第四十三話 隣人を受け入れる
辺境領地改革、毎日5話ずつ更新予定です。
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ガルトナー伯爵の使者が到着したのは、翌朝の早い時間だった。
馬を降りた若い騎士は、少しばかり緊張した顔でクルトの前に立った。ヴィオラが横で記録帳を構えている。
「我が主人、ガルトナー伯爵閣下より伝言を承りました。北の大潮について——ノルトクロイツ領との協力をお願いしたいと申しております」
クルトはしばらく黙っていた。
ガルトナー伯爵。橋の建設を妨害した相手だ。通行料の利権のために、ノルトクロイツの孤立を続けようとした人物。その男が今、「助けを求める言葉」を送ってきた。
「分かりました」とクルトは言った。「避難民のうち老人と子供はノルトハウスで受け入れます。戦える者はガルトナー伯爵の領内でお守りください。これが双方にとって最も効率的な分担です」
使者がほっとした表情になった。
「かたじけない……では、詳細は——」
「ヴィオラさんに話してください。キャパシティの数字と受け入れ日時を今日中に決めます」
クルトは踵を返した。やるべきことが山積みだ。過去の確執を「今はそれよりも先にやることがある」と判断する——それだけのことだ。
「……先生」
ヴィオラが小さな声で呼んだ。クルトが振り返る。
「ありがとうございます」
「何が?」
「過去のことを、今は置いてくださった。それが……正しい判断だと、思います」
クルトは少し考えてから答えた。
「数字で話しましょう。今ここで助けを求めている人が何人いて、守れる場所が何か所あって、食料が何日分あるか——それだけを計算します」
──────
城内の北東の一角に「避難民仮設居住区」を設けることを、午前中には決めた。
間取りは前世の仮設住宅に倣う。一家族四人で六畳相当のスペース。プライバシーを最低限確保するための木の仕切り。共用の竈と水場を区画の中心に配置する。動線は一方向で、緊急時に全員が城の中心部へ流れるよう設計する。
「フリッツ」
「はい!」
「この図面を持って、大工と石工がいたら声をかけてください。作業の対価は食料保証です」
「やります!みんな来い!」とフリッツはもう走り出していた。
昼過ぎにはフリッツが六人の技能者を連れてきた。大工三人、石工二人、元水路職人が一人。避難民の中から選ばれた人々だ。
「ここに残って城壁の最終補強を手伝ってもらえるなら、食料は保証します」
六人は顔を見合わせた。年配の大工が代表して言った。
「……子供と老人を守ってもらえるなら、働きます」
「分かりました」とクルトは答えた。「数字で話しましょう。作業は五日間。一日の食事は三回。仕事の内容はこの図面の通りです」
大工は図面を受け取り、しばらく見た。それから顔を上げた。
「……精度が高い図面だ。どこで習われたんですか」
「独学です」とクルトは答えた。これは今世においては嘘ではない。
──────
ガルトナー伯爵が自ら現れたのは、翌日の昼だった。
馬で来た伯爵は、五十がらみの、がっしりとした体格の男だった。厳しい顔をしているが、目に疲労が滲んでいる。
しかし城門をくぐったとき——彼の表情が変わった。
修復された石畳の道。整備された水路。補強された城壁。一年前には廃墟同然だったノルトハウスが、今は機能する要塞の形を持っている。
伯爵はゆっくりと周囲を見渡した。「……私が妨害していた間に、ここはこうなっていたか」という内省の色が、その顔に浮かんだ。
「クルト・ヴァイス殿」
「ガルトナー伯爵」
二人が向き合った。クルトは頭を下げなかった。伯爵も頭を下げなかった。
しばらくの沈黙。
「……我が領の民を頼む」
伯爵が先に言った。そして——頭を下げた。
クルトは一瞬だけ驚いた。それを表情には出さず、静かに返した。
「最善を尽くします。ただし——避難民の管理はこちらの方針に従っていただきます。ヴィオラさんから詳細を聞いてください」
「……それでいい」
ヴィオラが静かに前に出た。記録帳を開いて、数字を読み上げ始める。「受け入れ可能人数は最大百五十名。食料の在庫は三週間分。水の供給は城壁内の井戸三箇所から……」
伯爵は黙って聞いていた。
クルトはその場を離れた。城壁を確認しなければならない。
北面の城壁を歩きながら、石壁の一か所に手をそっと当てた。修復した石積みが、ここにある。正しく積まれた石は、冷たく、固く、確かな感触を返してくる。
(ちゃんと機能している)
城の門から、避難民の老人たちが入ってくる姿が見えた。子供が泣いている。母親が抱きかかえている。
前世では、「避難計画」は書類上の数字だった。避難者数×人均スペース×日数×食料量——全て数式の中にいた。今は違う。その数字の一人ひとりに、顔があって、声があって、子供があって、恐怖がある。
(数字は正確でなければならない。でも、数字の向こうに何があるかを、忘れてはいけない)
エルドリックが城壁の上から声をかけてきた。
「避難民の中に元騎士が二人いる。元兵士が四人。俺が組み込んでいいか」
「お願いします」とクルトは答えた。
「……俺にも考えがある」とエルドリックが言い、珍しく自分から提案してきた。
その夜。
避難民の整理が一段落して、エルドリックと二人になった。
「……お前の城壁は本当に魔物を止められるのか」
エルドリックが静かに問うた。責める口調ではない。「確認したい」という武人の目だった。
「止められます。設計上は」
「設計上は、か」とエルドリックは言って——笑った。笑い飛ばすのではない。どこか人間的な温度のある笑い方だった。「正直だな」
クルトは少しの間考えてから言った。
「……明日、城壁の最終補強を一緒に見てくれますか。あなたの目線が欲しい」
エルドリックが眉を上げた。「頼む」という言葉を、この男が使ったのは初めてだった。
「……分かった」と彼は答えた。「明日、一緒に見よう」
城壁の外では、北の風が低く唸っていた。
次話では、今回の判断が現場でどう返ってくるかが見えてきます。
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