第九話 工事を止めない理由
辺境領地改革、毎日5話ずつ更新予定です。
気になったら続きを追ってもらえると嬉しいです。
「工事を続ける、とはどういう意味ですか!」
フリッツの声が上ずった。
「そのままの意味です」とクルトは言った。「作業員に伝えてください。施工済み区間の北端まで退避。自分より安全な場所に移動してから、待機」
「でも領主様は——」
「私はここに残ります」
フリッツが返事をする前に、クルトはすでに路盤に戻っていた。
今日の最後の工程が、やりかけだった。土魔法で地盤を締め固め、最後の砕石層を敷く。この工程は途中で止めてはいけない。コンクリートに近い概念だ——固まりかけの路盤を放置すると、続きをやったときに継ぎ目ができる。継ぎ目は弱点になる。設計上の強度が出なくなる。
五十年前の自分なら、「逃げる」という選択肢が頭に浮かんだかもしれない。しかし今のクルトには、「施工を半端で止める方が嫌だ」という感覚の方が強かった。それは勇気とは違う何かだったが、どちらにしろ、体は動いていた。
土魔法を行使する。魔力の消費は少ない。精密に、均等に、路盤の土粒子を圧縮する。前世でいえばローラーで締め固める作業に相当するが、機械の代わりに魔力で圧力を掛ける。この使い方を知っている魔法使いは、少ない——というか、おそらくいない。「土魔法は防御壁を作るもの」という常識しか、この世界の人間は持っていないからだ。
東の林の方から、音がした。
低い、草を踏み荒らすような音。数が多い。
クルトは手を止めなかった。
次の瞬間、蹄の音が響いた。
エルドリック・シュタインが馬で現れた。後ろに部下の騎士が三人、同じく馬上にいた。エルドリックは状況を一瞥して、防衛ラインを即座に設定した。部下に指示を出し、ゴブリンの進路に割り込む位置に展開する。そのまま迎撃に入った。
クルトは施工を続けた。
後ろで金属音がした。騎士がゴブリンを相手に戦っている音だと、頭の片隅が認識した。しかし手は止まらない。路盤の締固め、砕石の敷設、勾配の確認。一工程ずつ、確認しながら進む。
どのくらい経ったか。
音が止んだ。
「……おい」
エルドリックの声がした。クルトが振り返ると、騎士団長が馬から下りてこちらに歩いてきた。甲冑に泥が飛んでいる。剣はすでに鞘に収まっていた。
「なぜ逃げなかった」
「施工を止めると品質が変わります。やりかけの路盤は脆い」
エルドリックが黙った。
「……ゴブリンが来ても、か」
「はい」
「馬鹿な話だ」とエルドリックは言った。しかし怒ってはいなかった。どちらかといえば、困惑しているように見えた。
クルトは膝をついて、最後の区間の路面を手の平で触れた。均一に締まっている。合格だ。立ち上がり、手の土を払った。
「助かりました」
「……何?」
「あなた方が防衛ラインを張ってくれたから、私は施工を終えられた。感謝します」
エルドリックが何か言いたそうな顔をした。しかし言葉は出てこなかった。騎士の目が、クルトの足元——完成した区間——に移った。その視線が、しばらく止まった。
「……次からは事前に通報しろ。こちらも動きようがある」
「了解しました」
エルドリックが馬に戻った。部下を引き連れて去っていく。クルトはその背中を少しの間だけ見た。「動きようがある」というのは、守る用意があるという意味だ。直接そうは言わない。武人の言い方だとわかった。
フリッツが駆け戻ってきた。
「領主様!大丈夫でしたか!俺、もう心配で……騎士の人に止められなかったら引き返してたんですよ!」
「退避していてよかった。指示通りに動いてくれた」
「でも一人でいるなんて……」
「一人じゃなかった。騎士団がいた」
フリッツが、キョトンとした顔をした。
「……最初から計算してたんですか?」
「していない」
クルトは手帳を取り出した。今日の施工記録を最終確認する。全区間、記録通り。明日からは砕石の粒度を変更する。段取りをフリッツに伝える必要がある。
「今日の工程は終わりです。あとは片付けだけ。砕石の変更については、明日の朝に話します」
「……はい」
翌朝、現場に戻ると、二十人以上が集まっていた。
クルトが知っている顔は半分ほどだった。残りは見覚えのない村人たちだ。全員がスコップや手袋を持って立っている。フリッツが照れ笑いを浮かべた。
「昨日のこと、村中に話しちゃって。みんな、来たいって言うから」
「領主様は逃げなかった」と誰かが言った。
クルトは人数を数えた。二十三人。道路工事の効率が大幅に上がる。今週中に第一区間が完成するかもしれない。
「……手が足りていませんでした。ありがとうございます」
感謝を口にすると、集まった村人たちがどこか安心したような顔をした。クルトは何故そういう顔をするのかが少しわからなかったが、それより今日の工程が頭にあった。
「では、朝の作業を始めます。砕石の粒度変更から——フリッツ、采配を」
「はい!みなさん、聞いてください!」
フリッツの声が、冬の朝の空気に響いた。
二十三人が一斉に動き出す。その光景を横目に見ながら、クルトは設計図を開いた。第一区間の完成まで、あと三日。
次話では、今回の判断が現場でどう返ってくるかが見えてきます。
続きもよろしくお願いします。




