第三十二話 整理計画
辺境領地改革、毎日5話ずつ更新予定です。
気になったら続きを追ってもらえると嬉しいです。
馬車は財務省の紋章を側面に貼っていた。深緑に金の秤——王国の財政を管理する省の証。御者の横に護衛が二人、馬車の後ろにもう一台が続いている。
クルトが領主館の前に出ると、すでに馬車から降りた男が立っていた。
四十代半ばだろう。清潔に整えられた黒い外套、磨かれた靴、銀のボタン。体型は引き締まっていて、姿勢がいい。顔には品のいい笑みが貼り付けられていた。作った笑顔だが、作り慣れている笑顔だ。
「ノルトクロイツのクルト・ヴァイス領主殿でいらっしゃいますか。財務省北方地方管理官、ラインハルト・フォーゲルと申します。突然のご訪問、失礼いたします」
「いらっしゃいませ」とクルトは言った。「ノルトクロイツへようこそ」
お互い礼を交わしながら、クルトはフォーゲルの目を見た。笑んでいる。しかしその奥に「評価している」という視線があった。品定めの目だ。
「現状視察ということで、何日かご滞在をお許しいただければと存じます。なに、大したご迷惑はおかけしません。また、財務省からのご連絡の書類もお持ちしました」
フォーゲルが補佐官から分厚い封書を受け取り、クルトに差し出した。
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昼食を済ませた後、クルトは封書を開いた。
ヴィオラが隣で書類を確認している。二人とも言葉少なく、ページをめくる音だけが執務室に響いた。
「……『ヴェルドライヒ王国財務省 北方領地整理計画(暫定案)』」
ヴィオラが題字を読み上げた。声が平坦だ。内心に何かを隠すとき、ヴィオラはこういう読み方をする。
「内容は」とクルトが聞いた。
「ノルトクロイツを含む北方三領地を『復興見込みなし』として財務省直轄管理下に移行し、段階的な住民移転と土地整理を行う計画です。農業生産量・防衛コスト・人口推移の数字が根拠として記載されています」
「数字の出典は」
「二年前のデータです」
クルトは一瞬手を止めた。二年前。橋がまだ流失したままで、水路が詰まっていて、道路が轍で崩れていた頃の数字だ。今のノルトクロイツの数字ではない。
「法的拘束力は」
「これは正式な命令書ではなく、暫定計画案です。まだ拘束力はありません。ただ」
「ただ?」
「財務大臣の副署があります。無視はできない。無視したと見なされれば、正式な命令書に格上げされる可能性があります」
クルトは書類を閉じた。一読して内容を把握した。これは前世でも見たことがある書式だ。廃止・統廃合の計画書というのは、どこの世界でも同じような構造をしている。「現状の数字が悪い、だから廃止する、代わりにこうする」というロジックで、必ず「現状の数字」が古くて不利なものを選んでいる。
(この男は、最初から数字を持っていない)
ということは、この計画書の根拠は崩せる。問題は、どのタイミングで、どう崩すか、だ。
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夕食の席で、フォーゲルが饒舌だった。
領主館の食卓は普段より整えられている。ヴィオラが気を利かせて食器を出した。フォーゲルは上座に自然と収まり、ワインのグラスを傾けながら話し続けた。
「いやあ、領主殿は若いのにたいしたものだ。こんな辺境で、橋まで完成させたと聞きました。ご苦労のほどは察して余りあります」
「ありがとうございます」
「しかしながら、数字というのは冷酷なものでして。いかに個人の努力が素晴らしくても、領地全体の生産性と防衛コストのバランスが取れていなければ、王国財政として支えることが難しくなる。その点について、率直にお話しさせていただければ」
エルドリックが席の端で、ワインを飲まずに座っている。腕を組んだまま、視線はテーブルに向けられているが、肩が微妙に固い。怒りを抑えている体の緊張だ。クルトは目でエルドリックに「今は抑えてくれ」と合図した。エルドリックが渋々視線を外した。
「その数字を見せてもらえますか」とクルトは言った。
「は?」
「財務省が把握している、ノルトクロイツの現在の数字です。農業生産量、物流量、人口推移。それをどうぞ」
フォーゲルが少し口元を動かした。笑みが薄くなった、と言うより、笑みを作り直している。
「それは追って書面でお示しします。今日のところは、大まかなご説明を」
(やはり持っていない)
クルトは「承知しました。書面でお願いします」と言い、ワインを口に運んだ。追及するより、「書面で」と約束させた方が後で使いやすい。
ランベルトが隅の席で「お前に何が分かる」と言いかけた様子が視野の端に見えた。フリッツが必死に老職人の袖を引いている。クルトはそちらを見なかった。
夕食が終わり、フォーゲルが席を立つ際に、補佐官を呼んで封書を渡した。「急便で」と小声で言っている。クルトは聞こえないふりをして、その動作を視野に収めた。
(誰かへの報告か。早い)
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夜、執務室でヴィオラと二人になった。
「計画書をもう一度見ます」
「はい」とヴィオラが書類を開いた。「根拠として使われている農業生産高、これは今から二年前、第三四半期のデータです」
「二年前の第三四半期というと」
「橋がまだ片方流失していた時期です。道路の修復も始まっていない。水路も詰まったままでした」
「今の数字は何倍になっている」
「農業生産量だけで言えば、今年の見込みは二年前比で二倍を超えます。物流量はさらに差が大きい」
クルトは「分かった」と言った。「この計画書は今の数字で評価し直せば、根拠が成立しない」
「はい。ただ、それを正式の場で示す機会が必要になります」
「作ります」
ヴィオラが少し間を置いた後、「……先代領主の時代にも、こういった書類が届いたことがあります」と言った。
「どういう意味ですか」
「先代が急死された後、財務省から似たような書類が来た。あのときは継承者不在で、うまく交渉できなかった。だから放置された。今回は、交渉できる領主がいます」
クルトは「なるほど」と言いながら、その言葉の重さを受け取った。
翌朝、フォーゲルが「朝食を共にしながら、もう少し踏み込んだ話をしたい」と申し出てきた。
「昨夜の書類を読みました」とヴィオラが廊下でクルトに小声で告げた。「この中に、もし領主が自発的に辞退した場合の優遇条件も書かれています」
「知っている」
「……分かって読んでいたんですね」
「あの書式はそういうものだ。選択肢を提示して、自発的に選ばせる。フォーゲル管理官は次の朝食で、それを本題にするつもりだ」
ヴィオラが「どうされますか」と聞いた。
クルトは廊下の向こう、食堂の方を一度見た。
「聞いてから、答えます」
次話では、今回の判断が現場でどう返ってくるかが見えてきます。
続きもよろしくお願いします。




