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この世界に足りないのは勇者じゃない、道路だ ~土木転生の辺境領地改革~  作者: ヲワ・おわり


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第三十九話 怒りの正体

辺境領地改革、毎日5話ずつ更新予定です。

気になったら続きを追ってもらえると嬉しいです。

「公印の使用記録を洗い直しました」


 翌朝、ヴィオラが執務室に入ってきたのは夜明けと同時だった。眼の下にうっすら隈がある。一晩中、書類を調べていたのだろう。


「公印保管室に入れた権限を持つ人物は三人います。私と、領主館の管理主任であるベルント、それから先代から続く書記補佐のカスパー。印鑑の使用記録に、記録されていない時間帯があります——つまり、誰かが公印を持ち出して使った。その時間帯はベルントとカスパーだけが施錠を解除できた時間です」


「あなたが自分を怪しいと言いたいのか」


「私が怪しいと思われてもいいので、残り二人を調べてください」


 クルトはヴィオラを見た。


「あなたじゃない」


「……なぜ」


「あなたがこの発見を自分から持ってきた時点で、自分を疑えという姿勢だ。犯人なら黙っている」


 ヴィオラが一瞬目を細めた。何か言おうとして、言葉を探している様子だった。


「……それだけですか」


「数字で言えば、あなたがこれを隠していたとしたら、昨日の会議室での発言も含めて全て整合性が取れなくなる。犯人がここまで証拠を積み上げない」


「分かりました」とヴィオラが言い、書類を机に置いた。「ベルントとカスパーを呼ぶ順番は」


「ベルントを先に。別々に話す」



 ベルントは「自分には関係ない」と激しく否定した。声が大きく、手が動いた。それが普通の反応か演技かはすぐには分からないが、少なくとも公印の使用記録に矛盾する行動の形跡はなかった。クルトは「今日のところは以上です」と言い、ベルントを返した。


 次にカスパーを呼んだ。


 五十代の男で、先代領主の時代から書記補佐として働いている。部屋に入ってきたとき、すでに表情が微妙だった。目が定まらず、椅子に座るとき手が膝の上で小さく動いていた。


「荷を降ろす場所について、誰かから話を聞いたことがあるか」


 クルトはそう切り出した。


 カスパーが一瞬、息を止めた。


「……少し、聞かれたことがあった、かもしれません」


「誰から」


「……」


「いつ」


「先月の……資材の搬入があった翌日の夜だったと思います」


「何を伝えた」


「次の搬入の日程と、荷の種別を……少し……」


 クルトは声の温度を変えなかった。しかし一言ごとに逃げ道がなくなっていくのを、カスパーは感じているはずだった。


「誰に頼まれたか」


 長い沈黙があった。


「……フォーゲル様の補佐官の方から」とカスパーが言った。「これがノルトクロイツのためになると言われて……小さな話だと思っていました。俺は荷の場所を変えただけで……大きな話は知らなかった」


 部屋が静かになった。


 クルトはしばらくカスパーを見ていた。「小さな話だと思っていた」——その言葉に嘘はないだろう。フォーゲルの補佐官が善意の言葉で包んで使った。カスパーはその入り口の部分を担わされただけで、全体が見えていなかった。


(小者が利用された。主犯はフォーゲルの補佐官を通じた上の誰かだ)


「わかった。今日のところはここまでだ。部屋を出ないでいてくれ」


 カスパーが「は、はい」と言い、立ち上がった。扉の前で一度振り返った。クルトが何も言わずにいると、カスパーは出ていった。



 クルトは全員に館の中庭に集まるよう指示を出した。


 職人、作業員、書記補佐、騎士、厩番、全員だ。フリッツが一番早く来た。ランベルトが腕を組んで後列に立った。エルドリックが壁際に立ち、黙って状況を見ている。


 クルトはカスパーを前に出した。カスパーが頭を下げた。クルトが経緯を全員に告げた——公印が持ち出されたこと、資材情報が外部に渡っていたこと、カスパーが利用されていたこと、そして指示者がフォーゲルの補佐官であること。


 中庭が静まり返った。


 クルトはしばらく黙っていた。


 普段なら、ここで「今後の手続きについては追って連絡する」と言うところだ。数字と手順の話に移る。それがクルトのやり方だった。


 でも今日は、別の言葉が出てきた。


「俺は今まで数字で話してきた。でも、今回だけは数字じゃない話をする」


 中庭の空気が変わった。


「この工事はノルトクロイツで生きている人たちの命を守るための壁だ。その材料を横取りした人間は、その人たちの命を横取りした」


 誰も動かなかった。


「俺が怒るのは、俺の事業が妨害されたからじゃない。——あなたたちが守ろうとしているものを、誰かが踏みにじったからだ」


 言いながら、クルトは自分でも驚いていた。


 こういう感情が自分の中にあったのか。前世では、仕事への不満はあっても、誰かのために怒るという感覚は持ったことがなかった。職場の先輩が「あの道路は何十万人が毎日使う」と言っていたのを思い出す。そのとき「そうか」と思っただけで、特に感情が動かなかった。


 でも今は違う。この中庭にいる人間の顔が見えている。フリッツが目を赤くしている。ランベルトが「……なるほどな」と一人呟いた。エルドリックが腕を組んだまま、一言も口を開かない。


「カスパーの処遇は今後決める。ただし、利用されたことと、指示に従ったことは別の話として扱う。今日の仕事を続けてくれ」


 クルトは静かに言い、その場を終えた。


 声が普段の温度に戻っていた。怒りの後に仕事に戻る——それ以外の方法を知らない。


 中庭が動き出した。職人たちが工具を手に取り、作業員が石材の方へ歩いていく。フリッツが「……領主様」と呟いた。クルトは振り返らなかった。


 胸の中に、何かが静まっていくような感覚があった。


 怒りではなく——俺はここにいる、という確認のような感情だった。

次話では、今回の判断が現場でどう返ってくるかが見えてきます。

続きもよろしくお願いします。

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