第四十二話 壊された道の意味
辺境領地改革、毎日5話ずつ更新予定です。
気になったら続きを追ってもらえると嬉しいです。
崩壊箇所に近づいたとき、最初に気づいたのは「匂い」だった。
湿った土の匂い。それ自体はどの現場にもある。しかし、その下に——ごく薄く、機械油に似た何かが混じっている。
(こんな辺境に機械油はない)
クルトはしゃがみ込んで、崩れた盛土の断面を手で触れた。大潮到着まであと八日。北方誘導路の崩壊現場は、ノルトハウスから馬で半時間の距離にある。エルドリックが隣に立ち、腕を組んで黙って見ていた。
「本当に、こんな場所まで来る必要があったのか」
「あります」とクルトは断言した。「防衛計画の誘導路がここを通っている。崩壊の原因を把握しなければ、代替ルートを設計できない」
エルドリックが渋い顔をしながらも黙り込んだ。
クルトは土魔法を発動した。手のひらに流れる僅かな魔素を、指先に集中させる。「型枠の中の土の密度を感じ取る」——前世の掘削現場で、地盤の固さを手の感触で判断していた経験がベースにある。魔法はその感覚を極限まで精密にする道具だ。
崩壊断面の内部を、指先で「見る」。
(外側は自然に崩れた雨の跡がある。だが内側——内側の土の密度が、不自然に低い)
「エルドリックさん」
「何だ」
「この崩壊は、内側から起きています」
エルドリックがすぐさま身を乗り出した。
「……内側から?」
「盛土というのは、外から力が加わって崩れるのが普通です。雨なら表面が削れる。踏み荒らしなら上から圧力がかかる。しかしここは——土の中心部から密度が低くなっている。内部に何かが打ち込まれて、そこから崩れた」
クルトは土の中に手を差し込んだ。指が何かに触れた。金属だ。
慎重に周囲の土をほぐして、取り出す。
──────
くさびの形をした金属片だった。
長さは指二本ほど。断面は三角形。先端は鋭く削られ、頭部は平らだ。ハンマーで打ち込むための形状——道路工事でいえば、杭打ちに似た用途のものだ。しかしこんなものを使って道路を「壊す」ために打ち込んだとすれば。
「……人工物だ」とエルドリックが言った。低い声で。
「はい」
「ということは——」
「誰かが、意図的にこの道を内側から崩した」
エルドリックが周囲に目を走らせた。武人の本能が「敵がいるかもしれない」という警戒に切り替わっている。
「……内通者がいるということか」
「今の段階では断言できません」とクルトは答えた。「ただ、この道が自然に崩れたのではないことは確かです」
金属片を布に包んで懐にしまう。ヴィオラに記録させる。まず証拠を保全する。
(誰が、いつ、なぜこの道を壊したか——今は考えても答えは出ない。まず大潮を止める)
怒りは来た。静かで、冷たい怒りが。
前世でも似たような経験をした。自分が設計して予算をかけて完成させた道路が、事業仕分けで「不必要」と判断されて廃止されたとき。誰かが「使わない」と決めて、作ったものの意味を消したとき。あのときの怒りと、今の感覚が、どこか似ていた。
しかし今回は違う。単に「意味を消された」のではない。誰かがこの道を壊して、魔物がこの領地に流れ込むように仕向けた。それはつまり——この領地の三千人を、魔物にさらすために。
(口元を動かすな。今ここで爆発させても、何も守れない)
──────
ノルトハウスに戻ったのは夕刻だった。
ヴィオラに金属片を渡すと、彼女はすぐさまそれをスケッチし始めた。寸法を測り、断面の形状を正確に記録する。手際が良い。こういう仕事では誰より速い。
「……これは」とヴィオラが言った。顔を少し曇らせながら。「魔物の問題ではありませんね」
「はい。しかし今は大潮の防衛が優先です。証拠の記録だけ頼みます」
「分かりました。誰が、いつ、この道を崩したか。記録が証明します」
その夜、ランベルトの鍛冶場で報告した。
老鍛冶師は金属片を受け取り、顎を撫でながら形状を確認した。しばらく沈黙してから、呟いた。
「……これは加工品だ。その辺の鍛冶では作れない。丁寧に作られている」
「どのくらいの技術が必要ですか」
「王都の金属細工に近い。庶民の鍛冶じゃない。……誰の仕事だ」
クルトはその問いには答えなかった。答える材料が、まだない。
ランベルトもそれ以上追わなかった。職人の勘が「ここは掘らない方がいい」と感じているのかもしれない。
──────
城に戻り、クルトは机に向かった。
北方誘導路の代替ルートを設計しなければならない。崩壊した箇所を迂回して、牧草地の脇を通る仮設誘導路——土が柔らかく、魔物の重さで踏み固まる可能性があるが、主要な誘導は距離と角度で制御できる。
羽根ペンを走らせながら、頭の別の区画が動いている。
(誰かがこの領地に魔物を向かわせようとした。道を壊して、流れを作って……なぜだ?ノルトクロイツを潰したい者がいるとしたら——)
答えには、まだ手が届かない。
扉がノックされた。ヴィオラだった。
「先生、近隣の村からも問い合わせが来ています。ガルトナー領の端の村から——北の魔物の気配について。彼らはどうすべきでしょうか」
クルトは一瞬考えた。
「……避難の受け入れ準備をします。どのくらいの数が来るか、ヴィオラさんに試算してもらえますか」
「すでに概算を出しています。老人・子供を含めて最大で百五十名ほどかと」
クルトはヴィオラを見た。頼んでもいないのに、必要な数字を持ってくる。
「ガルトナー伯爵と直接話す必要があります。明日、使者を……いや、俺が直接行く前に、まず向こうの使者を待ちましょう」
「承知しました」
ヴィオラが扉を閉めた。
夜が深まっている。クルトは設計図に向き直った。
やることは多い。しかし——やれることも、確かに多い。それが、今のノルトクロイツだ。
次話では、今回の判断が現場でどう返ってくるかが見えてきます。
続きもよろしくお願いします。




