第三十六話 難癖という名の権力
辺境領地改革、毎日5話ずつ更新予定です。
気になったら続きを追ってもらえると嬉しいです。
書類が届いたのは、翌朝の工事開始から一時間も経たない頃だった。
財務省の紋章入り封蜡を割ると、中には官僚的な文体で書かれた書簡が一枚。ヴィオラが横に立ち、声を出して読んだ。
「ノルトクロイツ城壁改修工事は、財務省事前許可対象の大規模公共土木工事に該当する。当該許可なく施工中であることは法規違反の疑いがある。ついては即時工事を停止し、財務省への申請・審査を経るまで施工を中断すること——」
ヴィオラが読み終えた。
「以上です」
クルトは書簡を受け取り、もう一度自分の目で確認した。文章は流暢だが、根拠条文の記載がない。何の法律に基づく許可要件なのか、どこにも書いていない。
その日の午後、フォーゲルが直接工事現場に現れた。
黒い外套に財務省の徽章を胸に付け、補佐官を一人連れている。現場に入ってきたとき、石を積んでいた職人たちが手を止めて振り返った。フォーゲルはその視線を受けながら、意図的に声を張り上げた。
「工事を中断していただく。財務省から通達が行ったはずだ。この改修工事は事前許可を要する大規模公共土木工事に該当し、現在その許可が下りていない。法規に基づき、即時停止を命ずる」
周囲の職人たちが顔を見合わせた。フリッツが「どういうことですか」と呟くのが聞こえた。
ランベルトが一歩前に出た。
「財務省の許可が必要な規模というのは、どれくらいからだ。基準を教えてほしい」
「それは財務省が判断することです」
「基準がないなら何でも許可対象にできるじゃないか」
「そういう判断をする権限が財務省にはあります」
ヴィオラが書簡を手に言った。「通達には根拠条文の記載がありません。ノルトクロイツ領主は辺境伯特例によって、防衛目的工事に関しては事前許可なく着工できる規定があります。今回の城壁工事はその範囲内ではないでしょうか」
「その特例が城壁に適用されるかどうかは、財務省が解釈します」フォーゲルは事もなげに答えた。「法律の解釈権は財務省にあります。現場の判断で特例を援用することはできない」
エルドリックがクルトの前に出ようとした。クルトは手を軽く上げた。
「下がっていてくれ」
エルドリックが一呼吸おいてから、元の位置に戻った。
クルトはフォーゲルと向き合った。
(強行するのは簡単だ。法的根拠の怪しい命令に従う必要はない——そう考えることもできる。でも、前世でもそういう現場を見た。手続きを踏まない工事は後で全て無効化される。相手に口実を与えるだけだ)
「承知しました」
職人たちが一斉にこちらを向いた。ランベルトの顔が紅くなった。フリッツが「え」と声を上げた。
「工事を中断します」
クルトは言い、それから現場を見渡した。石材が途中まで積まれた北面の城壁。足場に上がったままの職人が三人。搬送途中の石材が並んでいる。
「ただし、手続きを整える時間をいただく。三日で証拠を揃えます」
フォーゲルが満足そうに頷いた。
「ご理解いただけて何よりです。申請手続きは正規の経路で——」
「工事現場の皆さんに伝えておきたいことがある」
クルトはフォーゲルに向けていた視線を、職人たちの方へ動かした。
「三日で戻ってくる。工事は必ず再開する。今日は道具を丁寧に片付けて、明日からの準備をしておいてほしい」
ランベルトが一瞬クルトを見た。それから「……材料の確認をしておく」と低い声で言い、道具を持って歩き出した。他の職人たちも、静かに片付けを始めた。
フォーゲルは一礼して、補佐官を連れて歩き去った。遠くなる足音を聞きながら、エルドリックがクルトの横に来た。
「剣で追い払えないのか」
「お前の剣は守るためにある」とクルトは答えた。「今は俺が守りに行く」
エルドリックが黙った。
領主館に戻り、クルトはヴィオラを呼んだ。
「これに必要な書類を全部出してほしい。持っているもの全部だ」
「もう用意しています」
ヴィオラは机の上に一冊の綴り込みを置いた。まだ表紙に何も書かれていないが、中身は既に整理されている。
「昨夜から取り掛かっていました。辺境防衛特例の条文と過去の適用事例。現在の財政データ。道路・水路・橋の完成後の変化。城壁工事の設計書と強度計算。それと——財務省による大規模公共土木工事の定義と、この工事がその定義に当てはまらない根拠」
「全部揃っているか」
「記録は正確に。当然です」
クルトは綴り込みを手に取った。ずっしりとした重さがある。
(これは武器だ)
前世でも、行政の理不尽に対して書類で戦ったことがあった。設計根拠を示し、施工記録を積み上げ、法的解釈の根拠を並べた。あのときは最終的に通った。
「三日、いや、明日の朝には相手を呼べる」
「明日の朝には全部整います」とヴィオラが言った。「私が今夜確認します」
「頼む」
クルトは窓から工事現場の方を見た。石積みが途中で止まった北面の壁が、夕暮れの中に立っている。三ヶ月と少し。七十三日で完成させなければならない。その三日を、今使う。
「ヴィオラさん」
「はい」
「あなたがこれを作ってなかったら、今日は本当に詰んでいた」
ヴィオラが一瞬だけ目を細め、それから書類の方に視線を戻した。
「……明朝、クルト様に渡せるよう仕上げます」
クルトが執務室を出ていく。廊下で立ち止まり、工事が止まった現場の方角を一度だけ振り返った。
三日で、あの壁の上に戻る。それだけを考えた。
次話では、今回の判断が現場でどう返ってくるかが見えてきます。
続きもよろしくお願いします。




