第三話 鍛冶場の頑固者
土木転生で辺境改革、初動加速中です。
ここから領地経営とインフラ整備の手触りを厚くしていきます。
炉の音が、外まで届いていた。
ノルトクロイツ唯一の鍛冶場は、領主館から北に十分ほど歩いた場所にある。近づくにつれ、鉄を打つ規則的な音が大きくなってきた。金属の、澄んだ高い音だ。手を抜いていない証拠だとクルトは思った。
扉を押すと、熱気が一気に押し寄せてきた。
炉の前に背を向けた老人がいた。白い髭、広い背中、分厚い革エプロン。鉄を打ちながら、こちらを一切見ない。
「……ランベルト・グロース氏か」
クルトが声をかけた。老人は答えなかった。鉄を打つ音だけが続く。
「領主のクルト・ヴァイスだ」
「聞こえてる」
ようやく返事が来た。しかし振り向かない。
「用があるなら出直せ。今は仕事中だ」
クルトは出直さなかった。
代わりに、鍛冶場の中を見回し始めた。炉の構造。煉瓦の積み方。送風管の配置。作業台の高さ。工具の配列。前世でも製鉄所の現場調査をしたことがある。見るべきものは、自然と目に入ってくる。
「……なんのつもりだ」
ランベルトが振り向いた。皺の深い顔に、不機嫌が滲んでいる。
「観察している」とクルトは言った。
「素人が何を見ようと——」
「送風管が詰まりかけている」
ランベルトの手が止まった。
クルトは炉の右側を指した。「あの接続部。二箇所の継ぎ目に煤が堆積している。流量が落ちているはずだ。このまま使えば、三週間以内に炉の燃焼効率が目に見えて落ちる。最悪、炉心が死ぬ」
しばらく沈黙があった。
「……何者だ、お前は」
「領主だと言った」
「それだけじゃわかる数字じゃない」
クルトは答えなかった。代わりに手帳を開き、送風管の断面図を簡単にスケッチした。詰まりが発生しやすい箇所に印をつけ、ランベルトに差し出す。
「清掃するなら、ここを分解して内壁の煤をかき出すのが早い。二時間あれば終わる」
ランベルトは手帳を受け取り、図を見た。しばらく無言だった。
「……俺の鍛冶場で、俺に指図するつもりか」
「指図じゃない。情報だ」
クルトは手帳を受け取り、作業台の脇に置かれた工具を一瞥した。整然と並んだヤスリ、鏨、型打ち道具——その端に、一本だけ浮いているものがあった。形状が他と違う。柄の材質が異なり、刃先の造りも特殊だ。何かを測るための道具のように見えた。
しかしクルトはそれについては何も言わなかった。今日は別の用がある。
「資材の相談に来る」とクルトは言った。「道路修復の工事に使う材料について。準備だけしておいてくれ」
「断る」
「そうか」
クルトは踵を返した。扉に手をかけたところで、振り返らずに言う。
「送風管、早めに見てくれ。炉は一度死んだら再起動に時間がかかる」
返事は来なかった。
──────
鍛冶場を出て、案内役の若い役人——ヘルマンという名の二十代の青年——と並んで歩きながら、クルトは手帳に書き込みを続けた。送風管の状態。炉の燃焼効率の推定値。資材として必要になりそうな鉄の品目。
「……領主様」
ヘルマンが遠慮がちに口を開いた。
「ランベルト親方は、ああ見えて腕は確かなんです。ただその……前の領主様から、色々と」
「色々と?」
「約束を何度か、守っていただけなかったらしくて。工事の発注が来たと思えばすぐ取り消されたり、材料を用意したのに使われなかったり。親方、ずっと損ばかりさせられてきたんです」
クルトは手帳から目を離した。
「……そうか」
「先代領主様は、亡くなる直前まで鍛冶場をよく訪れていたそうです。ランベルト親方と、よく話をされていたと聞いています。それが急に……」
ヘルマンの声が、わずかに揺れた。「病で亡くなった、と聞いていますが……」
言いかけて、止まった。
クルトは何も聞き返さなかった。ただ手帳に、短く書き込んだ。〈先代領主:鍛冶場に頻繁に来訪。死の直前まで。内容不明〉
夜、執務室の灯りの下で台帳を広げていたクルトは、あることに気づいた。
財務の記録に、空白がある。先代領主が死んだ月の翌月から、三ヶ月にわたって工事費の項目がまるごと消えていた。ゼロになったのではなく、記録そのものが存在しない。
ヴィオラが几帳面につけているこの台帳で、それほど長い空白があるのは——この三ヶ月だけだ。
クルトは台帳のその箇所に細い印をつけた。手帳を開き、先ほどのメモの横に書き足す。〈財務記録:先代死去の月から三ヶ月、工事費の欄が空白。理由不明〉
ランプの炎が、静かに揺れた。
──────
翌朝、机の上に一通の書状が届いていた。
丁寧な筆跡で、会談の申し入れが書かれている。差出人は騎士隊長、エルドリック・シュタイン。
文面は礼儀正しかった。しかし最後の一行だけが、違う色を帯びていた。
〈なお、領地内の施設への視察は、私の許可を得た上で行っていただきたい〉
クルトはその一行を二度読んだ。
感情的な意図はおそらくない。これは彼の流儀だ——自分の管轄を守ることが、騎士としての職責。そこに悪意があるわけではない。
ただ、この書状は「お前の行動は気に入らない」という意味でもある。
クルトは返書を書いた。明日の午前に会談に応じる旨、それだけを記して封をした。
窓の外、朝の光の中にノルトクロイツの輪郭が見える。崩れた城壁。荒れた道。機能しない水路。
まだ始まったばかりだ、とクルトは思った。
次話もすぐ続きます。
序盤はテンポ重視で、問題発見と実務の一手を積んでいきます。




