第四十六話 作戦通りだ
辺境領地改革、毎日5話ずつ更新予定です。
気になったら続きを追ってもらえると嬉しいです。
北の草原に、黒い点が動いていた。
物見台から見えた最初の確認は、フリッツの声で届いた。ゴブリン系と思われる群れ——数はざっと三十体前後、その中にウルフ系らしき速い影が八つ。大潮本体の先触れだ。
「全員、配置へ」
クルトが言うより先に、エルドリックが動いていた。騎士五人と元農民の弓手が城壁上に展開する。ランベルトは壕への水制御弁の前にすでに座っていた。フリッツは誘導路の篝火担当として北方の柵の内側に待機している。
クルトは物見台の縁に両手をついて、群れの動きを目で追った。
(流体として読む。群れは低いところへ、開いたところへ流れる。誘導路の開口部は、今ちょうど北西の風向きに合わせて角度をとってある)
群れが動いた。誘導路の開口部に向かって、ごく自然に吸い込まれていくように——。
「機能している」
声に出したのではなく、唇の動きだけで確認した。
フリッツが篝火の位置を微調整する。炎の明かりが誘導路の奥に揺れる。ゴブリンの群れはその光に引き寄せられながら、細い誘導路を進んでくる。
「ランベルト」
「わかっとる」
老鍛冶師が弁を操作した。外壕への水の引き込みが始まる。壕の底に水が満ちていく。黒い水面が、篝火の明かりを反射した。
──────
最初のゴブリンが壕に落ちたのは、群れが誘導路に入って一分後だった。
足元の地面が急に変わり——土だと思っていた場所が水際だった——前のめりに落下した個体が、次々と後続を引き込んでいく。群れの本能として、前が進めば後も進む。その本能が逆に働いた。
エルドリックが城壁上から短く命令を出した。
「壕の縁に来たものから順に。狙って射れ、急ぐな」
弓矢が規則的に飛ぶ。壕に落ちた魔物は水の中でもがき、這い上がれない。ウルフ系は水際で止まった——土の中に足が埋まる感覚を本能的に嫌う。
「東の篝火を消せ」
クルトが声を飛ばした。
ウルフ二体が誘導路を外れて東の柵に向かい始めていた。東に篝火が残っていれば、そちらへ引き寄せられてしまう。消してしまえば、暗闇の中でウルフは立ち止まる。
フリッツが一瞬で対応した。炎が消え、東の柵が暗闇に戻る。ウルフ二体が迷い、城壁上の弓手が対処した。
「——壕東側の土手、少し滑らかにしておく方が良かったかもしれない。今夜のうちに」
「何だと?」
「土手が荒れていると、這い上がれる個体が出る。本番はもっと数が多い」クルトはランベルトに視線を送った。「今夜のうちに東側土手の整形をお願いします」
「……素人が口うるさいな」ランベルトが言ったが、すでに手帳に何かを書き込んでいた。「わかった」
三十分後。
最後のゴブリンが壕に沈んだ。ウルフ系は全て弓手か騎士が処理した。
城内から、誰かが息を吐く音が聞こえた。
──────
「……作戦通りだ」
エルドリックの声だった。
城壁の上に立ったまま、北の空を見ながら、ぼそりと言った。誰かに向けた言葉ではなかった。それがかえって重かった。
クルトは物見台の縁から手を離し、損傷確認のために壕へと降りた。
土手の状態を触診する。東側に僅かに変形がある。先ほどの水流で土が動いた跡。本番ではここに数百体が押し寄せる。今夜のうちに手を打つ必要がある。
「損傷記録、お願いします」
後ろにヴィオラが来ていた。眼鏡の奥の目が、壕の水面を見ながら記録帳に走り書きをしている。
「第一波撃退。死者ゼロ。負傷一名、軽傷」ヴィオラが読み上げた。「作戦通り……と書いていいですか」
「書いてください」
ヴィオラの羽根ペンが、小さな几帳面な文字を記録帳に刻んだ。
このページが、いつか王国への報告書になる。クルトはそれを後で考えることにして、今は壕の土手を見ていた。
エルドリックが城壁を降りてきた。クルトの隣に立ち、壕を見る。
「……俺は一つ聞いていいか」
「何でしょう」
「お前は、怖くないのか」大柄な男が、真っすぐ前を向いたまま言った。「これが機能しなかったら、という考えが頭をよぎらないのか」
クルトは少し間を置いた。
「よぎります」
「……そうか」
「でも」クルトは続けた。「設計の時点で考えられることは全部考えた。あとは機能するかどうかを見るだけです。恐れていても設計は変わらない」
エルドリックは何も言わなかった。しばらくして「……そうだな」と呟いた。
それだけだった。
──────
夜が明け始めたころ、フリッツが青い顔で戻ってきた。
「物見台から——北を見てきました」かすれた声で言った。「草原が……黒くなっています」
クルトは物見台に上った。
北の地平線。
昨日まで空と草原の境界線が見えていた場所が——黒い。動いている。ゆっくりと、だが確実に南へ向かっている。地面が低く、かすかに震えている。風が南に向かって流れた。
「……来ます」
クルトが静かに言った。
エルドリックが隣に立った。剣に手をかける。
「……怖くないのか」と同じ問いをまた繰り返した。
「怖いです」クルトは北を見たまま答えた。「でも設計は終わっています」
大潮が来る。
あれを受け止めるのは、石と水と、泥と篝火で作ったインフラだ。
次話では、今回の判断が現場でどう返ってくるかが見えてきます。
続きもよろしくお願いします。




