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この世界に足りないのは勇者じゃない、道路だ ~土木転生の辺境領地改革~  作者: ヲワ・おわり


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第五十話 死者ゼロ、そして言葉

ここまで読んでくれてありがとうございます。

節目の回です。物語と領地の両方が一段進みます。

ヴィオラが集計を終えたのは、昼前だった。


 記録帳を持ち、城内の広場に集まった全員の前で、彼女は読み上げた。声が少し震えていたが、文字は正確だった。


「死者——ゼロ」


 広場が静かになった。


「重傷者三名。いずれも回復見込み。軽傷十二名。騎士団損失——ゼロ」


 誰かが泣いていた。老人の声だった。避難民の中の、年老いた男だった。


「ノルトクロイツの全守備戦力が帰還しました」ヴィオラが記録帳を閉じた。声の震えが大きくなっていた。「以上です」


 広場に歓声が戻った。騎士が抱き合い、フリッツが避難民の子供たちに「俺たち勝ったんだぞ!」と叫んだ。子供が「なんで勝てたの」と聞き返した。「領主様が壁を作ってくれたから!」とフリッツが即答した。


 クルトはその場にいたが、少し端に寄っていた。


 人の嬉しそうな顔を見ることが、今の自分には少し眩しかった。



──────



 夕刻が近づいたころ、エルドリックが来た。


「物見台に来い」と言った。


 報告事項があるのだと思った。進路変更したゴーレムの件か、魔石の紋様の件か——何かの確認だろうと解釈して、クルトはついていった。


 物見台の上に、二人だけになった。


 夕陽が北の草原を赤く染めていた。昨日まで魔物が埋め尽くしていた平原が、今はただの草原だった。エーデル川の音が遠くに聞こえた。


「クルト」エルドリックが北の空を見たまま言った。「俺は、お前に謝らなければならない」


「……何のことですか」


「最初にお前が来たとき、俺は思った。戦えない坊ちゃんが領主面をしに来た、と」


 クルトは何も言わなかった。


「壁を建てると言ったとき、俺は言った。そんな時間があるなら騎士を増やせ、と」


「……聞いています」


「壕を掘ると言ったとき、俺は思った。土木の仕事が剣の役に立つわけがない、と」エルドリックがゆっくりと息を吸った。「……俺は間違っていた」


 その言葉が、静かに夕風の中に溶けた。


「剣だけで守れると思っていた。剣が一番強いと信じていた。だが今回の防衛で——剣が役に立ったのは最後の一体だけだ。あとは全部、お前の設計図が守った」


 クルトは「そんなことは」と言いかけた。


 止まった。


 否定してはいけない、と思った。この人の言葉を、受け取らなければいけない。


「お前の設計図の方が——剣より強かった」エルドリックが言い切った。「それは俺が認めなければならない事実だ」


 クルトの視界が、少しだけぼやけた。


 眼の奥が熱くなっていた。



──────



(前世では——誰も言わなかった)


 頭の中で、前世の声が聞こえた。


 三十年。年六十時間、七十時間の残業。道路を引き、橋を架け、水路を通した。一つ完成すれば次の現場。誰かが「高城さんが作った道だ」と言ったことはない。誰かが「あなたの設計が正しかった」と言いに来たことも、一度もなかった。


 それで良かった、とずっと思っていた。インフラはそういうものだ。気づかれないのが成功。感謝されないのが正常。


 でも——本当は。


 本当は、一度でいいから、誰かに言ってほしかった。


 お前の作ったものが、機能した、と。


 お前の設計が、誰かを守った、と。


 今、この男が、言っている。


 前世の自分への——届かなかった言葉が、今世に届いている。


 眼が熱い。口元が震えそうだ。駄目だ、ここで崩れてはいけない——しかし、この感動を押し込めたら、前世の全ての仕事への嘘になる気がした。


「……エルドリックさん」


 声が出た。自分の声だと確認するのに一秒かかった。


「ありがとうございます」


「俺が謝ったんだぞ」エルドリックが低い声で言った。「感謝されるのは——」


「あなたが最後の一体を仕留めてくれなければ、この結果はなかった」クルトは続けた。「壁が守り、壕が止め、あなたの剣が最後を決めた。俺の設計だけでは、死者ゼロにはならなかった」


 エルドリックが黙った。


 クルトの眼が潤んでいるのに、大柄な男が気づいた。気づいて——何も言わず、視線を北の空に向けた。「見ていない」という気遣いだった。


 クルトは、ぐっと奥歯を噛んで、北の草原を見た。


 涙は、こぼれなかった。


 こぼれなかったが——確かに、そこにあった。



──────



 鍛冶場からランベルトが戻ってきたのは、日が暮れてからだった。


 フリッツが「じいさん、休まなくていいんですか」と声をかけた。


「職人は仕事で礼を言う」ランベルトが鞄から工具を取り出し、壊れた金具の修理を始めながら答えた。


 ヴィオラが記録帳を手に、クルトを見つけた。


「先生」


「何ですか」


「この記録は——」ヴィオラの声が少し震えていた。「王国中に届きます。大潮五百三十体超を死者ゼロで撃退した記録です。これは——これは、ノルトクロイツが何かを証明した記録です」


 クルトは記録帳を見た。ヴィオラの几帳面な文字が並んでいる。死者ゼロ。負傷者数。防衛日数。使用した資材量。


「……先生が作ったものの証明です」ヴィオラが付け加えた。声が揺れていたが、視線は真っすぐだった。


 クルトは何か答えようとした。


 言葉が出てこなかった。代わりに、ただ頷いた。


 エルドリックが広場の向こうから歩いてきて「……少しくらい休め」と珍しく言った。


「……分かりました。今夜だけは」


 クルトは空を見た。星が出始めていた。


 ノルトクロイツの夜空が、こんなに穏やかだったのか、と初めて思った。



──────



 夜。一人になって、修復計画書を広げた。


 次の段階。城壁の本補修、壕の土手再整形、崩落トラップの復元——やることは山積している。交易路の最終段階も残っている。


「先生」


 伝令の声がした。廊下の向こうから若い兵士が来た。


「ヴィオラさんより言付けです。封印書類を見ていただく時が来たかもしれないと」


 クルトは手を止めた。


 封印書類。先代領主の遺言書——一話の夜に手帳に書いた「後で確認する事項」。第一話から引きずってきた謎だ。


「わかりました。明日、見せてもらいます」


 兵士が去った後、窓の外を見た。


 星が見えた。昨夜と同じ、穏やかな夜空だった。


 クルトは修復計画書を静かに閉じた。今夜はここまでだ。



──────



 翌朝、一人の馬が城門に来た。王都の紋章——財務省ではない。親王殿下直属の使者という肩書きだった。書状には「ノルトクロイツの防衛の詳細を親王殿下が聞きたがっている」と書いてあった。


「……親王派か」


 クルトは書状を折り、ヴィオラを呼んだ。


「どう対応しますか、先生」


 クルトは少し考えた。


「正直に話します。数字と設計図と一緒に」


 ヴィオラが頷き、記録帳を開いた。


「では——準備を始めます」


 ノルトクロイツが、外の世界に見られ始めている。


 嵐は終わった。次の戦場が、政治という名で始まろうとしていた。

ここで一区切りですが、次からまた状況が動きます。

続きも読んでもらえると嬉しいです。

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