第四十四話 剣と石と、本音の話
辺境領地改革、毎日5話ずつ更新予定です。
気になったら続きを追ってもらえると嬉しいです。
大潮到着まであと五日。
城壁の北面に、クルトとエルドリックが並んで立っていた。作業員たちが石積みを続けている。型枠を組み、砕石を詰め、石灰モルタルを流し込む。土魔法で型枠の位置を微調整しながら、クルトは壁面を視線で追っていた。
「ここの石の目は南北に走っています。北からの衝撃には縦に亀裂が入りやすい。横の補強材を追加します」
エルドリックが壁面を見た。クルトが指した箇所を、しばらく眺めた。
「……お前には、石を見ると何かが分かるのか」
「分かります。石は正直なので」
「正直?」
「力が加わった方向に割れる。嘘をつかない」
エルドリックはしばらく黙っていた。
外壕の方に移動する。壕の拡張作業が佳境に入っていた。フリッツが重い土嚢を運んでいる。ランベルトが排水の溝を指示していた。
「ここの土は水はけが悪い」とランベルトが言った。「排水の溝を追加しないと壕が泥で埋まる」
「正解です」とクルトはすぐに答えた。設計図に追記する。「南に三十センチの深さで、ここからここまで——」
「分かってる。余計な口は出すな」
ランベルトが手際よく指示を飛ばし始めた。クルトの設計を、長年の職人の勘で補完している。この関係が、今のノルトクロイツの底力だ。
壕の底部に「落とし穴式の土台崩し機構」を設置する作業が始まった。
クルトは作業に加わりながら、前世の記憶が手を動かすのを感じた。仮設工事の落とし穴設計。重機が踏み外さないよう、土台が崩れる荷重計算をしたことがある。今回の対象は重量のある魔物。ゴーレム級の体重を誘い込めば——。
「なぜお前は剣を使わないのか」
エルドリックが、突然言った。
作業の音が、クルトの耳の中で遠くなった。
少し間を置いてから、クルトは顔を上げた。
──────
「……剣を使うくらいの訓練は受けています」とクルトは言った。「ただ」
「ただ?」
「俺が剣を持っても、ここにいる三千人を守れない。でも、正しく設計された壁は、俺が倒れても守り続ける」
エルドリックが何も言わなかった。
「俺が作るのは、俺がいなくても機能するものです。剣は俺がいなければ動かない。壁は俺がいなくても立っている」
「それは……騎士の価値観とは真逆だな」
「そうかもしれない」とクルトは認めた。「でも今夜この壕が完成すれば、あなたの騎士五人分の仕事をします」
エルドリックが黙った。考えている顔だった。怒った顔ではない。
しばらくして、エルドリックが口を開いた。
「……俺は、農民の出だ」
クルトは手を止めなかった。聞いている。
「辺境の貧しい村の生まれだ。剣一本しか持てるものがなかった。それしか身を立てる方法がなかった。だから強くなった。強い騎士が最も守れると——ずっとそう思ってきた」
「……」
「貴族の坊ちゃんが何も持たずに戦えると思うな、と思っていた。お前に対してもそうだった」
クルトは作業を続けながら答えた。
「あなたは今でも、正しいです」
「何?」
「剣が必要な場面は来る。城壁が破られたとき、魔物が城に入り込んだとき、ゴーレムが壕を突破したとき——俺の設計では対処できない場面が必ず来る。そのとき俺が頼れるのは、あなたの剣だけです」
エルドリックが止まった。
「……変わった奴だ」と彼は言った。
「そうですか」
「認める気がない。俺が農民出だと言っても、蔑む顔もしない。貴族だ騎士だという話も出ない」
「関係ないので」
「……なぜ」
「今ここでやるべき仕事があって、それをやれる人がいる。それだけです」
──────
夕暮れ前に壕の拡張が完了した。
落とし穴機構の確認を終えて、クルトは壕の縁に立った。深さは二メートル半。底部の土台崩し機構は、重量一トン以上が踏み込めば作動する。ウルフ系の大型個体か、ゴブリンの密集した群れ、あるいはゴーレムの前脚が踏み込んだ瞬間——崩れる。
「……七十点の完成品が大潮前にある方が、百点の未完成より価値がある」
クルトが独り言のように言った。
「何が七十点だ」とランベルトが横から言った。「俺が手伝った仕事に失礼なことを言うな」
「訂正します。八十点」
「九十だ」
ランベルトが腕を組んで壕を見下ろした。不機嫌そうな顔の下に、何かが混じっている。クルトには分かった——職人が「良いものを作った」と認めるときの表情だ。
エルドリックが作業員たちに「よく働いた」と一言告げた。男たちが汚れた顔で微笑んだ。
片付けをしながら、エルドリックが低い声でクルトに言った。
「……お前が作った壁が失敗したら、俺が体で守る」
意識して言ったというよりは、自然に出てきた言葉のように聞こえた。
クルトは少し驚いた。しかし何も言わなかった。ただ、その言葉を、頭の片隅に刻んだ。
──────
夜、ランベルトが鍛冶場の前で一休みしていた。
クルトが隣に腰を下ろした。作業の疲れが、今さら出てきた。昼の間は動いているうちは感じないが、止まると来る。前世でもそうだった。
「今日よく働いた」とランベルトが言った。
「あなたのおかげです」
「当然だ」
しばらく沈黙が続いた。悪い沈黙ではない。
ランベルトが懐から何かを取り出して、しみじみと眺め始めた。古い工具だった。形は鏨に似ているが、素材が違う——鋼の質が、周囲の物とは明らかに違う。
「……それは?」とクルトが聞いた。
「昔から持っている。親方に貰ったんだが——まあ、話せば長くなる。今日の仕事の疲れで頭も動かん」
ランベルトがそう言って、工具をまた懐にしまった。話を打ち切る仕草だった。
クルトはそれ以上聞かなかった。眠い。確かに眠い。
(明日、改めて聞こう)
二人の間に、また静かな時間が流れた。
夜風が火を揺らした。
次話では、今回の判断が現場でどう返ってくるかが見えてきます。
続きもよろしくお願いします。




