第四十七話 動くインフラ、吠える大潮
辺境領地改革、毎日5話ずつ更新予定です。
気になったら続きを追ってもらえると嬉しいです。
地鳴りが来た。
音が先ではなく、足の裏から来た。石畳の振動が膝に伝わり、腰に上がってきた。クルトは物見台の手すりを握り、北の地平線を見た。
黒い波が、動いていた。
流れている。文字通り、流体のように——低いところへ、開いているところへ、本能のままに押し寄せてくる。ゴブリン系の先行部隊が正面の誘導路に流れ込み始めた。その後ろにウルフ系の速い影が見える。さらに後方、重い石の塊のような影が三つ——ストーンゴーレムだ。
「第一波が誘導路に入った。ランベルト、壕の水量を二割増しに」
「わかった」
「フリッツ、誘導路奥の篝火を維持。東は消すな」
「はいっ」
「エルドリックさん、壕の縁に来た個体だけ対処してください。奥にいる間は放置です」
「……了解した」
それぞれが動く。
クルトは眼下の誘導路を流体力学で読んだ。群れの密度。流速。圧力の分散。ゴブリンは判断力が低い。開いた方向へ流れ、光のある方向へ寄る。壕の手前で詰まれば後続が押して壕に落ちる——それが設計の核だ。
第一波、四百体超が誘導路に流れ込んでいく。
──────
最初の三十分は予定通りだった。
外壕が機能した。誘導路から溢れたゴブリンが水際に達し、落下した。水の中でもがく個体を弓手が仕留める。ウルフ系が左翼から城壁を迂回しようとしたが、外側の柵列に速度を殺された。
「左翼の落とし穴、機能しています」とフリッツから伝令が来た。
「確認した」
ランベルトが壕の水量を微調整する。多すぎると水圧で土手が削れる。少なすぎると這い上がれる個体が増える。老人の手の感覚が、その塩梅を保っていた。
「水は土木の最強の道具だ」
独り言のようにランベルトが言った。クルトには聞こえていたが、何も言わなかった。
問題が起きたのは、四十分が過ぎたあたりだった。
「……あいつら、渡ろうとしています」
エルドリックが城壁上から声を落とした。
クルトが見た。壕の縁に積み上がったゴブリンの死骸が、後続の個体に踏み台として使われていた。足場を作って壕を渡ろうとしている——知性的な行動だ。群れの中に指揮する個体がいるのかもしれない。
(想定内。でも少し早い)
「フリッツ、誘導路の東篝火を二本増やせ。意識を引き戻す」
「二本——わかりました!」
東の誘導路に明かりが増えた。壕に向かっていた群れの先端が、本能的に光の方向へ揺れた。足場作りをしていた個体が、引き戻されるように方向を変えた。
「——機能しています」とエルドリックが確認した。
声のトーンが変わっていた。報告の声ではなく、驚いている声だった。
──────
第二波のウルフ系が来たのは、正午前だった。
速い。誘導路を嫌い、城壁の西側から迂回しようとする。
「弓手を西に二人移す」エルドリックが即座に命じた。「移動——!」
クルトは物見台から西の柵列を確認した。昨日フリッツが増設した杭が並んでいる。ウルフ系は足元の不安定さに弱い——杭の間を抜けようとして速度を落とした個体を、西に回った弓手が対処する。
その間、正面では第一波のゴブリン密集群が押し続けていた。壕の水位が少し下がってきた。
「ランベルト」
「見えてる。上流に詰まりがある」老鍛冶師が苦い顔をした。「水路の流入量が落ちている。手を打つか?」
「今は維持できますか」
「あと二時間は持つ」
「——わかりました。二時間後に対処します」
矢が尽きてきた。エルドリックが振り返り、クルトに目を向けた。
「弓手の矢の残量が少ない」
「今は節約してください。ゴブリンが壕の縁に達したときだけ射る。奥にいる間は近づけさせればいい、壕が止めます」
エルドリックの部下の若い弓手が、崩れそうになった。壕から這い上がろうとするゴブリンが目の前に来て、後退しかけた。
「動くな」エルドリックが叫んだ。「壕が止める——!」
ゴブリンが這い上がれずに壕の中に戻った。
若い弓手が足を踏ん張り、矢を番えた。
エルドリック自身が「壕が止める」と叫んでいた——その言葉を使っていたことに、彼自身は気づいていないかもしれない。
──────
日が傾き始めたころ。
第一波と第二波は撃退した。
壕の外に魔物の影は減っている。しかし消えていない。後続が来る前の静けさだ。クルトは東側の土手を物見台から確認した。
「——ランベルト」
「見えてる」老人が低く言った。「東側に亀裂が入り始めている。水圧で動いた」
亀裂の位置を確認した。第一波と第二波の圧力が集中した場所に、細い線が走っている。今は問題ない。だが第三波を受ければ——広がる。
(設計通り機能している。でも同時に、限界が近い。この二つが同時に正しい)
「伝令!」城壁上からエルドリックの声が落ちてきた。「第三波、来ます。ゴブリン密集群——数は二百以上!」
エルドリックが城壁を駆け降りてきた。クルトを見た。
「……お前の計画はどうなる」
「計画を修正します」
クルトは言った。一秒も迷わなかった。
「土手の亀裂が広がる前に、壕の機能を切る。第三波は城壁で直接受けます」
「城壁で直接受けるだと?」
「東側が崩れるより、城壁が正面から受ける方がまだ制御できる」クルトは物見台の縁に両手をついた。「今夜、城壁の一部は破られるかもしれない」
エルドリックの顔が固まった。
城内のどこかで、子供が泣いている声が風に乗ってきた。ヴィオラが落ち着かせているのだろう。
「破られたあとは?」
「——直します」
クルトは静かに言った。「壊れた後の設計も、俺は持っています」
次話では、今回の判断が現場でどう返ってくるかが見えてきます。
続きもよろしくお願いします。




