第三十七話 数字という武器
辺境領地改革、毎日5話ずつ更新予定です。
気になったら続きを追ってもらえると嬉しいです。
「証拠をお見せしたい。会議室にお越しいただけますか」
翌朝、クルトはフォーゲルにそれだけ言った。
フォーゲルが「ふむ」と鼻を鳴らし、補佐官に目配せした。「では伺いましょう。どのような証拠をご用意されたのか、聞かせてもらいましょうか」
会議室は狭い。机を挟んで、クルトとヴィオラが片側に座り、フォーゲルと補佐官が向かいに座った。
ヴィオラが綴り込みを机に置いた。昨夜一晩かけて仕上げた資料だ。表紙には几帳面な字で「ノルトクロイツ城壁改修工事・合法性証明資料」と書いてある。
「順番に説明します」とクルトは言い、最初のページを開いた。「まず、工事の法的根拠から」
辺境防衛特例の条文が載っている。ヴィオラが書き写したものだが、元の法令集の写しも添えてある。
「第十七条第三項。『辺境防衛を目的とする城壁・堀・防御施設の修繕・改築は、財務省の事前許可を要しない』。条文には城壁が明示されています。フォーゲル管理官は昨日、この特例の解釈は財務省が行うとおっしゃいました。ではお聞きします——この条文の文字通りの意味と異なる解釈をする場合、その根拠は何ですか」
「それは……ケースバイケースで」
「では」とクルトは続けた。「過去の適用事例をどうぞ」
次のページを開く。過去二十年分の辺境防衛特例の適用事例が、年代順に並んでいる。城壁の修繕、堀の拡張、防護柵の設置——いずれも事前許可なしに着工され、財務省の異議申し立てを受けていない。
「ヴィオラさん、読み上げてください」
ヴィオラが姿勢を正した。
「第三辺境、ランダウ領。十五年前、城壁南面の全面改修。財務省への事後報告のみで完結。第七辺境、クロイツブルク領。十一年前、外堀の三倍拡張工事。事前許可なし。第五辺境——」
「分かりました」フォーゲルが割り込んだ。「事例の羅列には意味がない。今回のケースは規模が異なる」
「規模の基準を教えてください」とヴィオラが言った。声が静かすぎるほど静かだった。「財務省が定める大規模公共土木工事の認定基準は、工事費が辺境領の年間税収の五十パーセントを超えるものです。こちらの書類をどうぞ」
ヴィオラが財政データのページを開く。
「道路完成後、ノルトクロイツの物流量は六・三倍になりました。水路完成後、農業生産量は前年比二・一倍。橋完成後、東西の村間の往来が月間十四件から三百十二件に増加しました。現在の年間税収推定額はこちらです」
数字が並んでいる。フォーゲルの目が、一度その数字に落ちた。
「これが二年前のデータで整理計画の対象とされた領地の、今日の数字です」
「それは……財務省の把握している数字とは異なる」
「はい、異なります」とクルトは言った。「なぜなら財務省のデータは二年前のものだからです。今日の数字で整理計画を評価し直してください。それだけのことです」
フォーゲルが口を開こうとした。クルトが続けた。
「それから、規模の件です。今回の城壁工事の設計費用総額は、現在の年間税収推定額の三十七パーセントです。財務省の認定基準である五十パーセントを下回る。よって、今回の工事は大規模公共土木工事の認定基準に該当しません。以上が、設計書と財政データに基づく結論です」
フォーゲルが「データの確認が必要です」と言った。「財務省の正式見解を待つ必要がある」
「承知しています」とクルトは答えた。「ただし、最後に一点だけ申し上げます」
クルトは一度だけ会議室の窓の方を見た。工事が止まった城壁の北面が、そこからは見えない。でも見えているつもりで言った。
「今、霧の草原では例年の三倍の魔物の集積が確認されています。城壁の未完成部分から魔物が侵入した場合、領民に被害が出ます。このような状況下で工事停止命令を維持し、その結果として防衛能力が低下した場合——その責任は、停止を命じた側が負うことになります」
部屋の空気が変わった。
フォーゲルが補佐官に何か囁き、補佐官が資料をめくった。しばらく沈黙が続いた。
「……工事停止命令は、一時留保とします」
フォーゲルが言った。声は平静を保っていたが、目が少し泳いでいた。
「財務省の正式見解を得るまでの暫定的な措置です。それまでは工事を続けていただいて構いません」
「ありがとうございます」
クルトは立ち上がった。「工事を再開します」
それだけ言って、会議室を出た。
廊下でエルドリックが待っていた。
「どうだった」
「再開できる」
エルドリックの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
「剣より効いたか」
「書類の方が射程が長い」
エルドリックが短く笑い、背を向けた。
廊下の奥で、ヴィオラが足を止めていた。
フォーゲルと補佐官が会議室から出てきたとき、補佐官が帰り際に資料の一枚を手渡した。ヴィオラが受け取り、礼を言う。補佐官が去っていく。
廊下の明かりが差し込む場所で、ヴィオラは受け取った書類の右下に目を止めた。
封蜡——財務省の紋章でも、表の家紋でもない。丸い輪郭の中に、角張った紋様。
(……どこかで、見た)
ヴィオラは廊下の窓に近づき、封蜡を光にかざした。その図案を見た瞬間、胸の中で何かが静止した。
先日届いた、ダリウスからの手紙——あの封蜡と、同じ紋章だった。
次話では、今回の判断が現場でどう返ってくるかが見えてきます。
続きもよろしくお願いします。




