紫の後ろから少年が現れた。詰め襟の学生服を着ており、背が低く華奢だった。そのため、筑紫の後ろに立つと見えなくなってしまう。肌が雪のように白く、銀のようになめらかだった。
少年は、両手で黒い塊を持っていた。毛むくじゃらのそれは、どうやら猫のようだった。四本の足をだらりと垂らして、硝子玉のような目をしている。体が黒くて小さいので、蝙蝠みたいだ。
「こいつは、いつも変なものばかり拾ってくるんです」
「どこで拾ってきたの?」
先程まで眉を顰めていた桜子が、猫に興味を示したようだった。
「学校の裏に捨てられていたんですって」
筑紫は説明をする。少年は、猫の顎を触っていた。
「飼い猫ではないの?」
「封をした段ボールのなかに押し込められていたので違うと思いますよ」
おそらく桜子は、猫を抱いている少年に尋ねたが、返事は全て筑紫がした。桜子は、筑紫を嫌っている。
「座ってもいいですか」
桜子が許可すると、筑紫は縁側に腰を下ろす。少年も兄と同じようにした。
「親猫が子を産んで、困った飼い主が捨てたんじゃないでしょうか。何匹も育てられないから、人の多い学校の裏に捨てたんじゃないかと思います」
子猫は悲鳴のような声を出して暴れている。親猫を探す声だろうか。少年が手を離すと、子猫は縁側をゆっくりと動きだした。歩くというよりは、這っているような感じだ。
「飼うつもり?」
「そのつもりです。熊にでも食べられたら気の毒ですから」
筑紫が言うように、裏山には熊が出る。猪も頻繁に下りてくるため、道路標識でも野生動物の飛び出しを注意喚起するものがあった。毎年、春子の屋敷でも、育てた作物を荒らされている。
桜子は熱心に何かを考えている様子だった。親指の爪を噛んでいる。
部屋の隅で、扇風機が首を回し、書き物机の上に置かれた桃の断片に、庭から登ってきた蟻が列を作っていた。
「ねえ、筑紫さん」
しばらくすると、桜子は急に甘えたような声を出した。
筑紫はやんわりと微笑む。
「何ですか?」
「この子、私にくださらない?」
「えっ」
筑紫がもともと大きな目をもっと大きく、丸くした。
「あんまり可愛らしいから、私、欲しくなっちゃったの」
桜子は手を伸ばして、子猫の頭を触る。ずっと、ミーミーと鳴いている。
「構いませんよ」
筑紫は少年の方を見る。
「いいよな、涼」
少年は子猫をじっと見つめたまま、何も答えない。
「いいよな?」
筑紫が念を押すと、少年は渋々といった感じで頷いた。まるで、こちらを睨むような視線だった。
「まあ、本当! 優しいのね。どうもありがとう」
ちょっとこっちへ来て、と桜子は筑紫を自分の元へ引き寄せた。
そうして彼に顔を近づけると、口吻をした。